第一章一幕「ワンダーランド」
はじめまして、くりりんと申します。
最初に書いた通り、この小説は私が大学時代(といっても去年のことですが)に卒業制作で書いたものです。
恥と知りつつ、深夜のノリで上げていきます。
チキンなビビりなので、どうかあったかい目と広い心でよろしくお願いします!
夏の容赦ないほど厳しい日差しがようやく引き際を悟ったのか、大人しくなってきた十月の頭。私は中学生の本分であるはずの勉強をおろそかどころか、学び舎へも行こうともせずに毎日、毎日、流行りのゲームばかりに興じて過ごしていた。
けれど、これが無駄な時間だとは微塵も感じていなかった。この世界にとって異端である私が正常な精神を保って生きていくためには、どうしても必要なことだったのだ。と私は心から思って、その信念を貫いていた、だけなのだから。
ゲームは、普通ではない髪と瞳の色を宿して生まれてきた私にとって、人生そのものだった。つらい現実には目を向けずに、自由に偏見のない世界へと逃避することで自分を保っていた。
十月一日木曜日。午前十一時二十六分。
世に言う不登校児ではあるが引きこもりではない私、入道梓は今日もまた学校ではない場所へと向かっていた。
揺れる電車を自宅最寄り駅から五つ目の駅で下車。降りたホームの中ほど西武新宿線高田馬場駅をBIGボックス出口から出て、建物沿いに歩く。午前七時に起きて両親と私の朝食を作って食べてきた私の食欲を掻き立てるピザやマクドナルド、ケンタッキー、美味しそうな匂いを漂わせる店を横目に、二つ目の信号を渡って、店と店の間、影ができて晴れの日の昼間でも暗くなっている道の奥へと入り十メートルほどで光のもとに戻る、学校のような今の私には少し近づきづらい建物を左手に見ながら進む。しまむらやそのほかのいろいろな店のややくたびれている裏側、左手には学校を中心に広がる住宅地。学校から二つ目の角を左に曲がり、住宅街へと入ってまたしばらく歩くと、ほら。見えてきた目的の場所。レトロな外観を見ると、なぜかホッとして長い息を吐いた。あまりに長く重かったので、本当にそれだけかと考えてしまう。思い当ったもう一つの可能性を、全力で否定したいが、できないことを自分が一番よく知っていた。幼いころから嫌な思い出と同級生や教師に対する「何を言われるんだろう」という恐怖しか学校になかったため、あまり小学校にも行かなかった。体育も当然やったことがなく、これまで家から近所のゲームセンターまでしか歩いたりしてこなかったせいで体力もなく、ここまで歩いてきただけで息が切れたのだろうか。まだ十五歳で若いのに…、情けない。
息が静かなものに戻ったところで前を見る。
木造の外観はパッと見た感じでは昭和の駄菓子屋さん。入口の横には「たばこ」の文字が、増税された今日もまた、かかっている。歩く私の横すれすれを走り去る乗用車をチラリと睨み、車と歩く私自身が生み出す風を感じながら店に近付いた。
【竜宮城】
それが、この時代に取り残されたように平成の世に残る古ぼけた店の名前である。
店主なのか(バイトの可能性は、ないだろうけど)どうなのか、ほとんどいつもいる店番のおばあちゃんに店名の由来を聞いてみたところ、「昔話の浦島太郎に爆笑して、小さな子にもこのショウゲキを分けてあげたい。」となんともふざけた理由でつけられたらしい。あくまでおばあちゃんが言っていたことなので、確証はない。
「こんにちは、おばあちゃん。また来たよ!」
「おお、梓ちゃん。いらっしゃい。奥のあれ、空いてるよ。」
「ありがとう。また時間になったら起こしてね。」
このところ毎日交わされる会話だ。
私が家庭用ゲーム機に飽きたころ、新しいアーケードゲームが全国のゲームセンターで稼働した。
【ワンダーランド】
「九月十一日、ゲームの歴史が変わる!世界各国で人気沸騰中の、新感覚バーチャルリアリティMMORPG(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロールプレイング・ゲーム)、ついに日本上陸!家庭用ゲームソフト版・ワンダーランドも同日発売!」
ゲームセンターで稼働し始める【ワンダーランド】と家庭用ゲーム機プレイステーション3で、世界初の3Dゲームとなった【ワンダーランド】。紛らわしいけど、二つは違う。家で遊べる方の【ワンダーランド】は普通のRPGだ。対してアーケードの方はバーチャルリアリティを始め家庭用ゲーム機にはない面白さがある。アーケード特典として、ゲーム内で使えるアイテムがログインするたびにもらえるのだ。プレイヤーの情報を記録したメンバーズカードが返却されるときに一緒に出てくる。時々カード残量がなくて出てこないこともあると聞くが、この【竜宮城】ではそんなこと、一度も起こっていなかった。…単にここが人気なくて、カードの減り具合がとても少なかったからかもしれないが。
