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1.僕の空

1.


 小学四年の夏に描いたポスターで、賞を取った。

 行ったこともない所、写真で見た所の風景画。

 僕の家にはお母さんがいなかった。

 僕はお祖母ちゃんに育ててもらった。


 担任の先生が、絵画コンクールの会場に連れて行ってくれた。

 小学生の部、中学生の部、高校生の部と賞を取った絵が飾ってあった。

 子供、保護者、先生、市の偉い人、カメラを持った人、そういう人達が来ていた。

 僕の絵には、金色の色紙が貼ってあった。

 ただ、それだけのこと。


 家に帰るとお祖母ちゃんが待っていた。

 兄ちゃん達が待っていた。

 お祖母ちゃんは何故か寂しそうな顔をしていた。

 兄ちゃん達には怒られた。

 父ちゃんは仕事で遅かった。

 誰も僕の絵を誉めてはくれなかった。

 ただ、それだけのこと。


 学校へ行くと、クラスの皆が待っていた。

 女の子達にすごいと言われた。

 絵描きさんになれるねと言われた。

 女の子から特別な待遇をされると、男の子達には睨まれた。

 調子に乗るな、いい気になるなと言われた。

 僕は立場を悪くした。

 誰も絵のことをわかってくれなかった。

 ただ、それだけのこと。


 先生のところへ行った。

 僕は先生に言った。

 もう絵をコンクールには出さないでくださいと。

 先生は困った顔をしていた。

 誰も僕のことをわかってくれなかった。

 ただ、それだけのこと。


 誰も見てくれなかったわけではない。

 一人だけ、コンクールの会場で、出会った子。

 その子は僕の絵の前にしばらく立ち止まっていた。

「あなたもこの絵に感動したの?」

「え?」

「すごいよね、この絵。お空があっちまで続いて見えるの。」


 知らない子。

 僕が描いた絵を、すごいと言った子。

 絵のことを、空のことをわかってくれた子。

 僕は絵の中に、ずっと奥まで広がる空を描いた。

 遠近法。

 先生も、クラスの皆も、家族も、誰にも伝わらなかった空の絵。

 誰もわかってくれなかったわけではない。


「私ね、今度この絵の蓮田小に転入するんだ。」

「転校生なんてよそ者だから、今から怖いのだけど、この絵を描いた人に会えるんだって思ったら、なんだか楽しみになってきた。」

「あ、ママだ。行かなきゃ。」

 その子は母親の元へ駆けていった。

 僕はその子に、僕が描いたことを言わなかった。

 ただ、それだけのこと。



 僕の母親は、僕を生んで亡くなった。

 と、聞かされている。

 だから兄ちゃん達は僕が嫌いだ。

 僕のせいで、母親が死んだ。

 僕が生まれてこなければ良かった。

 僕は生まれてはいけない子だった。

 兄ちゃん達にいじめられると、ばあちゃんは決まって哀しそうな顔をする。

 だから僕は我慢した。

 ばあちゃんの前ではなんでもないふりをしていた。

 ただ、それだけのこと。



 昔から人より少しだけ絵が上手く描けた。

 三つの時、ばあちゃんがクレヨンを買ってくれた。

 広告の裏に描く絵を上手だね、と誉めてくれた。

 幼稚園で描く絵は、先生からも、友達からも、誉められた。

 小学校に入ると、絵の具を使えるようになった。

 遠足で行った動物園で写生をした。

 夏休みの課題、絵日記、絵を描くことが好きになった。

 絵を描くと、アニメのキャラクターを真似て描くと、皆が誉めてくれた。

 皆が喜んでくれるから、笑ってくれるから、夢中になって描いていた。

 でも、それは、お絵かきだったから許された。

 ただ、それだけのこと。



