一
――容姿。
学生時代の恋愛において重要視されるものは何か、と問われれば、僕は間髪入れず、何ら迷うことなく、そう答えるだろう。
無事就職し社会へと出て、『結婚』の二文字が脳裏にちらつき始める頃になれば、財力や包容力などの点もまた、重きをなすようになっていくのかも知れない。しかし、学生時代――恋に恋する思春期の恋愛で重視されるのは、容姿のみ、と考えてほぼ間違いない筈だ。
容姿に優れた学生は、どれだけ素行が悪くても、口下手でも、その全てを異性に美点として捉えられ、恋人を容易く作り、また、取っ替え引っ替えすることが、多くの場合可能である。
逆に、残念ながら容姿に恵まれなかったものは、如何に人格者であろうと、話術に長けていようと、その全てを異性に悪点として捉えられ、男女交際を経験することが酷く難しい。縦んば恋人が出来たとしても、それを取っ替え引っ替え、などという芸当は、まず持って不可能である。
それが、学生期の恋愛における絶対不変の真理。
或いは、社会へ出ても、容姿以外は然程重要視されないのかも知れない。残忍極まりない犯行に及んだ殺人者であっても、容姿に優れてさえいれば、ファンクラブが結成される御時世である。
容姿。ただそれだけが、現代の恋愛において、唯一絶対の価値を持っているのだろう。
……要するに、何が言いたいか、というと、だ。僕がクリスマスを恋人と過ごすだなんて、天地が引っくり返っても不可――
「おーい、雅明、大丈夫か? 目が死んでる、というか、腐りかけてるぞ」
――耳朶を打つ低い声によって、意識を引き戻される。劣等感や、ある種の絶望感に塗れた当所もない思考を振り払い、はて、と、現在の状況を確認。
左手首に嵌めた腕時計の表示、及び己の記憶を信用する限り、現在日時は一二月八日、一二時七分。場所は、つい一〇分ほど前まで期末考査を受けていた、所属クラスでもある二年二組の教室、廊下側から三列目・前から二列目の自分の席。
――どうも、本日・考査三日目のトリとして実施された倫理の試験の解答用紙が回収されたあと、人知れず物思いに耽ってしまっていたらしい。
取り敢えず、現状の把握を完了。続いて、先ほど声が聞こえてきた方向へと視線を向けつつ、答えを返す。
「ああ、うん。ちょっとばかり、人生の悲哀をな……」
「何だそれ」
露骨に怪訝な顔をされた。
水城和人。僕に声を掛けてきた男子生徒――友人のフルネームである。
また、意志の強さを感じさせる鳶色の双眸、通った鼻梁、一八〇センチを少し超える高身長、細身でありながら程よく筋肉の付いた体躯、と、正に『イケメン』という単語を具現化したかの如き存在の名前でもある。ついでに言えば、僕なんぞと友人付き合いをしてくれる程度には、性格も良い奴だ。
無論、女子からの人気は凄まじく、僕の知る限り――和人とは中三からの付き合いだが――彼に交際相手が居なかった期間は、皆無に等しい。加えて、その交際相手は決まって美人ばかりなのだ。現在の和人の彼女、確か九月の頭頃から付き合っている躑躅とかいう女子も、ちらっと見掛けた限りではあるが、凄まじい程の美貌の持ち主だった。全く持って、羨ましいやら妬ましいやら。
翻って、この僕、土浦雅明の容姿は、といえば、正直余り鏡を覗き込みたくないレベルである。
重い印象を与える野暮ったい黒の短髪、狐の如く細い目、身長こそ一八〇センチ弱あるものの、文芸部所属ということもあり運動を殆どしないせいか、やや肥満気味の体躯、と、まあ、相当贔屓目に見て何とか下の上に引っ掛かるか、といった程度のものなのだ。
言うまでもなく、女子からの人気は和人と逆ベクトルに凄まじく、彼女どころか女友達も居ない有り様。いや、そもそも、この学校――公立・澄枝高校に入学してから一年半以上経つというのに、女子と雑談したことさえ一度もない。女子との会話は事務用件に限られ、それすら、二言三言硬い言葉を交わしただけで終わってしまうのだ。
そんな僕が、である。三週間足らず先にまで迫った聖夜を期限として彼女を作る、だなんて――
「無理難題にも程がある、よなあ……」
嘆息。いつの間にやら、下らない思考を再び廻らせてしまっていた。
「何々、マジでどうしたよ?」
