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白星の聖剣♚黒星の瞳  作者: 東雲 滉那
二章 ウォンサナ
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農場の少年

 微かに父が自分を呼ぶ声がした。ウォンサナは気だるげに瞼を押し上げると周囲を見渡す。

 いつもここで昼寝をするのは日課なのだから起こしに来るなと、少し苛立ちを感じながら、彼は立ち上がった。遥か向こうから父が走ってくるのが見える。ウォンサナは小さなため息をひとつつくとゆったりと歩を進めた。

「ウォンサナ、小麦を刈るのをお前も手伝え」

 父が大声で叫んでいる。 自分たちはクズの小麦しか食べられないのに。

 ラソック村は国内で有数の上等な小麦の産地で、工商業中心の大都市に出荷している。そのため、村民は高値で売れないクズ同然の小麦を食しているのだ。

 ウォンサナは腹に持つ不満を顔に出さず、微笑みながら父のもとまで歩いた。「ちょっと空を見ていたんだ」

 いつもと同じ常套句を述べると、毎回父は騙されるのだが、今日は様子が違っていた。

「長殿の畑だろう。お前がいないことがばれたら村から追放されるのだ」

 日焼けした肌が赤くなっている。怒っているのだろう。ウォンサナは赤蕪のような父の顔を見ないように努めながら、必死に笑いを堪えた。

 親父の村長さん至上主義にはいつも笑えるな。

 ウォンサナは父をからかいたくなって声をかけた。「そういえばさ。村長さん来年の春節の招待されなかったんだって」

 ラソック村の村長は三大都市で行われる春節祭に二年前から呼ばれていない。 村八分と同じだろう。村なのに町と同じ財力を持つから。

 ちらりと父を見ると、なぜか怒っておらず、むしろ笑みを浮かべていた。なんだか肩透かしをくらった気分である。

 その時、他の村人の声が遠くから聞こえた。凝らして見ると幼なじみの少女マトラである。

「ウォンサナー。ぐずぐずしてると長さまに怒られるわよ」

 北部に多い、いわゆる『北美人』の容姿だ。その起伏のある体つきはウォンサナの好みではない。

「マトラ、お前は織物織りの仕事があるだろう」

 冷めた瞳で見つめれば、マトラはウォンサナを下から見上げた。

「長さまがお呼びになったのよ。私、ウォンサナに会えなくて寂しかったわ」

 マトラの熱を帯びた視線を彼はそのまま流す。

「俺は静かで良かったが。…父さん、先に行ってる」 じゃ、と言い残すと彼は脱兎の如く駆け出した。

 マトラの悪い所はお節介が過ぎることだ。言い寄ってくる男は沢山いるのだから結婚すればいいと思う。あと1年したら16歳になり、ウォンサナとマトラは成人になるのだ。

 後ろを振り向けば、マトラがスカートを振り乱して走っている。

 さっさと村長の手伝いをしよう…マトラから逃げるために!

 彼は心の中で誓うと村まで一気に走り抜けた。髪が風に乗ってふわりふわりと揺れ、なんとも気持ちいい。ふと懐かしい気持ちがして立ち止まる。以前もこんなに気持ちいいことがあったような気がしたのだ。

「ウォンサナ」と近くから知っている声がした。

「…村長さま」

彼はひきつった笑みを浮かべる。

「まだ刈り上げは終わっていないぞ」

 村長の顔は濃いシワに包まれ、怒っているのかわからなかった。

「今から行って参ります」 ウォンサナがいそいそと小麦畑に向かう。

「叱られたかい」

村人が皆声をかける。その度に「叱られてなんかいませんよ」と通り過ぎた。


 小麦の乾いた茎を束ね、鎌で刈る作業は予想以上に辛い仕事だ。それに加えて、秋らしからぬ照りつける日の光を全身に受ける。藁で編んだ笠を被り、手拭いを首に巻いても意味がなかった。

