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光のもとでⅠ 第十三章 紅葉祭  作者: 葉野りるは
本編
16/110

16話

 茜先輩たちは北側の半月ステージからのスタートということもあり、更衣室を出てからは一度も姿を見ていなかった。

 私が上がる昇降機中央には椅子が用意されている。この椅子は、私が座るために演劇部の小道具担当の人が作ってくれたもの。

 見た目がアンティークっぽくて、細身の椅子ながらも背もたれが高めなことから安心して背を預けられる。

 椅子の高さは私の座高に合わせて作られていることもあり、深く腰掛けても床に足がつかないということもない。

 いつかお父さんが言っていた。

「使う人のことを考えて作られたものは、何よりも使いやすいし、優しさから生まれたものなんだよ」と。

 これは「小道具」として作られたものだけど、私にとってはとても優しい椅子で、私のために作られたというこの衣装も、とても着心地がよく思えた。それはきっと、作り手の気持ちが存分にこめられたものだから。

 この会場に用意されたものはどれも優しいものたちだと思う。

 丹精こめて育てられたお花も、この日のために時間をかけて焼き上げられた花器も、自分だけを見つめて懸命にいけられた木やお花も――。

 ここにあるものはすべて、人の想いが注がれて生まれてきたもの。

 ステージも音楽も何もかもが優しさで満ちている。

「翠葉ちゃん、座ろうか」

 立ったまま椅子の背もたれを撫でていた私は空太くんに促されて座る。この世にたったひとつしかない特別な椅子に。

 すると、カツン、という靴音と共に長身の女性がふたり現れた。

 ひとりはブルーのグラデーション。もうひとりはピンクのグラデーションのロングドレスを身に纏っていた。

「こちら、佐野のお姉さんで神楽かぐらさんとみやこさん」

 顔も名前も知っていた。私が先日まで知らなかったのは苗字のほうだ。

 コクコク、と顔を縦に振ると、

「初めまして。ピンクが都でブルーが私、神楽よ」

 差し出された手はとてもあたたかかった。

 神楽さんの反対側から都さんの手も重ねられ、まるでサンドイッチ状態になった私の手はどんどんあたたかくなる。

 ふたりの手はウォーミングアップ済み、とそう言っていた。

「そんなに首をコクコクしてたら筋傷めちゃうわよ?」

 姿形そっくりで、声まで同じっ――。

「双子ってやっぱり珍しいのかしらね?」

 都さんが首を傾げると、神楽さんも首を傾げる。

 その様はまるで鏡合わせを見ているようだった。

「そうでもないんじゃないかしら? だいたいどの学校にも一組二組いるものでしょ?」

 いないいない――と意味をこめて首を横に振ると、

「あら、そうなの?」

 なんてことのないやり取りだと思う。でも、そのふたりが大好きなヴァイオリニストで、なんの心構えもなしに目の前に現れるとなると別。嫌でも鼓動が速くなる。

 先日、一度だけリハーサルで見かけてはいたけれど、主には吹奏楽部との合わせのほうに重点が置かれていたこともあり、きちんと挨拶をする時間が取れたのは今が初めて。

「み、御園生翠葉ですっ。あの、き、今日はよろしくお願いします。やだ、私座ったままっっっ――」

「はいはいはい、翠葉ちゃんストーップ! 立っちゃだめ。OK?」

 わたわたする私の両肩に手を乗せ重力がかけられる。

「そ、空太くんっ」

 見上げると、にぃ~、と笑って「ほら、昇降機上げるよ」と言われた。

 空太くんが昇降機から降りると、鈍い音を立てながら昇降機が上昇を始めた。

 そして気づくのだ。自分がマイクを手にしていないことに。

 インカムでマイクがないことを伝えると、

『大丈夫だから安心して』

 朝陽先輩の穏やかな声が返ってきた。

 手に持つものが何もないと、妙な不安に襲われる。

 一気に緊張しだしたのが見て取れたのか、都さんが小声で話しかけてくれた。

「音楽だからね。楽しんだもの勝ちだよ?」

 その手にはヴァイオリンではなくフルートが握られている。

「……どうして、フルート……?」

「ん? あぁ、この曲はヴァイオリン二台よりもフルートのほうがいいのよ」

「違うわよ、都。この子はフルートが吹けることを不思議に思ってるんじゃないの?」

「あぁ、そっか……。表舞台ではめったに吹かないもんね? あのね、私、音大では副科がフルートだったの」

 そう言ってきれいにウィンクした。


 昇降機が上がりきる前に、会場からパーカスの音が聞こえてきた。

 私の両脇にいるふたりは目を合わせると無言で頷き、同じタイミングで息を吸った。

 次の瞬間には色鮮やかなヴァイオリンとフルートの音色が会場に響く。

 昇降機が上がりきって視界が開けたことよりも、その音色にぶわ、と鳥肌が立った。

 数小節の前奏のあとには、茜先輩の歌声が前方から聞こえてくる。

 いつ聴いても圧倒される。歌のお姫様だ――。

 桃華さんたちは、半月ステージで茜先輩を中央にして立っていた。そして、視線の先は私――三人は真っ直ぐ私を見ていた。

 曲は聴いたことがあるけれど、誰が歌っているとか曲名は知らない。

 そのとき、朝陽先輩の声がインカムから聞こえてきた。

『原曲を歌っているのはシンディーローパー。曲名は「True Colors」。生徒会女子三人から翠葉ちゃんへの贈り物だよ』

 洋楽……?