余りに沈鬱な僕の様子が気に掛かったのか、重ねて声を掛けてくる和人。女に苦労したことがないであろうこの友人に聞かせるのはあまり気が進まない話なのだが、彼なりに心配してくれているのだろうから、無視するわけにもいくまい。
若干躊躇いつつも、事情を説明するべく再び口を開く。
「いやさ、昨日の夜、妹と凄く下らない賭けをしたんだよ」
「妹? ……ああ、そういえばお前、妹持ちだったな。何回か話を聞いたことがあるような気がするわ。美桜ちゃん、だっけ。確か」
そう、美桜。土浦美桜。三つ歳の離れた我が妹にして、公立・凉原四中の二年一組に籍を置く現役女子中学生。そして、僕と血を分けた実妹であるとは到底信じられぬほど容姿に恵まれた美少女の、それが名前である。
胸元で毛先が切り揃えられた艶やかな漆黒のストレート、ぱっちりとした二重瞼に煌めく大きな瞳、瑞々しい薔薇色の唇、細身である上に均整の取れたスタイル、と、まあ、美桜は、容姿だけに限れば殆ど非の打ちどころがない。それは認めざるを得ない。いくら外見が整っていようと所詮妹は妹なので、恋慕や情欲の対象になったりは当然しないが、美人なのは確かである。
但し、口が悪い。というか、性格が悪い。その言動からは、兄である僕に対しての敬意が微塵も感じられない。
――兄さん、そんな醜いお顔をぶら下げながら外を出歩いて、恥ずかしくないのですか?
――妹様のこの程度のお言葉は、ジャブレベルである。自分の容姿が酷いことは十分自覚しているが、美人の妹に言われると、劣等感と情けなさがない交ぜになって、結構辛い。口調こそ丁寧だが、言っている内容はかなり心に刺さる。
しかも、この絶望的なまでの口の悪さは、僕以外の人間――両親、妹の友人やクラスメイトたち――には発揮されないようで、妹の口撃の矛先は、何故か僕にだけ向かうのだ。
加えて、ほぼ常時交際相手が居るらしく、罵倒以外で僕に話し掛けてきたときは、大抵、延々と恋人自慢をしている。あの顔とスタイルであるから、男に不自由しないのは分かるが、僕に自慢話をされても正直反応に困る。話の端々に、モテない僕への嫌味や嘲りの言葉を挟んでくるのも止めて欲しい。
また、妹曰く、『土浦家の恥部』である僕に己の交際相手が遭遇しないよう腐心しているそうで、事実、話だけは割とよく聞く妹の彼氏を実際に見掛けたことは、未だに一度もない。どれだけ頑張って会わせないようにしているのだろう。というか、どれだけ会わせたくないのだろう。というか、一家の恥部呼ばわりは流石に酷いのではなかろうか。
……つい二、三年ほど前までは、お兄ちゃんお兄ちゃん、と僕のことを慕ってくれていたはずなのだが。どうしてこうなった。
そう言えばあいつ、三歳ぐらいの頃は、『大きくなったらお兄ちゃんと結婚する』とか『お兄ちゃんのお嫁さんには美桜がなってあげるね』みたいな、凄く微笑ましい言葉を僕に掛けてくれていたような。長じてからも、美桜が僕に辛く当たるようになる前は、同じゲームで対戦して遊んだり、漫画の貸し借りをしたり、と、そこそこ仲の良い兄妹だったような。
……本当に、何がどうしてこうなった。アレか、兄離れ、ってやつか。いや、それにしても変貌しすぎでは――
「――それで? 賭け、ってのは、どういった内容なんだ?」
「んー? ああ、『クリスマスまでに僕に彼女出来れば、僕の勝ち。出来なければ妹の勝ち。負けた方が勝った方の命令を何でも一つ聞く』っていうやつ。下らんだろ?」
『兄離れ』というより『兄虐め』の域に達しつつある妹の言動を思い起こし、気が沈みつつ、和人との会話を続ける。
「へー、クリスマスまでに彼女、ねえ……。何でまたそんな賭けを?」
「それがまた、話せば長くなるんだが……。まあ簡潔に纏めると、今日の一時間目に数Ⅱの考査があっただろ? あれの試験直前演習を解いてる時に詰まっちゃった問題があってさ、解法を中々思い付けなくて苛々してる、ってところに美桜のやつが口喧嘩吹っ掛けてきやがったのよ。僕もついつい応じちゃってそれがエスカレート、結果こんなことに、って感じかねえ……」
それにしても、賭けの取り決めをした後の妹の表情を見た限りでは、どうもあいつ、既に己の勝利を確信しているらしい。こちらの勝算はほぼ零、と僕自身思っている辺り、何というか本格的に救いようがない。頭に血が上っていたとはいえ、何てことをしてしまったんだ、昨夜の僕。
