表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

或彼の話

男はいつもアイスコーヒーを飲みながら、窓際で読書をしていた。

誰にも邪魔されずに読書をしている時は、幸せだった。

最近は便利になったもので、薄い端末一つで何冊もの本を持ち歩ける。

それなりに速読の彼には嬉しい時代だ。

もう鞄が本でパンパンになる事もない。

一冊読み終わってしまって、手持ち無沙汰になる事もない。

彼は自身でも小説を書いていた。

本人は一人前の芸術家気取りだが、その実ただのプータロー。

会社勤めや学生を、不自由な奴らと笑いながら、笑われているのは彼の方なのだ。

金もなく、妻には苦労のかけ通しだった。


一人前の芸術家気取りだが小説で食えない彼は、アルバイトをしていた。

日当いくらのアルバイト。

入ってくるお金より出て行くお金の方が多く、当たり前のように生活に窮していた。

しかし、金は無くても腹は減る。

彼はなけなしの金で特売の唐揚げ弁当を買った。

唐揚げとご飯を食べ、唐揚げの下のパスタを口にして笑われた。

このパスタは、唐揚げの油を吸うように入っているらしい。

今まで何の疑いもなく口にしていたが、そう言われると、途端に味も素っ気もなく感じる。

金がある奴は、食べないのかもしれない。

まるで太宰の水仙だ。

もっとも、あちらは蜆汁の蜆だったが。


彼は自身を軟派だとは思わない。

浮気や不倫をするつもりもない。

そんな行為を汚らわしく思う。

しかし、妻のいる身でありながら、他の女性と寝ることもある。

彼にも言い訳があるのだ。

気障な、気取った言い方をすると、恋する女性ひとと愛する女性ひとは、違う。

下卑た言い方をすると、一晩共にしたい女性ひとと妻にしたい女性ひとは、違うのだ。

そこに気持ちがあるかどうか。

快楽だけを求めているかどうか。

ただ可愛い可愛いだけを言っていればいいのなら、そんなに楽な事はない。


彼は人生に疲れていた。

きっと、自分は大成する事はないだろうとわかっている。

妻には苦労しかかけず、旅行の一つも連れて行ってやれない。

そうして、自分はまた違う女性と寝る。


最低だ。


言い訳を、なんて言い訳をしようと最低だ。

考えれば考えるほど、気分が沈む。

手首を切ったくらいで死ねないのはわかっている。

だけど、止められなかった。

妻が飛んで来て、止血の処置をした。

まるで子供が怪我をしたように優しく。

涙が出た。

涙が、止まらなかった。

妻は彼をそっと抱きしめた。

彼は、いつまでも泣いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