特典としてもらえるアイテムには、購入するととても高価な金額に設定されているよく効く回復薬や、攻撃力をアップできる武器、防御力をアップさせる防具、ただし両方ともに使用回数が限られている。あとはパートナーの能力をアップさせるアイテム。他にもゲーム内での通貨がもらえる場合もあるらしい。けれど私が実際にもらったことのあるアイテムは、なぜか回復薬、その中でも瀕死の状態をも全快にさせてしまうとても強力な物のみだ。おかげで回復薬だけはたくさんあって、ゲーム内で使っている収納ケースは回復薬で溢れている。白い衣装に身を包んだ私が時々他のプレイヤーに分けて上げるので、ゲーム内では「白衣の天使」と恥ずかしい名前で呼ばれていることも知っている。仕方ないじゃないか、レベルがマックスの999なので、どんなに強力なボス戦でも、戦闘で傷を負うことがほとんどない私は自分で回復薬を使う機会なんて、本当に特にレベルが面白いように上がって限界まで上がったこの数日は戦闘でも一撃必殺を地で行き、一方的な虐殺になっているのでダメージを負うわけもなくて、なぜかログインするたびに当たる回復薬は貯まっていった。
九月十一日、もう八年になるのだろうか。アメリカの世界貿易センタービルの同時自爆テロが起こったこの日。恐ろしい記憶が染みついた日に新しい、楽しい記憶を残すため、その日に向けて、私の住んでいる東京だけではない。西の大都会大阪も、沖縄も、北海道も。全国のほとんぼすべてのメディアがこのゲームの宣伝、特集をしていた、と、どこかのニュース番組で特集していたのを、リビングのテレビで母と一緒に見た記憶がある。母さんは「あらあら、面白そうね。」と笑っていた。お母さんがゲームに興味を持つのは珍しくて、私は嬉しくてつい、「一緒に遊びに行こうか」なんて言ったっけ。お母さんも、嬉しそうだったな。
いつも笑顔で優しい母さんも、家族第一主義で小さい頃には私の誕生日に涼しい顔で会社を休んでしまったことのある親バカなお父さんも、学校に行かない私を責めなかった。小学校入学からいままで、私と親しくしてくれる幼馴染の二人と同じ、それ以上に、両親は私に優しかった。
私のそばにいてくれるのは、私を「化け物」とか「異国民」とか、聞いていて雲地の良くない言葉を言わない。私の色を「綺麗だ。」と褒めてくれる人たちだけだった。それが嬉しくて、あったかくて、だけど寂しかった。
小さなころは興味本位で変わった毛色の私に近付いてくる子もいたけれど、一緒に過ごしているうちに私に向けられる嫌な視線や、聞こえてくる汚い言葉たちに耐え切れず去って行った。そして、私から離れた後は、向けられて耐え切れず逃げ出したのと同じ嫌な視線を、汚い言葉を、向けるようになった。その方が、数の多い側に回れば、傷つかなくて済むからだ。楽だし。それでどんなに私が傷つくのか、考えもしないで。
これまでの十五年の人生で、何人去って行ったんだろう。
指折り数えながら、慣れ親しんだ店内を歩く。こんな自虐的なこともできるようになってしまったのか、それとも軽く取れるほど心の傷は浅くなってきたのだろうか。そんなことを考えながら、歩く店の中は静かだ。他のゲームセンターのように騒がしいBGMをかけたりしない。耳を澄まして聞こえるのは、ゲームの機械音と年代物の建物が風できしむ音。それに自分の呼吸音だけだった。天井を見上げて、左右を見回して、見えるのは目が疲れる色があふれる普通のゲームセンターとは違い、ここは茶色とか、黒とか。店主の趣味なのか、わざわざゲーム機の色を塗り替えてまで、地味な色合いで共通性を持たせていた。この内装に似合わないからか、プリクラはない。照明も、目が悪くならない程度に全体的に抑えられ、ゲームの画面側だけが強めの明るい照明に照らされている。
雰囲気も、環境も、普通ではない私が居やすい場所だった。私の両親には揃って親がいない。兄弟もいない。気付けばたった一人だったというふたりとも孤児だった。だから私には祖母や祖父と呼べる人はいないが、この空気は祖母の家に遊びに来ている感覚を感じていた。ただ、小さな下町の駄菓子屋風の外観と違い、中はとても広かった。ここを見つけてから一週間は店内全体を見て回って、目的のゲームを探したりしたものだ。それがまた田舎の家を探検しているようで楽しくて仕方がない。ウキウキ気分で鼻歌をハミングしながら歩いていると、目的のゲーム【ワンダーランド】を見つけた。
直径二メートルほどの箱のような見た目のそのゲームは、他のゲーム機と同じように、これもまた茶色に塗り替えられている。ここより他の【ワンダーランド】を見たことがないのでわからないが、本来の色がこれでは華がないし、なんのゲームかもパッと見わからない。正面で画面を見ない限り、【竜宮城】内にあるすべての機種はこの機械が何のゲーム機なのかはわからないようになっているのだ。やっぱりこれの立案者であり、一風変わった趣向でお客を楽しませたり、苛立たせたりしているおばあちゃん曰く「ちょっとしたお茶目♪」らしい。
私は以前、「どうしてみんな、同じ色に塗ってしまうのか」聞いたときに得たおばあちゃん情報を思い出しながら、目標との距離を縮めた。私には祖母が居ないので、お年寄りに接する機会が少ない。ここのおばあちゃんといると、間違ったお年寄り像を刻まれてしまいそうだ。
そう、思った瞬間、頭に浮かんでいたおばあちゃんがしわしわの顔で私に向かってウィンクをかました。
ゾクッと身震いをして、一瞬立ち止まる。腕をさすりながら、最後の一歩、近付いた。
到着!来たぞ、【ワンダーランド】!
