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第一章 日常の憂鬱と崩壊 1

 静寂を破るかのように鳴り響く電車のブレーキ音を耳にし、恭介は長旅による睡眠から目を覚ました。車両内からは目的地の到着を告げるアナウンスが流れる。慌てた恭介は荷台に乗せていたドラムバッグを落とすように降ろし、肩紐を引っ掛けると軽快に走った。出発しそうな電車に慌てたのもあるが、何より慣れ親しんだ故郷の空気が恋しかった。

 重そうな機械音を響かせて鉄の扉が左右に開く。使い古したバッグを背負う老婆が一人だけ降りる。穏やかな時が流れている地元を感じつつ恭介も後に続いた。すぐに扉は閉まり電車が走り出す。電車は一瞬だけ爆発的な轟音を響かせ、すぐに遠のいていった。人などいない駅のホームはまるで、寂れた漁港のような静けさだった。

 恭介を澄み切った青が包み込む。夏の太陽は残酷なまでに気温を上昇させる。何も変わらない。そう思った。故郷を離れて僅か半年なのだから、当然ではあるのだが、どうにも変化が無さ過ぎる。絶望的なまでに成長性を欠いた世界に思わず笑みがこぼれる。今にも崩れ落ちそうな駅にある、滑稽としか思えない自動改札を通り抜け、恭介は戻ってきた。――戻ってきた! 若干興奮した。

 この町は典型的な田舎とはいえない雰囲気がある。田畑の続く田舎のような風景を他所に、突然現れる繁華街と住宅街が隣接するのだ。土地だけは広いので建築物が立つのに問題は無いのだが、如何せん出資するに値するとは思えない土地でもある。それでも慎ましく発展を遂げたには、どうにも国が推奨する施設の建設に協力的だったのが原因であると恭介は聞いていた。発信元は晃なのだが、なんでも世界初の加速器を軍が管轄して建設するのだという話で、恭介自身も小学校のころから着工したやたら巨大で不恰好な建築物を見ている。晃曰く脆弱な町が発展するには犠牲と危険は隣り合わせなのさ、だそうだ。

 繁華街と住宅街が南側にあり、北側に町に匹敵する例の建築物がある。それ以外は山だ。恭介は迷うことなく南へ足を向けた。時刻は十一時丁度。太陽が頭上で輝く頃には住宅街をさらに越えたところまで行かねばならないのだ。集合場所は秘密基地。半年振りに合う予行練習をしながら、徐々に足を速めていた。










 巨大なコンクリートの壁に囲まれたドーム状の空間内、普段は人の気配などは無く、僅かな機械音と蛍光灯の微光が反射しているだけの場所に、何十人もの作業着を着た人間と、白衣を着た人間、重苦しい銃器を構えた人間が蠢いていた。着工十年目にして完成した、世界で最も巨大な加速器RT-1を稼動させる為に。

 その中に警備として駆り出されていた中野和真は目の前に広がる光景をただただ興味なく眺めていた。入隊して間もない人間には大抜擢の仕事であるらしい事が、中野には理解できなかった。ただの実験になぜ殺傷能力のある銃器を構えなければならないのか。もしかしたら映画のように未知の生命体でも出現するのではと想像し、自嘲ぎみに笑った。お偉い方が関わると、なんでも過剰に反応するものさ。

 中野が聞かされている事には限りがあり、理解している範囲は狭かった。今回の実験では小規模のブラックホールを生み出すという。夢物語かSFのような程度の知識しかない中野には、あるいはそう言う俗物な知識があるからこそ軽視した。

 その軽視した先にいる人物、今回莫大な資金と土地を国から得るに至った計画の中心は、十年掛かったRT-1の稼動に心を躍らせた。現在四十の高谷重蔵がこの計画の原型を発案したのは十五年前のこと、まだ高谷が一学会員にすぎなかった頃に書いた超マイクロブラックホールに関する論文からだった。当時欧米に物理学での学術的溝を開けられていることに危惧している政府は、世界を圧倒させる発見を望んでいた。そこで高谷の超マイクロブラックホールに飛びついたのだ。莫大な高エネルギーが必要なブラックホールの生成は机上の空論でも、粒子レベルのブラックホールなら現代の核分裂を利用すれば可能と判断したのだ。こうして核を利用した世界最大の加速器RT-1は建造された。

 だが、高谷は欧州原子核研究機構が生み出した加速器LHCより遥に巨大で精密なRT-1でなら超マイクロブラックホールの生成は可能であると確信し、その先も見ていた。

 超マイクロブラックホールはその極小の性質から、発生と同時に蒸発し消滅する。安全であると提言したが、高谷は別の可能性を見出している。相対性と双対性。全てを飲み込むブラックホールの先、全てを吐き出すホワイトホール。超弦理論を実証する高次元の存在を。

 安全性など皆無であることをこの場にいる高谷以外は誰も知りえなかった。高谷は腹の中で笑っていた。何も知らない、単なる外部からの進入を阻止するという名目で銃器を構えている無知どもを眺めながら。――内部からの進入なのだよ、可能性では。







 恭介が秘密基地へ向かう為に新築の建売で立ち並ぶ閑静な住宅街を歩いているさなか、智恵は隣にある繁華街で一番大きな建物、百貨店で恭介へのプレゼントを選んでいた。夏休みに入っているせい子供連れの家族や、関係の良好そうな恋人たちで賑わい、購買意欲はあがる一方である。

