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2.俺の空

1.


 中学二年になった。


 何も変わらないと思っていた。

 でも、またクラス替え。

 二年三組。

 タケと同じクラスになった。

 泉くんとは別のクラスだった。

 ただ、それだけのこと。


 二年は二階の教室に、一つ階を下げた。

 出席番号順で座る席。

 前の席に、健太という幼稚園からの顔馴染みが座った。

 一列離れた席に、タケがいた。

 タケは、二宮という奴を連れて、俺と健太のところへ来た。


「どぉーもっ、二宮英明、にのって呼んで~。よろしくっ。」

「にの、俺健太。よろしく。で、こっちが晃。」

「おっ、晃君の噂は聞いてるよ~。」


 どんな噂だよ。

 見るからに、軽そうで、うるさそうで、お調子者タイプの二宮。

 タケと同じ蓮田第二小の出身なのであろう。

 タケにこんな友達がいるとは意外だった。


 男子の中にも色々ある人間関係。

 クラスを仕切りたがる、目立ちたがりタイプ。

 真面目、優等生、学級委員タイプ。

 静かに一人でいるタイプ。

 裏番長的存在なタイプ。

 これらのどこにも属さず、属せず、属す機会を失った、おどおどした奴がいじめにあうタイプ。

 そして、お調子者で、笑いを取るのが上手いタイプ。

 まさに二宮英明。


「あ、舞ちゃん同じクラスだね~。よろしくっ。」

「おっ、木村君。今年もよろしくっ。」

「美樹ちゃーん、隣のかわいい子、お友達?オレのことはにのって呼んでねー。」


 次々クラス中を挨拶してまわる二宮。

 タケの連れてきた二宮という奴は、わかりやすいくらいお調子者タイプだった。


 新しい教室、新しいクラス、新しい担任、新しい教科書。

 そんな新しづくめの新学期も、友達には別に困らなかった。

 ただ、それだけのこと。

 


 面倒くさいが、委員会というものがあって、何らかの委員に属さなければならなくて。

 先日、その委員決めを行った時のこと。

 大抵、学級委員という大役はすぐに決まる。

 どこにでも、クラスに一人か二人はいる、真面目、優等生、学級委員タイプ。

 ましてや去年学級委員をやっていました的な奴はすぐに目をつけられる。

 松岡 聡一。同じ蓮田小出身で、小学校の頃から学級委員タイプ。

 まさに去年も一年間学級委員を務めたお墨付き。


 次に、生活委員という、風紀問題や、生徒の学校生活に携わる仕事をやらされる、副学級委員的な存在の役。

 これもすぐに決まって、いかにもという感じの奴が選ばれていた。

 ここまでの二委員は推薦で決めるのだが、あとの委員は立候補だったり、残り物に自然に属すといった感じ。

 もちろん、委員会によって活動の差があり、はっきり言えば楽な委員と損な委員がある。

 損と感じるかどうかは人によりけりだとは思うが。

 この後の委員決めは、早速選ばれた男女学級委員が司会進行をし、生活委員の男女が黒板と記録帳に書記をする。

 

