第二章五幕「同盟」
やっほーい。
あったかくなってきてたとはいえ、湯冷めすれば寒いです。
「そういえば、オフィリス。」
歩きながら話しかけると、フォリアをじゃれていたオフィリスは振り返って、五メートルほど離れて歩いていた私を見た。
その顔を見て、次いで体の横で子供のように振っている手を見る。私のものよりも一回り大きな手に握られている物を私は知っている。
「ソレ、どうするの?」
売るんじゃないでしょうね?
疑惑の目を向けると、立ち止まってオフィリスは慌てた。アワアワと顔の前で手を振って否定する。彼の頬には、戻ってきた太陽による暑さのせいではない汗が流れて来ていた。
兄の様子と私の表情を見て、賢いフォリアはなにかを悟ったようだ。情けないと兄に叱責でもするのだろうかと見ていると、彼女は私の予想を裏切ってこちらを見た。美しい薄茶色の瞳と視線がぶつかる。
結局三人とも止まって、砂漠の真ん中で立ち話に興じることになってしまった。暑い。
「コレ、リーリエの額についていた石でしょう?」
ここの世界の人には宝石とかの概念がないらしい。皆、元々は額に着いている宝石類を『石』と言っていたようなのだが、リアルから来た人が「リアルでは色によって呼び方が違うんだ。」と教えたらしく、それ以降は名前を呼ぶ人も出てきたらしい。
「そう。オフィリスが取っていた。」
オフィリスに手を差し出して、リーリエの石を受け取る。太陽にかざすと、それは赤い石の中に太陽を飲み込んでしまった。
「それを、こうして…」言いながら首の後ろに手を回し、うなじから引っ張った紐に付いた何かを服の中から取り出した。彼女の隣で兄もまた同じ動作をしている。
ふたりの手元に服の中からやって来たのは、オレンジ色をしたトパーズのペンダントだった。
オレンジ色の石を見つめるふたりの目が優しい。誰か、大切な人の物だったのだろうか。
「紐に通しておけば、いつでも身につけていられるわ。」
「オレがやってやるからさ!」
言いながらオフィリスは私の手からルビーを取り上げて意気揚々と森へ歩く。楽しそうに手を振って、歌を歌いながら。
正直、大切な半身を亡くして一日も経っていない今の私からすると、オフィリスの明るさは気持ちを苛立たせる。不機嫌になっていく表情を見て察したのか、再び歩き出してからは私の隣を歩いていたフォリアが兄に駆け寄って行き、後ろからラリアットを決めた。
「ぐふぉっ!」と顔面から砂に突っ込んだオフィリス。勢いで手放した握っていたリーリエのルビーを、走り込んでキャッチする。
「っにすんだ!」と怒鳴る彼の顔中に砂が張り付いていた。まぬけ面。
倒れ込んだ兄の隣に座り込んで、兄妹ふたりでこそこそと、時折ちらりと私を見ながら話しだす。普通なら不快に思うところだが、今回は内容がわかるため、そう不愉快にはならなかった。座りこんでしまった兄妹の横を通り、先へ進む。
ふたりはきっと、「アズサはリーリエを失ってまだ二時間も経っていないのよ?そんな人の前で楽しそうに歌を歌って、子供みたいに腕を振りながら歩く奴があるか!」「お前、目大丈夫か?」「は?」「そんな奴なら、お前の目の前にいるからさ!」「…お前以外はどうだ、いるか。」「ん~?オレ以外にはあったことねーな!」
なんて会話をしているかもしれない。歩きながら考える。
「だろうな!」
実際に何を話していたかはわからないが、おおよそ私の予想通りなのだろう。フルフルと震えていたフォリアが突然立ち上がり、座っていた兄を蹴りあげた。
見事にオフィリスの顎に当たったフォリア渾身の一蹴りは、兄を吹っ飛ばし、先を歩いていた私の横すれすれをかすめて目的地である森の中へと飛ばして行った。
「…。」
「さ、アズサ。うるさい奴はいなくなったわ。行きましょう。」
「…一発で森の中、か。楽そうでいいな…。」
「…アズサ、やってみる?」
「いい、遠慮しとくよ。」
追いついたフォリアと会話しながら進む。吹っ飛んで行ったオフィリスの身を心配して早歩きになる。
一応、兄の身が心配なのかフォリアも早歩き気味で着いてきた。
心の中で、リーリエのルビー、手元に返してもらって置いてよかった~、呟いた。
「おーい、アズサ!居たぞケンタウロスとミノタウロス。」
森の入口で手を振るオフィリス。見たところ怪我もなく、元気そのものだ。
顔を見合わせて、合図もなしにフォリアと同時に駆けだして森へ、オフィリスのもとへ駆け寄った。
大きく手を振っていた彼の隣には、とても久しぶりに感じる、馬と牛の姿があった。ふたりとも、いたるところに傷が増えて、馬など左腕を肩から亡くしているようで、服を好まずに裸で過ごすケンタウロスの素肌の左肩には、本来あるはずのものが付いていなかった。
ただでさえ野生なのに、さらにワイルドな雰囲気を作り出していた。
しかし、彼らふたりしか出てきていないのはなぜだろう。私と会いたくなくて出てこないだけで、奥にいるのだろうか。特に、仲間を抜ける直前に私に対して暴言を吐いてくれた彼にはもう一度会っておきたい。
「……。」
「……。」
「…お、お久しぶりです、アズサさん。」
目を合わせたまま口を開こうとしない両者の間に立ってくれたのはやはり牛だった。かつてはボロとはいえ身に着けていた服を無くした牛の裸の肌にもまた、馬と同じように裂傷があった。腹の上に大きくバツを書いている。細かい傷などは至る所にあった。
あれほどまで探していた仲間だ。オフィリスもフォリアも、ここまで険悪な雰囲気になるとは思っていなかったのだろう。ふたりは困惑した様子で私と馬を見比べていた。これが私たちの普通なのだが、兄妹は知らない。
目を逸らしたら負けだ、と思ってしまったので、私たちふたりとも目が逸らせない。