にっこり笑って、三台等間隔で置かれている美容室にあるパーマをかける機械のような【ワンダーランド】、そのうち一番出入り口に近い一機の椅子に座った。横に付いている肘掛の前、カードを入れるスペースに、毎日お世話になっている愛らしい子犬が三匹走っている柄のカードを挿入する。椅子の上に付いているヘッドセットがカードを感知して頭に被さり、顔まで覆う。
「おはようございます。ニュウドウ・アズサさん。【ワンダーランド】へ、ようこそ。」
冷たい印象を持たせる無機質な「いかにも作りました」「上手でしょ!機械にしたら」と制作者の声が聞こえてきそうな、でも本物の人間の喋り方には程遠い女性の声が聞こえて、ジェットコースターで落ちる時のような気持いい浮遊感が私を襲った後、意識が飛んだ。ボーカロイド使えばいいのに。
*
目を開けると、そこは見渡す限り緑一色でした。
と、いうのはさすがに冗談。木の幹とかの茶色も、現実では工場や車の少ない限られた場所でしか見られないような綺麗な澄んだ空の青もあります。でも、その空の青が私の真上にあります。背中には草の柔らかい感触。大きく開いているから、草の感触が直接背中に触れてくすぐったくて、小さく笑った。
顔の上に右腕を置いて、空からの光を遮り力なく伸ばしていた両足を立てる。スカートを着ているから、足側から誰かが来たら見られてしまう。見たところ、ここはまだ来たことのない地区だ。初めて来た場所で、知っている馴染みのプレイヤーに会う確率は低い。他はどうか知らないが、私は誰かとチームを組む時は会ったことのある地区で待ち合わせをしてから向かうので…。
綺麗な空を見ながらパンツがどうのと考えていたら、なんだか面白くて楽しくなってきて、ふふふと声を出して笑う。声を出して笑うなんて、一体いつ振りだろうか。幼いころは、幼馴染と一緒に普通の子供と同じように笑って楽しく過ごしていたのに、自分が他の子供たちと違う場所を見つけてから、それを言葉の刃で教えられてから、私は笑えなくなった。笑えなくなったのが小学校四年生くらいだから…六年ぶりか。
笑えなくなってからの時を思い、不愉快になる。笑顔を消して、表情を引き締めて、普段と違うところを見つけた。口角が下がり、目も鋭くなる。
いつもならここで、私が生み出した、私がずっと欲していた存在、私を心の底から素直に一途に愛してくれる、私だけのパートナーであるリーリエが声をかけてくるはずだ。今日のように不思議な間で笑いだしたりすると心配そうに。けれど、今日はなぜかいつまで経っても彼女の優しい声が聞こえてこない。どうしたのか。
リーリエは少し抜けた性格に設定したから、逆に私が心配になってきてしまった。あの子、どこかで迷ったりしているんじゃないか?眉根が自然と寄ってくる。
立ち上がって、背中を手が届く範囲で払う。ぱらぱらと背中に付いた葉が落ちて行った。首を回して周りを見回すけれど、全身真っ白で、名前の通り美しい百合を思わせるリーリエの姿は見えなかった。
さて、どうしようか。
パートナー、ゲームの案内人も務めるリーリエが居ないと、新しいクエストに挑めない。というか、何もできない。彼女はこのゲーム内で、コントローラーであり取り扱い説明書でもあるのだ。リーリエが居ないと、今どんな選択肢を見ることができない。クエストを選択して、レベルを上げる作業もできないのだ。
もしも、ここで選択肢が出てくるとしたら、絶対にこれしかないだろう。
「リーリエを探すことにした。
まず、どこへ探しに行こう?
南へ行く
北へ進む
西へ行く
東へ進む」
パートナーと行動しているときに道に迷った時などは、リーリエがどこからともなく取り出した直径三十センチほどの鏡を私に向けて、その中に選択肢が浮かび上がってくるのだ。選んだものを、リーリエに言うと、選択したことになって先へ進める。そのパートナーを探しに行くなんて、なかなかできない経験だろう。
だけどこれがこの地区をプレイする上で必須なのだろうか。どの地区でも、最初にクリアしなければならないクエストが必ずある。それをクリアしないと、次の自由に選べるクエストに進めないのだ。
とにかく進んでみるしかない。面倒だという思いより、リーリエを心配する気持ちが強かった。彼女は私を心から好きでいてくれる。でも逆に私だって、リーリエが好きなのだ。大切なパートナーだから。
私は適当に南を選択…したつもりで、まっすぐ歩き始めた。現実にもありそうな、普通の木が並ぶ自然の道を天然というか、抜けているというか。見ていると癒されたり、時としてイラッとしたりする性格のリーリエを心配するが、深く考えることはなく、軽い気持ちで白いパートナーを探して歩く。
すると一瞬、私が立っている場所から六本数えた木の向こうを白いなにかと黒い何かが横切った。一方は追われ、もう一方は追いかけている。けれどけして、古い青春マンガの王道、夕方の浜辺で恋人同士が「うふふ」「あはは」とコミュニケーションの一環としてやるあんな感じではない。どちらかというと、そんなふざけた空気のまったくない。正真正銘命がけの鬼ごっこのようだ。捕まったら殺される!
「半端ものを逃がすな!」
声が聞こえた。
そう叫んでいるのは、褐色の長い耳が素敵な全身黒ずくめのお兄さん二人組だ。背中になびくマントがかっこいい。だがお兄さんと言っても、外見に騙されてはいけない。彼らはゲームの世界では長命な種族として有名だった種族の出だ。
彼らはダークエルフ。闇に生きる高位の妖魔だ。といっても、やはりピンからキリまであるので注意が必要だ。ダークエルフだからと言ってみんながみんな強い、というわけではない。
このゲームでは、強さは顔で判断することができる。顔が整っていれば整っているほど、強いのだ。
どこのステージでも、ボスは美しい。レベルが上がれば上がるほど、美しさも上がるが、非情さも上がり、冷酷な手段を用いて私たちプレイヤーの行く手を阻む。卑怯な手段も厭わなくなり、どんな犠牲を払ってでも目的を遂行するようになって来るのだ。知能も高い。
そこから判断して、今マントをなびかせて走っているダークエルフのお兄さんふたりは、はっきり言ってザコだ。ゲームのオープニングで戦闘方法を教えてくれるために発生するイベントに御出演されているクラスの奴だ。
何が起こっているのかは分からないが、とにかく現状を理解しようと追っているダークエルフから視線を外して、追われている方を見てみる。
「……」
私は、彼女をよく知っている。
水色の魚人風の耳が、人と同じ場所に付いている顔は西洋人、特に北欧系の美しさを誇っている。額には中央に大きなルビーの雫、左目の下には一輪の花の文様が咲いていた。腰まで伸びた長い髪は穢れを知らない今は追われて走っているため、振り乱れて後に真珠の輝きを残している真っ白な、桃色を帯びて純白に輝いている。走るのに必死で振り回している腕はやはり白く、二の腕にひとつ、手首に二つのゲーム中、私が能力向上のために着けさせたブレスレットが走る動きに合わせて忙しなく揺れている。けれど、彼女は人間ではない。
彼女の下肢は人のそれではなく、白銀の美しい毛並みが風になでられ靡く虎のものだった。
私は彼女をよく、誰よりもよく知っている。なぜなら彼女、リーリエという名を与えたのも、彼女をこの世に生み出したのも、他の誰でもない、私、入道梓自身なのだから。
状況把握の準備段階。自分を落ち着かせるために、目をつぶり彼女が生まれた時のことを思い出してみる。