 適材適所。

 何も言わなくても、何もしなくても、なんとなく、それなりの人で決まって行く。

 明るく元気なお調子者、二宮は体育祭委員。

 そこに便乗して健太も一緒に体育祭委員。

 タケは文化委員に入り、俺は理科委員になった。

 なんてことない、ただの雑用係りだ。



 そして今日が、委員会の初顔合わせとなった。

 新学期が始まり、二週間が経っていたが、俺はクラスの奴らの名前と顔を覚えることはしなかったし、いちいち覚える必要も無かった。

 クラスの大半が同じ蓮田小出身の奴だから、こいつらの顔はだいたいわかる。

 残り数人、第二小出身者がいるが、別に努力して覚える気はない。

 委員会も同じ。

 理科室に集まった、二年の大抵の顔はわかる。

 ただ、同じクラスから、同じ委員になった奴が、知らない顔だった。


「穂高君、去年は何委員だったの?」


 在り来たりな質問が、隣の席からやってきた。

 相手の顔も見ず、適当に答える。

 それ以上、話が広がらないことに、相手も焦っていることだろう。

 それでいい。

 俺は人とのかかわりが面倒くさいんだ。

 だから、これ以上話しかけてくるなよ的なオーラも出す。


 配られたプリントに名前を記入する欄があった。

 ふと、横目で隣のプリントを除く。

 瀬戸 由利。

 綺麗な字でそう書かれていた。

 蓮田第二小出身の奴だった。


 委員会は一年から三年までの、各クラス二名、計三十六名が集まった。

 そこから、委員長というのをまた選ぶのだが、これは三年がなるので関係はない。

 次いで、副委員長も三年、書記の二名が一年と二年から一人ずつ決められた。

 あーだのこーだの、面倒くさい。

 もう役決めは飽きたぜ。

 自分には関係が無いので、大抵別のことを考えていた。


「あ、あの、今日の会議録、私書いておくね。」


 さっきとは違い、躊躇した、か細い声で話しかけられた。


「ああ。」


 一言だけ返事をする。

 すると、瀬戸由利は黒板と記録紙を往復するだけの目線に落ち着いた。

 横目に見る。

 綺麗な字。

 可哀想だなんて思ったことはない。

 俺はこういう奴だから。

 ただ、俺は人とかかわるのが面倒くさいだけ。

 女と話すのなんて、特に面倒くさいだけ。

 ただ、それだけのこと。


 委員会が終わり、教室へ戻るとタケがいた。

 他にもクラスには数人、委員会を終えた奴、終る友達を待っている奴、部活動へ行こうと準備している奴等がいた。


「おう、晃、もうすぐ終るから待ってて。」

「あっ!ちょっ、タケやん、ちゃんと抑えててってばー。」

「あ、悪い。斉藤さん。」


 俺の返事も聞かぬまま、タケは慌てて前に向き直った。

 どうやら、同じ委員会になった斉藤さん、という奴と、のり付け作業をしているらしかった。

 この斉藤さん、とやらも、第二小出身だろう。


 そういえば・・・・

 二年になって、タケはまた明るくなった気がする。

 クラスが変わって、一年の時のタケを知る奴も少ない。

 去年、タケのいじめを見て見ぬふり、知らぬふりをしていた奴もいない。

 泉くんのおかげで、三学期は毎日学校へ来ていたタケ。

 クラスの奴らとも馴染んだ頃の二年のクラス替え。

 タケにとっては良かったのだろうか。

 日に日に表情が良くなっている。

 それは・・・・


「たっだいまー、おっかえりー。」


 そう大声で一人、叫びながら教室へ入ってきたこの男、二宮の影響もあるのだろうか。


「にの、うるさいっ。」

「なーんだよ、恵子は冷たいな~。」

「あ、にの。健太。おかえりー。」

「だからタケやん、ちゃんと押さえてて。」

「はいはい。」


 登場した二宮と健太の方を振り返ろうとして、タケはまた、斉藤さん、とやらに厳しい一言をもらっていた。

 この、二宮の無駄に明るい、お調子者タイプ、はっきり言って俺にはどうにも合わないタイプなのだが。

 でも、もし。

 もし、二宮が去年、同じクラスにいて、タケのそばにいたなら・・・・

 いじめは起こらなかっただろうか。

 こういうタイプのやつが、そばにいたら・・・・


「それから、にの、恵子って呼ぶなって言ってるでしょ。」

「いいじゃーん、恵子も英明って呼んでいいんだよ?」

「そういう意味じゃない。」

「なんだよー、幼稚園の頃は呼んでくれただろ、英明ちゃんってなっ。」

「ばーかっ。そんな昔の話は忘れた。」

「忘れただってー。ひどくなーい?」

「にの、頼むから邪魔をするな。おれが斉藤さんに怒られる。」


 そう言って間に入る、タケ。

 どうやら、斉藤恵子と二宮英明は幼稚園からの付き合いらしい。


「別に怒ってないわよ。」

「十分怖いよねー、由利ちゃんっ。」

「にの・・・またけいちゃんに何か言ったの?」


 その後教室に入ってきた、俺と同じ委員の瀬戸由利に話をふる二宮。


「由利、委員会大丈夫だった?」

「うん。大丈夫。」

「そう。」


 斉藤は瀬戸由利に心配そうに話しかけた。

 なんだ?こいつ、ずいぶん二宮の時と態度が違うじゃねーか。


「由利ちゃんは恵子みたく怖い顔なんかしないもんねー。由利ちゃんはかわいいもんねー。」


 そう言うと笑顔で瀬戸由利に話しかける二宮。

 対応に困る瀬戸由利。

 それを見た斉藤の表情が変わる。


「にの、いい加減にしないとほんとに怒るわよ。」

「はいはい。じゃあ、部活にでも行きますか。」

「それがいいわね。」

「じゃあ皆、まったねー。」

「おー。」


 笑顔で手をふり去って行く二宮に、タケと健太だけが答えていた。

 タケ、二宮、斉藤、瀬戸は同じ第二小出身か。

 タケもこいつらといる時はリラックスしている雰囲気だな。

 穏やかじゃなさそうなのは斉藤恵子か。

 女子の中でも最もかかわりたくないタイプだな。

 面倒くさい、かかわらないようにしよう。

 ただ、それだけのこと。



 五月になった。

 二年生最初の定期試験が終わり、その結果が掲示板に貼られた。

 成績上位三十名の名前が載っている。

 タケと見に行った。


「おっ、晃九位、おれ六位―。」

「タケ、また順位上げたな。」

「やっぱ授業出てるのと、出てないとでは違うっしょ。」


 そう言ったタケは笑顔だった。

 去年、学校を休みがちだったタケも、定期試験だけは受けに来ていた。

 そして、その全試験の結果で、十位以内に入っていた。

 学校に来なくても、授業に出なくても、タケは頭のいい奴だった。

 そんな学校に来ていなかった頃の、苦しい経験も、笑って話せるようになったのだろうか。


「おっ、頭いい二人だなー。触っとこっ。」


 二宮が後ろからやってきて、俺とタケの頭を撫で回す。

 二宮は背が高いので、俺達よりも頭一個分、出ている。


「俺らよりももっとすげーのがいるじゃん。」


 タケが指差したところには、クラスの学級委員になった松岡の名前があった。

 第一位。


「マジで!聡一くんとこ行って拝ませてもらおーっと。」


 そう言うと、二宮は足取り軽く、教室に戻って行った。


 クラスも落ち着いてきて、いくつかのグループが出来上がっていた。

 俺はタケと健太と過ごしていた。

 タケの連れてきた二宮はというと。

 あいつは落ち着かない奴だった。

 俺達のところへ来たと思うと、ふらーっとまた別のところに行って、一日に一度は必ず話したけれど、あいつは色々なグループに顔を出していた。


 クラス絵図。

 真面目、優等生、学級委員タイプの奴ら、学級委員の松岡を中心に、六人のグループが出来ていた。

 最も、ここに入ったら無難に学校生活が送れるだろう。

 ここにいる奴らがいじめをするようなタイプではないし、学級委員の松岡は、成績も良いし全クラスの先生からも信頼されている。

 こういう奴をわざわざ敵に回す馬鹿はいない。


 だが、その松岡グループを良い風には思っていない奴らもいる。

 クラスを仕切りたがるタイプの奴ら。

 当然、面白くは無いだろう。

 先生も、女子も、松岡グループには一目置いている。

 そんな反、松岡派の奴らも、頭は悪くないから下手な動きはしない。

 影で悪口を言う程度。


 静かに一人でいるタイプも、どこにも属せず、属す機会を失った、おどおどした奴もいじめの対象にはならなかった。

 そして、お調子者で、笑いを取るのが上手いタイプはただ一人、二宮英明。

 二宮は、松岡グループにも顔を出す。松岡も二宮を受け入れている。

 反松岡派のグループにも顔を出し、冗談言って笑っている日もある。反松岡派グループからも気に入られていた。

 それから驚いたことに、静かに一人でいるタイプの奴にも話しかけているし、どこにも属さずおどおどしている奴とも、二人きりで笑って話しているのを見かけた。

 俺にはそんな二宮が、全く信じられなかったし、理解できなかった。

 いつもニコニコ、明るくにぎやか。

 どこにも属さず、女子のところにも男子のところにも、ふらっとやって来ては、また居なくなる。

 そんな風のような奴が二宮。

 だからこのクラスにはいじめがなかった。

 ただ、それだけのこと。



 その夏は暑かった。

 夏休みに入ったが、部活動は続いていた。

 宿題もあるし、夏休み明けには試験もある。


 お盆を過ぎても一向に涼しくならない暑さ。

 照りつける太陽が憎い。

 宿題を片付けていたが、暑さが邪魔して思うようにはかどらない。

 気分転換に、市立図書館へ行こうと居間へ降りると、ばあちゃんがいた。


「晃、麦茶入れたよ。」


 八畳間に、ばあちゃんと二人で座った。

 縁側には、まだ強い日差しが入り込んでいる。


「クーラーつけないの?」

「扇風機で十分だがな。」


 ばあちゃんはそう言うと、麦茶を口につけた。


「今年は例年にない猛暑だってよ。」

「毎年そう言うじゃろ。」


 ばあちゃんの淹れてくれた麦茶は冷たかった。

 やかんで沸かし、冷蔵庫で冷ます。

 グラスも一緒に冷蔵庫で冷やしてくれる。


「ごちそうさま。」

「図書館かい?」

「うん。夕方には帰るよ。」


 そう言って、家を出た。

 外もまた、アスファルトの照り返しが強く、むっとする暑さ。

 呼吸が苦しくなる。

 さっきまで飲んでいた冷たい麦茶を体が思い出す。

 麦茶はばあちゃんの味がした。

 夏休み、タケの家へ遊びに行くと、お手伝いのおばさんが麦茶を出してくれる。

 部活の合間、図書館の帰り、自動販売機で買う麦茶。

 どれも、ばあちゃんの麦茶とは違うと感じた麦茶。

 幼い頃からのばあちゃんの味。



 その日、図書館から帰るとばあちゃんと一緒に夕食を食べた。

 焼き魚に、大根とがんもの煮物、暑いのに味噌汁。

 前に一度、タケんちであのお手伝いさんに昼食をご馳走になったことがある。

 オムライスにサンドイッチ。オレンジジュース。

 いかにも洋食派という感じの食卓。

 タケが少し体格いいのも、お手伝いのおばさんの体格も、わからなくもない。


 子供ながらにわかっていたこと。

 俺の家は皆の家とは違うこと。

 父親は相変わらず仕事が忙しい人だし、兄貴達とも顔を合わせれば嫌味を言われるだけ。

 中学に入り、部活に入り、だいぶ家に居る時間は少なくなったが、それでも生活動作が重なることもあるわけで。


「晃とご飯を食べるのも久しぶりだねえ。」

「そう?」

「中学は忙しいかい?」

「まあまあね。」

「夏休みなのにゆっくり出来ないねえ。」

「全部が部活じゃないよ。遊びにも行ってる。」

「そうかい。」


 ばあちゃんはゆっくり食べているので、気がつくと俺の皿は空になっていた。


「勝もいないし、もっとゆっくりしーや。」

「ただいま。」


 玄関の扉が閉まり、居間へと続く廊下に足音が鳴る。


「ごちそうさま。」


 俺はそう言うと、席を立ち、食器を台所へ下げる。

 ちょうど背中を向けた時に、兄貴が居間に入って来た。


「おかえりー、亘。今日は早いんだね。」

「あちー、ばあちゃん、クーラーは?」

「扇風機で十分だがな。」

「昭和何年だよ、ったく・・・これだから」


 年寄りは。

 そう言いたかったのであろう。

 が、その言葉は焼き魚と共に口へと飲み込まれた。


「魚は頭にいいそうじゃよ。でー、しーしー?」

「DHA。」

「そうじゃ、それ。」

「もう何十回目だよ、ばあちゃん。」


 やれやれといった表情の兄貴。

 二人のやりとりの間に、俺はさっと台所から姿を消す。

 生活動作の重なる時間。

 もう何年も、食卓に全員が揃って座ることは無かった。

 ばあちゃんは決まって六時までには夕食を済ますし、部活を終えて帰る俺は七時を過ぎる。

 塾へ通う兄貴は夕食が夜食代わりになっていた。父親が家で食事を食べることは滅多に無い。


 俺には二人の兄貴が居る。

 一番上の勝兄は、この春から東北の大学に進学し、寮に入った。

 二番目の亘兄は、高校三年。


 勝兄がいなくなってからは、だいぶ家の雰囲気が変わった。

 男三人兄弟、年寄り一名。

 ただでさえ、男三人が家の中、同じ部屋にいるだけでも暑苦しいだろう。

 ばあちゃんをはるかに超える長身の兄二人。

 育ち盛りの俺。

 年々腰の曲がっていくばあちゃんにとって、孫達の顔を見上げるのに一苦労。

 立派に育ててくれた男三人兄弟。

 ただ、それだけのこと。



2.


 二学期が始まった。

 席替えをした。

 一年に何度か行われるこの席替え。

 相変わらず、こんな面倒くさいことはない。

 なにが良くて席替えなんかするのだろうか。

 騒がしくなるだけだ。

 予感的中。

 隣の席は瀬戸由利。


 かかわらないようにしていたが、同じ委員なので、月に一度は一緒に会議に出る。

 そして、二週に一度は当番で、理科室か化学実験室の清掃及び点検を行うのが仕事。

 それだけ。

 かかわりはそれだけのはずだった。

 だが・・・・・


 夏休み前、男子達の恋愛話に付き合っていた時のこと。

 クラスの奴らの一番人気は瀬戸由利だった。

 クラス内だけでなく、他のクラスにも由利を好きだという奴がいるとか。

 どこがいいんだ?あんな奴。

 そう思って聞いていた。


「やっぱ由利ちゃんでしょ。」

「なんだおまえもかよー」

「そうゆーおまえも一年時から由利ちゃんかわいいって言ってたよな。」

「あ、覚えてた?」

「やっぱまだ好きなのか?」

「とーぜん。」

「でもさー、かわいいよな、由利ちゃん。」

「俺この間さー、落とした消しゴム拾ってあげたらありがと。って言われたー。」

「なにー!それは羨ましい。」

「お前らそんな由利ちゃん好きなの?」

「なんだよ、悪いか?」

「いや、悪くは無いけど、由利ちゃんって確かに顔かわいいけど、おとなしくない?喋んないし。」

「バカだなー、そこがかわいいんだろっ。おとなしくて、静かで、その辺の女子とは違うさー。」

「そうそう、由利ちゃんの良さがわからないなんて。」


 ばかはおまえらだろ。

 そんな本音はもちろん言えず。

 おとなしいのがかわいい?

