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光のもとでⅠ 第十三章 紅葉祭  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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26~41 Side Tsukasa 01話

 全曲茜先輩の隣で歌う予定だった翠の椅子は、昇降機が上がったときと変わらずステージの中央にある。

 奈落の人間は皆が不思議そうな顔をしていたが、座ったまま目を瞑り、マイクを握る翠はとても落ち着いていた

 そこで歌うことを選択したのだと理解するまでに時間はかからなかった。

 翠は人前で何かをするのが得意な人間ではないだろう。でも今日は――始めこそ緊張していたものの、今はリラックスして楽しんで歌っているようにも見えた。

「彼女、いい顔して歌ってるじゃん」

「あぁ……」

 隣に並んだ朝陽は続けて口を開き、

「姫と王子の出し物として推しておいてなんだけど、彼女がひとりでステージに立てるとは思ってなかった」

 それはわからなくもない。

「で、どうしようか……。残念ながら、司が翠葉ちゃんに向けて歌っている事実に、彼女全く気づく気配がないんだけど」

 ばかばかしい……。

「最初に言ったはずだ。歌や視線を合わせるくらいで気づくような人間じゃないと」

「へぇ……。じゃ、次はカメラ目線とか挑戦してみたら?」

 朝陽は屈託のない笑顔で邪気だらけの言葉を吐く。

「ふざけるな……」

 俺は調子に乗る朝陽を置いて、水分調達に警備員のもとへ向かった。

 渡されたミネラルウォーターを一気に半分ほど飲み、モニターに視線を戻す。

 あんなふうに自然に笑った翠が自分の隣にいたら、どれだけ心が満たされるか――。

 そのポジションを手に入れたい、と当たり前のように思う自分がいる。

 ずいぶんと欲が出てきたものだ。


 歌が終わり昇降機が下がり始める。

 翠の足元が見え少しずつ上半身が見え始めたが、椅子に座る翠はどこかぼーっとしていて昇降機が停止しても椅子から立ち上がる気配がない。

 クラスメイトの実行委員が声をかけ、三回名前を呼ばれた時点で気づいた。

 嫌な予感がする……。

 翠、今おまえはどこにいた……? 意識はどこにあった?

 歌を歌ったあとの放心状態というのならかまわない。けど、あの目は――。

 眼前にある世界を映さない空ろな目は、以前にも何度か見たことがある。

 あれは意識が飛んでいるときの目だ。

 実行委員に促されて椅子を立ち、昇降機から降りる翠に声をかけた。

「平気か?」

 翠は一拍置いてから、

「……うん。ツカサ、ウィザードって何、かな……。私、ツカサに言ったことがある?」

「っ……記憶がっ――」

 何か少しでも思い出せたものがあるのかっ!?

「ごめんっ、ちゃんと思い出したわけじゃないの。……ただ、何か引っかかっただけで……」

 翠は申し訳なさそうに俯いた。

 記憶が戻ったら運が良かった――そのくらいに思っていろ。

 深く息を吸いながら自分に言い聞かせ落ち着きを取り戻す。

「……深く考えるな。生徒総会のとき、第三通路で翠にそう言われたことがある。それだけだ」

 手短に答え昇降機に乗ると合図があり、昇降機はすぐに上昇を始めた。

 桜林館、昇降機、奈落――歌……。

 確か、翠が今歌った曲名は「魔法の人」。

「魔法使い」をただ英語にしただけか? そんなことで記憶につながったりするものなのか?

 あれだけ詳細に過去の話を聞いても何も思い出さなかったのに?

 いや――パレスに行ったときも断片的に記憶を思い出している。

 もしかしたら……もしかしたら翠の記憶は戻るのかもしれない。

 何がきっかけになるのかは未知数。記憶が戻る可能性はゼロじゃない――。

 ならば、人に仕組まれたものだけど精一杯歌ってみようか……。

 あくまでも人が作ったものであり、自分の言葉ではない。けれど、それで何かが伝わるというのは翠や茜先輩の歌を聴いて知った。

 俺にそこまでの歌唱力はないだろう。

 ただ、朝陽の言うとおり、何が起こるのかわからないのならば、それに少し賭けてみてもいい気がした。

 カメラ目線、ね……。いいよ、やってやる。

 でも、それは賭けのためじゃない。翠に見せるためだ。

 こんなことで気持ちが伝わるとは思っていない。

 それでも、溢れそうな自分の気持ちを垂れ流すのにはちょうどいい気がした。

 そうでもしないと、俺は理不尽と思われるような行動を何度でも取るだろう。

 たとえば、演奏後の翠に挨拶をしようとした人間との間に割って入るとか、そんな無様な行動はそう何度も繰り返したいものじゃない。

 今ならどんなに俺らしくない行動を取ったところで、すべてが「姫と王子の出し物」で片付く。

 感情の刷毛口に「姫と王子の出し物」が使えるとは思いもしなかった。

 俺が歌う場所が円形ステージである限り、会場に上がったところで少し離れなければ俺を見ることはできない。だとしたら、朝陽はそんな場所まで翠を連れ出したりはしない。だからこそ、「カメラ目線」を提案したのだろう。