今、現実の私は美容室でパーマをかけるときにおばちゃんたちが使うパーマ椅子に座り、眠っている状態だ。椅子の前にはまた大きなモニターがあって、そちらには従来の家庭用ゲーム機でおなじみの形をしたコントローラーが付いている。モニターとコントローラーを使って、最初にプレイする時にはこれからともに旅を進めていくパートナーを生み出すのだ。これは前面に自分の趣味を出せる、実に楽しい時間である。私はこの楽しくて仕方がない時間を味わうため、まだそばにいてくれる幼馴染の操りやすい方を引っ張って来て、プレイしなくてもいいから、お願いだからデザインだけ私にやらせて!と頼み込んでまでやったことがある。
幼馴染がそれ以来、ログインしているのかいないのか、彼が私を訪ねてくるしか接点を持てないので詳しくは知らないが、とにかく彼のパートナーは私がデザインした。もちろん、本人の承諾を得て、意見も尊重したうえで、私の趣味を爆発させた。彼も、生まれおちたパートナーを嬉しそうに見つめていた。「初めての共同作業…」とか呟いていた。
とにかく、それを使って細かな設定と容姿を決めていくのだ。
最初の選択肢はこうだ。
「パートナーの種族を選んでください。
選択したパートナーの種族によって、所属する陣営が決定します。
半妖
エルフ
ダークエルフ
天使
悪魔」
私は「半妖」を選択。このときからすでにゲームの走れるところ限界まで、とことん趣味に走る気満々だった。
「容姿を決めてください」私は一ページ五十個、五ページもある選択肢の中から上半身は人間、下半身はホワイトタイガーの女性型を選択した。
イメージとして画面に小さく現在のパートナーとして出てくるが、あいにくスーパーロボット大戦シリーズの機体のように小さい、三等身スタイルなので、画面上ではよくわからなかった。
これから詳しいデザインを決められるらしく、次に「髪形を決めてください」と出てきた。
私は人間とトラとの混ざり合った、ちょうど腰辺りまで伸びる白い髪を選び出した。なんせこの選択肢も五ページもあるので選ぶのも一苦労だ。髪形のイラストで選ぶのだが、それも小さい。これは運と画面を睨みつける勢いで格闘するしかなかった。黒いバックで少しでも見やすくするため、白い髪だが、その効果もあまりなかった。
「顔を決めてください」
目が大きく、表情は優しく微笑んでいるのを選択。「腹黒い微笑み」もあったが、それと一緒に旅をするのは気が乗らない。耳は魚のものにした。左目の目じりの脇に、小さな花模様を入れる。額にはパートナーの証である宝石のルビーのような赤い雫型の石。
「上半身のデザインを決めてください」
裸。胸は小さめだ。下が白いトラ、人間である上半身も真っ白にした。
「性格を決めてください」
温厚で、臆病で、私を一番に想って、愛してくれる。
愛情が豊かで、おっとりしていて、ピリピリした嫌な空気も換えてくれる癒し系。
「このパートナーでよろしいでしょうか?」
確かめようにも、よく見えない。確認のときも、大きなモニターがあるにもかかわらず、小さなポリゴン風の三等身のままなのだ。最終確認くらい、大きく、売れっ子漫画家風のイラストにしてくれてもいいのではないか。これは改善の余地がある。
とにかく、もう迷うのも目が疲れたので、目頭を事務仕事で疲れたおじさんよろしくもみながら「はい」を選択した。
「つぎに、プレイヤー(自分)を決めてください。
性別
髪形
職業
武装」
…以上。
明らかにパートナーの方が選択肢は多くて、より細かい設定ができた。売りはプレイヤーよりもパートナーを自由に決められるところですか?そちらに精魂使い果たしてしまったんですね。だから、プレイヤー自身は従来のゲームとなんら変わらない選択しかできないんですね。そうですか。
服装なんて、職業によって服の種類と色がすでに設定上、決まっているらしく、勝手に決められてしまう。
文句ばかり言っていても進まない。とにもかくにも、私は現実の私と同じ性別、髪形、色を選択した。
職業はなんか白い髪が似合いそうな魔導剣士。響きもかっこいい。
「これでよろしいですか?」
はい。
「では、ようこそワンダーランドへ」
私の空想の旅はここから始まった。まだ一カ月も経っていないのに、ずいぶん昔のことのように思えてしまってしかたがない。服装も、あのころとは比べ物にならないくらい豪華になり、レベルも限界まで上げた。それでも、始めてからまだ一カ月も経っていないのだ。
なんとも言えない不思議な感覚に、一つ息を吐いた。
「きゃっ!」聞き覚えのある声が上げたか細い悲鳴が耳に届き、ようやく戻ってくる。
「…あの子、なにしてるの?」実は浜辺でのうふふ、あははに憧れていたの?でも、ここ森だよ。
口に出して疑問を呟いて、続けて誰も聞いてはいないが心の中だけでふざけてから、左腕に付けたガントレットの手の甲の部分。そこにはめ込まれた赤い石に逆の手をかざす。その中で大人しく待っている私専用の武器をゆっくりと握るイメージ、すると手にしっかりとしたズシリと重い感触。一、二度ギュッと力を込めて握って手ごたえを確かめて、持ち上げる。私の身長を少しだけ超える大きさの金色の弓。弦を引き絞り、ゲームで言うところの、左右に揺れてちょうどいいところで止めて威力を決める威力ゲージをいっぱいにする感覚で魔力的な力を、手を伝って矢に込める。狙いを定めて…、
それはシュッとなんとも心地の良い音を立てて目標物を続けて射抜いた。
「ぐびゃひっ!?」
「げぐごげっ!」
哀れ、レベルマックスのレベル999である私の大切なパートナーを追いかけていた愚かなダークエルフたちは、雑草の生い茂った、私もさっき寝転がって感触を確かめた天然のふかふかベッドに沈んで痙攣したかと思うと、やがて静かになり電子的な黒い数字と記号で構成された闇となって土に吸い込まれていった。
こんな消え方をするのかと、小さく驚きながらもそれを確認して、逃げていた彼女が追いかける足音、声がなくなったことに気付いて不思議そうに、怖々と振り返った愛らしい姿を認めて臆病な彼女がこれ以上心臓に負担をかけなくてもいいように優しく声をかけながら近づいた。
「奴らは私が射抜いた、消えたのよ、リーリエ。もうあなたを追っては来ない、いえ来られないわ。怖いものは消えたから大丈夫よ。」
私の精一杯の思いやりを返して?と言いたくなるほど、彼女は突然かけられた聞き覚えのない声に驚いて面白いくらいむき出しの肩を揺らして恐る恐る振り返り私を見た。途端に恐怖でいっぱいだった美しい顔が嬉しそうに、けれど信じられないものをみたかのようにうっすらと輝く。
そして、彼女は言った。とても細い、けれどもどんな高価な楽器よりも繊細で美しい音色を奏でる声だった。
「…マスター…、」
やっと聞けた、この世界で最も安心する声。気付かなかっただけで、大切なパートナーが危機にある状況に緊張していたのか、強張っていた肩の力を抜いて、ホッと息を吐く。本当に無事でよかった。
彼女特有のゆっくりと、優しく吐き出される穏やかな音。
私の頭、現実ではイメージと呼ばれるある種の空間では、「ためいき、だめ…。しあわせ、にげる。マスター、おしえてくれた。」こんな風に表示されている。すべて平仮名。主である私を呼ぶ音だけが、しっかりした音である。
彼女が片言でしか話せないのは、私が自分のレベルばかりを上げていたからだ。先へ進めば進むほど、やればやるほど、面白いくらい簡単に上がるレベルに、楽しくて仕方がなかった。それで、リーリエまで気が回らなかったのだが、もっとリーリエのレベルを上げてあげれば、しっかりと話せるようになるのだろう。
ごめんね、リーリエ!