 その年、転校生は来なかった。

 次の年も、転校生は男だった。

 ただ、それだけのこと。



 子供ながらにわかっていたこと。

 僕の家は皆の家とは違うこと。

 保護者プリントの母親の欄が開いていると決まって聞かれた。

「あきらくんのママは?」

 もう慣れた。

「病気でいないの。」

 そう答えなさい。と、父親から教わったこと。

 父親は仕事が忙しく、出張も多く、家で顔を合わせることはほとんどいない。

 父親が居なくても、母親が亡くても、ばあちゃんがいた。

 兄ちゃん達にはいじめられたけど。

 それでも生活に不自由はなかった。

 ただ、それだけのこと。


 母親も絵を描く人だった。

 別宅にアトリエを持っていて、僕がお腹にいる時も絵を描いていた。

 早産。

 急な破水で僕は生まれた。

 しばらくは保育器に入り、入院をしていた。

 発見されるのが遅かった。

 母親は、僕と引き換えに命を落とした。

 だから皆、僕が絵を描くことをよく思っていない。



 あの日、あの時から、僕は人前で絵を描くのを辞めた。

 小学四年の夏休みの課題で描いた絵。

 ただのお絵かきが、賞を取ってしまった。

 この一枚から、僕は絵を描くことを認めてもらえなくなった。

 ただ、それだけのこと。

 2.


 中学生になった。

 何も変わらないと思っていた。

 制服を着て、通う校舎が変わる、クラスが変わる、そんな程度。

 クラス発表の掲示を見に行った。


「おっす、晃君、一緒のクラスだったぜー。」


 後ろから肩をたたかれ、話しかけられた。


「幼稚園から八年目だな~よろしくっ。」


 彼は桐谷 泉。

 不思議と幼稚園から小学校六年間、ずっと同じクラスになっていた。

 それだけ一緒にいるから、うちの事情も知っている。

 いちいち最初から話さなくていい関係。

 それが楽で、俺はここにいる。


 一年は三階の教室だった。

 毎日この階段を上るのかと考えただけでダルい。

 蓮田中学は、蓮田小学校と蓮田第二小学校が合併した全六クラス。

 うち、蓮田小出身者が三分の二を占めているので、クラスに数人第二小出身者が混じっているが、別に友達には困らなかった。


 男子の中にも色々ある人間関係。

 クラスを仕切りたがる、目立ちたがりタイプ。

 真面目、優等生、学級委員タイプ。

 お調子者で、笑いを取るのが上手いタイプ。

 静かに一人でいるタイプ。

 裏番長的存在なタイプ。

 これらのどこにも属さず、属せず、属す機会を失った、おどおどした奴がいじめにあうタイプ。

 俺もどこにも属さない感じだが、裏番長的存在、泉くんに気に入られていた。

 どうでもいいが、気に入られ、目をかけてもらっているので、俺の周りには自然に男子も女子も集まって来る。


「泉君―、次の理科、実験室に移動だってー。」

「おー、りょーかい。」

「ねえねえ、桐谷君、第二出身の女子も泉君って呼んでもいい?」

「もちろん。じゃあ、女子の名前も教えてよ。」

「あたし、みっこー。」

「佳織―。」

「私、咲良―。」


 俺は何も言わなくても、何もしなくても、学校生活を送ることが出来た。


「ねえ、泉君―、穂高君ておとなしい?」

「あんましゃべんないよねー。」

「ああ、晃君はオレ一筋だから。」

「えーっ、えー、えー。」

「え、じゃあ泉君も?」

「・・・・・・。」

「ショックー、泉君女子にモテるのにー。」

「うっそ~ん。びっくりした?」

「なーんだ。」

「きゃはははー。びっくりー。」


 俺は何も言わないけど、何もしないけど、泉くんのおかげで静かな生活を送ることが出来た。

 


