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光のもとでⅠ 第十三章 紅葉祭  作者: 葉野りるは
本編
27/110

27話

 ツカサが歌っているのはスキマスイッチの「ボクノート」。

 歌になっていても歌詞が聞き取りやすく、歌詞カードを見なくてもどんな言葉が並んでいるのかがきちんとわかる。

 大切な人に想いを伝えたい――そういう歌。

 きっと、恋の歌。

 好きとか愛しているとか、そういう言葉がないところがツカサらしいと思ってしまう。

 この歌は人が作った歌で、ツカサの言葉じゃないこともわかっているのに……。

 少し前から考えていた。

 ツカサは本当に嫌なら、いくら王子の出し物だったとしてもステージには立たなかったんじゃないかな。

 朝陽先輩が、「次はないかもしれない」と言うくらいには珍しいことをしているのだと思う。

 想いを伝えたい人がいるから――だから、ステージに立ったの?

 私だって人前でこんなことをするとは夢にも思わなかった。

 でも、伝えたいことがあったから……。だから、ステージに立つことができた。

 自分と比べてみたらツカサにだって同じことが当てはまりそうだし、そのほうがステージに立った理由としてしっくりくる。

 ツカサ……。ツカサはレンズの向こうに誰を見ているの?

 間奏に入り、ツカサの視線がカメラから外れるたびに私は胸を撫で下ろしていた。

 カメラが引いてステージ全体が映し出され、小さなツカサにほっとする。

 あの顔のアップと視線は心臓に悪い。

 おかしいな……。本当だったら目の保養になるはずなのに――。


 歌が終わったそのとき、実行委員長から連絡が入った。

 自分を指名されての通信に少し驚く。

『御園生さん、ちょっと会場に上がってこられる? 吹奏楽部の顧問が呼んでるんだ』

「はい、すぐに上がります」

「じゃ、俺がエスコートしましょ?」

 そう言って手を取ってくれたのは、ずっと側に立っていた朝陽先輩だった。

「生徒会の人たちは揃いに揃って私の仕事を取るんだからっ」

 かわいく拗ねる香乃子ちゃんにペットボトルを持っていてもらえるようにお願いした。

「なんの用かわからないけど、たぶんすぐ戻ってくるから」

 そう言い残して、朝陽先輩とふたり会場へ上がった。


 会場へ上がると、音楽の蓮井はすい先生が待っていた。

「どうかなさったんですか?」

「御園生さん、ハープ弾けるって言ってたわよね?」

「え? ……はい」

「その、弦の張り方とかわかるかしら?」

「……はい。弦の張替えができないと楽器のメンテナンスはできないので……」

 それは私にとってはごく当たり前のことだった。

「実はね、ハープの弦が切れちゃったのだけど、ハープ担当の子は弦の張り替えをしたことがないっていうの。私もピアノとフルートが専攻だったから専門外で……」

 私と朝陽先輩は問題のハープのもとへと案内された。

 けれど、そこには問題がもうひとつ……。

「嫌よっ、知らない人に楽器を触られるのなんて絶対に嫌っ」

 奏者が業者以外の人間がハープに触れることを拒んでいたのだ。

 どうやら、そのハープは彼女の私物とのこと。

 私は思わず蓮井先生の顔色をうかがってしまう。

 蓮井先生の話によると、いつも弦が切れるとメーカー担当者を呼んで張り替えていたらしい。

 私の習っていた先生がこの場にいたら、「何ふざけたことを言っているの」と一喝されてしまうだろう。

 私はハープを習い始めたとき、まず最初に楽器のメンテナンスの仕方を教わった。

 楽器のメンテナンスができない人に演奏技術の上達はない。

 私の先生はそういう方針だったのだ。

 本来、楽器はピアノのように調律師がいるもののほうが少ない。

 たいていはどの楽器も奏者自身がメンテナンスをし、パーツが壊れたり、細かな調整が必要なときだけメーカーメンテナンスに出す――はず。

「葉月さん、メーカー担当は今すぐ来れる?」

 そう優しく訊いたのは朝陽先輩だった。

 彼女は涙目で首を振る。