これからは彼女のレベル上げを最優先にしよう、心に決めた。
そうと決めたならさっそくレベル上げの旅に出かけよう!私は意気揚々と歩き始める。リーリエからの選択肢はまだ出現位置ではないみたいだし。こんなときは近くをさまよって、アイテムが落ちていないか探したり、近くにある町を目指して歩くしかない、クエストは町でしか更新できないのだ。
とにかく、歩くしかない。リーリエの白い手を握って歩き始める。
彼女は手をつなぐのが好きだ。私の感触が安心するらしい。私は私で、リーリエと手をつなぐのが好きだ。今まで、両親以外と手をつないだことがなかったから。とても新鮮で、なんだかくすぐったいけれど心地いい。他人との接触はとても怖いけれど、成功すればとても安心できる。私はひとりじゃない、生きていても、存在していてもいいんだ。そう、想うことができる、実感できる。それが好きなお菓子をもらった幼い子供のように嬉しかった。
適当に歩き始めた。進む道は決まっていない。風が走る音だけが響く静かな森の中。私たちは歩き続ける。誰にも私の存在を騒がれることなく、静かに、誰かと一緒に歩けることが楽しくて、心が躍った。気がつくと、足がステップを踏んでいる。手をつないだままのリーリエも、それに巻き込まれていた。けれど、彼女は突然始まったダンスタイムに、何をいうでもなく、自然な笑顔で楽しそうに一緒に踊ってくれた。二人とも、ダンスなんて知らない。適当に、心が動くままに、くるくる回っているだけだ。
「あっ、」
ダンスの途中で、これまた突然リーリエが声を上げた。両手をつないで輪になっている私たち。正面の彼女を見ると、常に笑んで細められている目を見開いて驚いていた。何かあったのだろうか。的モンスター(誤字ではない)の気配はしない。止まってしまったリーリエに、彼女の白い手を左右に振って遊びながら復活を待つ。
十秒足らずで、彼女は戻ってきた。「マスター」と声を掛けられて、腕を動かすのをやめる。
なんだろうかと首をかしげながらゆっくり喋るリーリエの次の言葉に耳をすませた。彼女は、おっとりした口調でとんでもないことを教えてくれた。
「…おわれて、ちかくで、なかま。はぐれた。…どうしよう?」
私が聞きたい。
おもに、今まで仲間の大事を忘れ去っていた件について。リーリエ、後でじっくりネッチョリマスターとお話ししよう。心に決めて、私はリーリエに仲間とはぐれた場所へと案内してもらった。レベルマックスの私に叶えられないお願いはない。私はこのとき、ゲームなど所詮はレベルがすべてなのだと、信じていた。
「…ここ、…らへん?」
どうしよう、この子。私が居ない間も、リーリエたちパートナーはコンピューター内で生活している設定だと公式ホームページで見たことがある。彼らも、自立した人工知能AIとして人間と同じように生活しているのだ。だからこそ、この子の自由さが心配になる。リーリエは、仲間の中でちゃんとお友達はできているのだろうか?いつもまともに人間関係を築いたことのない私と一緒にいるから、きちんと関係を結ぶことができているだろうか。独りきりで寂しく過ごしてはいないだろうか、心配だ。自分がこれまで親にかけてきたことは棚に上げ、リーリエの心配をする。顔に出てしまったのだろう。リーリエも不安そうな顔をした。お母さんはあなたが心配で仕方がありません。
「マスター、…どうしよう?」
「聞かれても…とにかく、はぐれたおともだ…仲間を見つけ出さないことにはどうしようもないわ。例え、それが悲しい結果になろうとも、ね。」
私の言葉に、リーリエは悲しそうな顔をした後、納得しなきゃいけないんだと自分に言い聞かせているかのように強く、深く、頷いた。口元はつらそうに引き結ばれ、目は伏せられている。それでも、つないだ手は離さない。
どこから探そうか。リーリエを見た。
リーリエ、パートナーは味方の存在を感知することができるのだ。混戦状態の戦場で、誤って仲間を襲ったら、洒落にならないものね。始めたころ、そんな納得をして、便利だなと感心したことがある。でも、私は誤って味方を攻撃して、「僕は味方です!」とか言われるのも嫌いじゃなかったりする。PS2か3でいくつかシリーズが出たガンダムとかブレンパワードとかいろいろなロボットアニメがクロスオーバーするゲームや、ガンダムのゲームではよくやった。それ専用のボイスが付いているからだ。
私の視線を受けて、リーリエはきょろきょろとあたりを見回した。右斜め四十五度の方向を見たとき、一度、首を傾げてから、そちらに向かって手を引いた。足音を立てないようにゆっくり、慎重に進む。相手のレベルはまだ分からないが、用心にこしたことはない。
久々の大きなクエストに、胸が高鳴る。わくわくして緊張にも似た感覚を覚えるこの現象を、私は勝手に「遠足の前日、眠れなくなる現象」と呼んでいる。ただし、長いので使ったことがないのが現状だ。いつか、どこかで使いたいとは思っている。
ちょうどよく私たちを隠してくれそうな草に身を隠し、リーリエが指差した方向をうかがう。一見、なにも存在していないように見えるが、ダークエルフは精霊魔法で気配だけでなく、姿を隠すのも得意だ。用心、用心。