 何らかの部活動に属さなければいけなかったので、俺はバレー部に入った。

 放課後と土曜の午後は部活の時間で埋まった。

 しかし、テスト期間に入ると部活動は原則禁止となる。

 自主練は認められているものの、俺には無縁といっていいだろう。

 本気で何かに夢中になれる奴らが羨ましいとは思わないけど。


 テスト期間中、俺は図書室で過ごす時間が好きだった。

 それほど広いわけでもなく、綺麗なわけでもないが、図書室は落ち着いた。

 最も、利用する生徒が少ないから、静かに一人の時間を過ごすことが出来る。

 テスト勉強もしたけれど、ここで過ごす大半は本を読んだり画集を開いて眺めたりしていた。

 あれから、絵に夢中になることはなかったけれど、嫌いになることもなかった。

 人前で絵を描かなくなってから、俺は人の描いたものを眺めるようになった。

 美術の教科書に載っているようなものではなく、有名な画家の画集でもなく、図書室にある誰も借りていないような、人気のないものを見ていた。

 絵や写真を眺めている時間は好きだ。

 何も考えなくてすむ。

 ただ、それだけのこと。



 五月。

 中学生になって初めての定期試験が終った。

 結果。

 成績上位三十名が掲示板に貼り出された。

 小学生との違い。

 出来る奴、出来ない奴の差。


「すげー、晃君九位だー。」


 泉くんに声をかけられた。


「ねー、びっくりだよー。晃君って頭いいんだねー。」

「あれ、うちのクラスもう一人いるね。」

「あ、ほんとだー。」

「竹田・・・だって。誰?」

「おいおい、夏帆ちゃん、そりゃないだろー?」

「えー、だって知らないもん。そんな人いた?」

「あのメガネくんだろ。」

「ああ、いつも本読んでる人。」

「だから頭いいのかー。」

「七位だってー。すごいねー。」

「オレも次はがんばろーっと。」

「無理無理、いきなり三十位以内なんて。」

「なにおぉー、本気を出せばオレだって!」

「あはははー。」


 一人の時間はたくさんあったので、勉強に困ることはなかった。

 二番目の兄ちゃんは塾へ行っていた。

 ばあちゃんは、俺にも塾へ通うように勧めたが、断った。

 人と勉強するより、一人でやる方が俺には合っていた。

 ただ、それだけのこと。



 六月になって、休む奴が出た。

 一週間・・・。

 出てきては、また数日休む。

 その繰り返し。

 これはいじめというやつだろう。

 どこにでもある。

 竹田 雅史。蓮田第二小の出身で、頭は良いが、どうやら発言に問題があったようだ。

 常に本を持ち歩いていて、物知りで、それを知らせがり屋タイプ。


 いじめているのは・・・

 ああ、クラスを仕切りたがるタイプの奴か。


 まっとうなクラス絵図だろう。

 この世からいじめが無くなるなんてことはない。

 女子だって、男子だって、二年生だって、三年生だって、クラスだって、部活だって。

 どこにでもあること。

 仕方ないさ。

 皆、見て見ぬふり。知らんふり。

 それが一番良い方法だと誰もが知っている。

 自分に目を向けられないよう、自分の身は自分で守る。

 ただ、それだけのこと。



 中学は授業参観がないから楽になった。

 それまでは、母親の代わりにばあちゃんが来ていた。

 母親が生きていてくれたら・・・と考えなかったわけではない。

 でも、物心ついた時からいなかったし、兄ちゃん達には嫌われていた。