「久しぶりね、ミノタウロス。」
会話終了。
視線を逸らしての会話とは、なんて失礼な行いなのだろうか。自分でやって置いて、すぐに後悔の念に駆られる。
「リーリエはどうした、アズサ。」
いきなり触れられたくない場所に触れられて、わたしはつい目を逸らしてしまった。
それを見て、小さく「勝った」と笑う馬が憎たらしい。
真実を知っている私と兄妹の表情は冴えない。様子が変だと察してくれたのは、やはり牛だった。
「…あの、どうかしたんですか?」
優しい声に、枯れたと思っていた涙が溢れだす。
半身の冷たくなった体が、炎に呑みこまれて行く様を思い出してしまった。
「…リーリエは…、」
「死んだか。」
止まった言葉を引き継いだのは、知らないはずの馬。
なぜ、と顔に出たのか、馬は苦笑した。私の頭を撫でて、「すまなかったな。」と言った。らしくない弱気な馬に、私は戸惑う。謝りたいのは私の方だ。守る、そう約束したのに守れなかった。
「…どうして?」
嗚咽と衝撃で、声が詰まる。出ても、上ずった声しか出てこなかった。情けなくて、また涙が浮かぶ。
「知っていたんだ。」
驚きだった。
馬は何を知っていたと言うのか。これで「お前は守りきれないだろうと思っていた。あんなに大口叩いて出て行っておいて、結局はこうなるだろうなって思っていたんだ。」なんて言われたら私は馬を消してしまうかもしれない。恐ろしい考えを抱くが、馬の答えは全く違った。
「昨日、夢を見た。」
「夢とかその顔で口にするの止めて、寒い。」言いかけて止めた。口を開いたところでそう言えば馬は乙女だったと思い出す。…あれ、乙女なのはゲームの馬?記憶が二年経ってこんがらがってきた。先ほど受けた大きなショックの影響が出て来たのかもしれない。
何か言われるのではないかと身構えていた馬を表情で先を促す。
「俺は真っ暗な闇の中に立っていて、そこにリーリエが出て来たんだ。それで言われた。
『自分はきっと近いうちに死んでしまうだろうから、そのときはアズサをお願いね。殴ってでもいいから、アズサを生きる道に進ませてあげて。』と。そう言って、リーリエは消え、俺は目覚めた。」
一人称も以前と違う。
馬にもなにかいろいろとあったのだろう。慣れ親しんだ一人称を変えるほどの何かが。
「…そう。」
一瞬、顔を伏せて考えた。
リーリエは私のことを考えてくれていた。最後の最後まで面倒をかけてしまった。
申し訳なさを感じながら、私は同時にとてつもなく嬉しかった。喜びで、また一筋涙の線が頬に残る。それを拭ってから、私はまっすぐに馬を見上げた。
「それから、他のみんなはどうしたの?あの猫の半獣も。」
今度言いづらそうにしたのは馬たちの方だった。
ふたりで目を合わせ、揃って顔を伏せる。
「お前の言ったとおりだった。俺のやり方では、あいつらを守ってやることなどできなかったんだ…!」
私たちが出て来た時、仲間は約五十人はいたと思う。それが、相手は二勢力とはいえ、わずか一年あまりでふたりになってしまうのか。残ったふたりでさえも、痛々しく傷が残る体となっている。
馬は左腕を失い、牛は上半身には腹に大きな傷を負い、外から見たのではわからないが、スパッツの下には傷があるのかもしれない。
とにかくふたりはものすごい修羅場をくぐりぬけて、そして今を生きている。
あれだけいた仲間を失った記憶は傷となって残っているだろう。目に見えない傷、これが一番厄介だ。私も、リーリエを失って初めて実感した。
目に見える傷ならば、誰もが気遣うことができる。心の傷はそれができず、知らない内に傷に触れてしまっていることもあるのだ。
「あれ、梓?」
寂しそうな目で語る馬の無くなった腕があった場所を見るともなしに見ていると、そこに見知った人影の足が映った。
名前を呼ばれて、顔を上げる。
「よっ!久しぶりだな~」
重く湿っぽくなってきた空気を変えたのが、彼。
「あれ、トーマ。」
妙見寺刀馬。
一色アヤメと私、そして刀馬の三人は幼いころから家族のような幼馴染にある。
と、いうことはこれで私たち幼馴染全員がこちらに来てしまったということとなった
あちらは一体どうなってしまっているのだろう。お父さんとお母さんは大丈夫だろうか。なにか、近所で問題になっていないだろうか。
申し訳なさと、それでも帰る手段を探す気がしない自分の薄情さに、また自己嫌悪。
「梓、お前どこ行ってたんだよ。一年くらい行方不明で、警察も手抜きしやがるしさ~。結局オレとアヤメでお前のこと探したんだぜ?」
安心したような、呆れたような表情で刀馬はそう言った。
私の頭に大きな手を乗せて、それからポンポンと軽く叩く。テニスで鍛えた刀馬の掌には、五本ほとんどの指の下に肉刺ができていた。
「それからあのゲーム、やっぱ面白いな。お前探しに行くついでにふたりでやってみたんだけど、うっかりはまっちまった。アヤメなんて、探すのとゲームすんの、どっちが主目的だかわかんねーくらい熱中してたぜ。【ワンダーランド】が熱中時間に出たら、あいつ出れるんじゃねーかな?」
からからと軽く笑う刀馬の笑顔が、私は昔から好きだった。見ていると、なんだかこちらまで明るく、元気になれるのだ。
「刀馬も元気そうでよかった。」
「まーな!オレ元気だけが取り柄だし♪」
自然と笑えた気がしたが、目の前に来た刀馬の怪訝そうな表情を見ると、思い描いた笑顔はできなかったようだ。寂しい笑顔になってしまったのだろうか。
「…何かあったのか?」
さすが、知り尽くした幼馴染は鋭い。
私はこれだけは自然とできる苦笑を浮かべて、馬を見た。
「彼は?」
私の言葉を聞いて、馬は不思議そうな顔をする。
知り合いじゃなかったのか?なんて訊いてきそうだ。
