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第二章四幕「別れ」

最初の方は、思いだしてきた。

…ゲームの中に入っちゃう~とかやったんでしょ?


 どうすればいいの?

 彼女は自分に問いかける。

 大切な“彼女”を失って、自分を失っている彼を救いたいだけだったはずなのに、なぜここまで永い戦争につながってしまったのだろう。

 腰を下ろした祭壇の三段目から神石を見上げる。

 あれは創成期から受け継がれる精霊王の核だ。世界が生まれてからずっと、精霊王を支え見守ってきた。

 すべての命の額に輝く石、あれは命を支える魂とは違う核だ。精霊王は永遠の時を巡る魂の巨大さ故に、その力の源であり魂を支える石もまた、力と魂を支えられるほどの大きさが必要だった。

 神石を守る役目を担った四大神に種族を示す石は付いていない。その代わり、彼女たちには特別美しい装飾品を持っていた。

南の神には先端に、祭壇に祀った神石と同じオレンジ色の直径五センチほどの丸い石をはめ込んだ、大陸風の衣装によく似合う簪を。

東の神には東の神山に開いた泉の湧いている青く輝いて美しい洞窟内に祀られる水の精霊王の核である神石と同じく五センチほどの雫型の青い石がついたチョーカーを。

西の神には風が舞う洞窟内に祀られた白の中に薄い緑の空気が入った神石と同じようだが違う、六角形の白い石が中央にはまった、細かい細工が施されたティアラを。

そして北の神には、常に暗く闇に呑まれているためそう目にすることはないが、鈍く輝く祭壇にまつられている茶色の神石と同じ三センチほどのひし形の石がぶら下がったピアスを、それぞれ古くから与えられていた。

 自身に与えられた簪を撫でて、彼女は自分にとって唯一無二の精霊王を思った。彼女は今、どこにいるのだろうか。無事でいるだろうか。

 はきっと、彼を止めてくれる。愛した少女を愛しすぎたあまりに自我を失った可哀想な神。

 大きな仲間を得て、“彼女”は彼のもとへやって来る。

 その時、彼は本当の自分を取り戻すことはできるのだろうか。

 服の合わせ目に片手を当てて、彼女は顔を伏せた。肩にかかる羽衣の位置を空いている手で直し、もう一度顔を上げて祭壇を見上げた。彼女の愛する精霊王の核である神石はいつもと同じように、洞窟内を照らす輝きを放っていた。

 近く、そう時を経たぬ内に神石の輝きが悲しみに満ち満ちたものになり、何が起こったのかわからずに歯がゆい思いをすることになるなど、このときの彼女は知らなかった。

 ただ願っていた。

 彼が彼女を求めるように、自分もまた一心に求める彼女が、速くここに来てくれることを。

 待っているだけではダメなのだと、彼女が求めている少女を求めて旅立つ決心を固めるのだった。


 *


「ハッ!」と目が覚めるというのは、うなされて目覚める経験がこれまでなかった私にとって、映画やドラマのフィクションでやっているわざとらしい演出だと思っていた。

 こうして実際に経験してみて、ドラマや映画は本当に人間に怒ることを忠実に再現したものなんだろ実感する。そうしてみると、作られたものとはいえ、よく人を観察した上で作っているのだなと感心したりしてみる。

 夜が明けたばかりなのだろう、いまだ薄暗い世界の中で額を右手で覆い、嫌な汗で濡れた顔を伏せる。

 マントを下に敷いて眠った昨日を、足元に見える黄色い砂で思い出す。横を見れば白い半獣が心配そうに眉をハの字にしてこちらを見ていた。私を挟んでリーリエと反対側には昨日から仲間に加わったダークエルフの兄妹が同じようにマントを下敷きにして、ふたりで綺麗に揃ったスヤスヤと、合唱寝息を立てて眠っていた。なんの心配事もなさそうな安らかな表情で眠りにつく兄妹の寝顔に、悪夢で荒らされた心を癒される。