「……。」
「…、っ…」
リーリエが何か、多分私を呼びたかったんだろう。声を出しかけたが、私がまだ警戒し続けていたことで我慢していた。本当にかわいいやつ。その様子に、緊張の糸が切れたので警戒を解く。すると安心したようにリーリエは肩の力を抜いて笑った。
「マスター、いない?」
「嫌な感じ、する?」
「しない。せいじょうな、くうき。もり、きもちがいい。せいれい、げんき。」
リーリエたち半獣は、自然のものに敏感だ。水や光。闇や風。木や土などにも、存在を見出して対話している。気持ち良さそうに、何もない空間に笑顔を向けているリーリエを、私は何度も目にしてきた。リーリエも、自然に住まう者たちにも、対話の時間はとても気持ちのいい空間なのだろう。エルフも自然に対して敏感に反応し、そこに住む精霊とコミュニケーションをとるというのはRPGが好きなゲーマーにとってはおなじみの設定だが、半獣もそうだとは知らなかった。リーリエと出会って初めて得た知識だった。
「りえ、しんぱい。あそこ、けがれ。」
彼女は自分をリーリエのリエを使って、リエと呼ぶ。なぜ後ろの文字をとったのか。普通は最初の文字ではないのか?不思議だが、そこはリーリエクウォリティ!深く考えてはいけない。
「けがれ、穢れ?……って、血?」
「すこしだけど、けがれ。ながれている。てあて、ひつよう。」
リーリエの指す方向へ、進む。なんとなくだけど、血の鉄臭い香りが、風に乗って鼻に届いた。
味方かもしれない、というよりもその可能性がとても高いので、気配を消すことなく、逆に、相手に私たちの存在を教えるために足音をわざと立てて歩く。
気分はポケモンの草地を歩いているときのようだ。いつ、何が飛び出してくるかわからない、あのドキドキとワクワク感。世の中の本当に子供と呼べるお子様から、おっきいお友達まで。シリーズを発売し始めてから十年あまりが経った今でも、多くの人があのゲームにはまり続ける一つの理由には、あのドキドキワクワク感があるためだと思う。それ以外の理由は…、機械的なモンスターも増えてきているが、それでもなお増え続ける可愛いらしいモンスターだろう。どんなに外見が愛らしくとも、レベルを上げていけば一発でバトルを決められる強さにまですることができるのだから。
「…いない…。」
悲しそうにつぶやくリーリエに、私はどうしてやることもできなかった。
声をかけることも、なにも。
ゲームだけれど、自分の無力さを痛感させられる。そして、それがどうしようもなく悔しかった。私には何もできない、そう強制的に教え込まれたのだから。
「仕方がないわ。とにかく、」
そう言っている私の横の草地がかすかに揺れた気がした。
もしかして。
一縷の希望を胸に、リーリエに合図してゆっくりと、揺れた場所へ近付く。
「ねえ、そこに誰かいるの?」
相手に警戒されないよう、声をかけながら。
「私はアズサ。パートナーはリーリエっていうんだけど、知らない?」
「!?…リーリエ?」
「そう、半獣のリーリエ。知っているの?」
パートナーを知っていそうな空気に、私は嬉しくなる。リーリエのお友達を、無事に助けてあげられる。私にも、できたことがある。
「白い、トラ?」
「ええ、白いトラの半獣よ」
「…あ、…みの?」
呼びかけ続ける私に、リーリエはぼんやりと、隠れているお友達の名前らしき単語を呟いた。正面を向いていたのを、信じられない表情を浮かべた顔だけ振り返ってリーリエを見る。…なんというか、友達とはぐれたのに気付いたのも遅かったけれど、友達の名前を思い出すのも遅いって、…さすがにそれはどうなの?
「……本当に、確かに、リーリエだ。」
さみしそうにそう言って、草陰から出てきた。その姿はいろいろなゲームで、多くは悪役の、それもボスクラスの強いやつから捨て駒とか、雑用とかさせられている、所謂雑魚モンスターの部類として登場する奴のものだった。体は人間、けれど頭部だけが牛のそれ、いろんなゲームや漫画で、そして現在も友達であるリーリエに忘れられていた、かわいそうな役割の多いそいつの名はミノタウロス。
顔に付いている目はやはり牛のそれだったが、どことなく優しい光を宿している。「目は口ほどにものを言う」とも言われるが、牛でもそれは当てはまるのだろうか?
「まあ、とにかくリーリエの友達が無事に見つかってよかったわ。」
リーリエも心配していたし…。
言いにくくて最後は目をそらしてしまった、弱い私。本当かよ。と言う目をされずに済んだ。彼の目に見た光を信じてもいいのかもしれない。
その目は今、感動に潤んでいる。
「リーリエ、そんなにボクのことを…!」
彼は白く美しいリーリエの手を、土仕事でもしていそうな汚れた無骨な手で握りしめた。可憐な白い手がきしむ音が聞こえないだろうかと心配になるが、リーリエの顔色は涼しいので大丈夫なのだろう。
あまりに彼が嬉しそうにしているので、「忘れられていたけどな!」とはさすがのAKY(あえて空気読まない)の私でも言えなかった。不憫そうな空気を醸し出しているこの子に、そんなきついことは言えない!