「んで? 彼女をゲット出来そうな見込みは?」
「女友達どころか、事務連絡以外で言葉を交わす女子の知り合いもいないのに、見込みあるわけがないだろうが」
何故だろう、自分で言っていて涙が止まらない。
「んじゃあ、好きな女子とかいねえの?」
「いや、特には。告白したところで彼女になってくれっこない、って分かってるから、そもそも女子を好きにならないんだよなあ」
いや、マジで。常に美人と交際している和人には理解できないかもしれないが、紛れもない事実である。ルックスの優れない男に対する、女性、少なくとも、恋に恋する思春期の女子学生からの扱いの酷さを甘く見てはいけない。
席替えで隣の席になった女子が、机をくっ付けてくれない。授業中にその女子が消しゴムを落としたので拾って渡したら、凄く引き攣った顔で受け取られ、軽い礼すらない。流石に面と向かって「顔が気持ち悪い」と言われたことはない――いや、妹にはよく言われるけど――が、他人の心の機微に疎いと自覚している僕でさえ、嫌悪の対象となっていることは明確に理解出来る。『勇気を出して告白すれば、案外オーケーしてくれるかも』とは、到底思えない。
「っとと」
体に伝わる軽い振動。どうやら、ズボンの右ポケットに入れてある携帯電話に、着信があったようだ。和人に一言断ってから携帯を取り出し、ディスプレイを開く。待受画面下部に『新着メールを一件受信しました』との表示。キーを操作してそのメールを開く。
差出人欄へと目を向けると、そこにあったのは、土浦穂香の文字。母からのメールのようだ。
「『雅明宛の荷物が届きました。お金は立て替えておいたので、後で返すように』か。えーっと、何か注文してたっけ。……あっ!」
そういえば今日は、通販サイトで予約していたフィギュアの発売日だった。予約したのがかなり前だった上に、ここのところ試験勉強に忙殺されていたので、うっかり忘れてしまっていたようだ。PCのアドレスに送ってくる発送通知のメールも、チェックし忘れていた。
……というか、よく考えると、これは少々マズい。というのも、僕が通販サイトで購入し、母が受け取ったらしい荷物というのが、フィギュアはフィギュアでも、所謂美少女フィギュアと呼ばれる代物なのである。あまり家族に披露したいものではない。
母は、家族間のプライバシーもきっちり守る良識ある人物なので、僕宛の荷物を無断で開封するとは思わない。しかし、美桜が、面白半分罵倒ネタ探し半分で僕宛の荷物を勝手に開ける可能性は、決して低くない。妹はサブカルチャーにはあまり詳しくないが、中身を見れば、それが何かはほぼ察せるだろう。
いつもなら、吹奏楽部の活動の為、帰宅が概ね一八時を回る妹よりも先に僕が帰宅するので、美桜の目に触れることなく荷物を回収出来る。僕が所属する文芸部はかなり規律が緩く、活動は基本自由参加なので、さっさと学校を出れば遅くても一六時半には家に着けるのだ。
ところで、妹の通う中学は一昨日から今日までが期末考査期間であり、考査終了時刻は、全日一二時半である。考査開始直前に聞いた母と妹の会話を信じる限り、これは間違いない。また、凉原四中の部活動再開は、試験最終日の翌日からの筈である。加えて、凉原四中から自宅までの所要時間は、徒歩一五分前後。四中は僕の出身中学でもあるので、後者に関しては多少の男女差こそあれ、経験則からしてこれらも間違いない。
つまり、今日、妹は、一三時までには帰ってきてしまう可能性が非常に高いのだ。
しまったな。妹の試験実施日とカチ合わない日に届けて貰えるようにしておくべきだった。うっかりしていた。
現在時刻は一二時一五分。澄枝高校から自宅までは、徒歩と電車を合わせておおよそ三〇分から四〇分程なので、今すぐ帰れば、ギリギリ妹よりも先に自宅に辿り着けるかも知れない。
「すまん、和人、急用が出来たんで帰るわ。また明日」
「お、おう。よく分からんが、また明日」
普段新作ゲームなんかを買う時には発売日に届いた試しがないくせに、初めてフィギュアを買った今回に限ってどうして発売日の昼に届く、と、内心通販サイトへの悪態を吐きつつ、僕は和人に別れの挨拶を告げ、急ぎ足で教室を出た。