「アズサ?だいじょうぶ?ずいぶんとうなされていた。」

 心配そうに小首をかしげるリーリエを安心させてあげたくて私は微笑んだ。顔中に流れ落ちる汗が首筋から服の中に染み込み、服と肌が張り付いて気持ちが悪い。微笑むことのできる気分でも、体調でもなかったが、リーリエの不安そうな表情を見て痛くなくて、頬に手を添える。

「大丈夫よ、リーリエ。だから笑って?リーリエが笑っていてくれれば、私は元気になれるから。」

「ほんとう?なら、ずっとわらってる。だからげんきになってね、アズサ。」

 言葉通りに微笑んだリーリエの優しい笑みに、夢見た悪夢を重ねる。途端に飲み込まれてしまいそうな、とてつもなく大きな深い闇のような不安に襲われたが、「忘れてしまおう、私が守ればいいだけの話なのだから。」そう考えて、頭を振った。

 最後に一度夢を思い返してみるが、彼女を赤く染めた彼の姿、名を思い出すことはできなかった。

 夜はまだ明けない。


 *


彼は悩んでいた。

砂漠の城壁で与えられた部屋に、布を敷いた上で寝ていた彼は、悩んでそして心を痛めていた。

親と慕った神の言葉に従うか、家族として過ごした半獣を守るのか。

 どちらを選べばいいのか、選ぶことによって自分が得る利益、そして何よりも片方を選んで失ってしまうであろう、もう片方の者を思った。

 ハ虫類のような闇を生み出しそうな笑みを浮かべる神と、優しい聖母のような明るい笑みを浮かべる半獣の女を浮かべる。片方は心に冷たい凍てついた氷を生み出しどうしようもないほどの大きな恐怖を、もう片方は向けられたこちらまで心が優しくなれるあたたかい陽だまりを生んだ。

 下唇を噛みしめて、どちらにしてもここにいてはなにをすることもできないと、旅に出かける準備を始める。ここに辿り着くついこの間まで、神の求める“彼女”に従って旅に出ていたので、荷物をまとめるのに時間はかからなかった。

 彼女たちを追いかける時間で、選択することも、なにかいい案が浮かぶこともあるかもしれない。薄汚れた希望を胸に、彼は城壁を出た。誰にも告げず、静かに出て行くことに罪悪感を感じないこともなかったが、それでも彼は一歩でも進むために出て行った。

 雲ひとつなく青く広がる空が、彼には眩しいと同時に憎らしく見えた。

 彼は今から、一つの罪を犯しに行く。それがつらくないわけがなかった。


 *


「ふぁ~あ…」

 他の四人が朝食を摂る中で、たった一人ゆっくり眠っていたオフィリス。朝食だった硬いパンを片手に持ちながら喉仏が見えるほど大口開けてあくびするオフィリスに呆れながら、「砂が入るわよ。」と一応注意して上げているフォリア。兄妹の関係が見えて来て、キョウダイのいない私にとっては新鮮に感じて楽しかった。

 このときにはすでに今朝見た悪夢のことはほとんど忘れていた。

 頭上の彼方上空で地上を照らす太陽の力で暖められた、それでも勢いはなく、穏やかに流れる熱いくらいの風に吹かれながら歩く私たち五人。いつもと同じように、私とリーリエの手は熱さに挑むようにつながれていた。日焼けしたら大変なのでマント着用しているが、太陽がさんさんと降り注ぐ砂漠の中で手をつなぐのは、なかなかに酷だ。そう思いながらも、私とリーリエはお互いの手を放すことはなかった。

 まるで、手を放してしまえば、彼女自身とのつながりも途切れてしまいそうで、怖かったのだと思う。

 つないだ手に力を込めて、腕を体で抱きしめて、熱い中見ている側にもつらい態勢で歩くけれど、引っ付かれたリーリエは嬉しそうに明るく笑ってしがみ付かれた手とは逆の手を振って歩いた。

 私が小学校中学校生活で唯一参加した学校行事、小学校五年生の時に行った富士山でアヤメ、この世界にはいない二人目の幼馴染妙見寺刀馬と私で登山道を横に三人一列で並んで歩きながら、今リーリエとしているのと同じように私を中心にして手をつなぎ合い、大声で歌った。