 なんだそりゃ。

 ばかな男の恋愛話を大人しく聞いていた。


「とにかく、由利ちゃん好きな奴、抜け駆けは禁止だからな。」

「おお。そうだな。」

「自分だけいいとこ持ってくのはなしなっ。」

「俺、まじで今年由利ちゃんと同じクラスで良かったー。」

「体育ん時の由利ちゃんとか超かわいくね?」

「かわいー。」

「だなっ、だなっ。」

「他のクラスの奴らには味わえねー、かわいさだよなー。」

「俺、由利ちゃんの困った顔がすげー好き。」

「あ、それわかるかも!顔赤くして、下向いてるのとか。」

「ちょっときつい言い方するとなるよな。」

「そうそう、泣きそうな顔もかわいよなー。」

「なんだ、おまえわざときつい言い方してんのか?」

「だってー。」

「やめろよなー。そういうの。」

「そういうお前だって。」

「お互い様だろー。」

「かわいいと思うのは一緒。」

「だなーっ。ははははー。」


 やっぱりばかだ、こいつら。

 困らせてかわいいって、それっていじめてるだけじゃん。

 どいつもこいつもアホだな。

 女の話なんて面倒くせーな。

 早く終わんねーかな。


「そーいや晃君て、由利ちゃんと同じ委員じゃん。」

「あ!いいなー、由利ちゃんと一緒に委員会。」

「由利ちゃんと一緒に理科室で仕事。」

「ずりー。」


 すっかり人事に聞いていた話が、ひょんなとこから自分に降り注がれていた。


「なー、晃くんも由利ちゃん狙い?」

「まじで?」

「それ、聞いとかないとー。」


 男共の視線が集まる。

 面倒くさい。

 いちいち、面倒くさい。


「いや、別に。」

「なーんだ、そっかぁー。」

「良かった良かった。」

「それならそーと言えよなー。」

「でも、あんま近づくなよ。」

「そうそう、由利ちゃんのかわいさを知ったら好きになっちゃうかもだし。」


 付き合いきれなくて、その場を離れた。

 それはちょっとした時間だった。

 タケと、健太のいない時に、話に付き合っただけ。

 反松岡派で、クラスを仕切りたいタイプを含む、松岡派に入っていない男子のグループ。

 どうやら今は、松岡よりも由利への執着が強いようだった。

 ただ、それだけのこと。



 席替えで由利の隣になって一週間が過ぎた。

 評判通り、由利はおとなしくあまり喋らない。

 必要に応じて、授業で使うものなど、隣の席同士の協力が不可欠となることがあるのだが、由利は消極的だった。

 むしろ、躊躇したような、困っているような。

 視界に入ってくる由利の字。

 綺麗な字。

 だから書き物なんかは由利が書いた方が適材だと思うのに。

 そういう時でさえ、由利は消極的で、躊躇って、どうしようと常に誰かに助けを求めているような態度。

 そんな態度に、俺はだんだん不快感を感じるようになった。


 それに加えて、休み時間になると集まってくる由利を好きだという男達。

 由利の席まで来ては、さり気無く机にぶつかって物を落としたり、それを拾って由利にお礼を言わせてみたり。

 最初はこの程度のいたずら、気にもならなかったが、だんだんとエスカレートしてくると、さすがに目に留まる。

 わざとらしさが目に見えている。

 由利の背中にこっそり紙を貼り付けたり、消しゴムを隠したり、由利が困ることをまるでゲーム感覚のように仕掛けてくる。

 それを、少し離れた所から見物してる男達。

 笑いながら、プレイヤーの様子をジャッジしているのはまるで遊び感覚。

 当の本人は、困ったあげく、泣き出すこともしばしば。

 泣いたら百円なんて、賭けの標的にもされている始末。

 十分の休み時間でこんなことをする奴らも大したもんだ。


「あんたたち、いい加減にしなよ!」

「おっ、斉藤さん登場―。」

「おー、こわこわ。」


 見るに見かねて斉藤が由利を助けること、しばしば。


「由利も。あんたも自分でちゃんと言わなきゃダメよ。」

「でも・・・けいちゃん・・・。」


 泣きつく由利に、斉藤は最もなことを言っていると、その時俺は思っていた。

 おとなしくて、はっきりしない、かわいさ。

 そんなのあるのか?

 男が男をいじめることはなかったけれど、このクラスは男が女を標的にしていた。

 いじめとはまた違うと思うけど。

 意地悪・・・・

 確かにしたくなる、そんな気持ちにさせる奴だった。由利は。

 ただ、それだけのこと。



「にーのっ。辞書貸して。」

「もえっ。」

「今日英語あったでしょ?もう使わない?」

「んー、残念だけどオレの辞書は貸し出し中!」

「えー、そんなぁ。」

「タケやーん。」


 休み時間、タケと健太と喋っていたら、にのに連れられあの女が来た。


「英和辞書貸して。」

「また忘れたのか?家か?」

「はずれー。今度は塾。」

「塾に忘れるか?普通。」

「あー、もうこんな時間。タケやん、ありがとっ。」

「おい、まだ貸すとは言ってない・・・・」

「今度ジュースおごるからー。」


 そう言うと去っていった。

 全く騒がしい女。

 去年から、タケのところにノートや辞書を借りに来ていた女。

 今年になってもそれは続いていた。

 むしろ、今年の方が頻繁だ。

 どうやらタケではなく、二宮の方に来ているらしいが。

 廊下ですれ違う時とか、二宮に話しかけている。

 そこにタケも同乗して話している。

 完全に顔は覚えたが、そういえばこの女の名前は知らなかった。

 別に、知る必要もない。

 ただ、それだけのこと。

 


 かかわりたくないと思っているのに、隣の席だと日直を組んでやらなければならない。

 まったく面倒くさい。

 ただでさえ、日直なんて面倒くさいのに、その上、組む相手が由利。


「ごみ捨て行ってくるから、日誌書いておいて。」

「あ、あ、はい・・・・」


 日頃から女子と喋るのが面倒くさいが、由利には喋らないと伝わらないことが多過ぎる。

 それなのにあの返事。

 当たり前のことを、当たり前に言っているだけなのに、なんであんな躊躇して、困った顔をするのだろう。

 今までにも男達からちやほやされ、何も言わなくても、何もしなくても、許されてきたのだろうか。

 おとなしいから、喋らないから、誰かがやってくれるから、皆が助けてくれるから。

 かわいいという、だけで。

 それだけで何もかも手に入れた女。

 そういうの、不快に思う。


 焼却場のゴミ山に、持ってきたごみ袋を思いっきり投げつけた。

「―――っつ!」

 膝に痛みを感じた。

 最近、夜中に痛みで目を覚ますことがある。

 腕の関節、膝の関節に突然走る痛み。

 成長期、なのだろうか。

 中学に入って毎年四月に行われる身体検査では、身長だけが大きく数字を伸ばしていた。

 一年生で百五十五センチだった身長は、この四月に測った時には百六十六センチになっていた。


 教室へ戻ると部活へ行く支度をはじめた。

 当然、由利に任せた日誌は終わっているものだと思い。

 だが・・・・・・


「あ、あの、ここ・・・・・」


 そう言って日誌を持ってきた由利。

 それを見た俺は唖然とした。

 全くもって空欄の方が多いであろう。

 こいつは俺がごみ捨てに行っている間、いったい何をしていたのだ。

 何をしていたら、ここまで終われていないんだ?

 込み上げてくる不快感。


「なんて書いたらいいのか・・・・」

「適当でいいんじゃん。」

「えっと・・・でも・・・」


 下を向き、困った顔の由利。

 ため息をつく俺。


「書くから。」


 そう言って、由利から日誌を取り上げた。

 すると、


「きゃっ・・・」


 え?

 なんだ?

 こいつ・・・・


 日誌を半ば強引に取り上げたかもしれない。

 由利の手に、触れたかもしれない。

 それだけのことなのに、なんだ?

 こいつのこの反応・・・・

 下を向くのはいつものこと。

 泣き出すのはいつものこと。

 怯えているのはなぜ?


「あー!」

「何由利ちゃん泣かせてんだよー。」


 そう言って二人の男子が教室に入ってきた。


「由利ちゃん大丈夫?」

「おまえ由利ちゃんに何したんだよ?」


 由利のことを好きだという浅野、小田切だった。

 おまえらこそ、なんだんだ。

 面倒くさいことになった。


「別に。」

「別にって、なんだその言い方。」

「おまえが何かしなかったら由利ちゃんが泣くわけないだろ?」


 何もしなくてもそいつは泣くさ。

 何も言わないくても、何もしなくても、泣けば誰かが助けてくれるのだから。

 泣けば皆が助けてくれるのだから。


「ってか、マジなに泣かせてんだよ。」

「おまえ調子のってんじゃねーよ。」


 睨み付けてくる。

 だから睨み返してやった。


「なんだよその目。」


 大変気分を損ねたようだった。

 だが、俺も気分が悪かった。

 また関節が痛む。

 何も言わない由利がムカつく。

 その由利を庇う奴らがムカつく。


「おまえさー、ちょっと頭いいからって調子のんじゃねーよ。」

「由利ちゃんと隣の席だからって目立つことすんなよ。」


 頭がいいのも、席が隣なのも関係の無いことだろ。

 単に、おまえらのおもちゃを横取りされたのが気に入らないんだろ。

 そんな単純なこと、わかんねーのか。

 そんな単純なこと、わかんねーのか、俺は。

 相手にすることない。

 かかわることない。

 かかわらなくていい。

 ただ、それだけのこと。


 それなのに、なんで俺はこんなにイライラしてるんだ?



 翌日。

 昨日の放課後は散々だった。

 部活をサボって家へ帰った。

 不快なことというのは連鎖するようで。

 珍しく塾の無い亘兄と帰りの時間が重なってしまった。

 亘兄と目が合う。


「部活も勉強も中途半端か?」


 ふっと鼻で笑いながらそう言い残し、二階へ上がった。

 俺は何も言わなかったし、何もしなかった。

 ただ、それだけのこと。


 四時間目が体育だった。

 男子は体育館でバスケ、女子はグラウンドでマラソンだった。

 体育の授業は男女別、二クラス合同で行われる。

 三組と四組が同じ授業。

 スポーツは嫌いではないが、好きでもなかった。


「ピピ―――っ、交代。次、CとDグループ、コートに入れー。」


 体育教師が笛を吹く。

 休憩が終わり、俺のいるCグループが試合をする番になった。


「晃君、見てくれたー?オレのスペシャルシュートっ!」


 さっきまでの試合で疲れているはずが、

 いつも通り陽気な声の主、二宮。


「もうちょいでダンク行けると思うんだけどなぁー。」


 確かに、百八十近い長身の二宮なら、できなくもなさそうだ。


「やっぱオレ、陸上辞めてバスケにすっかなー。」


 相変わらずおめでたい奴だ。

 俺だけでなく、あっちこっちに言って話しかけている。

 あれだけ動いたのにお喋りは止まらない。

 元気な奴だ。

 タケも、健太も、さっきの試合に出ていたグループなので、二人とも床に転がり込むようにして座っている。

 運動部でない二人にとってはきつい時間だったのだろう。


「ピ―――。」


 再び笛が鳴り、試合がはじまる。

 嫌いじゃないが、好きでもない。

 授業であるから適当に。

 無難な動きをしているつもりだった。

 バシッ!