 母親が恋しいと思うことはなかったし、ばあちゃんには良く育ててもらった。

 そうゆうものだと思ってきた。

 そういう意味で俺は冷めた育ち方をしてしまった。

 近所に歳の近い女の子はいなかったし、親戚にもいなかった。

 女に・・・というか人に興味をもたなかった。

 幸い、自分の部屋というものを与えられていたので、一人で過ごす時間の方が長かった。

 兄ちゃん達とは、顔を合わせれば嫌味を言われるだけだし、友達を家に呼ぶこともなかった。

 人とのかかわりには関心がなかった。


 初恋。

 なのだろうか。

 正直、そんなのがいつだったかなんてわからない。

 ただ、年頃なのか、男子の中でもそういう話が多くなった。

 面倒くさいけど、周りに合わせるのも、それなりに話題に入るのも、身の安全の為。


「でさ、この前手、つないで帰ってるとこ見ちゃって。」

「まじでーっ。」

「あいつら付き合ってんだー。」

「いいなー、俺も彼女欲しー。真奈ちゃん。」

「真奈ちゃん?無理無理、お前じゃー。」

「ひっでー。」

「はははー。」

「そういえば、晃君って誰好きなの?」

「あー、聞いてなかったな。」

「オレも知らないや。教えて。」

「誰?」

「・・・咲良。」

「へー。そーだったんだー。」

「あ、なんかわかるかも。晃君て女子とあんま喋んねーけど、咲良とは喋ってるかも。」

「なるほどー。」


 咲良。

 面倒くさくて適当に、思い浮かんだ名前が咲良だった。

 あれは、美術の時間、隣の席の咲良に話しかけられた。


「あれ?穂高君のパレット三色しか出てないよ?」

「絵の具無いなら貸そうか?」


 アホか。

 と思ったけど、面倒くさいしかかわりたくなかったので、適当に返事をした。

 その後も彼女は俺の方を見ていたらしく、こう言った。


「あ、そっか。色は出すものじゃなくて、作るものなんだねー。」


 そして、絵を覗き込んで、こう言った。


「すごいじゃん。上手いね。」


 誉めても何もでねーよ。

 だいたい、赤、青、黄色の三色が基本だろ。


 咲良はそれ以来、話しかけてくるようになった。

 俺が女子と喋らないのは全体周知になっていた。

 でも、泉くんがいるから、俺の周りに自然と女子は集まってきた。

 俺一人喋ろうが、喋らまいが、泉くんがいればそれは関係のないことになっていた。

 だけど、別に理由もないけど、咲良とは喋るようになった。

 ただなんとなく、合づちを打つだけ。

 ただ、それだけのこと。


 中学に、クラスに、馴染むようになった頃。

 クラスの男女で日曜日、遊ぶようになった。

 部活のない日曜ぐらい、家でのんびり過ごしたいものだ。

 ばかじゃねーの、お前等。

 そんな本音も言うわけにはいかず、親戚の家に行くとか、家族と出かけるとか、絶対に在り得ないような嘘を言って断った。

 でも、せっかく誘ってくれる泉くんの手前、断りきれずに月に一回は参加するようにした。


 七月はカラオケ。

 八月は夏祭り。

 九月はボーリングに行った。


 他の奴らと喋るのが面倒くさいから、隣の咲良と喋っていた。

 手をつないだわけでも、二人で出かけたわけでも、付き合っているわけでもない。

 恋愛の話が好きな年頃なのだろう。

 他人の話で盛り上がりたいだけなのだろう。

 面白おかしく噂を立てたいだけなのだろう。

 別に俺は否定も肯定もしなかった。

