今夜、ゆりかもめ乗らない?
あ、よくない感じだなあ、と思う月曜の昼さがり。それがアタリでも、どうということはない。よくない感じに変わりはないのだから。お昼ごはんからデスクに戻ってチョコレートをひとかけら口に放り込む。一時的に気持ちは上がって、でも長くは続いてくれない。もう今日は、こんな感じかな。もしかしたら今週ずっとかも。それもしかたない。
「そうかいそうかい。六月の花嫁かい」
応接スペースから声が聞こえてくる。声の出どころは不明だけれど、応対している女性の背中は見えている。来月、結婚する後輩の。思わず出るため息に、隣の席の野瀬くんが顔をのぞき込んで言ってくる。
「お昼、ちょっと食べすぎちゃいましたか?」
「え… ああ、そうね」
カンの悪い野瀬くんには伝わってなかった。そのことに安堵する。わたしと野瀬くんとは、なかなか混ざり合わないミルクとエスプレッソみたいだ。不器用な人間関係を思わせるそれがもどかしいのに、そんな若者と関係を持ってしまった。迂闊だった。あまりにも迂闊だった。野瀬くんはのんきだ。先輩社員とのいっときの甘いあやまちすら誇らしく思っているふうがある。社会人になったことの、あるいは、男としての。勇ましく、度胸があって、大胆不敵な。けれど破廉恥。
思いついて、スマホを取り出しメールを打つ。
―今夜、ゆりかもめ乗らない?
しばらくして返事が来る。
―いっすね
と、野瀬くんから。隣の席とのメールのやり取りが、いけない関係を加速させるようでわくわくしてるようだ。課長が野瀬くんを呼んで、野瀬くんがやけに元気よくそれに応じた。軽薄で、お気楽な空気をふんだんにまとって。
ゆりかもめのスムーズなすべり出しは、いつものことながら心地いい。海の上をなめらかに行くみたい。隣に野瀬くんがいないのなら、きっともっと。野瀬くんの横顔を眺めながら不謹慎なことを思う。野瀬くんは子どものように、外の景色を見入っている。大きな子どもを連れてきてしまったな。したこともない結婚生活を、でも頭には、欠片も思い浮かんでこない。
「じゃあ、わたしはここでね」
レインボーブリッジの手前の駅で降りてしまう。
「あ、ちょ、え。あのループがいいんですよ、ループ、ループ」
とびきりとは言えない笑顔でわたしは微笑んで、
「さよなら」
短く彼に告げる。きっとその「さよなら」の意味を、彼は理解していないのだろう。それでも君とはさよならなの。手も振らず、背中を向ける。彼はきっとメールを打つ。わたしはそれを必ず無視する。大人ってね、そういうものなの。都合のいいこと言ってるでしょ。だから大人ってね、そういうものなのよね。ループを何度も楽しんでいられるほど、そこまで時間は残されてないの。彼は憮然とする。きっと。でもそのことに、なんの意味があるのだろう。
追ってきてくれないことにさみしさを感じながら、ひとりホームを歩いていく。五月の夜の風は、まだ少し冷たい。