「あれ、アズサさんとトーマ、知り合いなんじゃなかったんですか?」牛よ…お前もか。
でも、考えてみると私の言葉が足りなかっただけか。三文字で『どうして彼がここにいるの?』と尋ねた気分になっていてはダメなのだな。私は少し賢くなった。
「妙見寺刀馬。私のリアルでの幼馴染だった。それで、どうして彼がここにいるの?」
意を得たり。
あ、そっか。とひらめいた顔をする牛。ポンッと手を叩いて、彼は話し始めた。表情が分かりづらいはずなのに、なにを考えているのかがすぐにわかってしまう素直で純粋な牛。すぐに説明してくれた。
「トーマは、仲間がみんないなくなってすぐの頃でした。突然現れたんです。行くところもないと言うので、危ないですがここで一緒に暮しています。」
私もここに出て来て、刀馬もここからこちらに来た。
もしかして、この地域にはなにか地球とつながる要素があるのだろうか。それとも、ただの偶然か。
そう言えば、アヤメはどこからこの世界に来たのだろうか。もう一度会えたら訊いてみよう。
「そっか。刀馬も大変だったんだね。」
「お前もな。聞いたぜ、お前、ケンさんに説教かましたんだってな。」
触れられたくない過去にいきなり触れられえ苦笑する。
それにしても…。
「なに、刀馬ってケンタウロスのこと“ケンさん”って呼んでるの?」
「ああ、かっこいいだろ?」
刀馬は渡辺とか志村とかのファンだったのだろうか。刀馬はどちらを狙ったんだろうか。
刀馬と馬の不思議な関係は呼び名だけではなかった。言いにくいから、これから刀馬はトーマと呼ぶことにしよう。馬との差別化も図る。
「変か?師匠って呼ぶと嫌がったからケンさんにしたんだけど…。」
「シショウ?シショウって先生!弟子!あれの師匠?師匠って、なんの師匠?」
「お前、師匠ってよく言ったな!何回くらい言ったんだ?」
トーマ独特のテンポだ。
トーマはテニス部に所属していたが、このテンポに相手を捕まえて、自分に有利な試合展開を作りだして勝利するとアヤメから聞いたことがあるのを思い出した。彼のテンポはどこへ行っても健在のようだ。
「あ?ああ、剣だよ剣。…言っとくけど、それでケンさんになったわけでもないからな?」
「そうなの?」
言われてみると、トーマは背中に彼の背丈以上ほどある大きな剣を背負っていた。
くたびれた布で刃を覆い隠しているが、見えている柄の部分は太陽の光を受けて金色に輝いている。
トーマの体つきを見た。
テニスで鍛えた体は伊達ではない。足腰はもちろん、腹筋も腕も方も見事なまでに仕上がっている。それに、ゲームメイクで培った戦況を見る能力もそれなりにあるだろう。
戦いに巻き込みたくはないが、きっとここにいてもそういいことは起こらないし、安全でもない。
そこまで考えて、彼らが身を寄せている森を見るために視線を上げた。そのとたん、クラッと視界が揺れる。トーマが私を呼ぶ声がして、腰に回る太い腕を感じた。
「ったく、暑いんなら我慢するなよ。」
「…ん、ごめんなさい。」
「無事ならそれでいい。でも今度からは無茶すんなよ?」
「うん。」
目を閉じて抱きしめてくれるトーマに寄りかかる。太陽の光を受けてこの一カ月ほど歩き続けた結果が今ここで来てしまったのだ。やっぱりいくら焦っていても自分を見失ってはダメだ。
「もうしない。」
「今度こそ、約束守れよ?」
「うん、わかってるよ。」
抱きしめてくれていたトーマの体を押して離れる。
兄妹にも心配をかけてしまったんじゃないかと思って横に並んでいた彼らを見ると、兄は面白そうに私たちを見て、妹は恥ずかしそうに頬だけでなく顔と長い尖った耳まで真っ赤に染め上げて、手で顔を隠していた。しかしお約束に指の隙間からチラリと窺っている。フォリア、あなたはどこの時代の女子高生か!
「ところで、三人はまた戦う気はないの?」
私の言葉に、三人が顔を見合わせた。ここでこのまま平穏を手にした気で生きて行くつもりだったのだろうか。
最初に応えたのはトーマだった。いつもと変わらない軽いノリで、まるで買い物に付き合ってやるよ、と日常生活の中で言っているように彼は言った。頭の後ろで手を組んで、ニカッと笑う。
「俺は一緒に行くよ。もともと、梓を探してたんだし。目的は梓とともに!ってね。」
トーマはそう言ってから、馬を見た。
「そう言うわけなんで、申し訳ありませんが稽古は今日までと言うことで。」
「何を言う。これからも稽古は付けよう。」
ハッとして馬を見る。
彼はいつになく優しい笑みを浮かべていた。前に会った時とは違う、本当のリーダーが浮かべる、深い笑み。
目が合って、その笑みは苦笑に変わった。
「あの時、未熟さ故に守れなかった仲間を、今度こそ守りたい。」
真剣な眼差しが、私を射抜く。
「お前にも、あの時は不快な思いをさせて悪かった。もう一度だけで構わない。チャンスをもらえないだろうか。」
目線を合わせるために上を見続けたため、首が痛くなったので下を見る。
まったく違う目的で行った行動だったが、馬にはそうとってもらえなかった。
馬のいる場所から小さく笑う声が聞こえたので見てみると、馬が悲しそうに笑っている。
「俺にはもうなにもない。お前たちに償いを、と思っていたが、ソレは嫌か。」
「え、そんなこと言ってないけど。もともと、私はあなたたちを迎えに来たんだ。」
キョトン、と不思議そうな顔で固まっていた馬が凍結されて動きだし、黙って成り行きを見守っていた牛が嬉しさ爆発、「ケン兄ぃ!」と飛びかかった。
馬の下半身に牛が飛び乗って、兄と慕う男の裸の上半身にすり寄っている様はなかなかシビアなものがある。夢に出てきたらどうしてくれようか。
「それはそうと、あちらでは仲間が今も戦っている。早く戻ってあげたい。今日中には発ちたいから、支度をお願いね。」
