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光のもとでⅠ 第十三章 紅葉祭  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
71/110

16~17 Side Akito 01話

「あ、き、と、くんっ!」

 甘い香りと共に、細い腕が絡みつく。しかし、不快に思うことはない。

 この人がつけているには分相応で、とても似合っているからだろう。

 の気配はしていたし、その香りと足音で人物の特定はできていた。

「なっちゃん先生、珍しいですね? 特教棟を出てこられるなんて」

 なっちゃん先生とは、俺が高校三年のときに着任した養護教諭の玉紀奈津子たまきなつこ先生。

 当時、若くきれいなこの先生見たさに何人の男子生徒が保健室に通ったか知れない。

 が、今は外部講師という形に変わり、主に藤宮学園での性教育を取り仕切る人間だ。

 噂が噂を呼び、ほかの私立校からも講演依頼がくるほどの定評がある。

 そして、八年前と変わらずに、今もその美貌を維持していた。

 通常は特教棟三階の突き当たりに教室を構え、めったにそこから出てくることはない。

 保健室からそこへ移動したのは二年前。

 湊ちゃんが校医としてこの高等部に着任してからだ。

「そうね。たまには下界の空気でも吸おうかと思って」

 そう言う割には、今だってずいぶんと高い位置にいる。

 絡めた腕をするりと解き俺の隣に並んだなっちゃん先生は、手すりを前に「この手すり高いわね」と文句を言う。

 確かに、手すりが自分の首と同じ高さだったらそんな感想を抱いても仕方がないだろう。しかし、目の前にある手すりが高いかと問われたら、そんなことはない。俺の鳩尾のあたりまでという高さは、世間一般的な手すりの高さだろう。この場合、手すりが悪いのではなく、なっちゃん先生の身長が低すぎる、という話だ。

「そりゃ、人が誤って落ちないように設置された手すりですから、このくらいの高さがないと意味がないでしょう」

 なっちゃん先生は俺を睨みつつ潔く座り、手すりの上からではなく、柵の合間から見ることにしたらしい。

 その手には双眼鏡があり、

「あの子が御園生翠葉ちゃんね」

 と、円形ステージで椅子に座る彼女を観察しだした。

「秋斗くんの想い人なんですって?」

 さも面白そうに訊かれる。

「それは何情報ですか?」

「なっちゃん情報よ」

 これはこの人なりの逆襲なのだろう。

 まぁ、いつだってこの人は俺のことをこんなふうに扱うわけだけど……。

「やぁね。気ぃ悪くした?」

「そんなんじゃないですよ」

「何情報も何もないわ。事務の子も生徒たちも、みんなが不思議に思うことでしょう? 生徒にも教職員にも介入しすぎない秋斗先生が、血縁者でもない女生徒をかまっているなんて。……まぁ、それが生徒会メンバーだから、と思えばさほど気にもされなかったのでしょうけど、彼女が倒れるたびに何度も手を差し伸べているともなれば、人の目に留まらないほうがおかしいのよ」

 反論の余地なし。

 本当に、自分は今まで何をしてきたのか……。

 振り返ってみたら綻びだらけじゃないか。

「それ、後輩の妹だから――じゃ、通用しませんかね?」

「御園生蒼樹くん?」

「えぇ」

「多少は通用するでしょうけど、贔屓しているようにしか見えないかもね?」

「あぁ、そうですよね……」

 本当に、何やってんだか……。

「そんなことにも気づかないくらい彼女に首っ丈なんだ?」

「……そう、みたいです」

 翠葉ちゃんを好きだと認めるだけでも俺の心はあたたかな気持ちに包まれる。

 会場からはシンディーローパの「True Colors」が聞こえ、スクリーンには歌詞と翻訳されたものが表示されていた。

 英語が苦手な彼女に優しい対応、といったところだろうか。

 この歌詞の内容を知れば、彼女はその目に涙を浮かべるのだろう。

 メインを張って歌っているのは茜ちゃん。

 この子は今日、どんな答えを出すのか……。

 あのあと、茜ちゃんとは一度も話していなかった。

「秋斗くんがそんな顔をしちゃうような子なのね」

 少しほかのことを考えていたことは内緒だ。

「そうですね……。すごく、大切な子です。ところで、なっちゃん先生が彼女に興味を持ったのは?」

「何言ってるのよ。生徒だからに決まってるじゃない」

 生徒ならそこら中にいるはずだが、今この人の目には彼女しか映っていない。

「あの子だけ私の授業とテストを受けていないの」

「あ――」

「ご理解いただけて?」

 にこりと艶やかに笑う。

 美人というよりはかわいらしい顔立ちをしているのだが、こんなふうに笑うと、「あでやか」という言葉しっくりくる人だった。

「夏休みに入る前だったかしら? 校長直々に、後日マンツーマンの授業をするようにって要請されたわ。けど、彼女ときたら毎日を乗り切るのに精一杯。このお祭り前には時間が取れないと思った。実際、湊ちゃんにもこのお祭りが終わったあとに、ってお願いされていたしね」