 半月型ステージで歌い始めた三人は、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。順番に一フレーズずつ歌いながら。

 最初はパーカッションとヴァイオリンとフルートのみだった音も、しだいに厚みを増してくる。

 三人がスクエアステージにたどり着いたとき、間奏の合間に朝陽先輩から通信が入った。

『モニターに映し出されてる翻訳見てる?』

 すっかり忘れていた私は慌ててそれらの文字を追う。

 半月型ステージのスクリーンには、歌詞が翻訳されたものが映し出されていた。

 まだ半年だけれど、出逢ってからずっと、何度も何度もみんなが私にかけ続けてくれた言葉に通じるものがある。

 ――どうしよう。

 嬉しいのに、すごく嬉しいのに目の前が涙で霞んで困る。

 私、今、涙を拭けるものを何も持っていないのに……。

 そうこうしていると、花道を通り円形ステージにたどり着いた嵐子先輩に、

「ほら、次は翠葉の番だよ」

 と、ハンカチでそっと涙を拭われた。

「嵐子先輩……」

「今は泣かずに歌を聴かせて?」

 桃華さんに差し出された手を取り立ち上がると、

「はい、マイク」

 と、茜先輩が持っていたものを渡された。

 演奏を終えた都さんと神楽さんは中央の昇降機に移動し、

「翠葉ちゃん、楽しんでね!」

 都さんの言葉が言い終わると同時に昇降機が下がり始めた。

 私は茜先輩に手を引かれ、ピアノの前へと移動した。

 ピアノの上には未開封のミネラルウォーターがふたつ。

「少しお水飲んで落ち着こうか」

 茜先輩とやっと目が合わせられた。けれど、いつもの茜先輩なのか少し戸惑う。

「翠葉ちゃんは本当にわかりやすいね……。いいな、そういうの」

「茜先輩……?」

「ほら、まずはお水一口!」

 胸元に押し付けられたペットボトルを勧められるままに口にした。

 液体が喉を通り胃に落ちるところまでしっかり体感する。

「あとで時間ちょうだい? 私ね、ずっと翠葉ちゃんと話したいと思っていたの。……いい、かな?」

「……はい」

「今は歌を歌おう? 翠葉ちゃんの声が、想いが人の心に届くように――想いをこめて弾くわ」

 にこりと笑うその表情は、雲ひとつない空のようだった。けれど、それが本物なのか――と気になる自分がいる。

 私たちがこんな話をしている間は飛鳥ちゃんのトークが館内に響き、周りを気にする必要は全くなかった。

「司の歌が終わればフォークソング部のステージに移るわ。そのあとは軽音部。まとまった時間が取れるから、その時間を私にちょうだい」

 そう言うと、茜先輩は前奏を弾き始めた。

 茜先輩がどんな話をしようとしているのかは想像もつかないけれど、それでも話してくれるということに安心した。

 何かおかしいと気づくまでに時間がかかり、さらには声をかけるタイミングすら計れなかった。

 もっと言うなら、声をかけていいのかを悩むくらい、いつもと違う雰囲気を纏っていたと思う。

 茜先輩に何が起こっているのか、知らないから知りたいわけじゃない。苦しそうに見えたから、だから――。

 みんなに、やさしい花を……。茜先輩の心にも白い花が届きますように――。

 吸い込んだ空気はひんやりと感じた。

 私の発する声には温度があるかな。私の歌には想いが乗るかな。それはみんなに届くかな?

 今までありがとう。

 今度は私が届ける番だから――だから、聞いて? 届いて――。

 ピアノの音のみだった伴奏は後半になると吹奏楽部の音が加勢する。

 木管楽器に金管楽器、ヴァイオリンのピッツィカート。

 音が溶けてひとつになる。ドラムが加わって全体的に音の層が出揃ったと思った。

 そんなとき、ハープのグリッサンドがきれいに響く。

 この音――私のハープと同じだ。

 サルヴィでもカマックでもなく、青山のTHE140N。

 聴き馴染みのある音に心が和んだ。

 音の中心にいる自分は幸せで、あたたかい人たちに見守られている自分はもっと幸せで、この幸せをどうしたらみんなに伝えられるかな。

 私がどれだけみんなを好きで、どれだけみんなに感謝しているか――。

 全部伝えたい。心にあるものをすべて残らず……。

 心にあるこの想いがすべて空っぽになってしまうような、そんな伝え方はあるのかな。

 音楽が好き。気持ちを解放できる音楽が大好き。

 みんなの未来に存在していたいと思う。私の未来にみんなにいてほしいと思う。

 だから、私にできることを――何ができるかをずっと探し続ける。

 見つかるまで、見つけられるまで、私は私の「花」を探し続けるの――。

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