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光のもとでⅠ 第十三章 紅葉祭  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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16~17 Side Akito 03話

「懐かしいわね」

 なっちゃん先生は目を細め、その日の出来事を思い出しているようだった。

「懐かしいですね」

「私、秋斗くんみたいな子には初めて会ったわ」

「それを言うなら、俺だってなっちゃん先生と佳範さんみたいな大人と会ったのはあれが初めてでしたよ」

「それは秋斗くんの周りが特殊すぎるのよ。たいていは私たちみたいな大人のほうが多いはず」

「だといいですね」

「んもうっ、その辺は相変わらずかわいくないわね」

「まぁ、かわいくなろうと思ってなれるわけじゃないでしょうし」

 そんな応酬すると、

「本当に仕方のない子」

 なっちゃん先生は肩を竦めた。

「何度呼び出しても何度証拠を突きつけても、秋斗くんは素行を改めようとはしなかった」

「本当に、佳範さんも懲りずに写真を撮り続けましたよね」

 苦い笑いと共に、佳範さんの口端を上げた独特な笑みが脳裏に浮かぶ。

「佳範さん、本当に俺のこと尾行してなかったんですか?」

 されていたら気づける自信はあるが、あの人だけはわからなかった。

「それが、本当に偶然らしいの。第一、玉ちゃんは楽しいことは大好きだけど、私の生徒を尾行するような趣味はないわ。そんなことに時間を費やすくらいならとっとと帰ってきて私にべったりよ」

 そう言っては笑う。

 この人の旦那は何度もそんな写真を撮っては奥さんに情報を提供し、その奥さんは飽きることなく俺に説教を繰り返した。

 素行関連で俺に説教をしたのは後にも先にもこの人しかいない。

 そういう意味では、本当に貴重な人物といえた。

 まぁ、当時の俺は「干渉されている」としか思っていなかったわけだけど……。

 静さんや真白さんが俺を気にするのとは全くの別物。

 この人が現れるまで、他人からこんなふうに心配され怒られることなど俺にはなかった。

 その代わり、湊ちゃんと栞ちゃんがうるさかったか……などと余計なことまで思い出す。

「秋斗くんに会って学んだわ。いえ、玉ちゃんで十分わかってるつもりではいたけれど、快楽を覚えた若者は手に負えないってね」

 ため息を漏らしつつそんなことを言う。

「だから、今はそれを踏まえたうえでの指導をしているせいか、変な行動に出てる子はいなさそう」

 教師が生徒全員の素行を追うことはできない。

 が、見ていればだいたいわかるのだという。

「秋斗くんだけは玉ちゃんから写真を見せられるまで全然気づかなかったけど」

「じゃぁ、俺はここではうまくやれていたんですね」

「そういう問題じゃないっ!」

 昔のように一喝され、笑みが漏れる。

「私もまだ若かったのよ」

 言って少し黙る。

「あのとき、秋斗くんは何を考えていたの?」

「そうですね……とくには何も。一応ばれないようにはしていましたが、ばれてもかまわなかった。いっそのこと、なっちゃん先生が校長なり学園長に密告してくれたらどうなっていたか、って思います」

