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 左手首の腕時計に目を向けつつ、自宅への道を急ぐ。現在時刻は、一二時四四分。僕が今いる地点から家までは、普段通りの速度で歩いて五分ほど。なるべく早足を保ってはいるが、妹よりも先に帰宅できるか、非常に微妙な状況だ。もうそろそろ、妹が自宅に辿り着いてもおかしくない。

 己の体力のなさが、何とも恨めしくなる。仮にここから全速力で駆け出したところで、あっという間に体力が切れ、以降、普通に歩くよりも格段にペースが落ちることは目に見えている。それよりは、早歩き程度の速度を維持し続けたほうがずっと早く家に帰れることは間違いない。それを理解しているからこそ、僕は今、正にその通りにしているのだが、ここから家までダッシュしても保つ程度の体力があればなあ、と思わずにはいられない。

 うん、もう少し運動することにしよう。体育の授業ぐらいしか体を動かす機会がない、というのは少々マズい、とは前から思ってたんだ。


 そんな益体もないことを考えながら足を動かすこと暫し、漸く我が家が見えてきた。ズボンの左ポケットから鍵を取り出しつつ更に歩を進め、自宅玄関前に到着。普段母親が在宅の場合、インターホンで帰宅を告げ、中から母に開錠してもらうこともあるのだが、今日に限っては、悠長にそんなことをしている暇はない。左手に握った鍵を右手に持ち替え、鍵穴に差し込んで、捻る。軽い音を立ててツマミが回ったのを確認すると同時、ドアを手前に引く。

「ふぅ……ただいま」

 軽く息を整え、上階へ向けて帰宅の挨拶。二階にいるのであろう母からの「お帰り」との返答を聞きつつ、視線は前方斜め下へ。送られてきた荷物は大抵、土間から上がって直ぐの場所に置かれているのだが……良かった。未開封のまま置いてある。

 安堵の息を零しつつ、玄関の鍵を閉め、荷物を同じ一階にある自分の部屋へ運ぶ。学習机の上に、段ボール箱、通学に使っている肩掛けの鞄を置き、洗面所へ。

 因みに、我が土浦家は、三階建ての一軒家だ。一階にあるのは、僕の部屋、美桜の部屋、洗面所、風呂場、トイレ。二階には、母の自室、リビング兼ダイニングキッチン、もう一つのトイレがあり、三階に父の自室、物置部屋がある。

 僕と美桜の部屋は、通路を挟んで向かい合わせ。両室とも防音はそれなりにしっかりしており、妹の部屋でCDが掛かっていても、僕の部屋で目覚まし時計が鳴り響いていても、ドアさえ閉まっていれば、部屋の外まで音が響くことはない。内からのみ、ドアに鍵もかかる。

 

 手洗いうがいを済ませ、自室へ戻る。手早く部屋着に着替え、さて早速荷物を開封……と思ったが、腹が減った。段ボール箱を、机の左横にある本棚最下段の空きスペースに押し込み、手前に衣装ケースを設置。再び部屋を出て、リビングへ向かって階段を上る。

 両親からは高校入学と同時に自室の管理を一任されており、僕が不在の時に、父や母が勝手に部屋へ入ることはまずない。はずだ。僕が部屋にいる時も、ドア越しに用件を告げてくるぐらいで、滅多なことでは部屋に入ってこない。

 妹は、それなりの頻度で僕の部屋を訪れるものの、毒舌を投げつけたり、恋人の自慢話をすることが主たる目的の様なので、僕が部屋にいなければやってくる意味がない。その為、僕が不在の時は、妹もまた部屋に入ることはないはずで、そう考えると、机の上に届いた荷物を置きっぱなしにしていても大丈夫。だと思うのだが、万が一、ということもある。無事、美桜に見つかる前に荷物を回収できたのに、何かの弾みで妹が僕の部屋に入り、放置してある荷物を開封されては、たまったものではない。

 机左横の本棚、最下段のスペース、というのは、あまり家族には見せたくないものを一時的に置いておく場所なのである。フィギュアを飾るための、家族に見つかりにくいスペースは、また別に用意してあるが。

 