感動とは別の涙で、私の目が潤む。
すると、それに気がついたリーリエが、握られていた手を振り払って、私のもとへ駆けてきた。それまでの笑顔だけれどどこか色のない表情だった顔に、心配の色が浮かぶ。
「マスター?どこかいたい?くるしい?だいじょうぶ?」
幼い発音の声が響く。
リーリエの優しい、けれど彼にとっては痛い声に、大丈夫だと一言返し、私はチラリと、申し訳なさを目一杯出して彼を横目で確認して、ごめんなさい!と力いっぱい謝りたくなった。
彼は、握る対象のいなくなった無骨な手をそのままに、放心していた。ゆっくり、ゆっくりと牛がこちらを向く。私と視線が合いそうになった瞬間、勢いよく首を逆方向にグルンッと回した。首の骨が小さくゴキッと鳴いたが、気にはしない。牛の目から流れるきらきらした美しいけれど悲しい雫を目の当たりにするよりは取るに足らないことだから。
切ない涙は、見ている側をも切なくさせる。
今日得た、いらない知識だった。
ごめんよ、牛!
そう言って、私は彼の名前を知らないことに、いまさら気がつく。
重ね重ねコンビで申し訳ない。心で詫びておいた。
「あの…」
「はい?」
心で詫びを向けていた相手から、泣きそうな声をかけられた。申し訳なさで寄った眉で振り返ると、彼は目をこすりながらも私を見て、ビクッと恐ろしいものを見たように肩を揺らした。なんだかとてもおかしな誤解をされた気がする。私は怖い人じゃないからね?優しく諭したい。肩を組んで親しげに話をしてみるのも、いいかもしれない。…決して、古い脅し方ではない。
「なに、みの?」
自分の顔に落ち込んだ私に代わって、リーリエが言葉を返す。主に怯えた牛を、少し機嫌が悪い声音と表情で見据える。
主である私がかかわると、リーリエは敏感になる。そして反応が極端だ。私が喜んでいれば同じように喜び、私が怒れば彼女も怒る。泣いたりすれば私を心配しながら、相手を睨みつける。リーリエの睨みは「普段穏やかな人が怒ると怖い」を如実に表している。
牛はリーリエのめったに見られない不機嫌な表情を向けられて、また泣きそうになりながらも私へと言葉を向けてきた。
「あ、あの、ボクはミノタウロスといいます。助けていただいてありがとうございました。」
体を四十五度に曲げて、低姿勢のいい挨拶だ。彼が現実世界、このゲーム内では【現実世界】と書いて【リアル】と読む。なんともありきたりな呼び方だが、まあ、その甲斐あってか覚えやすいのは確かだ。とにかく、現実世界で生きていれば、彼は確実に中間管理職にでもなっていただろう。スーツと上司に頭を下げる姿が似合いそうだ。しかも、家庭では奥さんの尻にどっしりと敷かれている姿が目に浮かぶ。
「あ、ご丁寧にどうも…。私はリーリエのパートナーで、ニュウドウ・アズサっていいます。ニュウドウがファミリーネームで、アズサがファーストネームです。」
このゲームは、日本国籍ではないユーザーもたくさんいる。実際にアメリカから、オーストラリアからログインしているという人にも会ったことがあるけれど、今まで言葉で困ったことは一度もない。私がバイリンガル、というわけもなく、よくはわからないが、ゲーム内で勝手に言葉が翻訳されているのだ。
これも、このゲームの、これまでのゲームにはなかった新しい画期的なシステムである。【ワンダーランド】は、本当の意味で国境を超えたのだ。
「…みの、けが…」
言われてよく観察してみると、剣で斬り付けられたのだろうか。上半身を覆う汚れたぼろ布でどうにかシャツのような形に作った布の切れ間から奥が見える、右腕の肘から手首の一センチ手前までが深く、大きく、パックリと、裂けていた。実に痛そうだ。そして、人の足を覆う何かの動物の皮だろうか?光沢のある布を使って作られたピッチリ体の線が分かるデザインの…ちょうどスパッツみたいなズボンとすごいミスマッチだ。白くて堅そうなモノが見え隠れしている。かなり痛そうだ。ゲームの世界とはいえ、背筋が寒くなる。
「え?…ああ、そういえばボク、怪我してたんだった。」
リーリエに会えた嬉しさと、私に負けた悲しみとで、忘れていたんだね。
無粋な邪推をしてみる私。会話する二人に背を向けてキツネ目になって、腕を組み、一、二度頷く。わかる、わかるよ。余裕ぶってみる。
「怪我しているなら、治療しなくちゃ!」
「え!いいいですよ、そんな高価なもの!本当に必要な時のために取っておいてください!」
持っていた回復薬を腰元に着けていた袋から出して、強く遠慮する彼の怪我した部位に塗ってやる。リーリエ、腕おさえて!言う前に行動してくれたパートナーに感謝した。
「ひえ~痛そう…」
そう、想いながら塗っていく。ねっとりジェル状の回復薬を染み込ませた患部から傷は跡形もなく消えていった。名残はうっすらと滲んでいる血の赤と服にこびりついた血だけだ。
すべての傷を消し終えて彼を見る。
「こ、これ!」
興奮気味に顔を近づけられて、後ろに背中を反らせる。牛の香りが鼻をついて、一瞬農場の緑が目の前に広がった気がした。
目の前を見る。
視界いっぱいに牛のドアップが広がっていた。…夢に見そうだ。
「これ、高級傷薬じゃないですか!?」
そう言われても…、この前やっていたキャンペーンに参加した景品で貰ったものだから。
口に出して言ってみたが、興奮した牛は止められない。
「うっわ!感動だな!ボクたち半端者は絶対に見られないと思っていたから!こうやって現物をみられて、あまつさえ使えるなんて!!」
傷薬でそんなに感動されても、どう返せばいいのか迷ってしまう。彼の言う通り高価すぎて売れなかったのか、そのキャンペーンでは三十個ももらったのだ。私は高レベルすぎてあらゆるモンスターが雑魚なので、致命傷と呼べるようなダメージを受けないし、リーリエだってそんな私が守っているのだ。傷つくはずがない。そんなわけで彼曰く「高級で、自分では見ることさえできないと思っていた傷薬」は、あと二十九個袋の中に入っている。
「お礼に、ボクたちの城へいらしてください。歓迎します。」