 それ以来、こんな楽しく家の外を歩いた記憶がない。だから、つらい現実を見据えるための旅だけど、私は純粋に楽しかった。思わず笑顔が洩れる。

 すっかり遠足気分の私とリーリエを、モンブランにフォリアが苦笑を浮かべて見守る。あくびの名残である涙を目じりから払い落しながらからりと笑った。

「おいおいお前ら、これからピクニックに行くんじゃないぞ~?ちったぁ緊張感を持てよ。」

 お前に言われたくないよ。

 オフィリス以外の全員が、心を一つにした瞬間だった。

「…なんだよ、フォリア。そんな冷たい目で見んなよ!」

 兄を見るフォリアの瞳は、凍てつく氷のような温度を感じさせないものだった。

 オフィリスは妹を見てそう言ったが、彼をいつもと違う瞳で見ている相手はまだいる。横を見ると、三人並んで一歩先を行く仲良し白コンビを見ていたオフィリス・フォリア兄妹と、一人。

「…お前までそんな可哀想な者を見る目でオレを見るな!」

「……すみません~…」

 本人に指摘され、モンブランは苦笑を浮かべる。でも、仕方がないと思うのよ。オフィリスからは背中しか見えていなかったと思うけれど、私とリーリエもちょっとイラッと来たもの、オフィリス。

「止まってないで歩いて!先は長いよ!」

 責められる原因である私に言われるのは気に食わないだろうけれど、歩きながらであれば遠足気分でも構わない。でも止まられると困るのだ。それだけ時間が無駄になる。

 今はとにかく進みたい!早く仲間の、馬たちのもとへ辿り着かなければならないのだから!

 そんな願いが叶ったのか、そこから少し歩いただけで見たことがある姿が現れた。記憶よりもくたびれた外観が時の流れを感じさせる。元々廃墟のようだったそこは、もはや生き物が住めるだけの耐久性を持っていないように思われる。

 思わずかつての城を知っている家族だけでなく、初めて見た兄妹さえも言葉を失った。

「…ミノ…、ケンタウロス…」

 リーリエが私とつながった手に力を入れた。

 不安に感じたり、私の不安を感じ取ったりしたときにつないだ手に力を入れて握る癖がリーリエにはある。

「入ってみよう。もしかしたら、気配を消しているだけで中にいるのかも。」

「本気で言ってるのか、それ。」

 怪訝そうな表情でオフィリスが言うが、私はこんな状況で冗談を言うほどふざけた性格はしていない。

 妹が兄の言動を肘でわき腹を突いて諌める。ゲフッと息を吐いて、突かれた場所を大げさに押さえた。

「入る気がないなら構わない、ここで待っていればいい。私が行って来る。」

「リエもいく。」

「うん。リーリエはいつでも私と一緒でしょ?」

 不安そうだったリーリエの顔にぱぁっと笑みが浮かんだ。やっぱり彼女には明るい笑みが似合う。

「あのぉ…僕も一緒に行ってもいいですかぁ?」

 モンブランはまっすぐに城を見つめてそう言った。瞳になんの色も浮かんでいなくて、いつもの彼とは違う空気をまとっているように感じてしまう。どうしたのだろうか。

 深く追求したいが、今は馬たちの安否の方が先だろう。

 この選択を後にとてつもなく後悔することになろうとは、私は思ってもいなかった。

「それじゃ、行って来るよ。」

「お~!オレたち周辺を探してみる。ケンタウロスとミノタウロスたちを探せばいいんだろ?」

「私たちはダークエルフだけど、アズサとリーリエ、モンブランの名前を出せばわかってくれるだろう?」

「…離脱しちゃったからな~…、信用してくれるかはわからない。」

「先生の名前を出せば、意外と恐怖から信じてくれるかもしれませんねぇ。」

「…それを信用ととっていいのかしら疑問だわ。」

 本当ならば、馬と牛を知っている者が探す側に加わった方がいいだろう。けれどリーリエはすでにもう一人の私となっているのだ。ならばモンブランに行ってもらおうかと思うが、珍しくいつもなら厄介事は避けて通ろうとするモンブランが自分からこちらに来ると言って来たのだ。それをわざわざ覆すこともないだろう。