 味方からパスがくる。

 受け取る。

 バシッ!

 またパス。

 バシッ!

 おいおい、俺はそんなに頑張るつもりはないから、現役バスケ部員栗山の方へまわした方が利口だぞ。

 そんな風に思っていた。

 ところが・・・・

 その同じチームの、現役バスケ部員栗山からパスがまわってくる。

 しかも頻繁に。

 そしてだんだんと速くなる。

 おいおい。

 パスというより、俺目掛けて投げてないか?

 しかも強い球・・・・

 ベシッ!


「―――っつ!」


 今度は背後から、球が飛んできて首辺りに当たった。

 痛みが残る。

 おいおい、ちゃんとコントロールしろよな。

 いくらなんでも背後のコースは読めねーよ。

 今度は真横から。

 受け取りきれずに、耳の辺りをかすめた。


「ピッピッ。」


 ボールが外へ出る。


「ピッ。」


 笛の合図でスローイン。

 試合再開と共に、またも次々と激しいボールが飛んでくる。

 肩に、背中に、腹に、膝に・・・・・・

 おいおい、これじゃあバスケじゃなくてドッジボールだろがっ。

 バシッッ!!


「いって―!」


 受け取れず、避けきれず、もろに顔面に当たった。


「わりー。」

「せんせー、穂高君と交代させて下さいー。」


 待機していた交代枠の一人が、コートに入る時、俺に言った。


「調子に乗ってんじゃねーよ、バーかっ。」


 コート内に響き渡るかすかな笑い声。

 どの表情も笑みがある。

 ああ。なるほどな。


 俺は何も言わないけれど、何もしないけれど、その時初めて全てを理解した。

 ただ、それだけのこと。


 体育館から出ると、同じく体育を終えた女子がグラウンドから戻るところだった。


「由利ちゃーん。」

「女子はマラソンだったの?男子はバスケだよー。」

「由利ちゃんに見て欲しかったなー、俺のシュート。」

「おれもーおれも。」


 バカな男達が由利を囲む。

 困って下を向く由利。

 その男達を睨み付けている斉藤。

 いつものことだ。

 いつもの光景。


「おっ、もーえーっ。」

「にのっ!」

「男子はバスケ?いいなー。」

「女子はマラソン?」

「千五、タイム計測だったよー。もーいや。」

「ははは。もえは短距離派だもんなー。」

「あ、タケやん。」

「なんだ?辞書なら持ってないぞ。」

「ちがうよー。」


 いつもの辞書女。

 いつもの光景。


 いつもと違うのは・・・・

 そういえば、辞書女、体育が一緒ってことは四組ってことか。

 隣のクラスだったのか。

 まぁ、クラスなんて知ったところで俺には関係ねーか。

 次は教室で授業か。

 由利の隣の席で。

 由利にはもうかかわりたくない。

 ただ、それだけのこと。



 それから体育祭があって、合唱コンクール、日帰り旅行と行事が続いた。

 理科、化学、体育、美術、技術、音楽、これらの授業は移動教室なので隣の席に由利が座ることはない。

 朝と帰りのHR、一日の授業の中で三つか四つ、隣の席に座る由利との時間。

 常に誰かに見られているような、見張られているようで、睨まれているようで、苦痛。

 相変わらず由利は下を向いているし、少しきついことを言うと泣き出す。

 俺にはそれが理解できない。

 だから余計に不快。

 由利を見ていると苛々する。

 そんな由利を庇うバカな男達を見てると苛々する。

 だからつい、由利への態度が悪くなる。

 だから余計に男達から睨まれる。

 そんな悪循環。


 痛む関節。

 成長期なのだろうか。

 幼稚な考えの男達も、成長してはくれないだろうか・・・・

 抜け出せない悪循環の輪。

 ただ、それだけのこと。



「あはははははー。」

「笑うな。」

「だって・・・あははっ・・・」

「タケ、笑い過ぎ。」

「わ、わりー・・・だー、笑える。」


 まだ笑っているタケ。

 笑いをこらえようとしているのだろうが、肩が笑っている。


「そんな事で苛々するとは、晃も人間ぽいってことじゃん。」


 日曜日、タケの家に遊びに来た俺は、由利の事を話してみた。


「しかも、晃マジな顔で話すからさ、それがまた笑える・・・くっく・・・」


 再び笑いのつぼにはまったタケ。

 真面目な話しのつもりだが。


「晃が人のこと気になるなんてな。」

「気にしちゃいねーよ。」

「そういうの、気になるって言うんだぞ。」

「わかんねー。」

「そしてそれを人は恋と呼ぶ。」

「ありえねーよ。」


 気にする?

 気になる?

 俺が?

 由利を?

 まさか。

 気にするどころか、見ているだけで苛々すんだぞ。

 隣に居る時間は苦痛なんだぞ。

 それが恋なわけねーだろ。

 タケに話した俺が間違っていたのか?

 いや、タケなら話せると思ったし、タケになら話してもいいと思った。

 タケしか話せる友達なんていないけど。


「おれもあるぞ。」

「え?」


 笑いがおさまったタケが言った。


「なんつーか、気を引きたくていじわるしちゃう?」

「それはあいつ等のやってることだろ。幼稚ないじめ。」

「確かに。晃の言う通りだな。」


 俺は別に由利の気を引きたくて苛々しているわけでもないし、きついことを言って泣かせているわけでもない。

 ただ・・・・・

 どうにもならない、無性に苛々するこの気持ち。

 なんなんだ?


「じゃあさ、なんで晃は由利ちゃんのこと完全無視、できないの?」

「え?」

「かかわらないって決めたらさ、今までの晃ならとことんかかわらないじゃん。相手が困ろうが、泣こうが、関係なく自分のスタイルを貫いてた。」


 そうだな。

 確かにタケの言う通り。

 女子に何を言われようが、言われなくても、関係なかった。

 基本、人とのかかわりが面倒くさいし、まして女子なんて面倒くさい。

 だから俺が居ようが居まいが関係のなかった・・・・


 そう、去年の俺は泉くんに守られた、泉くんの作ってくれた人間関係の中にいたから、それで許された。

 それが許された。

 でも、今は違う。

 泉くんはいない。

 代わりに、友達というタケを見つけた。

 俺はそれで満足だった。

 俺はそれで良いと思った。

 タケがいれば、それでいい・・・・・と。


 でも、タケは違う。

 俺とは違う。

 タケと出会ってから、俺は自分のこと、家のこと、母親のこと、兄貴達のこと、少しずつ話せるようになった。

 でも、まだ話していない事の方が多い。

 タケは自分についてのほとんどを話してくれている。

 タケは、裕福な生活を手に入れながら、いずれ自分の好きなことを諦めなければいけない。

 そういう境遇に立ち、見た目よりもお金よりも、中身を大事にする、そんなタケだから、俺はここにいる。


「まぁ、恋じゃないとしてもだ、周りが自然に晃のこと、わかってくれると思うぜ。」

「別に俺は・・・」


 去年、タケが変わったのは泉くんがいたから。

 裏番長的存在の泉くんが、クラスのやつらにタケを受け入れさせてくれた。

 俺は何もしていない。

 俺は何もできなかった。

 

 二年になって、泉くんがいなくても、タケが変わったのは自分の力。

 俺は何もしていない。

 それでもタケはうまくやっている。

 タケ、健太、二宮、クラスの奴ら。

 俺は今度こそ、自分で人間関係というのを築かなければならないのか。

 そんな面倒くさいこと、しなければならないのか。

 俺が一番面倒くさいとしている、人とかかわること。

 そしてそれは一番苦手なことでもある。

 ただ、それだけのこと。



3.