こんな展開を、私は聞いたことがある。子供たちにいじめられていた亀が、助けてくれた男を、お礼に海の中の、それはそれは美しい、とある場所に連れて行ってくれる話。
この展開は何なのか、迷った末にリーリエを見る。彼女は長い髪をさらりと揺らしながら首を縦に振った。
「行け。これが、この地区最初のクエスト『ミノタウロスを仲間の待つ城へ無事に送り届けよう。』」だと、頭にイメージが浮かんだ。それでは行かなければならない。
「それじゃあ、お言葉に甘えて…」
百合の名を持つ白い半獣が、楽しそうににこりと笑った。
「よかった~、助けてくれた恩人になんのお礼もしなかったら、兄ちゃんに怒られます。」
牛の顔でよくここまで感情表現ができるな、と感心しながらころころと変化する彼の顔を注視する。泣いたり笑ったりと忙しい牛顔だが、だからこそ見ていて、実に面白い。
さ!こちらです!リーリエも、はぐれないようにしっかりついて来てね。
放っておけばふらりふらりと風が吹くまま気の向くままに、どこまでも自由気ままに行ってしまうリーリエへの忠告も忘れない。彼はきっとガイドとかも似合うだろう。そう思った一瞬、脳裏にガイドの制服を着て旅行会社の小さな旗を持った牛頭のバスガイドが浮かんで、そして消えた。
「リーリエは、行ったことあるの?」
消えていった想像を完全に忘れ去るため、別の話題を癒し系半獣に振る。すると彼女は予想通りに、ニッコリ笑顔で答えてくれた。いつも癒されるその笑顔が、先ほどの気持ち悪い、不快な想像に重なって、消していく。
「マスターがいないとき、そこでおせわになっていた。だからなかよし。」
「リーリエは城でよく働いてくれて…、彼女の回復魔法はよく効くって評判なんですよ。」
攻撃系魔法のレベルは低い。リーリエ自体のレベルだって低い。けれど私は、私の苦手とする回復系、防御系の技レベルを自分自身のは上げず、代わりにリーリエを鍛えて上げまくっていた。
ゲームの花形とも言うべき攻撃を、私は重視して、それ以外は眼中になかったのだ。バランスを心配したリーリエに忠告されてから、彼女に丸投げしていたが、データを見てみるとリーリエの防御系、回復系の技レベルは百まで鍛え抜かれていた。リーリエ自身のレベルがわずか三十台だから、すごい差である。
こんなに自分と技のレベル差が開いていて、バランスもなにもあったものじゃないと思うけれど、リーリエが私の小さな傷を治したときに見せる「私、役に立ったでしょ!」と自信満々、嬉しそうな顔を見てしまうと、この差にも癒しを感じてしまう。私、パートナーに愛されているな、って。
些細な気遣いがうれしい。
「こっちですよ~アズサさん!はぐれないでくださいねぇ」
考え込んでいたら、牛に二十メートルほど離されていた。振り返って手を振る牛と、立ち止まって考え事をしている私の間に立って、人間の上半身だけ振り返りこちらを心配気に見つめる白い半獣。
緑の葉が茂る森の獣道に、私たち三人だけが存在していた。
牛の、そしてリーリエがお世話になったという城は、まだ見えない。
森を抜け、城へと歩いている間に、私はリーリエの育成方法を間違えたかと考え込んでいた。
自分のレベルは、戦闘(攻撃、守備)に関係あるレベルであってクエストに直接関係はない。だが、それとは他にパートナーの育成レベルも、このゲームでは上げて行く必要がある。この地区に進む前の地区では、「パートナーのレベル○○で挑戦可能」というクエストで揃えられていた。
自分のレベルは、クエストや戦闘で経験値を溜めたりすることで一定の経験値が溜まると上がっていく。ゲームを進めて行くと、自然と上がっていくタイプだのレベルだ。
対してパートナーのレベルは、それぞれのパートナーが持っている鏡に映し出されるコマンド「教育」や「育成」、「訓練」などのミニゲームをこなして点数を稼ぐことで、一定の点数を稼ぐとレベルが上がっていく仕組みだ。ただしこれは、休憩所内でしか選択できないコマンドであるため、クエストのために休憩所のある村から出ていたりすると選択できず、パートナーのレベルを上げることができないのだ。
私のように自分のレベルを上げることに夢中で、休憩所へは体力がなくなったら行くがすぐにログアウトして体力回復するまでの時間は太鼓の達人など他のアーケードゲームをしながら待つようなプレイヤーはパートナーのレベル上げを怠り、レベルを上げられるアイテムに頼って必要な最低限のレベルを得ようとすることがほとんどだった。
アイテムで上げられたレベルでは、パートナーはレベル上では成長しているが、その中身や本質は成長しない。敢えて舌っ足らずな口調がいい、とかパートナーなんて知らない、とかパートナーは俺が守る!というプレイヤーは好んでアイテムを使用していた。
考えながら無意識に、時々草むらから飛び出してくる敵を完膚なきまでに倒していた。ミノタウロスがキラキラと好奇心の塊であす子供のように輝かせた瞳で私を見てくる。チラリと見てみるが、胸元で握られた両手と心なしかぶりっこ女子のように内股気味になっている足が、ハッキリ言って気持ち悪かった。
私のレベルがマックスに達しているため、ある程度高いレベルの敵が飛び出してくるが、そのすべてを私は一撃のもとで下していた。それがさらに牛の瞳にかっこよく映っているようだった。
だが、本当に気持ちが悪いので止めてもらいたい。誰だって、牛に輝く憧れのまなざしで見られたいとは思わないだろう。とにかく気持ち悪い。毛色が茶色なので私には彼が食牛に見えてしまう。今日は、お肉が食べられないだろう。食べようと箸に取った瞬間、輝く目をして私を見つめる彼を、思い出してしまう。こうして、私はしばらくの間、牛肉恐怖症となったのだった。
卒業した学校での課題なので、当然書き終わっています。
が、USBメモリーに入れて時間がたって改めて見て見たら順番とかばらっばらでして…。(特に最後の二話が同じ章の同じ幕数で困った!)
書き上げた当時は、提出期限にも追われ、「…これでいいや!」気分で軽々しく書き終えたこともあり、ラストが本当にめちゃくちゃなので、…書き直しながら(読み返しながら)進めていきたいと思います。
と言いつつ、一章はあげてみる?