 この決断を、私はすぐに後悔することとなる。

「まぁ、とにかくこのメンバーでいいわよね。本当にいるかどうかもまだわからないんだから。もしかしたら、違う場所に移っているかもしれない。」

 明るく言ってみるものの、心の中では「城に思い入れを持っている風だった牛や一度気に入ったら執着しそうな馬が簡単に城を捨てるだろうか?」と疑問に感じていた。

「とにかく、さがす。」

「そうですよぉ。行ってみなくちゃいるかいないかなんてわかりませんよぉ。」

 いつでも、どんなときでも間延びした語尾に苛立つこともあるが、それは同時に心を落ち着かせる効果もあるようだ。

「んじゃ、ふたりで頑張ってね!」

「さよなら。」

「…それでは、お気をつけてぇ~。」

 手を振りながら、軽いノリで城へ向かう。

 そんな私たちを兄妹が見送っていた。

「わずか二年くらいでこんなにボロボロになっちゃうんだね…。」

「…もともと、ふるかったから…」

「でも、なんだか久しぶりに見るとへんな感じがしますねぇ。」

 三人で玄関前まで来た私たちはそろって同じ動作をして見回していた。離反する前にたった一度出入りしたきりだが、意外と覚えているようで、ボロボロになった建物に以前見たこれよりはまだ綺麗だった外観が重なって見える。

 大きな扉を錆付いた金具を耳障りな頭に響く音を大きく立てながら三十センチほどの隙間を開けて、そこから三人で滑り込んだ。ここで一番の難関だったのは意外にもリーリエだ。私とモンブランは横歩きで狭い隙間をくぐればいいが、リーリエは下半身が虎なのでそうするわけにもいかない。そこでもう一度、三人で全力を出しあって扉を押し広げた。

「ぼろっぼろですね~…」

「うん、」

 癒し系ふたりでのほほんと交わされる会話に耳を傾けながら、私は深く息を吸い込んだ。いち早く私の様子に気がついたモンブランが不思議そうに小首をかしげて私を見る。

「アズサさん?」

「ケンタウロスーーーーーーっ!」

「アズサ、さけんだ。」

「…叫びましたねぇ。」

 驚くふたりを置いて、私はもう一度大きく息を吸った。

「ミノタウロスーーーーーっ!」

 恥ずかしいのも敵がいるかもしれない可能性も無視して、私は手っ取り早く彼らを大声で呼んだ。

 けれど、城の中は静まり返っている。

 裏切って出て行った私の声を覚えていて、わざと応えないのかもしれない。そんな後ろ向きの考えが浮かぶ。ここにいたのは本当に一日にも満たない少ない時間で、そのほとんどを眠って過ごしたのだ。仲間と私は思っていたが、相手は仲間だと認めていなかったのではないか、そんな私の声など覚えていないだろう、きっと。

「…いませんねぇ。」

「さがす。」

「そうね。」

 探しに行くことを決め、三人まとまって行くのは効率が悪いというモンブランの提案で、「何かあったら大声で私を呼ぶ」と約束して三方に別れることにした。モンブランなら臨機応変に対応できるだろうけれど、リーリエが心配だ。