 ウォンサナは鎌を片手に手早く刈っていく。幼少の頃から手伝いをしてきたのだ。この手の仕事はお手のものである。

「ウォンサナ、ちょっとは休憩したらどうかしら」

 少し離れた場所からマトラが声を上げていた。しかし、ウォンサナは相手の顔も見ずに手だけ振り返すとそのまま仕事を続けた。

 まだそんなに時間がたってないのに休めない。特に今は村長が目を光らせているからな。

 そう思ったものの、この暑さには正直堪えた。汗が一筋一筋顎を伝っては落ちていく。

 この一束を刈ったら少し休もうとウォンサナが一束刈り取った瞬間、後ろから勢いよく飛びつかれた。

「ウォンサナ…無視しないでよ」

 耳元でマトラの高い声がしたが、ウォンサナは聞いていなかった。彼の神経は光る鎌でスッパリと切れた左腕に寄せられていた。浅い傷ではなく、破傷風の心配もある。止めどなく流れる血は汗とともに滴り落ちた。傷口のある二の腕が熱を持っている。

 何かが頭の中で弾けた。ウォンサナは目まぐるしく動く何かを認識することなく崩れ落ちた。



 すぐ近くから少女の声がした。ウォンサナが瞼を開けると見知らぬ少女の顔が見える。

「レンウィン様、どうなさったのですか」

 北に位置するラソック村では見かけない黒い瞳に黒い髪、浅黒い肌にウォンサナは驚いた。そして、そのすぐ後から驚愕が襲う。

 レンウィンって誰だ…。 周りを見渡せば見たことのない草原が広がっている。少女が話している言葉から、ここがリカスタンだとは推測できた。

「レンウィン様?」

 少女の問いにウォンサナは口を開く。否、勝手に開いたのだ。

「チェーサ」

 少女は微笑んだ。少女の名なのだろう。だが、その名を呼んだ声はウォンサナの声ではなかった。

「今年でいくつになる」

「13よ。レンウィン様は18歳でしたよね」

 そこで漸く思いたった。これは夢だ。ウォンサナがレンウィンという者の中にいて、そこから景色をみているのだ。

「ねぇ…レンウィン様。私、大きくなったらレンウィン様の側女になりたい」

 思わぬ告白にウォンサナは目を瞬かせた。

 …妾より下の位じゃないか。この男はその程位が高いのか。

 リカスタンでは高位になればなるほど、一夫多妻であることが多くなる。妻は正妻、妾、側女、花児という身分に別れる。正妻は最高位で一人、妾は正妻とほぼ同格であり、側女は身分が釣り合わない女、花児は召し使いや遊び女の身分であった者だ。

「妾でも十分大丈夫だろう」とレンウィンが言うと、チェーサは「無理です」と笑った。

「レンウィン様は王族ですから。正妻のラカ様はお従妹ですし、妾のリャン様とアスナ様は貴族。孤児であった私は花児でないだけ有難いです」

 チェーサは屈託なく笑っていた。

「だから、私をお嫁には出さないで下さい。レンウィン様の御養女にもしないで下さい」

 ウォンサナはレンウィンが驚いたことを感じ取る。「ラカが何か言ったのか」 チェーサは勢いよく首を横に振った。

「ラカ様はお優しいお方です」

 レンウィンはチェーサの肩に手を置くと、そのまま引き寄せた。

「嫁にはやらない。なんのために今まで剣を教えてきたか」

「他に利用価値はないのですか。…私では慰みの一つにもなりませんか」

 潤んだ瞳に見つめられ、思わず赤く熟れた唇に目がいってしまう。

 これはとても13歳とは思えない。

 ウォンサナが唸ると時を同じくして、レンウィンがチェーサの顎に手を伸ばした。

 年下趣味なのか…少女が少女ならこの男もこの男だ ウォンサナは密かに嘆息する。

「しばらく見ないうちにませたな」

 レンウィンは喉の奥で笑うと少女に顔を近づけた。そして彼らが繋がろうとした瞬間、また何かが頭の中で弾けた。抗う間もなく沈む意識の中で、柔らかな唇の感触が鮮明に残った。

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