 十一月になった。

 毎年恒例の写生大会。

 去年と同じ、人気の無い、静かなあの場所を選んだ。

 タケと健太はグラウンドの方で描くと言っていた。

 サッカーゴール、グラウンドが見渡せる階段の上、校門の木、校舎、これら定番人気の場所には毎年たくさんの人が群がっていた。

 そんな所で落ち着いて絵なんか描けるかよ。

 俺は来年もこの場所で描こう。

 そんなことを思って過ごした。


 静かな中庭。

 空を背景に、緑の芝に色を落とす。

 絵の具の匂いは落ち着く。


 まだ家で絵を描いていた頃、縁側に座って描くのが好きだった。

 ばあちゃんに買ってもらった絵の具を、縁側に並べて、眺めているだけでも幸せな気分になった。

 そんなので幸せを感じられるなんて、幼稚だろう。

 でも、あの頃は、それで良かった。

 それが良かった。

 お絵かきは、楽しかった。


 今日は午前で終わり。

 午後は部活。

 行事続きの二学期も、終わってしまえばなんてことはない。

 俺は静かに、学校生活を送りたいだけ。

 ただ、それだけのこと。



 その日、家に帰るとばあちゃんが言った。


「あら。絵の具の匂いだが。」


 年をとっても、嗅覚は衰えないようだ。


「写生大会だったんだ、今日。」

「制服脱いだらよこしー。干しとかんと匂い消えんで。」


 俺は制服を脱ぐとばあちゃんに渡した。

 ばあちゃんが制服をハンガーに掛けながら言った。


「懐かしー匂いばする。」

「そう?」

「晃がちっちぇ頃は家ん中、よう絵の具の匂いしてたが。」


 消臭スプレーを吹きかけると、外へ干しに行った。


「縁側が好きでなぁ。ようここで描いとったが。」


 俺も今日同じことを思い出していたので驚いた。

 ばあちゃんも覚えていたのか。


 絵の話。

 小四の時に描いた一枚の絵で賞を取った。

 家族の誰もいい顔をしなかった。

 それだけはよく覚えている。

 だから俺はその日から、家で絵を描かなくなった。

 絵の具も、絵筆も、画板も、全て学校に置いたまま。


 ばあちゃんの横顔を見る。

 絵の話をして思い出すのは母親のことだろう。

 アトリエで、絵を描いていて、早産で、発見が遅れた母親。

 俺が生まれたことと引き換えに、命を落とした母親。

 絵の話は、決まって家族を苦しめる。

 絵の話は、俺の立場も悪くする。

 でも・・・・

 その日見たばあちゃんの横顔は、それほど悲しそうではなかった。

 ただ、それだけのこと。



 二学期も終わろうとしている十二月。

 先日行われた期末試験の結果が掲示板に貼り出された。

 健太に付き合って見に行った。


「だー、やっぱり入っているわけがないか、俺なんて。」


 貼り出されたばかりの掲示には、人だかりができていた。


「晃君は十三位だし、タケは五位。そして一位は聡一君。うちのクラスどうなってんだよー。」


 少し順位を落とした。

 由利の隣になってからだ。

 と、そう決め付けるのは俺も小さい奴だなと自分で思う。

 他にも要因はあるだろうに。

 部活は皆入っているし、塾にだって通ってる奴もいる。

 勉強の時間なんて、取ろうと思えば自分次第。

 勉強するのもしないのも、自己責任。

 今までは特にすることもなくて、一人で過ごす時間は無駄にあったから、勉強には困らなかった。

 タケと遊ぶ時間が増えたからといって、タケは順位を落とすどころかむしろ上がり続けている。

 そんなのは皆同じ。

 自己管理。

 ちょっと自分が情けねー。


「あー、負けたぁ。」

「よっしゃ、帰りのジュースは萌ちゃんのおごりなー。」

「くやしい。」

「二勝一敗。」


 ふと、聞き覚えのある声の方に目を向ける。

 辞書女。

 と、同じ蓮田小出身の笠原 祐也。


 相変わらず辞書女は元気に喋り、跳ね回っている。

 ジュース一本の賭け事位で、一喜一憂できるとは幸せな奴だ。

 何の悩みもなさそうに。


「もー、次こそは負けないからねっ。」

「受けてたとうー。ははは。」


 笠原祐也の順位を探した。

 十二位。

 おいおい、俺より上だったんじゃないか。

 ってことは、辞書女、祐也に負けたものの・・・・三十位内に入ってたってことか?

 二勝一敗、って言ってたか。

 祐也が一敗は負けているということは・・・・

 おいおい、そんな変わんねー位置に、いつもいたってことか?

 頭悪そうに見えたのに。

 人は見かけによらねーのか。

 ただ、無駄にうるさい奴だと思っていた。

 ただ、それだけのこと。



 また日直当番が回ってきた。

 当然、隣の席、由利と。

 おそらく、由利と組むのはこれで最後になるであろう。

 三学期に入ればまた席替えがある。

 そう思えば多少の苛立ちは抑えることが出来た。


「ほ、穂高君、ここの記入はこれでいいかな?」

「いーんじゃね。」


 相変わらず消極的で、自分で進められず、いちいち人に確認を求める由利に、苛立ちを覚えながらも、俺は俺で確認もせず、適当に返答する。

 それがまた、由利にとってはつらいようで、また下を向いてしまう。

 そろそろ泣くか?

 由利のパターンは単純だ。

 まず相手に話しかけるまでに、躊躇、緊張があるから、話しかけて冷たい態度を取られると、すぐに困る。

 次に話しが進まないものなら、困っておどおおど。

 そこにきつい一言または態度が入ろうものなら、泣き出すであろう。

 かかわりのパターンを決めてしまえばどうにでもなるものだ。

 困るのも、下を向くのも勝手だが、泣き出すのだけは勘弁してもらいたい。

 俺だって好きで女を泣かせているわけではないし。

 そういうことをわざとする誰かさんとは違うし。

 そう、違うと思っていた。

 でも・・・・


 由利の日誌の速度に合わせてやることにした。

 隣ではなく、前の席に座ることにして。

 相変わらず綺麗な字。

 由利が書く字には、ついつい目を奪われる。

 気がつくと、由利は見られていることに緊張して、シャーペンが進まなくなるようだが。

 そしてこうなる。


「あっ。」


 消しゴムを落とす由利。

 俺も拾おうとして、二人の手が重なる。

 次の瞬間――


 この顔だ。

 この顔が、たまらなくイライラする。

 今にも泣きそうな、悲しみいっぱいのその表情。

 涙をこらえるのに必死です的な、表情。

 こらえているから、泣かせてみたくなる。

 こらえているから、泣かせたくなる。

 次の一言――


「男嫌い?」


 この一言で決まる。


「そんなかわいいとさ、大変じゃない?」


 命中。

 外したことは無い。

 単純明解。

 こんな簡単な答え、テストにも出ないぜ。


「なんか言ったら?」


 零れ落ちる涙。

 まったく簡単でつまらねー。

 試合をしてもいないのに、勝った気分だな。

 後悔も罪悪感もない。

 俺はこういう奴なんだ。


 由利を泣かせてなんになる?

 俺はいったい何をしたい?

 俺のやってることはあいつらと変わらないじゃないか。

 俺が嫌ってるあいつらと。

 結局同じ、俺も幼稚なまま。

 体は成長期かもしれないけれど、中身は全然変わってない。

 むしろ、幼稚園児の方がもっと純粋だろう。

 幼稚な考えを持ったまま、大人の考えも知ってしまった。

 小さい頃から自分がどういう立場にあって、どうすればいいかを悟るのが得意だった。

 母親が亡ないのも、父親が居ないのも、ばあちゃんに育てられても、それは関係ない。

 ただ、それだけのこと。


「てめー、いい加減にしろよ。」

「由利ちゃん平気?」


 また出た。

 浅野、小田切、由利好き二人組。


「前にも言ったよな?調子のんなって。」

「おまえ由利ちゃんに何したんだよ?」

「・・・・・・・・」

「黙ってねーで、何とか言えよ?」


 別に。って言っても前みたいに納得はしないだろ。

 だから黙ってたのに、何か言えって・・・・・

 学習能力の無い奴らだな。


「由利ちゃん泣かせたらどうなるか位わかってんだろうな?」

「ムカつくんだよ、おまえ。」


 おまえらだって、似たようなことやってんじゃん。

 由利が泣こうが泣かなかろうが、どっちにしろ由利に近づくだけで面白くないんだろ。

 もうこんな面倒くさいこと、終わらせろよ。

 俺にどうしろって・・・・


「あっれぇー?何してんのー?」


 気が抜けるほど、陽気な声。

 こんな声を出す奴は一人しか知らない。


「あらら。また由利ちゃんいじめてー。男三人だなんて卑怯だよねー、由利ちゃん。」


 二宮が教室に入ってきた。


「ちげーよ、にの。」

「そうそう、由利ちゃんいじめてんのはこいつ。」

「えー、晃君?」

「そう。俺らは由利ちゃんを助けたの。」

「そうそう。」

「ふーん。」


 この状況下においても、相変わらず意気揚々と、笑顔をふりまく二宮。


「でもさっ、やっぱり俺には由利ちゃんを三人がいじめているようにしか見えないけどな。」

「あ?にの、何言ってんの?」


 浅野の表情が変わる。


「だってさぁー、浅野っちと、小田切くんが由利ちゃんを助けているにしては、由利ちゃん泣いてるし。」

「あ?意味わかんねー。」


 浅野の険しい視線が二宮に向けられた。


「ふつう、助けてもらったら泣き止むもんじゃない?」


 二宮は怯むことなく明るい調子で話し続けている。


「ねー、由利ちゃーん。」


 確かに。

 二宮が入ってきてから、由利は泣き止んだ。

 浅野と小田切と俺との言い合いがはじまった時には、大粒の涙をこぼしていた由利。

 そんな由利の顔を見て、浅野が一歩怯む。


「そ、そんなことないよねー。由利ちゃん。」

「由利ちゃんもしかして、俺達のことも怖かった?」


 小田切が笑顔を作って尋ねる。

 コクン。

 由利が小さく頷く。


「ほらねー。由利ちゃんをいじめてたのは君達三人。はい、全員由利ちゃんに謝るー。」


 そう言うと、手で俺達三人の頭を押して下げさせる二宮。

 何で俺が謝るんだと、不服ながらも二宮の長身から出る手の力には逆らえなかった。


「由利ちゃん、ごめんね。」


 まず小田切が謝る。


「ごめんな、そんなつもりじゃ・・・」

「はい、浅野っち、やり直し。」

「えー、なんでぇ?」

「言い訳はしない。謝るだけ。」


 再び二宮に頭を押される浅野。


「だって、もとは穂高が・・・」

「はい、浅野っち、やり直しー。」

「おいおい、なんでだよぉー。」

「潔く、謝りましょうー。」


 鋭い二宮のツッコミに、浅野はムッとした様だが、そのツッコミを見た由利が少し笑ったので、浅野はとうとう諦めたようだった。


「ごめん。由利ちゃん。」

「合格―。」


 二宮が満足そうに言う。


「はい、次、晃君も。」

「・・・・悪かった。」

「ダーメっ!全然だめ!」

「は?」

「気持ちがこもってない。」

「気持ちって・・・」

「はい、やり直しー。言い訳無用。」

「悪い。」

「ダメ―っ!」

「悪かった。」

「ぜんぜん、ダメーっ。」

「悪い・・・と思ってます。」

「却下!」


 ダメって何がだ?