 何度か呼ぶ練習をしてから、玄関ホールから別れる廊下をそれぞれ、私は右、モンブランが真ん中、そしてもっとも心配なリーリエは左の道を選んで進むことに。

「本当に、なにかあったらすぐに私を呼ぶのよ?」

「うん。」

「わかってる?あ、不安になったらでもいいからね?」

「…うん。」

「寂しいな~とか、一人で歩くのに飽きたな~とか思ったら、私を呼ぶのよ?」

「……うん。」

「それか…」

「アズサさん~…いい加減しつこいですぅ。」

 モンブランに止められて、彼を見る。モンブランは見ていただけなのになぜか疲れたような顔をしていた。呆れていたのか。

「リーリエも困っちゃいますよぉ。もしかしたら、構い過ぎがリーリエに反抗期を呼ぶことになるかもぉ?」

モンブランの恐ろしい予想を聞いてチラリと見たリーリエの表情は、普段と同じようにキョトンとしていた。彼女に限って、反抗期なんてないだろう。

『アズサうるさい!もうわたしにかまわないでよ!』

 なんてリーリエに言われる衝撃の瞬間がいつか来るのだろうか?実に遠慮したい未来予想図だ。

 そんなことない!心の中で全力で叫ぶ。現実ではふたりに丸めた背を向けて拳を握り、気合を入れた。開けたままの扉の隙間から、外の風が入り込んできて私を叩く。

「それじゃ、アズサさん。一時間後にここで~。」そう言ってモンブランは二階へ伸びる階段の下の廊下をさっさと奥へ入って行く。

「いってきます、アズサ。」

「あ、いってらっしゃいリーリエ。」

「いってらっしゃい、アズサ。」

「え、いってきますリーリエ…。」

 リーリエもそのやり取りをして満足したのか、にこっと私に笑顔を向けてから背中を向けて左の通路を歩いて行った。

 いまだ歩きだすことなく見送るその背に、前から伸びて来た黒い闇がまとわりつこうとしているような幻を見てしまった気がした。実際にリーリエはなにも違和感を覚えていないようだし、私自身も目をこすってからもう一度見てみると、いつも通りの白い背中があるだけでそこには闇なんてなかった。

 不安で声をかけようと息を吸い込むが、いい加減しつこくし過ぎて想像のように言われたら立ち直れないので、、不安や嫌な予感を覚えながらも止めることにした。何があっても、どんなことが起ころうとも、リーリエは私が守ればそれで済むことなのだから。

 私は強い力を持っていた。時折制御しきれないんじゃないかと恐怖を感じるほどの力を、体の奥の方から感じていた。この力があればできないことはないのだと思い込んでいた。

 この驕りが、この直後悪夢と絶望を呼ぶ。


 結局、私の担当したエリアでは馬も牛も、他の仲間たちも見つけることはできなかった。

 一時間よりも早い二十分で見終わり、さくさく踵を返して行きと半分の時間で玄関ホールへ戻って来るとまだふたりとも戻ってきていなかった。ひとりぼっちで腕を組み扉に背中を預けながら待つ。

 リーリエの歩いて行った左の廊下を見る。

 やはり心配だ。道に迷っていたりしないだろうか、何かあったんじゃないか。そわそわと指でリズムを刻む。キョロキョロふたりが戻って来ないか真ん中と左へ伸びる道を見比べるが、その先から白い半獣と金色のハイエルフが戻って来る様子はなかった。

 扉から背を離して、リーリエの進んだ道をたどろうと決めて行動に移した。

「こうしていても落ち着いていられない、っと。」

 掛け声とともに一歩ジャンプする。ピョンピョンと飛びながら進む。それに意味はない。なんとなくそうすることで不安を飛ばそうと無意識に考えていたのだろう。悲鳴を上げる床を気にせず飛び続けると、そう進まない内に、こちらに頭を向けた体勢で床に眠る白い虎を見つけた。

 唐突に襲ってきたあまりの衝撃に、思考が停止する。

 倒れているのは、見間違えようもない私の半身。

 人と動物の境目まで伸びる白い髪。いつもならさらりと流れ落ちている白いそれは、今倒れて乱れ散っていた前後左右ばらばらに舞う髪が赤く染まっていた。力なく投げ出された腕の先端と背中もまた赤に染まっている。彼女の命が流れ出したその赤、日本では紅白でめでたい色のはずなのに、私にはとてもじゃないがそうは思えない。絶望でトラウマになりそうだ。