 ドアを押して、リビング兼ダイニングキッチンに入る。母は、炬燵に入って昼のワイドショーを視聴していた。

 僕の母――土浦穂香は、至って平々凡々な容姿をしている。一五〇センチ台中頃の身長に、痩せているわけでもなければ太っているわけでもない体格。やや皺と白髪は目立つが、客観的に見て、絶世の美女ではないものの決して不細工ではない。因みに父も、ザ・日本人男性といったような、イケメンでもなければ僕ほど顔面が崩壊しているわけでもない、極々普通の容姿をしている。この二人から、不細工な僕と美少女の美桜、という両極端な兄妹が生まれた事実は、個人的には不可思議で仕方がない。

「あー、疲れた。母さん、昼飯ある?」

「塩焼きそば作っておいたから、それ食べなさい。そっちの机の上の、青い皿の方ね。赤い皿は美桜の分だから。それと、あんた宛の荷物、玄関先に置いてあるわよ」

「荷物は回収しといたよ。金返すのは、昼食べてからでいい? んっと、塩焼きそばってこれか」

 母が作ってくれた塩焼きそばを、お茶を入れたコップ、箸と共に炬燵の上へと運ぶ。塩焼きそばはまだ十分暖かく、加熱は不要だ。調理を終えて間もないらしい。

 

 母と、考査の手応えについて軽く会話を交わしつつ、昼食を摂ること一〇分ほど。最後に残ったピーマンを口に放り込み、咀嚼、嚥下。中々美味しかった。お茶を飲み干し、手を合わせる。

「ごちそうさま」

「はいよ。お皿は自分で洗ってね」

「分かってるよ」

 重ねたコップと皿を手に、流しへ――って、あれ。

「そういえば美桜のやつ、遅くない?」

「んー、今何時だっけ。……一時一三分か。確かにちょっと遅いけど……まあ、友達と教室で喋ってるんじゃないの?」

「友達と……。ああ、そうか」

 落ち着いて考えれば。一二時半に試験が終わるからと言って、何も直ぐに学校を出る、とは限らないのだ。妹は、僕以外には口の悪さを発揮しないので友達もそれなりに多いようだし、加えて涼原四中は今日で試験終了、かつ部活動再開は明日から。翌日の試験に備えて勉強する必要もなければ、部活動の予定もなく、長い放課後を持て余した女子中学生たちが、放課後の学校ないしその周辺で集団になって雑談している姿は、容易に想像できる。

 何だ、あんなに急いで帰ってくることはなかったのか。やたらと疲れたし、我ながら馬鹿なことをした。まあ、急いで帰ってこなくても大丈夫だった、っていうのはあくまで結果論だけれども。何はともあれ、美桜のやつに勝手に開けられることなく荷物を回収できたことは確かなのだ。良かった良かった。


 皿洗いを終え、母に一声掛けてから階段を下りる。丁度中ほどまで来たところで、玄関のツマミが回る音。外側へと開いていく扉の向こうから姿を現したのは――

「あら兄さん。不愉快なお顔を見せないで頂きたいのですが」

 顔を突き合わせるたびにキッツイお言葉を掛けて下さる――今のはかなりマシな部類ではあるが――我が妹様、土浦美桜その人だった。

「……ああ、うん。お帰り。ちょっと遅かったな」

「ええ、少し用事があったので。それで? 一分一秒を豚のように漫然と消費なさっている兄さんは、何時ごろお戻りになられたのですか?」

「……一時前かな。母さんが焼きそば作ってくれてるから、手洗って食べろよ」

「大腸菌程度の男性的魅力しかない兄さんが仰るまでもなく。それでは」

「……おう」

 ……うん、心が折れそうだ。罵倒を挟みつつも、一応会話は成り立っていたことが、救いと言えば救いか。酷い時は、罵倒連発でそれすら成立しないからな。

 

 自分の部屋にスクールバッグを置き、洗面所へ向かった妹を視界の端に捉えつつ、自室へ入る。少しだけドアを開けておき、手洗いうがいを終えた妹が階上へと向かう足音を確認。完全に扉を閉じ、念のため、いきなり誰かが部屋に入ってくることのないよう施錠した上で、本棚から段ボール箱を取り出す。ついに、品物とのご対面である。

 今回購入したのは、恋愛ADV『藍時雨あいしぐれ』に登場する女性キャラクター、九重楓ここのえかえでのフィギュア。なのだが、所謂『美少女フィギュア』を買うのは、何を隠そうこれが初めてである。『藍時雨』を僕が購入したのは、今年の六月中旬のことであるが、ゲームの発売日はそれよりも前だ。完成度の高いシナリオ、それに裏打ちされた魅力溢れるヒロインたち、等々が爆発的な人気を呼び、女性キャラのフィギュアが製作・販売されるに至った、んだとか。ファンサイト曰く。