「そんなことしていたら、まずは停学でしょ? 二回目ともなれば退学。わかりきってるじゃない。そしたらおうちだって大変なことになっていたんじゃないの?」

 むしろ、それを望んでいたのかもしれない。

 将来を約束されるよりも自由を得たかった。

 勘当でもなんでもいい。どんな烙印を押されてもいいから、自由さえ得られるのならばそれで良かった気がする。

 いつだって藤宮という見えない鎖につながれた自分を解放する術を探していた。

 見つからなくて諦めたのがいつだったかも忘れた。

 毎日適当に過ごし、そんなことを考えていた自分すら忘れた頃、俺は翠葉ちゃんに出逢ったのだ。

 心から欲するということを知ってしまった。

「彼女ね、俺の初恋なんです」

 会場の音にかき消されそうな声で言うと、

「そうだったのね」

 優しい目がこちらを向く。

「今なら、なっちゃん先生が言っていた言葉の意味がわかる。自分を大切にするということと、性行為のなんたるか――人を愛することも」

 心から求める人がいると、ほかの女との行為なんて無価値に思えてくる。

 身体が感じるという意味では誰とやってもそれなりの性的快楽を得られるだろう。が、心が満たされることはない。

 それを教えてくれたのは佳範さんだったけれど、当時の俺は理解とは程遠い場所にいて、理解をしようとすらしていなかった。

 でも、それはものすごく単純なことだった。

 佳範さんが「わかってしまえば言葉にするのもばかばかしいぞ」と言ったくらいには。

「でもな、愛している人には態度や言葉にしてきちんと伝えたほうがいい。その人にだけは心も身体も解放する。そしたら心は満たされる」

 そう教えてもらった。

「ただ、俺は愛し方を知らないようです」

 四月に出逢って彼女が記憶をなくすまでの話をすると、なっちゃん先生は「バカね」と小さな拳で俺の頭を小突いた。

「なんでもそつなくこなしてきたのに、こんなときに不器用全開だなんて」

 そう言うと、細い腕を俺に回し、ぎゅっと抱きしめられた。

 こんなふうにされるのは久しぶりだな……。

 翠葉ちゃんと別れた日、湊ちゃんにも同じようなことをされた。

 心がこもった人のぬくもりは、ひどくあたたかいと感じた。

「なっちゃん先生、俺、まだ死にたくないんだけど……」

「え? 何か病気なの?」

 心配そうな面持ちで俺を見上げる。

「違います……。こんなとこ佳範さんに見られたら、俺、殺されかねないでしょ?」

「……そうね。瞬殺ものね?」

「だから、この腕は解いてください」

「はいはい。少し慰めてあげようと思ったのに」

 なっちゃん先生はぶつくさ言いながら俺から離れる。

 身体の大きさでいうなら断然なっちゃん先生のほうが小さく子どもサイズだ。

 けれど、懐の深さはそこらの大人のはるか上を行くだろう。

 今ですら、俺を子ども扱いする傾向にあるのは、俺が子ども扱いをされた記憶がほとんどないと言ったからに違いない。

 とにかく、この人にかかると俺は子ども以外の何者でもなくなってしまう。

 俺がこの人の前で態度を変えているわけではなく、この人が徹底して俺をガキ扱いするだけ。

 それは旦那の佳範さんにも同じことが言えた。

 ふたりとも、年は湊ちゃんたちの四つ上だったはずだ。

 そんなに年が離れているわけでもなく、むしろ海斗よりも年は近い。

 夫婦揃って会うことはほとんどなく、たいていが街にふらっと出たときに佳範さんと出くわす。

 そんなとき、「飯に付き合え」と言われて手近な店に入る程度。

 佳範さんと会うのは本当に偶然だった。

 俺がその日に出向く場所などその日の気分で決めていたのだから。

 そういう意味では何か縁があるのかもしれない。


 佳範さんが話すのは子どもが生まれたとか、またできちゃったとか、そんなのろけ話ばかり。

 酔ってくるとなっちゃん先生の自慢話しかしなくなる。

 でも、幸せそうに話す佳範さんは嫌いじゃなかったし、家庭というものが家によってここまで違うものなのだと知るきっかけにはなった。

 それまでは、他人の家のことなど興味もなかったし、あえてそれを訊く人間など周りにはいなかった。

 例外がいたとしたらひとり――蒼樹だ。

 蒼樹はいつでもどこでも妹の情報を垂れ流していた。

 だから、嫌でもどれだけ仲のいい兄妹で、家族間の関係がいいのかを知らざるを得なかった。

 まさか、その妹に自分が恋する日が来るとは思わなかった。

「それだけの経緯があるのなら、少し考えてみるわ。必要なことは教えなくちゃいけない。でも、オブラートに包むくらいのことはしましょう?」

「そうしてもらえると助かります。これ以上、彼女に恐怖感は与えたくない」

「大丈夫よ。女の子はそんなに弱くない。きっと、誰もが本気で人を好きになったら、好きな人に触れたいという気持ちが芽生えるわ。教えたでしょう? 好きという気持ちの延長線にセックスがあること。触れたい、触れて欲しい、手をつなぐだけでは足りない。抱きしめるだけでは足りない。キスするだけでは思いすべてを伝えきれない。セックスはそういった気持ちの延長線にあるのよ」

 それはかつてなっちゃん先生が俺に延々と言って聞かせたことのひとつ。

 この人は色んなことを俺に教えようと言葉を尽くしてくれたが、俺はそのどれも受け流してきた。

 あのときの俺には到底理解などできなかった。また、理解しようとも思っていなかった。

 今は、それらの言葉が鋭く胸に突き刺さる。

 どの言葉も違わず理解することができる。

「司くんだけじゃないわ。秋斗くんも変わったのよ。涙を流すくらいには成長したのね」

 目の前に差し出されたのは淡いピンク色のハンカチ。

「シャンとしなさいっ!」

 小さな手に思い切り背中を叩かれる。

「藤宮秋斗はいい男に成長したってなっちゃん先生が胸張って言ってあげるから」

 その言い方が妙になっちゃん先生らしくて、「くっ」と笑みが漏れる。

「たまには遊びにいらっしゃい。家でもいいし駆け込み寺でもいいわよ? 私、ウィステリアホテルのラベンダーティーが好きなのよね」

 そう言ってにこりと笑んだ。

「秋斗くん、年なんて関係ないわ。あなたはいくつになっても私の生徒よ。それだけは覚えていて」

 なっちゃん先生はそれ以上何も言わず、ヒールを静かに響かせその場からいなくなった。

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