 震える手を伸ばし、ガクガクと意思通りにならない足に力を入れて意識的に一歩踏み出すと、ガクッと一気に崩れ落ちた。足と比べればまだ力の入る両腕で彼女を求めて這う。

「…っ、」

 口にも力が入らないのか、震えて声が出せないのか、自分でも把握できないがとにかく口から出てくるのは空気だけだった。歯と歯がぶつかってがちがちと音を立てる。

 ずるっ、ずるっ、と床を這う音だけが空気を震わせていた。床に着いた手を見ると、暗くてよく見えないが感触でわかる。私の手は乾ききっていないどろりとした冷たく赤い液体で濡れていた。振り返ると、玄関ホールまで赤い道は続いている。なぜあれに気がつかなかったのか。

「…リー、リエ…?」

 指先に当たった白い髪の毛を握りしめ、それを頼りに心がくじけないよう一心に進んでいく。

 進んでいる内に涙が溢れ、そして零れる。

 伸ばした震える指先が冷たくなった彼女の額に触れた。大きくなった丸いルビーと白い肌の温度が同じになっている。信じたくない真実を前にどうしていいかわからなくなる。

 ただ名前を呼んで、血濡れた体を抱きしめることしかできなかった。白い服に赤い血が染み込む。

「おーい、アズサ!誰か見つかったのか~?」

「兄さん、少しは大人になれ。」

「え、命令形?」

 何も知らない兄妹のいつもと変わらないやり取りが、玄関ホールから聞こえる。とても遠く感じていたが、実際ここからは十メートルも離れていないのだ。

「アズサ~?リーリエにモンブラ~ン!どこ行ったんだ、あいつら?」

「この中にいるはず。」

「でもどこ?」

「…どっか。」

 明るい楽しそうなやり取りに頭が日常に帰ったのか声が震えているが、出るようになった。といってもただの嗚咽だけれど。「うっ…、ふえっ、」

「!兄さん、何か聞こえた。」

「ああ、こっちか。」

「兄さん、これって…」

「血、か?」

「アズサ!リーリエ!モンブラン!」

 パタパタと軽い足音を立てて彼らがこちらに向かって来るのが聞こえた。すぐに二メートルほど離れてふたりが背後に立った。うずくまる私と私の抱きしめた白い体を見たのか、ふたりの動きが止まった。

「ぁ、…リーリエ?」

「どうして…」

 ふたりの声が震えている。

 リーリエ、あなたがこんな形でいなくなってしまって、これからもっともっと悲しみが増えるよ。

 知り合って短い兄妹も絶句し、悔しそうに唇を噛んで悔しがっている。それでも付き合いの時間の長さか、いち早く立ち直った妹のファリスが視線を回した。

 よく見ると、一人足りない。

「…ねえ、……モンブランは、どこ?」

「!」

「……。」

 涙して視界が歪んでいる中で突然かかった妹の戸惑った声に驚いて、オフィリスは目を見開いた。開かれた瞳から溢れだす熱い雫が頬を伝う。

 それから「そう言えば…」と妹と同じように見回した。暗闇でわかりづらいが、もう一体躯があるわけではなさそうだ。ならば、彼はどこへ消えたのだろうか。

 まだ、城の中を、仲間を求めて歩いているならばよし。疑ってしまったことを詫びて、一緒にリーリエをやった相手を探し出そう。しかしそうではなく、なにかから逃げるために姿を消したというならば、私は絶対に許さない。顔はわかっている。どこまででも追いかけて、そしてこの手でリーリエの仇を!

「アズサ!」

「!」

 突然かけられた声に驚き、気付かない内に怒りで歪んでいた表情を無にした。心配する色を目に浮かべている兄妹を安心させてあげるために、小さくても微笑みを見せてあげたいが、今はとてもじゃないけれどそんなことができる気持ちの余裕がない。

 心は憎しみに覆われている。

「何度も呼んだのに、応えてくれないから…。」

「…ごめんね。」

「今、フォリアが城の中にモンブランがいないかどうかを調べに行ってる。あいつ足早いからすぐに戻って来るよ!」明るくそう言ったオフィリスの赤くなった眼が痛々しくて、同時に嬉しかった。

 だけど視線を合わせることができない。

 悲しいからと言って復讐を誓った私を、兄妹はどうするだろう?受け入れてくれるだろうか。それとも、「そんなことをしてもリーリエは戻っては来ない!」とでも言って止めさせるだろうか。