はい、やおお!とか、任せて♪など、人の返事だけでもいろいろなバリエーションがあるのだと知った。個性の出るそれを聞き流して、それぞれが支度を始めるのを見届ける。
森の住人は旅支度をまとめるために、兄妹はそれぞれ居心地のいい場所で休むために、散って行く仲間の中で、私は一人に用があった。
「フォリア、ちょっと…。オフィリス、妹を借りるよ。」
「ちゃんと綺麗に返してね~」
森の奥にあるという泉に行こうとしていたのか、歩きだそうとしていた彼女を呼び止めて一緒に歩きだす。この会話は、誰にも聞かれたくはない。
「話って?」
どこか学校の屋上や体育館裏とかで開口一番に聞けそうな言葉だ。その場合、ほとんどが告白に別れ話、リンチにいじめのパターンだ。
この森唯一の水場。
緑の木々に囲まれて木でできた洞窟のようなこの空間は木の影と水の冷たさとで生み出されているのか、私たちのように小柄な女性なら三人ほどまで入れそうだが、馬やトーマのような大の男が入ればひとりでもきついだろうほどの空間は、冷気と日陰ということでとても涼しかった。
そこへ入り、ふたりで泉を見下ろしながら適当な場所を見つけて腰かける。足元の緑はコケだった。座りこんだ場所にもコケが生えており、肌に当たるふさふさした湿った感触が何とも気持ちの悪い。
「モンブランのことなんだけど。」
「うん。」
ここまで聞いていると本当に学園物のようだが、次は違う。
「探りを入れることはできないだろうか?」
「…アズサ、」
「復讐のためじゃない。」
「……。」
この森で二度と会えないと思っていたトーマや腕を失い、仲間を失って穏やかに微笑むようになった馬、そして誰かのために傷ついた牛たちと再会して話を聞いたり話したりしたことで、戦いが誰の徳にもならないことを再確認した。
戦いでは、何も生まれないのだ。
いや、生まれるものもあるか。戦い、戦闘で唯一生まれ出もの、それは憎しみ、悲しみの連鎖だ。
大切な者を失えば、奪った者が憎いだろう。すると命は、“復讐”を思いつく。実行するまでにもかなりの力を使うが、果たせばまた誰かの大切な者を奪い、今度は自分が奪った者として誰かに命を狙われることとなってしまのだ。戦争が続く限り、この連鎖が切れることはない。
誰かが耐えて、そして切らなければならないのだ。
私は、その誰かになりたい。
世界中の人々が誰もそれになりたくないと言うのなら、私が進んでなりましょう。
リーリエが願い、それでも見ることのできなかった平和を、みんなに与えるために。
「悪魔か天使のどちらかだとしても、いいんだ。私はもう、戦いたくない。失いたくはない。みんながみんな、そう言うことを考えられるのに、誰かの大切な者を奪う行いを止められないのはなぜだ。上だ、上層部がそう命じるから、下っ端は動くしかない。やりたくないことも、命令だからやらなくちゃならない。」
「…アズサ。」
横を見れば、頼もしいしっかり者の妹。
彼女もまた、上の者に使われる下っ端のダークエルフだった。
「スパイだったんだ、上の方にも顔が利くだろう。もしかしたら、話せばモンブランならわかってくれるかもしれない。モンブランが理解、共感してくれれば、頭に交渉してくれるかもしれないよ。」
眉は八の字、けれど、目も口もしっかり自然に笑えた気がした。
失ったと思っていた私本来の心からの笑顔。
フォリアにも伝わったのか、彼女の空気がほんの少しだけ緩んだ。
「だから、モンブランの行方を探ってほしい。でも、無理にとは言わない。」
「わかった。すぐに済むよ、待ってて。」
笑ってそう言うと、フォリアは目をつむって集中しだした。彼女が呪文を唱えると、周りの空気が変わって行く。黒く色づき始め、その中で小さな稲妻が光っていた。
フォリアの集中力の妨げになってはいけないから、黙って見守っていると、一瞬、離れた城まで届きそうなほど大きな雷が鳴り響いて、黒く染まっていた空気が元に戻る。空を見て、それからフォリアを見る。彼女は苦しそうに浅い息を繰り返していた。
「どうだった?」
呼吸が落ち着いてきたころ合いを見計らって声をかける。
一度大きく息を吸い込み、浅く吐いたフォリアは私を見た。
「北を見て来たよ。ここから北の国までの道を見ていたんだけど、」
「うん。」
言葉を切ったフォリアは、そこで記憶を探っているような様子を見せてから、
「お探しのモンブランさん、…会えました!」
あれ、「6チャン、TBS」でやってた、逢わせ屋?
「…それで?」
フォリアのネタにはスルーで。
いちいち触れてたら多分キリがない。
「…ぶー。」
触れてもらえなくて膨れるフォリアも可愛いが、今はそれよりも知りたい情報があるのだ。
「それで?教えてフォリア。」
真剣に頼むと、彼女もすぐに答えてくれた。
「見えたんだけど、モンブラン、悪魔が使役する魔獣に乗ってた。」
「モンブランは悪魔側のスパイで、今回の悲劇も、元をたどれば悪魔の総大将に辿り着くってわけね。」
「うん、多分そう言うこと。魔獣、私が精霊の力を使って覗いてるってわかると、モンブランが反対呪文唱えて抵抗してきたから、彼、相当魔術も得意よ。」
「モンブランが?」
初めて聞く彼の特技。
いつもダリアさんに叩かれていた彼は、本当の彼ではなかったのか?
「顔つきもなんだか前とは違ってた気がする。なんだかキリっとしているっていうか、柔らかさが一切なかった。きつくて、怖くて、捕物やってそうな感じ!」
捕物ってあんた…。でも、フォリアはダークエルフだから実際に捕物が行われていた時代にも生きていたんだ。…あれ、じゃあフォリアが言っている捕物って今の刑事のガサ入れのこと?それとも本物のことなのかしら?