 そんなこと、俺に面と向かって聞いてくる奴もいなかったが。

 ただ、それだけのこと。



 秋になった。

 体育祭、合唱コンクール、日帰り旅行と行事が続いた。

 そして、写生大会。

 これは小学生も中学生も変わらない行事。

 中学では、校内の好きな場所を選べた。

 サッカーゴール、グラウンドが見渡せる階段の上、校門の木、校舎、そんな人気の場所には当然人が群がっていた。

 俺は事前に人気の少ない場所を選んでいた。

 美術の時間にあらかじめ下絵を済ませている。

 今日は色を塗り完成させるだけ。

 しかも午前で終れるから楽。

 といっても、午後は部活だが。


「晃君。」


 呼ばれても振り返らなかった。


「ここに居たのね。探しちゃった。」


 いちいち返事をしなくても、

 相手の顔を見なくても、

 話しかけてくる咲良は楽だった。


「美術の時は、どこを描いているのかわからなかったけど。」

「いいね、ここ静かで。」


 そう言うと、覗き込むようにして隣に座った。

 肩上の、邪魔する髪を耳へとかける。細くて真っ直ぐな柔らかい髪。


「ああ、やっぱり色がつくと落ち着くね。」


 美術の席が隣の咲良。

 授業が終ると、必ず俺の作品を覗き込んできた。


 すごいとか、上手いとか、そういう言葉は昔から言われ慣れていた俺には、誉め言葉はうんざりする。

 誰も誉めてくれなかった絵。

 誰にもわかってもらえなかった絵。


 咲良はそんな在り来たりな誉め言葉は使わなかった。

 俺も何も言わなかった。

 それでも咲良は美術の授業が終るたび、俺のところへ来た。


「空の色。」


 俺は一瞬、咲良の言葉に耳を疑った。


「空の色を塗っているのね。ずっと奥まで続いている。」


 思わず、絵筆を止め、咲良の顔を見る。

 色白で、小顔。いつもより、ずっと近くに咲良の顔がある。


「ん?」


 どうかしたと言う表情の咲良。

 何も言わない俺。

 咲良は再び視線を絵へと戻した。


 空の色・・・・か。

 俺は急にあの日のことを思い出した。

 空があっちまで続いていると言ったあの子。

 遠近法を見抜いたあの子。

 僕の絵をわかってくれたあの子。


 小学四年の夏に描いた一枚の絵。

 この絵から、描くのを辞めた一枚の絵。


 その年転校生は来なかった。

 その翌年、転校生は男だった。

 どうせ蓮田小と蓮田第二小を勘違いしたのだろう。

 ただ、それだけのこと。


 ふと、咲良が第二小の出身であることを思い出す。

 忘れていたし、思い出すこともなかったこと。

 探そうだなんてそんな面倒くさいこと、どうして俺がするだろう。

 でも・・・・

 そういえば、この学校のどこかにいるんだよな。

 どこかに・・・・



 翌週、写生大会の絵は、優秀作品として選ばれた数名が、美術室の前に展示された。

 どれも校舎やグラウンドを描いた、模範的な絵。

 当然、俺の絵が飾られることはなかった。

 それでいい。

 俺は、好きな場所で、好きな時間を過ごし、好きな絵を描けた。

 それでいい。

 賞を取るために描いた絵ではなく。

 それでいい。

 ただ、それだけのこと。



3.


 十一月。

 席替えをした。

 一年に何度か行われるこの席替え。

 こんな面倒くさいことはない。

 なにが良くて席替えなんかするのだろうか。

 騒がしくなるだけだ。

 新しい友達?