 例え自己満足だろうと、私はやると決めたのだ。

 決めたことは最後までやり通す。

 瞳に暗い闇が宿ったこと、それに気がついたオフィリスがとても悲しげに眉をハの字にし、眼を細めたことに私は気付かなかった。

「とにかく、彼女をこのままにしておくのは可哀想だ。」

 そう言って、オフィリスは私の腕に抱きしめたリーリエの額から丸くなったルビーを取りだし、私から体を奪った。そして持ち上げるでもなく、それどころか床に下ろして私の腕をつかんで一緒にリーリエから距離を取る。何をするのかと不安でリーリエを見つめていると、オフィリスは五メートルほど離れてしまったリーリエに手をかざして、そして…、

「なにするの!」

 石の床に横たわるリーリエへ火を放った。白かった半身の体が赤く染まり、燃え上がる。

 つかみ掛かった私を冷静な目で見据えて、オフィリスは行った。その声には熱が感じられなかった。

「リーリエをこのままにしておくのか?そうはいかないだろう。」

「だからって、今燃やすことない!」

「今こうしなきゃ、お前ずっと彼女に引っ付いてるだろ!いつかはこうしなきゃならないなら、今やるんだよ!進むためにやらなきゃいけないんだよ!」

 燃えるリーリエの炎が私たちを照らす。

優しくあたたかかった彼女は熱いほどの炎となってしまった。それが寂しくて、悲しくて、どうしようもない感情をもてあまして、立っていられずに膝をつく。

オフィリスと私、ふたりでただ静かに燃える炎を眺めていた。彼の持っているリーリエだったルビーが炎の光を受けて輝く。

「兄さん!アズサ!」

 赤い炎が静かになってきた頃、フォリアが戻ってきた。彼女は一人で、特別焦っている感じもないようだ。

 駆け寄ってきたフォリアは、私たちの向こうで燃える炎を見て、何か察したのか私を気遣うように見た。

「アズサ、…モンブラン、どこ探しても見つからなかった。」

「と言うことは、って言うまでもないか。」

「…どこの奴だったんだろう?天使か、悪魔か。」

 燻ぶる炎を視界に入れて、誰に言うでもなくただ思ったことを呟いた。

「…わからない。」

「今わかっているのは、モンブランが裏切ったこととリーリエが死んだこと。…ふたりがいなくなったってことだけだ。」

 言い切るふたりに、涙がまた溢れそうになる。今日限りで忘れよう、そう思っていたのに、今日、悲劇が起きるまでにモンブランと共に過ごしてきた思い出が脳裏に蘇えって、決心が鈍ってしまう。

 頭を振って追い出そうとするが、モンブランと一緒に過ごした他の家族が出て来て芋づる式に彼も思い出してしまう。

 どうして?なんで?なんでリーリエを!

 叫びだしたい衝動が私を襲った。

 大切な半身を失った悲しみ、仲間の異変をいち早く気付いてあげられなかった苦しさ、残った仲間に気遣わせてしまう自分への怒り、そして、裏切り、家族を殺した彼へのどうしようもないほど一瞬で育ってしまった怒りと憎しみ。感情の波に着いていけずに思考がぼんやりと霞みがかる。

「…あんなに楽しかったのに…、モンブランの思いは違うところに向いていたんだね…、ずっと…。私たちのことなんて、家族とも、仲間とも思っていなかったんだ…。」

 半身を失ったのは、気付けなかった自分のせいだ。ここへ来るか外を探すか別れたときに、異変を感じ取っていたはずじゃないか。いつもなら厄介事は誰かに押し付けて自分は楽な方へ行こうとするモンブランが、今日に限って絶対に面倒なことになる私とリーリエのコンビに着いてきたこと。些細かもしれないが、大きかった異変を見逃したのは私だ。

