プロローグ〜秘密基地と誓い
灰色の空から降り続く雪は、一年の終わりを告げるかの様に世界を銀色に染め上げていく。春になれば緑豊かな丘も、空の色とは違う人口的な灰色のアスファルトも、そして人々の心さえも雪が積もる。その銀色の世界では、一年の終わりを告げる除夜の鐘だけが力強く響き、伝わった音色を聞いた人々が粛々と、しかし盛大に新年の到来を祝福していた。
同時刻、何もない丘に建つ、朽ちる寸前のような木造の倉庫跡で、微かに響く鐘の音を合図にした佐藤恭介が、ランタンの僅かな明かりと円陣で座る仲間達の静寂の中、新年の挨拶をするのだった。普段から陽気な性格で優しい顔と評判の表情が若干暗くなっている。
「えー新年あけましておめでとう。今年は中学を卒業して、それぞれの高校に行く訳で、皆も大変だと思うけど、俺達の誓いは絶対であって……」
「硬い、硬い、硬い。なんだよその校長みてぇな挨拶は!」
頬を軽く痙攣させながら喋っていた恭介に、円陣の中で大きな体を窮屈そうに曲げていた石黒賢児が短く刈り上げた坊主頭に両手を組んで茶々を入れる。
「うるさいな、中学生活の最後を飾るんだからこれ位でちょうどいいんだよ。俺は東京の高校に行くんだ。皆と騒ぐのもこれが最後かもしれない。硬くていいじゃないか。皆もそう思うだろ?」
恭介が賛同を求めて辺りを見渡す。最初に目が合った小林遥は幼さの残る美しい顔にやや硬い笑顔を浮べ、肩まである髪を横に振る仕草で恭介の賛同を優しく回避した。それを見ていた立花晃も、恐ろしい位整った顔立ちを侮蔑に歪ませながら、両手を軽く挙げて遥に合わせる。
他の仲間も二人に合わせ、
「賢児の言う通りちょっと固いよ、あんた。ねえ優一?」
「うん賢児の言う通りさ。恭介も言ったじゃないか。最後かもしれない……でしょ?明るくしようよ」
恭介の視線が届く前に決着が付いた。普段から軽いノリで多数派を好む中山智恵はいいとして、昔から学級委員長をしてきた『The委員長』こと内田優一がトレードマークの眼鏡を手で押さえながら反対側につけば、それはすでに優一が正しいのだ。
「はいはい、緊張してましたよ。硬かったですよ」
恭介が不満を顔全体に浮かべながらそう言うと、待っていましたと言わんばかりに賢児が立ち上がり、
「それじゃー俺の勝利と新年に乾杯!」
大きな一声を合図に、皆がそれぞれ持ち寄った菓子や弁当、ジュースや茶などを飲食し始めるのだった。
深夜の、それも雪の降る気温は体を芯まで冷やすが、僅か六畳ほどのスペースに六人が集まり笑えば、大した問題ではない。賢児が皆を笑わそうと服を脱ぎ、晃はそれを馬鹿にする。でも智恵が笑い、優一と遥は風邪をひくと賢児に服を着せようとする。それだけで暖はとれた。
ただ、恭介はまだ憮然とした態度で茶を飲んでいた。それを気にしてか遥がそっと声をかける。
「まだ怒ってるの? 冗談なんだから本気にしちゃ駄目だよ。ね? 楽しもうよ」
「……怒ってなんて無い」
恭介は遥の顔を見ずに、それだけ言ってまた茶を口にする。遥は恭介の無粋とも言える仕草を見ながら優しく笑い、
「うん、ならいいんだ。もう当分ここに来て皆で騒ぐなんて出来ないんだもん。それなのに怒ってたら悲しいから」
さりげなく恭介の前にお手製の、御節の詰まった弁当箱を差し出す。
「別に……俺が消えてなくなるわけじゃない。生活する場所は違うけど、夏休みは戻ってくるし、今時携帯だってあるんだしな」
恭介は何も思うこと無しに卵焼きを口に運びながら回答する。
「そうだけど、ここは皆の特別な場所だから……。それに皆それぞれ違う高校に行っちゃうからさ、なかなか会えなくなっちゃうんじゃないかって心配なの。それにね、私は目を見て話したいの」
「なんで?」
恭介は特に考えなく、疑問を口にした。あまり場を読む力が無いのだ。
「怖いの。私の知らない場所で、皆がそれぞれの人と付き合っていく。関係の薄くなる私が忘れられてしまいそうで。だから怖い」
遥は悲しさを隠すかのように恭介に笑顔を見せる。その悲しそうな笑顔に恭介が何か言おうと口を開いた時、
「遥、何言ってるのよ! 私らは絶対にバラバラなんかにならないんだから。そりゃ高校は違うかもしれないけど、それでも絶対は絶対なんだから!」
今にも泣きそうな、怒り出しそうな、そんな複雑な感じで、普段の年不相応の大人びた表情を崩し、智恵が恭介と遥の会話に割って入ってきた。賢児も便乗する。
「智恵の言う通りだ。俺達の掟を忘れたとは言わせんぞ遥。裏切りは絶対許されないからな!」
賢児は浅黒い顔を満面の笑みで歪めた。
「うん! 約束!」
遥も賢児に負けないくらいの笑顔で回答する。
「なーに心配すんな! 嫌だって言っても縁を切ってなんかやらんから!」
深夜の寒さと仲間の温かさが入り混じる、そんな空気の中にふと一瞬の静寂が訪れる。皆が黙り、ほんの少しの悲しさと、それを包み込む自信に満ちた表情をそれぞれが浮かべていた。そして晃が珍しく静寂を破る。
「バラバラね、まあそれが大人になるって事なんだろ。でも、それはまだ全然先の話さ。今の俺達にはまったく関係の無い事だ」
皆が静かに頷く。その中で恭介は朽ちた天井の小さな穴から覗く、狭い空を眺めていた。深々と降り続ける雪が、その僅かな隙間から入り込み、暖色を帯びて悲しい気持ちを運んでくるのではないかと恭介は感じた。だから恭介は目の前に舞う雪を手で握る。そして体温で冷たさを溶かした。この冷たさを忘れないために。この暖かい日を失わないために。恭介は静かに皆に言う。
「何があっても、ここに集まるんだ。裏切った奴は……皆におごりだからな!」
皆がそれに頷き、そして笑う。誰もが変わる事の無い絆を信じ、決して疑いはしなかった。それぞれがどんな道に進もうとも、これからどんな事が起ころうとも、この場所に皆が揃う事をただ願った。