エルフの時代がわからない。
「今までは猫かぶってたってわけね。やってくれる。」
「これからどうするの?モンブランを追う?さっきの様子じゃ、協力してくれなさそうだけど…」
眉をハの字にして私を見るフォリア。
話し続けて喉が渇いたのか、フォリアは手を泉に入れ、中の水をすくい口に含んだ。考え事をしている隣で、「おお~」とか「んまっ!」とか言っている。楽しそうでいいわね。
「問題は、この戦争を誰が何のためにここまでの長い間煽り、続けさせたのかってことだ。だれだか、心当たりとかないのフォリア?」
そう尋ねてみると、フォリアは口に含んでいた水を飲み込み、音に出してう~ん、と唸りながら苔の上にブーツを脱いだ足を放りだして寝転がってしまった。小さな木の洞窟なので一気に狭くなる。
「伝説がいろいろあるんですが、その中でもっとも女の子に人気がある、とっても切ない恋物語があるんだけど、聞きたい?」
フォリアが話してくれることに無駄はない、と思う。少なくとも彼女の兄が真面目に仕事をこなしている姿の方が驚きで、信用できないと思う。
そうして、フォリアが語ってくれた『神と精霊王の恋物語』は、言った通りとても切なかった。
何がって、神が。
捨てられてしまったことに気づかずに何億年も相手を待っているなんて切なすぎる!
帰って来てくれることをいまでも期待して、信じて待っているなんてなんて健気な神様なんでしょうか!
「いいわね!その物語。私もそんな風に全身全霊で愛されてみたい!」
「え、アズサは愛されてるじゃない!これ以上誰に愛されたいって言うのよ?」
フォリアの突然の攻撃にたじろぐ。そろそろ休憩も終わりだと逃げようとするが、フォリアは獲物を見つけた獣の目で迫ってきた。
「誰に?」
「いい!あなたはどれほどの人に愛され、慕われ、て来たのか…なんて言いながら、私まだ仲間に入って日が浅いからアズサの交友関係知らないや!」
あはは!と笑うフォリアの表情は兄のオフィリスによく似ていた。いつものフォリアはとてもクールで、あまり話しやすいとは言いにくい。その彼女がこれほどまでに楽しそうに笑うとは。
あれがフォリアの笑いのツボなのだろうか。よくわからないエルフだ。
「おーい、フォリア、アズサぁ!そろそろ出発するぞ!」
みんなと別れた森の入口方面からオフィリスの声が聞こえた。
目的は達成したので、今は大人しくみんなのもとへ戻る。
こうして、リーリエとモンブランが居なくなった旅の仲間には、新たに馬と牛、そして妙見寺刀馬の三人が加わった。
*
白い寝殿造りの洞窟に祀られた白い石。中に緑の風が舞い、石に当たる光の行方を遊んでいる。
彼女はその石を眺めているのが何よりも好きだった。
レースを多く使って作られたドレス。
ピンクや白の柔らかい色合いを自分で選んで作らせたものだ。思い入れもある。これを着て、石を見上げることが、彼女にとってのもっとも贅沢で楽しい至福の時だった。
これで、私の愛する彼女がいれば、文句はないのに。
不満そうにそう思って、彼女は石を見上げた。
精霊王の核と言われる石だが、その大きさは伝え聞いたものよりもはるかに小さい。
長い間支える神様がいなくて、壊れちゃったのかしら?と思ってみるが、壊れてしまっても自分にはどうしようもできない。さて、どうしようかと考えていると、腕に抱えた人の頭を模した、実際に喋ることも考えることもできる不思議なボール、通商“ボールくん”が話しだした。
「壊れてはいません、ご安心を。」
ボールくんは、彼女に嘘を教えたりはしない。いつでもどんなことに対してでも明確に応えをくれる。だから彼女は待っている相手と同じくらいボールくんが好きだった。
「壊れてはいないのね~、よかったぁ!」
子供らしくきゃらきゃらと笑う少女。
ロリータファッションに身を包み、頭には髪を示すティアラが乗る。手にはいつでもどこへ行くでもボールくんを抱え、時折ボールくんを散歩させるとしてしめ縄をボールくんの鼻の上辺りに巻いて投げて遊んでいた。
子供らしい残虐性と純真さを併せ持つ少女、それが彼女だった。
彼女はひたすらに自身が支える王を待っていた。
*
「どうにかして、天使か悪魔のトップに会いたい!」
砂漠を歩くなか、私はとうとう叫んだ。
フォリアが心配して周りに誰もいないか見回して確かめる。それが済むと私を睨みつけた。
「会ってどうするよ?」
話に乗って来てくれたのはノリの軽いオフィリスだ。
止まって「休憩休憩!」と言いながら座りこむ。
一応日陰になっている場所を選んでいるのは、彼はリーダーの素質があるのかもしれない。
「同盟を結ぶ。」
「おー。」
「それから話し合う。」
「ほー?」
「そしたらみんな仲良し!」
「…んな上手くいったら誰も苦労はしないよ、お嬢さん。」
「……ぷー…」
軽く相槌うってきた癖に!
睨みつけてみるが、効果はなかった。面白がって頭を撫でてくる始末。
撫でる手を軽くはたき落して、私は真剣な瞳で一周みんなに想いを伝えた。
「私、もう戦いたくないんだ。」
知っていたフォリア以外の面々が驚く。
一番驚いたのは馬だろう。
一緒に戦ってくれと言われたからそのつもりで行くのに、そう言って来た相手の方から「やっぱ戦いたくない。」と言いだしたのだ。もしかしたら裏切られたと、はめられたと思われるかもしれない。けれど、これは私の本心からで、ずっと、平和なあの町で暮らすようになってからだろうか。決めたのはつい最近、リーリエを亡くした時だ。戦っても、そうすることで誰かを傷つけ、誰かに恨まれることになることを知った。
リーリエに戦う術はなかった。強いて言えば私がリーリエの戦う武器だったのだろうが、彼女自身が武器を持つことはついに一度もなかった。
武器を持たないリーリエだけど、幾度となく戦場へ向かった。
いつだって、武器を持っていないからと言い訳をして逃げたこともない。
戦場へ赴き、怪我をしている人の傷を治療して来たのだ。
最後に見た夢だって、そうだった。リーリエは、夢の中でも武器を一切持たずに彼と対峙していた。
「私はリーリエから大切なことを学んだと思っている。」
目を伏せる。
瞼の裏にリーリエがいるような気がした。
暗い闇の中でリーリエだけが白く鮮やかに映る。
「だから、もう戦うのは止める。武器を持ってどっちが強いとか、どれだけ殺せたとか、そういうの、なんか嫌だ。すべての命は平等に生きる権利が与えられている。それを上の勝手な構想のために無理やり奪われるのは好かない。だから止めさせる。もう、戦争はいいよ。もう十分に殺し合ったでしょ?これ以上の何が欲しいんだよ。」
って、言って来たい。
そう言った私に、フォリア以外の始めて行く面々は呆気にとられていた。誰からも言葉は返って来ない。
トーマも、口をあけて固まっている。私と同じく戦争が別次元のことのようだと思っている日本の、東京から来た妙見寺トーマくん。わかってくれるなら一番は刀馬だと思っていたのに。
「…本気か?」
ようやく聞こえた馬からの問いに頷く。音はいらない。
真剣さは動作だけでも伝わる。ボディランゲージ?