 何を今更・・・・

 三階から中庭の見下ろせる窓際、ベランダ席。後ろから二列目。

 良い席になれたと思った。

 席は。

 隣が・・・

 竹田だった。


 その日の放課後、部活を終え、忘れ物に気がついた。

 図書室で借りた画集。

 別に明日でも良かったのだが、教室へ取りに戻ることにした。

 席替えをしたことを忘れ、元の自分の席へ足が向いていることに気づいて方向を変える。

 と、

 窓際、ベランダ席に人が立っていた。

 まさに俺の席。

 当たり前か。

 その隣は竹田の席でもあるのだから。

 でも、気づく。

 まさに俺の画集。

 竹田が手に取っていた。


「あ、ご、ごめん。勝手に・・・・」


 竹田は教室に入ってきた俺に気づくと、慌てて画集を机に戻した。

 俺は何も言わずにその画集を鞄へ閉まった。

 視界に入ったのは、奴の制服に付いた土埃。

 かかわりたくない。

 まさに今さっきまで、呼び出されてシメられてました感のある、ズボンに、腰に、肩に、土埃のついた制服。

 かかわりたくない。


 最近まで休みがちだった竹田。

 久しぶりに出てきたと思ったら、まだいじめに合っているらしい。

 夏前からずっと・・・。

 かかわらないように、帰ろうと思ったその時、


「雅画伯とかって好き?」

「え?」


 思わず聞き返してしまった。


「これ、おれも借りたことあるんだ。」

「もしかして、KEIGOとかも好きかなって。」


 緊張と興奮の入り混じったような、か細い声で、間を空けずに、必死に喋りかけてきた竹田。

 俺はというと、驚いて声が出なかった。

 竹田の、泣きそうな位の声に、ではなく、竹田の言った画集の話に驚いて。


「か、勝手にごめん。」

「いや・・・」


 そういうのが精一杯だった。


「お、おれと話すとこ見られたら大変だもんな。」

「話しかけたりしてごめん。」


 申し訳なさそうに、でもどことなく表情に安堵の色が窺えたのがわかった。

 俺は重い口を開いた。

 それは久しぶりだった。


「いや、違うんだ。意外で・・・」


 下を向いていた竹田の表情が変わった。


「その・・・この学校にこんな話が出来る奴がいるとは思ってなくて・・・」


 俺だって同じだった。

 他人とのかかわりが苦手で。

 面倒くさくて、どうでもよくて。

 自分のことを話すことなんて滅多に無かった。

 だから・・・


「雅画伯のはあっても、図書館にKEIGOは無いよな。」


 そう言うと、竹田は慌てて口を開いた。


「け、KEIGOならうちに最新号あるけど見る?」

「あんの?」

「うん。あ、でもおれなんかと喋ると・・・」


 再び竹田は不安の表情に戻っていた。


「じゃあさ、明日の放課後見に行かせてよ。」

「えっ?」

「都合悪いか?」

「う、ううん。でも、部活は?」

「サボる。」

「いいのか?」

「いい。KEIGOの方が見たい。」

「じゃあ明日。」

「おう、明日な。」


 竹田は、殴られ、蹴られ、痛むであろう体を、軽く弾ませるようにして帰って行った。


 うれしかったんだ。

 たぶん、俺、嬉しかったんだ。

 中学に入って、面白くなかった。

 勉強は元々つまらなかったし、部活も好きで始めたわけではない。

 周りに人は集まってきたけど、別に俺が居ても居なくても、俺が何を言おうと言うまいと、関係の無いところで時間は過ぎている。

 別にそれで良かった。

 そうして過ごすことを望んでいたのだから。

 別にそれで良かった。

 誰ともかかわりたくなかったのだから。

 他人とかかわるより、自分一人の方が楽だから。

 でも・・・・

 初めて自分の好きなもの、好きな時間と合う奴を見つけた。

 見つけて、出会った。

 それが嬉しかったのだろう。

 ただ、それだけのこと。



 翌日の放課後、俺は部活をさぼって竹田の家へ行った。


「誰にも見られなかったか?」

「ああ。」


 竹田は変なところに気をつかう。

 根は真面目で良い奴なんだとつくづく思う。


「どうぞ、上がって。」

「あらまあ。まーくんにお友達なんて久しぶり。お茶出すわね。」


 玄関で迎えてくれたのは、一目見てわかる優しそうなおばさん。

 体格の良さも、この家の穏やかさ、豊かさを語っているだろう。

 そして何よりこの家の広さ、大きさ、豪華さが、竹田家そのものを表している。

 何の苦労も知らない、幸せ金持ち一人お坊ちゃまってところか。

 これはいじめの対象になるわけだ。


 竹田の部屋に通される。

 十畳はあるだろう、これまた広い個室に、大型テレビ、その横にはゲーム機、パソコン、冷蔵庫まで完備の部屋だった。


「すげーな。」


 思わず口に出てしまった言葉。


「親が会社の社長なんだ。」


 少しだけ、竹田の表情が曇ったのがわかった。

 なぜだろう。

 親が社長で、こんな大きな家、広い自室を与えられ、優しそうな母親に、豊かな暮らし。

 幸せでないはずが無いのに。

 そう思った時、部屋にノックの音が響いて、さっきのおばさんがお茶を運んで来た。


「さあさあ、どうぞ。」

「いただきます。」

「ほんとまーくん、久しぶりだわね。お友達が来るならそうと言ってくれればよかったのに。急だとお菓子も揃わないわよ。まぁまぁ~・嬉しいわね、まーくんにこんなお友達が・・・」