 どうやら、いつもお願いしているメーカーさんは事前に予約が必要なうえ、土日がお休みらしい。

「じゃ、このあとの演奏は全部なしにする?」

 その言葉に今度は涙を零した。

 朝陽先輩はいつものように穏やかな物腰で話を進める。

「この子もハープを弾く子なんだよね。で、弦の張替えもできるんだ。今回だけでも張り替えてもらったらどうかな?」

 その言葉を言い終える前に、彼女から鋭い視線が飛んできた。

「嫌よっ。司様を誘惑している人なんかに触られたくないわっ」

 心の中でため息をひとつつく。

 ここにもツカサ信者がいた。

 このくらい威勢のいい拒絶のされ方は久しぶりな気がする。

 彼女の言葉に、す、と何かが冷めて落ち着くのを感じた。

 私の足は自然と前へ出る。

「蓮井先生、弦はありますか?」

「ここに全種類揃っているのだけど、私にはどれがどの弦なのかもわからなくて……」

 指差されたそれらは番号順に並んではおらず、三十六ある袋の中から一本の弦を探さなくてはいけない。

 ハープに視線を移すと、切れた弦はワイヤー弦からナイロン弦へ切り替わるところのC弦。

「朝陽先輩、ナンバー27と書かれている袋を探してください。中には赤い弦が入っているので、袋の上からでも透けて見えるはずです」

「了解」

「ちょっとっっっ」

 触らないで、と言わんばかりに割って入ってくる。

 でも、私はかまわずに弦を探しながら話を続けた。

「今日、一番最初の歌を歌うとき、ものすごく緊張していました。でも、ステージの下からあなたのグリッサンドが聞こえてきて、ほかの音もきちんと聞こえるようになった。このハープ……私のハープと同じ機種なんです。この音で私は落ち着くことができました」

 そこまで言って手を止める。

「だから、ありがとう……。それから、教えてください。この先、ツカサが歌うものにハープの音色は使われませんか? それなら弦の張替えは諦めます。でも、もし一曲でも使う曲があるのなら、弦を張り替えさせてほしいです。私を嫌いでもいい。でも、せっかくある音を一音でも諦めるのは嫌」

 ツカサが誰に想いを伝えたいのかは知らない。でも、想いを伝えるための曲から一音でも音がなくなるのは嫌――。

 彼女の目を真っ直ぐ見て話すと、葉月さんと呼ばれた人は言葉を詰まらせた。

 つまり、ツカサが歌うオケにハープの音色が使われるということ。

「翠葉ちゃん、弦発見。これでOK?」

 訊かれてその弦を確認する。

「朝陽先輩、ありがとうございます」

 私は葉月さんに向き直り、

「ごめんなさい。……弦は張り替えさせてもらいます」

 何も言わない彼女の横を通り過ぎ、ハープに近づいた。

「蓮井先生、ハサミはありますか?」

「えっ!? ハサミは持ってないわ……」

「俺もカッターしか持ってない」

 もともと吹奏楽部なのだ。弦を使う楽器はハープくらいなのだろう。

 先生はどうしようかしら、とおろおろしだし、朝陽先輩がインカムで連絡を取ろうとしたそのとき、蓮井先生の後ろから背の高いふたりのヴァイオリニストが現れた。

「これでよろしければ」

「神楽さんっ! ありがとうございますっ!」

「チューナーは?」

 都さんに訊かれ、私は一番低いワイヤー弦をはじく。

「低音弦はピッチを維持しているので、ここから合わせます」

「耳がいいのね」

「どうでしょう……」

 ほんの少し笑みを添えて答えた。

 ナイロンの太い弦ならば、すぐに張替えは済む。けれど、張り替えたばかりの弦は音が安定しない。それに、このハープ自体、ワイヤー弦以外の音が全体的にずれ始めている。

 張替え作業よりもチューニング作業に時間が取られそう……。

 弦の張替えが済み、チューニングに移ったとき、

「椅子、座れば……」

 葉月さんに言われた。

「あ、りがと……」

 すこし間抜けな返答だったのはびっくりしたから。

 敵意がなくなったわけじゃない。でも、楽器に触れることは許してもらえた気がした。

 それだけで十分――。

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