「かなり険しい道となるんだろうな…」
どうしても軽い印象が拭えないオフィリス。
「覚悟はある。どうせこのままいけば最初に半端者と人間が滅びる。そうなる前になんとか自分たちで逃げ出さなきゃ、改善しなければならないんだ!」
そうだ。
きっと、悪魔も天使も、みんな求めているんだ。
しっかりと叱ってくれる、世界のお母さんを。
誰もならないというなら、私がなってみせる!
「それなら、西の国がいいんじゃないかな?と思うんですがどうでしょう?」
「観光目的、ナンパ目的ならお断りしまぁす。」
「違いますよ!」
「いや、わかった、わかったから落ち着いて離れて!」
涙して迫ってきた牛を押しやってどかす。
「それで、どうして西の国?」
「ここは南の国です。どちらかと言ったら西の国に近く、ここから北の国を目指すのはちょっと時間がかかるかと。ただ単純にそんな理由です。」
最後に観光目的なんかじゃありませんからね!と念を押して、牛は引いてくれた。どさくさに紛れて握られていた手も放してもらい、ようやく自由になれた。
「私も、行くなら西の国だろうな、と思っていたんです。それに…」
言いかけて馬を見る。
「どうした?」と訊かれると、言いにくくて困る。
自殺者は遺書を残して逝くことが多いが、裏切るなら自分で手紙か何かで伝える手段を残してから裏切って行ってほしいと思う。なぜ私がこんな居心地の悪い思いをしなければならないのか。
迷っていても仕方がない。女は度胸だ!
「モンブランが、裏切った。リーリエを殺した犯人だ。」
一機に言いきると、緊張のせいか多く吸い込めなかった空気を吸った。思い切り吸い込んでしまってむせる。
「…いつから?」
「わからない。」
かつては仲間だったのだ。複雑な心境だろう。
「…ダリアさん、知ってるんですか?」
すっかり忘れていた。
この場合、裏切ったモンブランが悪いのか、それとも知らせるのを忘れた私が八つ当たりされるのか。恐怖の時間がやって来ることになりそうだ。
*
艶のある黒く長い髪をなびかせて、彼女は自室から見える景色を見た。
何も見ていたくない種類のものだ。
火山が噴出し、大地が割れる。
住人たちは東の国で捕らえて来た人間で遊んでいる。
残虐性と純真性を併せ持つ子供も、そしてそれを止めるべき大人でさえも一緒になって遊んでいるのだから、この状態を改善する術はないように思えた。
「どうして、それが誰かにとっての大切な人だとは思えないの?」
呟いた小さな音を拾う者はいない。
彼女はこの広い部屋に独りだった。
「どうして、殺戮に殺戮を繰り返すの。」
外では大人対子供チームで臓物綱引きをしている。
やっている本人たちは楽しそうに笑っているが、見ている彼女はあまりの惨状に吐き気に襲われ、口の中に酸っぱい唾が広がった。
「どうして、同じ命なのにわからないの!」
ああ、愛するマイリス。
どんなに祈っても、どんなに願っても、私たちには叶えるだけの力も、勇気も足りなかったのです。
後世の歴史家たちは私たちを愚かな王と評するでしょう。…もしも、後世があったならの話ですが。
ああ、愛するマイリス。
私はあなたと主に暮したい。種族間の争いも、憎しみもない世界で。
「部屋から出られもしなければ、手紙を出すこともできない私に、一体どんな価値があると言うのでしょう。」
黒い大きな執務机の縁に軽く腰を下ろし、誰もいないか見回して確かめてから一番上の鍵がかかる引き出しを開けた。
中には箱が入っており、箱の中には何通もの愛する人からもらった宝物である手紙が入っている。
だれでもいい、ああ、精霊王と同じほどの力と勇気を持つ者がいれば…!