 いいよ、乗ってやる……。

 別に朝陽たちの企みに便乗するわけじゃない。

 俺はこれからだって自分のためにしかこんなことはしない――。

 歌いながら考えていた。

 翠に想いを伝えるための言葉には何があるだろうか、と。

 本当は考えるまでもない。

 翠はほかに解釈の余地がないストレートな言葉を投げない限り、俺の気持ちにには気づかない。

 そんなことは、ずいぶん前からわかっていた。

 俺がこの気持ちを自覚する前に茜先輩に言われ、そのあと秋兄に言われた。

 きっと、誰に言われなくても時間が経てば悟っただろう。

 それでも俺がまだ口にしないのはなぜか――。

 いや、それも今日までだろう。

 もう、かまわないと思っている。翠に気持ちを伝えても問題ないだろう、と。

 言ったら混乱させる? 上等だ……。

 俺がこれだけペースを乱されているのに翠だけがマイペースなんて許せない。

 自分を「男」と意識された瞬間にどんな目で見られるのかを恐れていた。

 それは今もさして変わらない。

 けど、「男」として意識されない限りは延々とこのままだ。

 何が変わるでもなく、ほかの男が翠に触れることを不快に思う羽目になる。

 それなら、海斗じゃないが、いっそのこと俺のものだと誇示したい。

 俺には与えられているものが数多くあるだろう。

 でも、自分が努力してまで得ようと思ったものは、与えられたものの数に比べたらごくわずかだ。

 今、そこに加えたいもの――それが翠。


 翠は急に現れてどんどん俺のペースを崩していき、仕舞いには心に住み着いた。

 翠、俺の心の家賃は高いって知っているか?

 今のところ、翠は家賃滞納者。

 保険屋は無償でやってやる。でも、心の滞在費を免除するつもりはない。

 最初こそ、翠が笑っていればいいと思っていた。

 隣に並ぶのが自分ではなくても、翠が笑っているのならそれでいい、と――。

 俺、ずいぶんと謙虚だったんだな。

 今までの自分を殊勝だとすら思う。

 でも、今は違う。

 想いはどこまでも貪欲だ。

 さて、どうやってその滞納分を返してもらおうか……。


 奈落へ戻ると、そこに翠の姿はなかった。

「高崎、翠は?」

「俺も詳しくは知らないんですけど、七倉が朝陽先輩と一緒に会場へ行ったって言ってました」

 会場に……?

「藤宮、悪いんだけどこれの確認お願い」

 俺は実行委員長に呼ばれ進行表に目を通す。

「お姫さん、さっき吹奏楽部の顧問から連絡あって会場に呼ばれたんだよ。なんかハープの弦が切れたって言ってたと思う」

 俺が何を訊くでもなく情報をくれるのは、ほかの人間には俺が翠を好きだということが周知されたからだろう。

「そうですか……。これ、このままで問題ありません。確認印を押しておきました」

 俺は翠が戻ってくるであろう場所へ移動する。

「おかしいですね……。時間かからないようなこと言ってたみたいなんですけど」

 高崎がぼやく。

「どうやら吹奏楽部のハープの弦が切れたらしい」

「あ、じゃぁその張替えに行ってるんですか?」

「おそらく」

 が、それにしては遅い気がした。

 朝陽がついているのなら問題はないと思うが――。

 会場ならば人目があるから何が起こるとは思っていない。だが気になるくらいなら状況を把握しておくべき。

 個別通信を使うと、すぐに通信はつながった。

「翠、どこにいる?」

『司ー?』

 どうしたことか、通信に応じたのは朝陽だった。

「朝陽、翠は?」

『安心して。彼女なら俺の目の前にいるから』

 なら、なんで翠が応答しない?

『今、ハープの調弦に入っていて手が離せないんだ。それからインカムも外してる。もしインカムをしてても応答はしなかったかもね。あれだよ、あれ。集中力全開モードってやつ? すごい勢いで調弦してる』

 確かに、わずかながらハープの音が聞こえなくもない。

 インカムは装着している人間の声をダイレクトに拾うように作られていることから、通常ならば周りの音はほとんど拾わない。が、そこからはほんのわずかだがハープの音が聞こえていた。

「終わったらとっとと戻ってくるように言ってくれ」

『わかってる。……そうだ、見えるところに彼女がいなくてイライラしてる司にちょっとした朗報。彼女ね、カメラ目線の司に赤面してたよ』

 それだけ言うと、通信が途切れた。

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