国廻の始まり
銀の首飾りが胸元で揺れ、涼しげな音をたてる。ウォンサナは物憂げにそれを見つめた。
「…なんですか」
ティルカはその視線に気づくと不審そうに訊いた。だが、返事はない。いつものことだ。
国廻を命じられたのは一昨日のことだ。国廻とは、国の要所にある10個の神殿を参ることで、全てを廻ると御利益があるのだという。10神殿にはそれぞれに10人の神が祀られている。
―私が魔力を封じた珠を置いてきてほしい。
リーはそうティルカに頼んだが、それはただの口実だった。神がおられる神殿に、大巫女の魔力など必要ない。それを理由にしてまで、二人を王都から遠ざけるたかった。それほどまでに王都は危険だった。皇帝とスジュンがてぐすね引いて待ち構えている。国中を動けば、見つけるのは遅くなるだろう。
そんな考えが含まれていたとはいざ知らず、ティルカはウォンサナと共に王都を出た。
出発前夜、ウォンサナはティルカにある条件を出した。
『一緒に旅をする以上、遠慮はしないでくれ。敬語じゃなくていいし、名前も呼び捨てで。それが嫌なら自分は行かない』
ティルカは迷ったが、結局頷いた。言い方は少し雑だが、初めて会った時のような親切心も持っているだろう。いつかあの時のようになってくれるかもしれない。ティルカは唇の端を緩めた。
馬に揺られていると風が気持ちいい。柔らかな髪が頬に張りついて指で退ける。
「少し休むもう」
ウォンサナが手綱を引き締め、近くにあった大木の下で馬を止めた。ティルカも続いて止める。
彼は馬から降りると寝転がった。安息したようで、微かな笑みを浮かべている。ティルカは馬から降りると背伸びをした。
「…気持ちいい」
いつの間にか晴れやかな笑みが溢れている。そして木にもたれて座り込んだ。
王都にいる時はなんだか息苦しかった気がするな。 ティルカは目を閉じた。少し疲れていたのか、気付かぬうちに眠りこんでしまった。
ウォンサナは彼女が目を閉じると、そちらを見た。薄桃色の唇が緩められ、幸せそうに眠っている。
綺麗だ…。
彼女を見ていると胸の奥がじんわりと温かくなる。最近はポーカーフェイスを通すのにも無理が出てきた。どうしても口角が上がってしまう。躊躇いがちに名を呼ばれるのは嬉しい。
だが、ここまでチェーサに似ているのは何故?…そして何故自分はこの少女が気になるのだろう。いつも気付かぬうちに、彼女を追っている。
今、彼女は眠っている。今、何をしても赦されるのだろうか。例えば…キス。夢で感じたチェーサの唇の感触は今でも鮮明に残っている。あれと同じなら、もはや偶然とは言えないだろう。
ウォンサナは慌てて頭を振った。睡眠中の女性にキスをしていいはずがない。だが…、少し触れるくらいなら。
彼は足音をたてずにティルカに近づくと、木に手をついた。ほんのりと色付いた唇に吸い寄せられる。全てが欲しい…その思いが心を掠めた瞬間、瞳が美しい緑になった。