 

 生まれてこの方女性と全く縁のない僕が、サブカルチャーと呼ばれる分野に傾倒していったのは、中学三年の秋辺りからだと記憶しているが、恋愛ADV、要するにギャルゲーは、今のところ『藍時雨』一本しか所有していない。ギャルゲーには前々から興味はあったものの、中々購入にまでは踏み切れなかったのだが、各所での高評価に背を押される形で約半年前、僕は初めてギャルゲーを入手、見事にハマったのであった。

 何といっても、女性キャラが皆可愛い。攻略対象となる女性キャラは五人居るのだが、どのキャラクターにも、熱心なファンがついているとかなんとか。その五人の中で特に僕のお気に入りとなったのが、今回購入したフィギュアのキャラクター、九重楓である。九重楓の、腰まで届く艶やかな黒髪、パッチリとした目鼻立ち、均整のとれたスタイル、といった外見、大和撫子の鏡とも言うべき優美な物腰、その全てが、僕の好みであった。

 ……いや、そんな女性と、現実の現代日本においてまずお目に掛かれないことは、親族以外の女性との接触がほぼ皆無な僕も、重々理解している。理解しているが、現実の女性に全く相手にされない以上、架空の女性キャラクターに夢を抱いてもいいのではなかろうか。そうでもないと、本格的に救いがない。世の中、架空の存在に逃避することでしか、成し得ないこともあるのだ。

 

 さて、今回届いたフィギュアであるが、フィギュア初心者の僕から見ると、非常に素晴らしい出来に思える。楓立体化、と聞いて想像した通りのものが、今、眼前に佇んでいる。お値段は確か八〇〇〇円ほど。七分の一スケールの完成品、らしいが、この辺の単語は正直僕にはよく分からない。お値段が適正なのかも、よくは分からない。が、これだけの出来で一万円を切るとなれば、個人的には破格、と言ってよい。

 暫くフィギュアを眺め、満足したところで、保管スペースにフィギュアを移動させる。場所は、段ボール箱を一時的に置いたのとは別の、学習机右横の本棚、最上段。こちらの本棚は、本来、小学校や中学校で使った僕の教科書やワーク、ノート類を保管している本棚なのだが、このフィギュアを注文した時に中身を整理し、物が置けるスペースを確保しておいたのである。また、この本棚は、中身を滅多に取り出さないため、埃を被らないように、ということで、棚の上部から最下段まで届く、カーテンのような布が普段から掛けてある。保管場所として相応しいスペースなのかは分からないが、ここに置いておけば、滅多なことでは部屋に入ってこない父母、憎まれ口を叩くためだけにやってくる妹には、余程のことがない限り、その存在が発覚することは無い、と思う。

 

 無事移動を完了させ、フィギュアの入っていた箱、及び段ボール箱は、共に平たく折り畳んで、机左横の棚の最下段へと入れておく。こちらは、機を見てゴミの回収に出せばよいだろう。

 では、明日の試験に向けて勉強を再開――の前に、母に、立て替えてもらったフィギュア代を返さねば。鞄の中に入れっぱなしになっていた財布を取り出し、中身を確認。返せるだけのお金があることをチェックし、部屋を出てリビングへ。

 ドアを細く開けて中を見る限りでは、リビング内に妹の姿はない。既に食事を終えて、自室へ戻ったのだろう。扉を閉め切ってフィギュア鑑賞に没頭していたためか、昼食を摂った妹が再び自分の部屋に入ったらしいことに、僕は全く気付かなかったが。妹様は今ごろ、部屋着に着替えて自室でリラックス状態、と言ったところだろうか。

 室内に入り、母親に立て替えてもらった代金を返済。僕と母が金のやりとりをしているところを美桜に目撃され、何やかんやと事情を追及される、という展開は是が非でも避けたかったのだが、丁度良いタイミングだったようだ。荷物の中身については、何も訊かれなかった。子どものプライバシーに過度に踏み入ってこない母親は、本当に有難い。

 

 軽い尿意を催していたので、二階のトイレで用を足し、階段を下りる。一階に着き、自室の方へと視線を向けたところで、その向かいにある妹の部屋の扉が、音を立てて閉まった。昼食を終えて自室に戻った妹が、再び部屋を出、何か用事をこなして三度自室に入ったのだろう。

 一階で、美桜もトイレに行っていたのかな。


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