クライ・スペース
涙活、を具現化してみよう。冴えない独身男・コージがひょんなことから始めた片手間商売が評判を呼ぶ。そこに、ひとりの美しい女性常連客があらわれた。
ここは、郊外の県道沿いにひっそり佇む「泣く」ためのレンタル・スペース。
男性、女性それぞれの専用部屋があり、様々な理由で「泣きたい」客が時間とスペースを「買い」に集まる。
部屋にあるのは白い椅子とテーブル、それに鏡だけ。客は受付で時間ぶんの料金を支払い、人目もはばからず、思いっきり、泣くことができる。
発案者でもあり経営者でもあるコージは、自身の体験から過去に心に受けた、あまりにも大きな失恋の傷を癒すスペースが都会にはないことに気づいた。
たまたま、父の知人がカラオケボックスを廃業すると聞き、まずは週末限定で実験開店することにした。
周辺2キロにチラシを撒いただけなのに、すぐに反応はあった。
冴えない大学生、純粋そうなOL、仕事に疲れたサラリーマン、ベストセラー小説を手に持った中年主婦…。何の疑いも持たず、ただひとつの目的を果たすため、コージの予想をはるかに超える、多くの人が集まってくる。
「まずいな…」
その客層は恐ろしく多種で、コージは慌てて余ったチラシの裏を利用し、簡易整理券を用意する羽目になってしまった。
コージは、カウンターでひとり、週刊誌を読みながら暇を潰していた。
20分もたたないうちに、立て付けの悪い各部屋から、場末の葬儀会場でも聞かれないような激しい嗚咽や、笑い声とも奇声ともつかない、だけど何かを主張するかのようなしっかりとした泣き声、泣きはらしてすっきりしたのか、大声で笑い続ける女性、それらがいっせいに、サラウンドで聞こえてきた。
コージは、今まで体験したことのない妙な雰囲気に一種の恐怖感を覚えていた。
「世の中には、こんなに泣きたい人たちがいたのか…」
コージの店はいつの間にかネットで話題となり、駐車場には客のクルマが溢れ始めた。小競り合いも起き始め、どさくさにまぎれてその場でクルマから降り出す者も出てくる始末。
慌てたコージは、いったん最終営業時間を2時間延長し、最後の客が帰ったのを確認すると、その日のうちに臨時休業を決めた。今後の対策を考えるための、やむを得ない決断だった。
「店長さん…。私、来週も泣きに来てもいいですか?」
独身OL・マナミは、結婚を一方的に破棄されたばかりの、スレンダーな色白美人だ。
「え?あ、まあ、全てのお客様に対応できなくなっちゃったのかな、と思いましてね」
「私、ここに来てストレス、って言うんですか?嫌なことが少しづつ体内から抜けてってるのがわかるんです。こんなの初めての経験で、ホテルでひとりで泣く、ってわけにもいかないし、それに一時間500円、ってのも魅力で…。私、閉店なんて嫌です」
「わ、わかりました。一日も早く再開できるように努力します。あなたに何があったのかわかりかねますが、再開のときは是非、またいらしてください」
「信じてもいいんですね?また、ここに来てもいいんですね?」
「大丈夫です。お約束します」
とっさに出た、嘘とも本当とも言い切れぬ言葉に、コージは一瞬、後悔した。
たしかに、泣くことで客のストレスが解消されれば、もうリピーターではないだろう。
つまり、客は一見さんである確率が高い。
でも、彼女はこんなところに、ストレスを解消しに何度も来てくれる、と言う。
コージは、名刺の裏に、とっさに自分の携帯番号と住所を書き、マナミに手渡した。
「店が再開にこぎつけたら、真っ先にあなたに報告します。あ、嘘ではない証拠に、あなたの連絡先とお名前を、一応…」
コージは、もう一枚の名刺を裏にして、ボールペンと共にマナミに手渡した。
あれから半年。「クライ・スペース」は、跡地に再開することはなかった。
ある木漏れ日も眩しい、よく晴れた朝。コージのマンションから、キャベツを刻む音がする。
「あなた!できたわよ」
すっかり明るさを取り戻したマナミが、コージに手際よく朝食を準備している。
「さすが、元旅館の仲居だけあって、手際の良さは抜群だな」
「やだ!もう~。過去のことは触れないで、って、結婚前に約束したじゃない」
「ごめんごめん。なあ、マナミ。いま、幸せか?」
「もう、あのスペースに行く必要、なくなったから…。これ以上、何を言わせよう、って言うの?」
いまは再び、廃墟となった「クライ・スペース」は、コージの手腕によって短期間に大きな利益を上げていた。
しかし、コージはマナミを守るため、「クライ・スペース」を再開させようとは思わなくなっていた。
今までに味わったことのない、不思議な気持ち。
コージの体内に、「マナミを守りたい」ドーパミンが瞬間蓄積された。
「なあ、マナミ。貯金があと2年で底を付く。次はどんな商売、始めよっか?」
「『クライ・スペース』が大当たりしたんだから、今度は思いっきりバカ笑いできるスペースを提供できる『ラフ・スペース』なんてどうかしら?」
「『ラフ・スペース』ねぇ…。それって、各部屋にお笑いのDVDとか漫画雑誌とか置いとけば簡単かもな。でも、それって、単なる漫画喫茶、じゃないのか?」
「アハハハハッ…!そうかも知れないわね。二番煎じだ、って、それこそ同業他社から『笑い者』になるわよね」
雑草まみれになった「クライ・スペース」跡地では、人間の代わりに野良猫の溜まり場と化していた。
投げ捨てられた空き缶や粗大ゴミがあふれ、人間が寄り付かなくなった代わりに、いつしか、猫のラブ・ロマンスが見られ始めるようになっていた。
恋に破れた一匹の雄猫が、今日もまた嗚咽とも泣き声ともつかない、独特の泣き声をあげ、スゴスゴと帰って行く。
まるで半年前まで、ここに泣きたい人間があふれていたことなど、知る由もなく。
人間と違って、猫は勝手に「クライ・スペース」をつくっているのだろう。使うだけ使い、人間の勝手な都合で建物は瞬く間に廃墟になる。本当に泣きたいのは、人間が良かれと思って建てられた建物、そのものかも知れない。雄猫の嗚咽は、まるでそんなことをも知ってるかの如く、代わりに表現してくれていたのかも知れない。