「恭介だからなー何がいいだろう。きっと大した準備もなく来たんだろうからティーシャツとか?」

 などと独り言をしゃべりながら、半年振りに合う恭介への思いもあり、周りよりもさらに購買意欲を上昇させた。恭介が居なくなってから、どうしても皆と会う機会も減り、それが寂しかった。学校も分かれたのだから当然ではあったが、それを恭介の不在が原因とすることで、今回の恭介の帰郷によって解決するのだと智恵は思いたかったのだ。




 遥は生まれ育ったホームに居た。幼い頃に両親を交通事故で失い、それ以来身寄りの居なかった遥は町外れの孤児院で育ち、十六となった現在では兄弟たちの姉として、お母さんとして、高校に通いながらも面倒を見ていた。

 今日は大事な日であることを理解し、それでも約束の時間に遅れてしまいそうなのは、生まれつきの面倒見の良さからくるもので、兄弟たちがお腹を空かせているのに放り出していくことが出来なかったからだ。

 しかし遥は自身の面倒見のよさに嫌悪感を抱いていた。自分は捨てられたのではない。事故だったのだ。でもこの子達は違う。関係のもつれ、経済的事情、不願の出産など、

理不尽な事情で捨てられたのだと思っていた。――代わりに私が面倒を見るんだ。

 そう思わなければ生きてこれなかった。自身は愛されていたのだという最低な優越感があった。面倒見の良さという弱さが遥を動かしていた。




 優一は図書館である調べ物をしていた。図書館の位置からすれば、住宅街に近いこともあって、時間にゆとりを持って約束の時間に間に合うという計算だった。

 恭介が帰ってくる。優一には何よりの朗報だった。小学校の時からおとなしく、誰かと話すのが苦手な子供であった優一には、恭介は別世界の人間だったのだ。明るく、誰とでもすぐ親しくなり、スポーツ万能でいつでもクラスの中心であった恭介は、きっと自分には関係のない人間だと思っていたのだ。そう言う考えが優一の周りに壁を作っていた。

 だが恭介は優一の作った壁を壊した。だれも触れようとしなかった壁に真っ先に触れてきたのだ。

小学校の頃、一人休憩時間に教科書を読んでいた時、

「お前ってすごいよな! なんでも知ってるし、勉強も一番だしさ。俺尊敬しちゃうよ。なあ俺の脳みそと少しトレードしない?」

 初めて何の用事もないのに声をかけられた。それがうれしかった。

 それ以来、事あるごとに恭介は優一を誘い、優一はついていった。本当の仲間だけが呼ばれる秘密基地に連れていってもらった時のことは忘れられない思い出の一つだった。

 そんな恭介が今日帰ってくる。そう思うと今見ている本のページをめくる手が早まる。今見ている本は大型の加速器についての書物。公表されているブラックホール生成に興味があったからだった。




 晃は自宅に居た。住宅街の中でも一際高い高層マンション。その最上階にある虚しいほど広いリビングの窓から、町よりも大きい加速器RT-1を眺めていた。晃は十六にして完璧だった。両親はこの地に古くからいる大地主で、父は県会議員、母は国立大学の講師をしていた。何の不自由もなく育ち、何の挫折もなくここまで来た。それが恐ろしくつまらない事だった。

 恭介とはなぜか気が合った。よく問題を起こしては教師や両親に叱られ、そのつど奇想天外な方法で解決を試みようとするのは見ていて楽しかった。中学校までは。

 高校生になり、誰しもが落ち着いて社会に溶け込んでいく。晃が小学校の頃にすでに体験していた事に、ようやく追いついてくるのだ。それが特に最低に感じられた。だからなのか、晃は得体の知れない事象を心の底で望んでいたのだ。自身で事件を起こすほど無能ではない。――だが、もし俺が巻き込まれたら、俺はどう動くのか。中心に行くのか? 逃げ出すのもありだ。それともあっち側へ……

 想像は少し楽しかった。

 不恰好なほど滑稽で景色に溶け込まない建造物。晃は冷徹な眼で、歪んだ感情で、加速器RT-1を眺め続けた。




 賢児は秘密基地ではなく、街の西側、繁華街のコンビニの前、六つのペットボトルと大量のお菓子を入れたビニール袋を両手に持って、なんの焦りも無く立っていた。

 理由としては、恭介が電車内で行いそうになった失態をしてしまったからなのだが、恭介は執念で起き、賢児は諦めを選んだのだった。その結果が、罰を手早く終わらせる諦め、謝罪と共に献上される貢物を得るため、コンビニへと向かうという行為をさせた。

 遅刻なんて小さな事で焦らないのが本物の男ってもんさ。賢児には変な信念があった。

 小さな街ではあったが、繁華街はいつも大勢の人々で溢れている。これから映画を見に行くのであろうカップルや、若い夫婦が幼児を連れてショッピングを楽しんでいる姿などがよく見える。そんな中にコンビニはある

「さて、ゆっくりと基地に向かうとしますかっ!」

 呟いて、賢児は人波に呑まれる様に、秘密基地である待ち合わせ場所へと歩き出した。


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