ぶかぶかの服とぶかぶかの心
僕は、洗面台の前に立っていた。
今日は、待ちに待った入学式の日である。しかし、残念なことに中学校は小学校から大して距離は変わっていない。それは面白いとも言えるし、つまらないとも言える。単純な道のりに僕は、また新しい道を見つけるだけだ。
「母さん、やっぱり締め方わからないよ」
僕は、洗面台から台所にいる母さんに向かって叫んだ。
「片方は短めに、片方は長めにっていったでしょ」
母さんは、台所から洗面台にいる僕に向かって叫んだ。
僕は、母さんに一回ネクタイを締めてもらったのだが、僕はあえて自分でチャレンジするといって一回外したが、もう一回締め直しができていなかったのだ。
僕は、中学生になったから母親の呼び方を「お母さん」から「母さん」に変えてみたが、特に母親はなにも思わなかったようだ。
僕は何回か締め直すうちに、それなりの出来栄えのネクタイが洗面台の鏡に映っていた。僕としては満足のいく出来ではなかったが、時間的にも間に合わなかったので、これ以上の改良を諦めることにした。
中学生になったら、制服を着ることになる。一部の学校では私服のところもあるようだが、僕の学校は制服だった。小学校を卒業する寸前に、母さんと一緒に近所の制服屋に制服を仕立てにいった。この道何十年のベテランのおばさんがやっている制服屋だった。おばさんは「最近は少子化で、作る制服も少なくなってきて寂しかったけど、こうしてまた一人中学校に行く子のために仕立てられるのは嬉しいもんだよ」と母さんと話していた。母さんは「どうせ、あんたはきっと大きくなるから、ちょっと大きめに作ってもらうからね」と言った。僕に決定権限はなく、僕は「わかった」と言った。
僕は、新品で少しぶかぶかのブレザーと、ぶかぶかのスラックスを履いた。
靴下を履いて、いつも履いてるお気に入りのニューバランスのシューズを履いた。
真新しい学生カバンを右手に持って、玄関を開けた。
「行ってきます」
僕が言うと、母さんは「ちょっと、待ちなさい!わたしも行くって」
その通りである。入学式というのは両親も出席できるものであり、母親は出席する予定だった。僕は、あえて冗談を言ってみた。母さんは、慌てて支度をして玄関を一緒に飛び出した。
中学校に着くと、大勢の新入生がいた。小学校の頃からの友達も多くいたが、真新しい制服に身を包んだ彼らは、どこか違う人物に見えた。僕らは、また一つ大人になったのかもしれない。
僕は、恐る恐る体育館に入り、自分の席に座った。体育館に入る時、中学校の先生と思しき人に一枚の紙を渡されて、僕のクラス番号がわかった。1年5組。新鮮だった。小学校の頃は、クラスは2組しかなかったからだ。しかも、小学校は1クラス35人だったのが、中学校では1クラス40人になる。僕は、卒業する時は「どうせ、みんなに会える」と思ったが、実はそうではないのかもしれない。意外と新しい人たちと生活しなければならないと思った。
少し、不安になっている僕にとなりの女の子が話しかけてきた。
「君は、どこ小?」
そうか。こういう会話が成立するのかと僕はハッとした。
「僕は、金草小だよ」
「って、ここ金草中だよ?ってことは、徒歩3分のところにある小学校に通っていたの?」
女の子は、驚いていた。僕は「そうだよ」と笑顔で答えた。
「君は?」
「あたしは、南草小」
南草といえば、ちょっと山の上の学校だ。この中学までは歩いたら15分以上はかかりそうだった。
彼女は「近くていいな」と僕を羨ましそうに見た。僕は「そんなことないよ」と返した。
「名前は?」
僕は、彼女に聞いた。
「桜坂咲。みんなからは、サクって言われるかな。君は?」
「僕は、染谷慎之介。特定のあだ名とかないかなぁ。みんな思い思いに呼んでくれてる」