 修司おじさんと湊ちゃんに感謝だ。もっとも、俺が感謝する筋合いはないけれど。

 この学園にいる限り、必修授業となっているこれは避けて通れない。

 わかってはいるけれど、どうしようもない葛藤が胸に渦巻く。

「……なんというか――なっちゃん先生にお願いが……」

 苦笑しつつなっちゃん先生に向き直る。

「なぁに?」

「手加減してあげてください」

「やぁよ」

 即答かよ……相変わらず容赦のない。

「普通にするわ。普通に、ね」

 なっちゃん先生は首を傾げてにこりと笑った。

 その拍子に、彼女の背からふわふわとしたロングヘアーがちらりと覗く。

 いつものようにポニーテールにしている髪の毛先が白衣の向こうに見え隠れ。

 小悪魔的な仕草から自分がからかわれていることを再度認識しつつ、もう一度お願いしようと思った。

「普通にするわ。でも、どんな子なのかは確かめならが進める。湊ちゃんから事前情報はいくつかもらっているし……。街中で男に話しかけられたあとの状況とか色々」

「……その色々に俺も入ってたりします?」

「そうねぇ……自分から白状しとく?」

 そう来たか……。

「……彼女と付き合っていた時期があります」

「その間にどこまで教育が済んでいるのかしら?」

「ほとんど何も……」

「あら、秋斗くんらしくないわね?」

 真顔で言われて少し困る。

 この人の言う、「俺らしい」とはいったいいくのときで止まっているのだろうか。

 ふと、苦い思い出が頭をよぎった。

「手をつなぐ、抱きしめる、キスをする――キスマークをつける。それ以上のことはしてませんよ」

「ふーん……つまらない」

 つまらないって――この先生なら言うか……。

「それは手を出せなかったの? 出させてもらえなかったの?」

「両方……かな。彼女のご両親にお会いして、とっとと婚約するつもりでした」

「その辺はものすごく秋斗くんらしいわ」

「そこまで地盤を固めたら徐々に、と思っていたんですけど、時間的にそんな余裕もなければ、彼女自身にそんな余裕はなかった。先生は彼女がこの夏ずっと入院していたことはご存知ですか?」

「えぇ。本当は夏休み中に補講をしてテストを済ませる予定だったの。その許可を校長にもらいにいったとき、体調が思わしくなくて一学期の終わりから休んでいることを知ったわ。一学期の期末考査をどんな体調で受けたのかも全部ね。それで、二学期は祭り前までこんな状況でしょう? あれこれ忙しいなっちゃん先生でも温情措置を取りたくなるわけよ」

 そう言って、ステージで涙を拭われる彼女に視線を戻した。

「いろんな噂を耳にしたけれど、ダントツだったのは、あの司くんが唯一気にかける女の子っていう噂ね。男子女子問わず、生徒みんなが驚いていたわ。中等部でも噂になるくらいよ?」

 なっちゃん先生のいる教室は、今も昔も別名「恋愛駆け込み寺」という別名称がある。

 相談内容は多岐に渡り、世間一般に言われる恋愛相談から性的な相談までと範囲が広い。

 高校生らしいふざけた話に付き合うこともあるが、それが軽はずみなものであれば的確な指導をする。

 保護者向けにされる学校説明会での彼女の評価は高く、藤宮の性教育は彼女の人柄ゆえ、保護者に受け入れられているといっても過言ではないだろう。

 教員室は高等部に儲けられているものの、彼女は初等部、中等部、高等部の性教育を一手に引き受けている。

 うちの学園は初等部一年から性教育が始まり、性教育と道徳を組み合わせたような形で行われるのだ。

「性」に対して偏見を持たないように、人間の身体は男女で違う、と当たり前のことを当たり前に捕らえるように教える。

 それは意外と難しいことだが、小さい頃から教えることでごく当然のことと学ぶことができる。

 ほとんどのことを中等部までに教え、高等部ではその復習を兼ねた筆記試験と実技試験のみ毎年行われる。

 では、なぜ高等部に教員室があるかというならば、生徒間の交際において性交渉に及ぶ率が一気に上がるからだ。

 だから、彼女はあの教室の門戸を狭めることなく開いている。

 完全予約制ではあるが、相談する生徒はあとを絶たない。

 予約が取れないときにはメール相談という方法もある。

 それらすべてにきめ細やかな対応をすることで、彼女は生徒たちに慕われていた。

「で? お手柔らかに、の意図は?」

 笑みを深めて訊かれる。

「自分で教えたいから、とか?」

「あはは、できることならそうしたいですけど、それには時間がかかりそうだ。何がどういう状態にあったとしても、彼女がなっちゃん先生から学んだほうがいいことは確かです。俺は――怖がらせることしかできなかった」

「……はい? 秋斗くん、もしかして、私が怒らなくちゃいけないようなことした?」

「……結果的にはそうなっていませんが、それに近いことはしたかもしれません」

「ほほぉ……そのあたりを詳しく話してもらおうかしらね」

 いつもより数段低い声に苦笑を返す。

「えぇ、白状しましょう。でもそれは、彼女のこの曲が歌い終わってから――」

「そうね」

 俺たちは緊張の面持ちでマイクを握る彼女に視線を固定した。

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