 気持ちがこもってないって何だよ?

 何なんだいったい・・・・


「ご、ごめん。」

「ブー、言葉変えてもダメです。」

「・・・・ごめん・・・・なさい。」

「晃君、女の子に謝ったことないの?そんなのじゃ全然伝わりまっせーん。」


「ぶはっははははっー。」

「あはは、おもしれー。」


 それまで黙っていた浅野、小田切が突然吹きだして笑い出した。

 それを見た由利も笑っている。


「穂高、それはマジで笑えるわ。」

「謝り方、棒読みだもんなー。ははは。」


 まだ笑っている浅野、小田切。


「はい、もう一回。真面目にやってよ、晃君。」

「・・・・俺はどうすれば?」

「はい、やり直しー。ちゃんと謝る!」

「だからどうすれば・・・・」

「悪いことをしたら謝る!そんなことも知らないのー?お子ちゃまだねー、晃君は。」


 さらに笑い出す浅野、小田切。


「だから、悪かったって。」

「うーん、微妙に違うんだよなー。」


 首を傾げる二宮。


「にの、おまえの微妙って・・・」


 笑いの止まらない浅野が言う。


「まぁ、仮合格ってとこですかね。」

「か、仮合格って・・・そんなんあんの?」


 今度は小田切がツッこむ。

 男子達のやりとりを、由利はもうすっかり笑って見ていた。


「どうする?由利ちゃん。」

「え、えっと・・・・大丈夫。」

「だって。良かったね、晃君。」

「よ、良かったな、穂高。ぐははは。」


 まだ笑っている浅野。


「おもしれー、謝るのにこんなにやり直しさせられた奴、初めて見たー。」

「あははは、マジ笑える。」

「穂高、おまえおもしれーな。」

「なっ。なんか穂高って喋んねーし、何考えてるかわかんなかったからつい突っかかっちゃったけど。」

「そうそう、静かなガリ勉野郎かと思ってた。」

「女子と話さないのに、由利ちゃんにだけはちょっかい出すしさ。」

「でも、謝ったことがないなんて、笑えるよなー。」

「ほんと。あれは笑えたー。棒読みー。由利ちゃんもびっくり?」


 思い出し笑いに入った小田切。


「やっぱ由利ちゃんは笑顔もかわいいっ。」

「結局それかよー。」

「由利ちゃん、また困った時には呼んでねっ。謝らせ屋二宮参上!てねっ。」

「だははははー。」

「にの、それいい!」


 俺は面白くもなんともねーよ。

 面白くしたのがいるからそう見えるだけ。

 そう、面白くした奴が。

 そいつは、最後にこう言った。


「由利ちゃんも、泣く前に、ちゃんと自分の気持ち言わなきゃだめだよ。」


 その後で、由利の見せた顔は、ちょっとかわいいと思った。

 可愛いと、可愛そうは似ている気がした。

 ただ、それだけのこと。



4.


 その日、いつもより遅く登校すると、玄関からあの騒がしい声がしていた。


「やっぱ今川焼きは小倉でしょ。」

「えー、カスタードだよー。」

「小倉。」

「カスタード。」

「小倉。」

「カスタードだってばー。」

「じゃあ、今度の練習試合にどう?」

「いいねっ!祐也が負けたら私にカスタードだからねー。」

「小倉は二倍返しで。」

「負けないもん。」


 こいつら、朝練を終えて玄関に入ってきたところらしい。

 手に持っているのはラケット。

 テニス部だったのか。辞書女。


「あ、予鈴鳴る。」

「やべっ、俺担任に呼ばれてたんだったー。」

「祐也のドージッ。」


 走り出す祐也。


「生活委員の笠原くーん、廊下を走ってはいけませんよー。」

「萌ちゃん・・・・覚えてろよー。」

「いやですよーっだ。きゃはは・・・」


 そう言うと、たちまち静かになった。

 そして、職員室へ続く廊下を、彼の姿が見えなくなるまで、見ていた。


「はよー。」

「おっす、晃君。」

「おお。」


 教室へ入ると、浅野、小田切に話しかけられた。

 俺も挨拶を返す。


「おっはー、晃君珍しいねー、時間ギリギリ。寝坊?夜更かし?それともごめんなさいの練習?」

「ぶははっ。まだ練習してんの?」

「にの、面白すぎ。」


 盛り上がる三人を通り、自分の席へ座った。


「ごめんなさいの練習って?」

「タケ、聞いてたのか?」

「聞こえたのー。」


 タケの顔には笑みが浮かんでいた。


「あいつらと仲良くなったんだ。」

「別に。」


 挨拶する程度にはなったが。


「ふーん。」


 笑みを込めた返事を打つタケ。


「ほ、穂高君、おはよう。」


 隣の席から由利がつぶやく。


「ああ。」


 小さな声だったけど、下を向いていない分、ちゃんと聞こえてくる。


 由利は相変わらず躊躇して、消極的で、泣きそうになる奴だけど、

 そんな由利にイラっとくることもあったけど、

 そんな時、すかさず飛んでくる奴がいる。


「謝らせ屋二宮、ただいま参上!」


 それだけで、周りの男子が笑う。

 それだけで、睨んでいた斉藤がため息をつく。

 それだけで、由利が笑う。

 そしてそこには・・・・・

 いつの間にか、人が集まってくる。

 泉くんのように。

 お調子子者タイプであり、裏番長的存在でもあったってことか。

 泉君くんのように。

 認めるよ。

 俺が嫌いとしていたタイプに、自分が救われた存在だったなんて。

 笑える話だ。

 

 もし、二宮が去年、同じクラスにいて、タケのそばにいたなら・・・・

 いじめは起こらなかっただろうか。

 こういうタイプのやつが、そばにいたら・・・・

 これだけは言えること。

 俺は二宮みたいにはなれない。

 だから、タケには俺がいて、健太がいて、二宮がいる。

 それでいいじゃないか。

 それで。

 ただ、それだけのこと。




 雪が降りそうなくらい寒かったその日。

 放課後、図書室へ行くのに美術室の前を通った。


 辞書女。

 勝手にそう呼んでいたが、正確な名前は知らない。

 美術室の前にいた。

 完全に足をとめて。

 見つめる先には・・・・


「めぐちゃーん、行くよー。」


 呼ばれてもなお、名残惜しそうに、視線を向けたまま、去っていった。

 俺とすれ違う。

 もう目線は友達へと戻っていた。


 辞書女が立っていた位置に、俺も立つ。

 一瞬、言葉を失った。

 そこに飾られていたのは・・・・

 先月の写生大会で優秀作品として選ばれた八名の絵。

 その中に・・・・

 サッカーゴール、グラウンド、校門の木、校舎、どれも人気の定番場所を描いた絵の中に、一枚だけ・・・・

 どこともわからない風景画が一枚。


 俺の絵だった。

 どうして。

 当然、賞を取るために描いたものではない。

 どうして。

 俺の絵が、選ばれていようが、飾られていようが、誰も何も言わないじゃないか。

 どうして。

 あの辞書女が俺の絵を見ていたとは限らない。

 どうして選ばれた。

 ただ、それだけのこと。




 二学期の終業式。

 なんだかんだ長かった二学期も終わる。


 体育館での終業式が終わると、教室へ戻ってHRとなった。

 冬休みの諸注意等、担任の話がある。

 最後に通知表。

 まあまあ・・・・か。

 全九教科、五段階評価。

 一応、五教科はオール五。残り四教科は四。

 

 HRが終わると、教室をはじめ、廊下からも賑やかな声が聞こえてくる。

 明日から冬休みか。

 部活へ行く者、帰る準備をする者、待ち合わせをする者、人々のざわめき。



「由利ちゃん転校生なんだよね。」

「は?」


 思わず変な声を返してしまった。

 タケは気づいていないようで、話を続けた。


「訳有りで。母子家庭。噂によると父親に暴力を振るわれたとかで、男が苦手なんだって。」

「へ、へー。」


 そう言うのが精一杯だった。

 転校生という言葉を久しぶりに聞いたからなのか、由利がその転校生だったからなのか、俺は動揺を隠せなかった。


「どうした?晃、そんなに驚くことか?」

「い、いや。」


 自分のこと、家のこと、母親のこと、少しずつ、タケには話すようになっていたが、絵のことを話したことはなかった。


「転校してきたのって・・・・小五か?」

「いや、小三。」


 答えを聞いて、ホッとしたのはなぜだろう。


「でさ、そん時にも由利ちゃんいじめはあったわけだ。」

「ふーん。」

「まぁ、いじめって言ってもかわいいもんだけどな。転校生なんて珍しかったからさ。まぁ、おれもその一味だったわけだけど。」


 前に、タケが。「おれもある」と言っていたのを思い出す。

 由利をいじめたことがあるということだったのか。

 転校生・・・・か。

 確かに、転校生は珍しいよな。


「オレもわかるなー、その気持ち。」

「にの。」

「タケやん、晃君、由利ちゃんの内緒話しはダメだよー?」

「聞いてたのか。」

「聞こえたのん。」


 ハイテンションで答える二宮。

 こいつの元気はどこから来るのか不思議な位だ。


「うんうん。オレもあるなー。つい、かわいくてな。どう接したらいいのかわからなくて気がついたら意地悪してる?みたいなっ。オレって悪い子―。」

「でも、そんな昔の若気の至りってやつ?そのお陰で俺はこうしてクラスの皆を守る立場にあるわけだ。うんうん。女の子には優しく。男の子には親切にってねー。これ、オレのモットー!」