 私の未熟さが、リーリエを殺し、モンブランを苦しめた。

「一気に、ふたりも家族を失ってしまった…。」

 力のない声に、一瞬誰が発した音かと耳を疑う。

 生きているふたりの熱が、肩に置かれるのを遠く感じていた。

「オレたちがいる。」

「私たちじゃリーリエの代わりにはならないだろうけど、一緒にいるから。戦うわ、アズサとともに。」

 燻ぶっていた炎が静かに消えたのを見届けて、私は立ちあがった。これからどうすればいいのかなんて、私にもわからない。けれど、ここで座り込んでいていてはいけないことだけは理解していた。

「それで、オフィリスたちの方は?誰かいたの?」

 ここに来たのはなぜか。自分を取り戻すために、まずこの場にいた理由を思い出そう。

「ああ、ここからちょっと行ったところに森があったんだ。そこの木に宿る精霊に訊いてみたら、ケンタウロスとミノタウロスは森の奥にいるって言われた。」

「まだ確認はしていないけれど、多分アズサの言っていた仲間じゃないかと思って、速く教えてあげたかったから戻ってきた。」

「そっか、ありがとう。」

 振り返ってフォリアとオフィリスを見る。

 まだ本当の、心からの笑顔を浮かべることはできないけれど、頬の筋肉を動かして表面上の笑みを浮かべることはできたから、それを浮かべて、ふたりに向けた。

『私は大丈夫。大丈夫だから、心配しないで。』そう伝えたくて。

 安心させたくてそうしたのに、ふたりは逆に不安そうな顔をした。

 見事なまでの失敗、空振りに苦笑が浮かぶ。これは、ホンモノ。それを感じ取ったのか、ふたりは今度こそ安心したように笑ってくれた。

「んじゃ、会いに行きましょうか。もう時間もないから、早く会って、連れて帰れるようなら一緒に戦ってもらおう。」

 リーリエがいた証拠に焦げ跡が残る床。

石造りの建物でなければ全焼していただろうここも、人一人燃えたと言うのに残ったのは二メートルほどの焦げ跡だけ。切ない彼女が生きて、そして死んでいった証を最後にジッと見つめて、背中を向けた。歩きだし、ふたりの横を通り過ぎて玄関ホールへ。すぐに追って来た兄妹と一緒に扉をくぐった。

 外へ出て、空を見上げる。

 ここへ入る前までは確かに暑さ厳しく晴れ上がっていたはずの空が、今は涙を堪えるように分厚い雲に覆われていた。思い込みかもしれない、本当にそんなこと普通ならあり得ない。だけどリーリエ、と私の心の中で生き続けるもう一人の私へ呼びかける。

「これがあなたの死を悲しんで空が泣いてくれているのだとしたら、すごいわよね。」

「ああ。」

「ええ、そうね。」

 違和感もなく、自然と独り言だった言葉を聞いて、拾って応えてくれる新しいパートナーの存在が嬉しかった。

 大丈夫よ、リーリエ。

 これからは、本当にいつでもどこでも、常に一緒にいられるから。

 心の中で呟いて、私は空から視線を下ろし、歩いて行くべき道を見た。城から伸びる朽ち果てた階段を下り、砂漠に出る。城をぐるりと回って後ろに行くと、そこから百メートルほど離れた場所に緑が見えた。黄色の中の緑はとても目立っている。

「あそこだ。」

 オフィリスを戦闘にして、馬と牛のいると言う森へ歩きだした。

「ありがとう、オフィリス、フォリア。あなたたちがいてくれて、本当によかった。」 

過去へ、さようなら。

 未来へ、こんにちは。

「何言ってんだよ、アズサが助けてくれなかったらオレたち死んでたからな。礼を言いたいのはこっちの方だ。」

「私は最悪逃げられたけどね。怪我してたのは兄さんだし。」

「え、お兄ちゃんを置いてっちゃうの、フォリアちゃ~ん!」

 そして今に、ありがとう。

 リーリエ、私と一緒に、今と一緒に、歩いて行こうね!


もう深夜一時になっちゃうんだぜ?

眠いんだぜ?

明日も仕事だぜセニョリータ★


何が言いたいかって、「深夜テンション素敵!」

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