そうすれば、私はその人を支援してこの世界を平和へと導くお手伝いをいたしましょう。そして、あなたに会いに行くのです。
ああ、なんて甘美な未来予想図。
「リリアン様、また匿名の手紙がきております。失礼かと存じましたが、いつも通り検閲をかけさせていただきました。」
「ええ、わかっているわ。ありがとう。」
手紙を受け取って、彼女、リリアンは紙が破けないように、傷つかないように細心の注意を払いながらゆっくり、ゆっくりと開いて行った。
中に入っていた紙を取り出して折りたたまれたそれを開く。
中は検閲にかかっても大丈夫なように暗号で書かれており、それを解読できるのはこの世界でリリアンだけだった。このためだけに作られた暗号。暗号を作った経緯を思い出して、つい声を立てて笑ってしまう。
手紙を読んでいる間だけ、現実を忘れすぐそばに愛する彼がいるような錯覚に浸ることが来た。かのじょはそれで幸せだった。
「ああ、マイリス。あなたとともに生きることができるのなら、私はどんなことでもするわ。」
お互いにお互いのことしか見えていない幸せなカップルに望む未来が渡されるのも、あと少し。
*
砂漠を旅する私たち。
私、トーマ、馬、牛、オフィリス、フォリアの前に、行き倒れている人が現れた。さてどうしよう。
素通り。
放っておく。
誰かを呼んであげる。(ここは砂漠)
「ちょ、大丈夫ですか?」と駆け寄る。
当然のように最後の『ちょ、大丈夫ですか?』をみんなで選択。
駆け寄ってみると、倒れていたのはそれはそれは美しいお姉さまでした。
「どうしよう、この人起こしても全然起きない。」
「死んでるんじゃ…?」
「…いや、脈はまだあるよ。」
「…どうする?」
「どうするって、ここ他に誰か通る確率も低いし放っておくのも不安だし…」
「いや、低いからこそ…!」
「「「「「いやいやいや!」」」」」
六人で話し合うが、結論が出ない。
「!馬、この人背負って運べない?」
「できないことはない。」
「それじゃあお願い。」
私とフォリア以外の面々はお姉さまを馬の背に乗せようと四苦八苦している。
その光景を笑いながら見守る私とフォリアだったけれど、彼女は何か言いたそうだ。
「でもいいの、アズサ?私たちの旅は危険がいっぱいあるわ。町に行ったって、この人を保護してくれる確率はとても低い。」
不安そうなフォリアに笑みを返す。
それが、確かに人の、ある程度の知能を持った生き物の習性だ。
面倒なことには係わるな。
「その時は、途中まで一緒に旅に付き合ってもらうことになるね。この人には悪いけど。」
このお姉さまを、置いて行ってはいけない気がしたんだ。直感のようなものだったけれど、それを確かに感じていた。
何もない砂漠に、一人で倒れていた女性。
おかしすぎるでしょう、どう考えても。これはなにかある。
「この世に偶然なんてない。すべては必然である。」
*
私の精霊王が悲しんでいる。
弱まり、大きく揺れ動く精霊王の気配に、彼女の心もまた揺れた。
「ああ、あなたは助けを必要とされているのですね。」
彼女は立った。
石段から立ち上がり、上を見上げる。
先ほどよりは落ち着いてきたが、やはりまだ不安定だった。
「いま、私がおそばに参ります。」
意気込んで旅支度をし、洞窟を飛び出した彼女だが、砂漠があんなにも暑いものだとは知らずに行ったため、水分を持っているわけもなく呆気なく熱中症と脱水症で倒れたのだった。
「…ああ、私の精霊王…」
薄れ行く意識の中で、神石に宿った気配と同じ、愛する精霊王の気配がとても近くに感じたように思ったが、確かめる術はない。意識の波にさらわれるままに身を任せた。
*
「私、エンクと申します。先ほどはご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ありませんでした。」
深々と頭を下げた彼女、エンクさんは私の目だけをまっすぐに見つめて話していた。
他にもケンタウロス、ミノタウロス、フォリアにオフィリス、そして刀馬もいるのだが、アズサ以外は完全に眼中にない。しかしそれを気にする者は私以外にはこの場にいなかった。そう、ずっとまっすぐに見つめられ続ける私自身以外はな!
やりにくい!実にやりにくい。
心の中で呟いたつもりだけれど、時々独り言として口に出してしまっているらしいから気をつけなくちゃ。
「いいですから~…あはは。」
歪んだ苦笑で言うが、本意は彼女に伝わっている感じではない。
話せることが嬉しいのか黙らない彼女に、比較的どんな人でも受け入れて来た懐の深いこの私でさえもお手上げ状態だ。どうしたもんかね。
フォリアに目で問いかけるが、アメリカ人のようにオーバーリアクションで応えてくるだけで、助けてはくれないらしい。
ため息を吐いて彼女を今一度見た。
「わかりました!もう気になさらないでください。」
「ですが助けていただいたお礼とか…」
急に頬を赤く染め、伏し目がちにもじもじし出した美女。
人差指同士をつつき合う姿は美しいと言うよりも可愛らしいが、こちらも切羽詰まった旅の途中だ。無駄な荷物は持ちたくないし、「いつか使うかも。」精神で増やせるほど余裕もないのだ。
「大丈夫ですから、気にしないでください。それよりも行くところはありますか?」
そう聞くと、彼女はしゅんとして肩を落としてしまった。どうしたことか。
とにかく、今日は目的の場所に着いてしまった。また明日以降に決めていただくこととなる。そう伝えると、女性の麗しい面に再び笑顔が戻る。
何と言うか、…単純。
それが私の彼女に対する第一印象だった。
「これから私は出掛けなくてはならないんで、行ってきます。でも心配はしないでください。この三人を置いて行くので、何かあったらこの誰かに声をかけてくださいね。
そう言って、留守番組のトーマと牛馬コンビを示した。彼女はわかったと笑顔で頷いた。
ちょっと心配だけれど、時間も時間なので宿から出る。ここはいわゆる城下町なので、てっぺんの暮らす城まで片道五分もかからない。
マントで顔から体すべてを覆い隠している怪しい三人組。
けれどここまではフォリアが門番をお金でも使って買収したのかスムーズに来ることができた。玄関ホールに立ち、汚れた街並みを見る。そして後ろを向き、建物そのものを見上げた。
いろいろ高くて首が疲れる。
ここが天使の住む家…、こっちの方がお城って感じだよね。
正直な気持ちを呟いていると、後ろからはたかれた。振り返るとわざとらしく横を向いているダークエルフがひとり、性別は男。
「痛い!」
小声で文句を言うと、オフィリスはもう一度はたいた。
ぺチンっと音が鳴って、フードが揺れる。落ちそうになったところを横を歩いていたトーマが押さえてくれた。
「ここからは多少乱暴な手段を取らせてもらうことになるかも?」
先頭を歩いて道案内をしているフォリア。
本当にこの二人が兄妹なのかと遺伝子の神秘を感じていると、前方から歩いてくる集団がいた。みんながみんな、背中に立派な翼を持っている。
彼らの真ん中で守られている存在がいる。
柱の隙間から見ていると、バッと互いの視線がしっかりと合った。
なにやらあちらが私に合図を送っている。
『ワ・タ・シ・ノ・ヘ・ヤ・デ』…デートのお誘い?