 よくこれだけ一気に喋れるものだ。しかもジェスチャー付で。


「にーのっ。」

「おー、もえーっ。」


 廊下から呼ばれると、すぐに反応してこの場から去って行く二宮。

 こいつの目と耳はいくつあるんだ?全く活動的な奴である。

 そしてその二宮を呼んでいたのは、あの辞書女だった。


「にのも由利をいじめてたのか?」

「いんや。にのはその時違うクラス。にのがいじめた転校生はあっち。」


 そう言って、タケが視線を送るその先にいたのは・・・・

 なんと、あの辞書女。


「あいつ、転校生なのか?」

「そう。小五ん時の。で、にのがいじめまくってた。信じられないだろ?」

「・・・・・・・・」


 言葉が出なかった。


「にのもあーみえて、昔はけっこう威張ってる奴でさ。あいつのこと大事にしてんのは、そんなにのを変えたのがあいつだから。」

「あいつって?」


 俺はそう言い、タケの次の言葉を待った。

 早く、聞きたいような、聞いてしまいたいような・・・

 聞きたくないような、聞いてはいけないような・・・・


「あれ?知らなかったっけ?」


 俺は首を縦に振った。


「椎名 萌。」


 忘れていたし、思い出すこともなかったこと。

 探そうだなんてそんな面倒くさいこと、どうして俺がするだろう。

 でも・・・・

 そういえば、この学校のどこかにいるんだよな。

 どこかに・・・・

 ただ、それだけのこと。




 冬休みに入った日曜日。

 タケの家でクリスマスパーティをした。

 クリスマス・・・・なんて雰囲気は一つもないが。


「やっぱケーキ位買えばよかったか?」

「いんじゃん?別に食べねーし。」

「そうそう。こうしてゲームがし放題なだけで幸せ。」

「タケんち広くていーよなー。」

「お手伝いさんも優しいしー。」

「今日はいないよ。」

「え?そうなの?」


 男六人、クリスマスパーティーのわけないだろう。

 今日がクリスマスだから。

 二十五日に集まったから。

 ただ、それだけのこと。


「おい、焼けたぞ。」

「おー、すげー。」

「いー匂い。」

「なんだなんだ?ケーキじゃん!」

「マジで?ケーキだ、ケーキだ!」

「すっげー。こんなん作ったの?」

「晃君が?」


 タケの家がいくら広くても、野郎六人も入ればうざいだけだ。

 それなりに、人とのかかわりから遠ざかっていた俺にとっては、例え男であろうが、一度に六人も集まれば面倒くさい。

 ゲームは対戦四人までしか出来ないし。

 ゲームの順番が空いた時間に、お手伝いのおばさんがいないという台所を借りただけ。

 小麦粉と、卵と、牛乳と、苺があれば簡単だ。


「晃君、いいお嫁さんになれるぜ。」

「嫁さんっておいっ。」

「あはははー。」

「晃君にこんな特技があるとは。」

「ただのガリ勉くんではなかったんだなー。」

「あー、でもなぜ男の作ったケーキを食べるクリスマス・・・・」

「彼女欲しい。」

「オレも欲しい!」

「由利ちゃんとクリスマス。」

「おまえ由利ちゃん由利ちゃんってしつこ過ぎー。」

「謝れー。」

「あははははー。」


 タケ、健太、浅野、小田切、栗山。

 ここに二宮の姿がないというのもいつも通りだ。

 あいつはどこかでふらふらしているのだろう。

 声はかけたが、一つのグループに入らないのが二宮だから。

 あいつのそういうところ、すげーと思うけど。

 俺にはできない。


「タケ、第二小の卒アル見たーい。」

「おお、いいよ。」

「あ、俺も見たいー。」

「おまえはどうせ由利ちゃん探すんだろ。」

「バレたー?」

「バレバレー。」


 集まった中で、タケ以外の奴は蓮田小出身だった。


「あ!由利ちゃん見っけ!」

「どこどこー?」

「おっ、ほんとだー。かわいいーな。」

「由利ちゃんこん時からかわいかったんだー。」

「いーな、タケは同じ学校で。しかも同じクラス。」

「なんで由利ちゃんは第二小だったんだ?転入するなら蓮田小でもよかったのにー。」


 本気で悔しがっている浅野の表情。

 小田切と栗山も由利ファンだけあって、アルバムの中の由利に見入っている。


「なに?由利ちゃんて転校生なの?」

「なんだ、健太、そんなことも知らないのかー?」

「そんな基本情報はとっくに入手済み!」

「いや、だって俺、別に由利ちゃん好きじゃないし。」

「あっそ。ライバルが一人減ったというのはラッキーだ。」

「そうそう。」

「あ、そういえば晃君、由利ちゃんのこと好きになっちゃったか?」

「は?」


 急に話を振られたこともそうだが、あまりに情けない質問だ。


「だってさ、後期の委員会は別々になったものの、席は隣のままだったじゃん。」

「だよな。由利ちゃんの隣、やっぱ羨ましーぜ。つーか憎い。」

「三学期の席替えは、俺が隣になれますよーに。」

「オレもなりてー。」


 浅野の両手は祈りポーズをとっていた。


「で、晃君、由利ちゃんのことどう思ってんの?」

「別に。」

「でたっ!別に。」

「それ、どっちの意味でも捉えられるからさー。よくないぜ。」

「晃君って、ああ。とか、別に。とか、多くね?」

「あ、それ俺も思ったー。」


 面倒くさい。

 やっぱり面倒くさい。

 男とはいえ、かかわるのが面倒くさい。

 こんな時、あいつがいれば、一人で五人分は喋るのに。

 あいつがここに居たら、俺は何も言わなくても、何もしなくても、関係なかったのに。

 そうやって、人に人間関係を築いてもらって、任せているのがよくないんだよな。

 それはわかったけど、

 それはわかっているのだけど・・・・・

 やっぱり面倒いと思ってしまうのが本音。


「くくくっ。」


 それまで黙って聞いていたタケが笑い出した。


「晃はそんなんだよ。一年時からずっと。」

「そうなの?」

「そう。あんま喋んない。」

「ふーん。」

「でも、ちゃんと話は聞いてるから、道理に合わないことはしない奴だぜ。」

「タケ、それまじで?」

「マジで。それは俺が保障する。」


 タケは俺の方を見ながらそう言った。


「じゃあ、俺らが由利ちゃんのこと好きなの聞いてるってことは、晃君は好きになんない?」

「そりゃー・・・・好きになるかならないかは自由だろー。」

「えーっ、じゃあやっぱ晃君はライバル。」

「決定だな。」

「なんだよそれ・・・・」


 俺の言葉も虚しく、浅野はうんうんと、首を縦に振って納得しているようだった。


「じゃあ、次、タケは?」

「おれ?」

「そう。タケの好きな奴は?」

「誰?誰?」

「ははっ、安心しろ、由利ちゃんじゃねーよ。」

「よぉっし。健太とタケはライバルではないな。」

「そうだ、タケの知ってる由利ちゃんの話し聞かせてよー。」

「小学校の話とか、由利ちゃんの好きな奴とかの話―。」


 浅野に頼まれ、思い出すように由利のことを話し始めるタケ。


 由利・・・・か。

 由利は転校生だった。

 それは、小三の時。

 蓮田第二小の転校生か。

 ふと、思い出す。

 小四の夏、賞を取った絵のコンクール会場で会った子。

 蓮田小に転入すると言っていた子。

 その年、転校生は来なかった。

 次の年も、転校生は男だった。

 転校生・・・・・か。


 第二小の卒アルに目を落とす。

 タケと同じクラスに・・・・

 見つけるその名は・・・・

 椎名 萌。

 この間、こいつも転校生だと知った。

 顔を見る。

 かわんねーな、今と。

 あの時会った子の、顔はもう思い出せない。

 ただ、それだけのこと。




5.


 三学期になった。

 席替えをした。

 由利とは離れた。

 一年に何度か行われるこの席替え。

 やっぱりこんな面倒くさいことはない。

 騒がしくなるだけだ。

 予感的中。

 隣は二宮。


「あっきらくーん。隣の席だなんて。にの感激!」


 騒がしい三学期のはじまりだった。



「あれ?にの、席替えしたのー?」

「もえーっ。廊下から見えにくい席になったから寂しいでしょ?」

「いや、見てないって。」

「えー、もえ、オレのこと見てくれてないのー?」

「あははは。」


 早速、やって来た辞書女、椎名萌。

 早速、うるさくなる休み時間、二宮の隣の席。


「オレはもえのこといつも見てるよ。今日は二つに縛ってるねっ。かわいいー。」

「ほんと?一つに縛るのと、二つに縛るのどっちが似合うかな?」

「んー、もえならどっちもかわいいーっ。」


 そう言うと二宮は椎名萌の頭を撫でた。

 正直、どっちでもいい話だろ。

 一つに縛ろうが二つに縛ろうが、関係ない。


「おまえら怪しいぞ。」


 タケがやって来た。


「椎名、今日も辞書か?」

「ちがうよー。今日は借りないよー。」

「今日は。か。」

「もー、タケやんのいじわるーっ。」

「なにぃ?タケやんだろうが、オレのかわいいもえをいじめるやつは許さーん。謝らせ屋二宮、参上!」

「あはははー、なにそれー」

「いつものことだ。」


 にのを冷たくあしらうタケ。


「めぐちゃーん、まだ?」

「千夏っー。」


 廊下からの声に反応した二宮は、一目散に走っていった。


「もう、にのってば。ちなっちゃんへの態度わかりやすすぎっ。」


 そう言うと、後を追う椎名萌。

 そして、その後姿を目で追うのはタケ。

 この間、タケの好きな奴の話になった時・・・・

 由利ちゃんじゃねーよ。 そう言っていたタケ。

 タケの好きな奴は・・・・こいつか?


 廊下からは引き続き喋り声が聞こえてくる。

 二宮、椎名萌の姿も見える。

 やたらと二宮に懐いていて。

 二宮も、女子とは常に話しているが、他の女とは違う扱いをしている。

 タケも目で追ってる女・・・・

 あいつの先には・・・・

 ああ。

 ほら。

 そう。

 あいつが見ている先にいたのは笠原祐也。




 部活のない休日。

 珍しく、父親が家に居るのに気がついた。


 何となく嫌な予感はしていたが、トイレに行きたいので一階へ降りないわけにはいかなかった。

 足音を立てないように階段を下りる。

 予感的中。

 居間にいたのは、父親と、ばあちゃんと、亘兄。


「だからなんでダメなんだよー。」

「亘、駄目とは言っていないだろ。話を聞きなさい。」


 なにやらもめている気配。


「亘、おまえの気持ちもよくわかる。でもな、うちにはまだ晃もいるんだ。」

「あんな奴のことなんかしらねーよ。」

「こりゃっ、亘。」

「あいつがどうしようが俺には関係ないし、あいつのせいで俺が被害を被るなんて御免だ。」

「亘、いい加減にしーやっ。」


 ばあちゃんの怒鳴り声が聞こえてくる。

 タイミング悪く・・・・

 水を流す音と共に、トイレから出てきた俺。

 当然、ばあちゃんに気づかれ、声をかけられる。


「ちょーどよかった。晃もきんしゃい。」


 開けたままの襖からは、畳に向かい合って座る父親と、亘兄の姿が見えた。

 ばあちゃんに言われるがまま、俺は襖の近くに座ることにした。


「晃。母さんから学校のことは聞いている。成績も安定しているようだな。」


 久しぶりに見る父親。

 久しぶりに聞く声。

 それなのに、今更何の話をしようというんだ。

 亘兄には睨みつけられた。

 余計なこと言うなよと。

 わかっている。

 面倒くさいことは御免だ。


「今年は晃も受験だろう。高校はもう決めているのか?」

「まだ。」

「こいつに決めることなんてできねーよ。」

「こりゃっ、亘。」

「父さん、こいつはまだ絵を描いてるんだぜ。まさかとは思うが、美大に行きたいとか言わないよな?」


 美大。

 絵。

 そのワードに家族全員が反応する。

 俺も、ばあちゃんも、父親も、その言葉を口にした本人亘兄でさえも。


「そうなのか?晃。」


 絵の話。

 小四の時に描いた一枚の絵で賞を取った。

 家族の誰もいい顔をしなかった。

 絵の話をして思い出すのは母親のことだろう。

 アトリエで、絵を描いていて、早産で、発見が遅れた母親。

 俺が生まれたことと引き換えに、命を落とした母親。

 絵の話は、決まって家族を苦しめる。

 絵の話は、俺の立場も悪くする。


「高校はM校を受ける。」


 それだけ言うと、俺は席を立った。

 そうしないと、誰も動けないから。

 そうしないと、ばあちゃんが悲しむから。

 そうしないと、俺がもたないから。

 ただ、それだけのこと。




 三月の朝の校庭はまだ冷え込む。

 朝早く目が覚めてしまったので、学校へ行くことにした。


 いつもより早い登校時間。

 校庭には朝練に励む奴らが数人。

 そのほとんどが、ランニングをしている。

 基礎体力メニューというところか。

 基本的に朝練は自主性なので、よほど好きでない限り、早起きなんてしないだろう。

 三月に入ったとはいえ、寒い朝に。

 部活動によって熱心なところは全員が参加しているようだが。


 その中に、あいつを見つける。

 校庭でランニングをしている、椎名萌。

 隣で走っているのは河野ヒロアキか。

 あいつら二人、テニス部だったのか。

 走ってる時まで笑ってんのか。無駄だな。

 走ってる時まで喋ってんのか。無駄だな。

 いつもニコニコ、うるさい位に喋って騒いで。

 無駄な奴。


「おっす、晃―。」


 誰もいないと思っていた教室に入ると、タケが来ていた。


「珍しいな。早くね?」

「タケこそ。」

「おれはプリント探してて。」

「プリント?」

「そっ。選択授業のプリント。提出今日までだろー?昨日の夜気づいてさ、焦ったー。家に無いから学校だろうとは思ったけど。それで早く来たってわけ。」

「ふーん。」

「晃は?選択授業何にした?」

「まだ決めてない。」

「まじ?じゃあ一緒にしよーぜっ。どうせ成績評価には関係ねー時間だし。」


 二週に一度、選択授業が設けられている。

 音楽、書道、美術、家庭科、英会話、体操、社会調査、パソコン、ボランティアから選ぶことになっている。

 一選択が二十名前後の定員での活動となり、同学年の生徒がクラスに関係なく少人数で同じ授業を行う機会となっている。

 例年人気は、音楽やパソコンに集中している。

 人気のないところを選べば、十人以下の少人数で授業ができるので、静かに過ごせる。

 今年はパソコンを選び、騒がしかったので、来年こそは静かに過ごしたいと思っている。


「なー、美術は?」

「え?」

「晃、美術にしねー?」


 タケに、美術と言われ、自分でもよくない顔をしたのはわかる。


「晃?」


 タケと出会い、自分のこと、家のこと、母親のこと、少しずつ、タケには話すようになっていたが、絵のことを話したことはなかった。

 タケの表情は落ち着いていた。

 だから、話せる気がした。

 だから、話そうと思った。

 だから、話すことにした。

 タケになら・・・・

 タケなら・・・・

 わかってくれるだろうか。

 恵まれた環境、裕福な生活を手に入れながら、いずれ自分の好きなことを諦めなければいけないタケなら・・・・


「タケ、俺さ、絵は・・・もう・・・」

「晃が絵を描かなくなったのって、親父さんとか、兄さん達のこと関係あんの?」


 俺の言う前に、見事に俺の代弁をしたタケ。

 やっぱりこいつになら話せる。


「やっぱりね。そんな気がしてた。」


 俺が何も言わなくても、ここに居るだけで、タケとは話せる。


「もったいねーな。雅画伯やKEIGOの味を知ってる晃の描く絵、俺すげー好きだったんだけどな。」


 俺が何も言わなくても、タケは話を続けてくれるし、俺の言いたいことが伝わっている。

 俺が何も言わなくても。


「晃さ、やっぱ美術にしねえ?そうすれば俺らの好きな時間に使えんじゃん。」

「いい案だと思わね?」


 俺らの好きな時間。

 その言葉で、十分だった。


「そうだな。」

「おっし、決まり。プリントも見つかったことだし、書いて提出だー。」


 それ以上は深く聞いてこないタケ。

 俺たちの距離感。

 俺たちの時間。

 タケと出会って、二年目の春が訪れようとしていた。




 その日は二宮と日直だった。

 ごみ捨て、戸締り、備品チェック、日誌記入。

 全てが終わったところで、聞き覚えのある声がしてきた。


「ご苦労さまでーす。」

「もえーっ。」

「にのっ。日直だったんだー。」

「もえに会えるなんてラッキー。ねー、ねー・・・」

「はい、二宮君、日直の業務が終わってからにしてね。」


 そう言って、椎名萌と二宮の間に入ったのは笠原祐也。


「ぶーだっ。業務ならもう終わってるもんねー。」

「えー、にの早―いっ。このクラスが一番早いねー。」

「んだんだ。」


 どうだと言わんばかりの態度を見せる二宮。

 祐也は苦笑いで日誌にチェックを入れている。

 どうやら祐也と椎名萌は生活委員らしい。

 生活委員は、日直の業務を終えた各クラスを回って、戸締り等の最終チェックを仕事としている委員会。


「そういえば、小耳に挟みましたぞ。笠原君。」


 二宮が邪魔をするように祐也に話しかけている。

 気の毒に。

 二宮の話につかまると長いぞ。

 俺は荷物をまとめ、帰る準備を始めた。


「なんだ?」

「とっぼけちゃってー。うしし。いいねー、彼女とラブラブでぇー。」


 祐也の表情が硬くなる。

 少しの間が空く。変な空気が教室に流れたのを感じたのは俺だけだろうか。


「もぉーにの、からわうのやめなよー。」


 いつもうるさいお喋り女も、気を遣ったような声を出していた。

 なんだ?

 遠慮がちな会話。

 相変わらず明るい二宮。

 笑顔が険しい祐也。

 ただ、それだけのことだが。


 祐也、彼女いんのか。

 へぇー。

 じゃあ・・・

 こいつは・・・・


「あっきらくん帰るのー?おつかれー。」


 鞄を持って教室を出ようとすると二宮に言われた。

 まるで、その言葉が合図のように。

 祐也は日誌の記入に戻った。

 椎名萌はうるさい位の声で喋り始めた。

 俺は、一度だけ振り返り、教室を見た。


 椎名萌。

 蓮田第二小の転校生。

 二宮が可愛がっていて、タケも目で追う女。

 うるさい位いつも喋っていて、元気に駆け回って、さわがしい女。

 借り物が多い辞書女。

 休み時間、二宮のところへ来ると、騒ぐだけ騒いで帰っていく。

 騒いでいても、喋っていても、笑っていても、俺は関係ない。

 俺には関係が無い。

 お互い様。

 だって、こいつは俺を見ることがなかったから。

 そいつの見ている先には笠原祐也がいるから。


 だから俺はこいつが転校生だろうが、なかろうが、

 もう関係ない。

 もう関係が無い。

 ただ、それだけのこと。



 中学二年の春もさりげなく、でも確実に時を重ねて過ぎていった。

 なんだか周りがいつもより少しだけ賑やか。

 自分には関係が無いと言い聞かせてしまえば済むことだ。

 楽に過ごして何が悪い。

 楽に考えて何が悪い。

 いつも通り、俺は俺の描いた道を歩くだけだ。

 ほら。

 夕日はもうとっくに落ちていた。

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