馬鹿なことを考えていると、団体が過ぎ去ったのを待って出て来たオフィリスが横に立った。
「で?うちのお姫様は一体の天使組の総大将・マイリスと何を話していたわけ?」
「え、あの翼いっぱいあって、羽毛にしたら布団何枚くらいできるんだろう?」なんて考えてないからね。
「…ごめんね、なんか…。」
「冗談はここまでにして、あの天使、私に『私の部屋へ』って、そう言って来た。」
何かあるのではないか。
そう懸念してみると、私たちのような小物を相手にするほど暇でもないだろうと信じて、言われたとおりにしてみるようにした。
そして、見事に捕まった。
と言うわけではなく、黄色の物でまとめられた豪華な部屋で変に歓迎されてしまった。
来客用のふかふかとベッドのようなソファに腰掛け、お菓子を食べながら話を聞く。
「実は私、悪魔の長であるリリアンと恋人で、彼女との今後の関係のためにもこの戦争を終わらせたいんだ。」
突然のカミングアウトに、「まあ、どんな理由であれ平和を願うならいいことだ!」とフォローしておいた。が、心の中では「メンドー。」や「そんな問題くらい自分で解決しなさいよ、甘ちゃんが!」「結局は誰かが出て来て助けてくれるのをただ何もしないで待ってるだけじゃない。」
「でも!僕たちはふたりで相談して、お互いに仕事をしないって決めたんです!」
聞かれていた?一瞬冷や汗が浮かぶ。
「…それになんの意味があるんですか?」
意味がわからない。
「だって、困らせてやれるんですよ?そしたら天使も悪魔もみんな人間で遊ぶの止めるかな?って思ったんです。」
テレビ番組で特集を組まれそうな馬鹿さ加減に、私は猫を被るのをやめた。こんな奴に被っても無駄だ。
「そんなものは関係ありません。それどころか、あなたの命も危ないのでは?そんな役に立たないリーダーに居座られ経って、そうしようもないでしょ。邪魔なだけじゃん。」
言われたマイリスは落ち込んだように肩を落とした。
「で、命の危機と言うのは?」
少しは自分で考えなさいよ!と言いたくなるのを堪えて、アズサは痛む眉間を抑えながら言った。
「だってそうでしょう?仕事をしないで一日中定年を迎えて家にいるようになったお父さんじゃあるまいし。それにそもそもあなたはサラリーマンじゃない、天使の王でしょ?天使では長は翼の数で決まると聞いた。なら他の役に立つ天使を王として起てるにはあなたを殺してしまうしか方法はない。」
言うと、彼は顔が蒼、紫、白と次々と変わって行った。
気の毒だけど、ちょっと面白い。
「さて、ここからが今日お勧めの商品です。フォリア!」
「はい。」
私の座るソファの後ろに立っていたフォリアが手にした紙を差し出した。
これが私たちの武器。
「ここに世界平和同盟への参加要項が書かれています。よく読んだ上でお決めください。」
もっとも、これを逃したらもう愛しの悪魔さんと逢えなくなるかもしれませんけどね。
心の中で呟いて、読み終わるタイミングを見計らってもう一枚の紙を手に差し出す。
「では、それでよろしければこちらの書類の、下の、この欄にお名前と種族をご記入くださ~い!」
上手く事が進み過ぎて楽しい。
さらさらと綺麗な字を書くマイリスに少し見なおした。時だけは美しいのだ。
「はい、ありがとうございます!では、私たちはこれで失礼します。」
そう言って、帰りはフォリアの精霊魔法で今回彼の部屋まで来なかったお留守番組みのもとへ帰った。
一人目ゲット。
それから一カ月、北の国。
「こんにちは、リリアンさん。」
突然バルコニーに現れた私とフォリアを、彼女は驚きもせずに受け入れた。
手すりから降りて、招かれるままに彼女個人の部屋の中へ。やっぱり豪華な部屋の作りだけれど、女性らしさの欠片もないと思ってしまうのは私だけだろうか。
これまたあの衝撃のソファと同じくらいふかふか感触のソファへ腰かける。
さて、交渉だ。ここからが本番。
「お話はあなたの恋人、天使族の長マイリスから聞いています。」
あなたはどうしたいんですか?
そう言うと、白い着物の彼女は決意を決めたように私をまっすぐに見つめた。先ほどまで時の流れに身を任せていそうな空気をまとっていた彼女が一瞬で変わった。
「私はずっと、願っていたんです。誰かが助けに来てくれることを。他力本願もいいところです。ですが、こうすることで自分を守っていた。」
見てください。そう言って彼女が指示したのは大きなバルコニー。出てみると、町が視界一面に広がる。けれど、そう美しい街並みとは思えない。なぜか。そんなこと簡単だった。
「臭いですね…。」
ハッキリ言ってみる。
彼女は苦笑して、悲しそうに俯いた。
美人の悲しそうな顔は苦手だ。自分のせいでなくても自分のせいだという気になって来る。
「はい、この町の者は子供も大人も、人の死体を遊んでいるんです。」
美人は憂い顔も美しい。
「そんなあなたに朗報です!フォリア!」
マイリスの時と同じように後ろに控えていたフォリアが紙を一枚差し出す。
それを受け取って、リリアンさんに渡した。
「そちらよくご確認いただいて…」
「いいです。早くサインを。マイリスもサインしたのでしょう?それならばあなた方を疑う余地はありません。」
言葉の途中で遮られるのは好きじゃない。
けれどなぜかダリアさんと似た空気を感じたので、ここは大人しく契約書を渡しておいた。
こういう人には、触らぬ神に祟りなしの精神で挑むのがいいのだ。
「では、今度の戦闘では私たちに全力で協力してくださいね。」
それでは、と言って、私たちはバルコニーから飛び降りた。
これで、二人目ゲット。
人間の国である東の国と半端者の国である南の国には今、民をまとめる位置に誰もいない。というよりもまとめるべき民が南の国に至っては一人もいなくなってしまったのだからまとめ役だけがいても仕方がないのだ。
実質、ここに四国すべての責任者が参加する同盟が誕生したのである。
『世界平和同盟。
単純でわかりやすいネーミング。
参加国はワンダーランド全国。
発案者はこの私、入道梓。
活動内容、世界の戦乱を止める。そのためならば戦闘行為にも辞さない。』
なんてわかりやすいのだろうか。
戦争を止めるために武力行使をするという矛盾したものだが、これも世界平和のためだと言ってみる。
けれど、これで正当な戦闘介入の理由ができた。これからはどんな時であれ戦闘を見つければ片っ端から止めて行かなければならない。戦いたくないとか、くだらない理由で休むわけにはいかなくなった。頑張ろう。
深夜テンション、いつまでもつのだろうか…。
ちょっと冷静になってきた。