「あー、もういいから。いったいった。」


 まだまだ喋り足りないという感じのおばさんに、竹田が話を止めた。


「あらあら、じゃあ、ゆっくりしていって下さいね。」

「はいはい、お茶ありがとう。じゃあね。」


 おばさんは、名残惜しそうに部屋を後にして行った。


「悪かったな、騒がしくて。」

「いや。」

「お手伝いさんなんだ。」

「そうなんだ。」


 母親だと思ったおばさんは、お手伝いさんだった。

 どれだけ金持ちなんだ、この家は。

 改めて部屋を見渡すと、ベットの置かれている壁と、机の脇に、大きなポスターが貼られていた。


「KEIGO?」

「そう。東京で個展開いた時の。」

「すげーっ。」

「あっちのは雅画伯の。」

「おおー。」


 感嘆の声。というのはこういう時に使うのだろう。

 どう見ても一般的な中学生には手に入らない、高そうなポスターが貼られている。


「で、これがKEIGOの載ってる創刊誌。」

「おおー、本屋で立ち読みできないんだよなー、これ。」

「良かったら毎月見においでよ。定期購読してるからさ。」


 すっげ。

 今度は言葉にならなかった言葉。

 定期購読っていくら払ってんだよ。

 これがただの雑誌だったら、俺もこいつの言い方にイラっときてんのかな。

 確かに金持ちで、物持ちで、物知りでは、自慢気に聞こえてしまうところもあるかもしれない。

 こいつの、そういうところがいじめの原因なのかもしれないな。

 本人悪気はないのだと思うけれど。


「あ、良かったらポスターもあげようか?」

「え?」

「同じの二枚あるから気にしなくていいよ、持ってって。」

「いや、でも・・・」

「KEIGOの良さがわかる奴にあげたいんだ。」


 そう言った竹田の表情には笑みが浮かんでいた。

 本人悪気はないのだと思うけれど。

 こんなでかいポスターを、自室に飾るわけにはいかないだろう。

 兄ちゃん達が見つけたらうるさいだろうし、絵にまだ興味があると思われるだろうし。

 面倒くさいことは御免だ。


「あ、そうだ。パソコンの中にも入ってるから見てよ。」


 そう言うと、今度はパソコンを開き始める竹田。

 やっぱり嬉しそうである。


「すげーな、パソコン使えるなんて。つーか、パソコンが部屋にある自体すげーよ。」


 また少し、竹田の表情が曇った。


「これ、CADで作ったやつ。で、こっちがおれの最新作。」

「すげー、これ竹田が作ったのか?」

「趣味なんだ。パソコン使って絵描くの。」


 ますます、感嘆の声は続いた。


「こーゆーの、別世界の話だと思ってた。こんな身近に、使いこなしている奴がいただなんて。」

「親がIT関係の会社やってるから知識はそこから。」

「なるほどね。」


 やっぱり持つべきものは親、金、権力ってとこか。

 筆しか持ったことの無い俺にとって、パソコンを使って絵を描くなんぞ考えらないことだった。

 絵の具しか混ぜたことの無い俺にとって、パソコンでカラーを作るなんぞ考えられないことだった。

 表現方法の違いに、俺はしばし見入っていた。


「将来はイラストレーターってとこか?」


 俺は当たり前のようなことを当たり前に発したつもりだった。

 だが、竹田の表情がいっそう曇った。

 なんだ、先から冴えねー表情するな。

 こんな恵まれた環境で、裕福な生活をしているのに、何が不満なんだ?


「おれの将来は決められているから。」

「は?」


 テーブルに戻り、お手伝いさんの運んでくれたジュースを口に入れると話し始めた。


「選べないんだ。おれは。」

「選べないって?」

「おれがこうして自由に趣味を続けていられるのも高校まで。そしたらお絵かきなんて辞めさせられる。高校を卒業したら、親の決めた大学へ行って、親の決めた勉強をして、親の会社を継ぐ。」

「これがおれの決められた将来。」

「えっ・・・・せっかくこんな技術持ってんのに?何も辞めなくても・・・」

「両立は無理なんだ。わかってる。」

「・・・・・・・」

「IT会社って言っても専門分野があるからさ。おれがやってることなんて、ただのお絵かきとしか見られてないんだ。グラフィックデザイナーなんてカッコいい言葉だけどさ。そんなの認めてもらえるはずが無いんだ。」

「そっか・・・・」


 何の苦労も知らない、金持ち坊ちゃん。

 幸せでないはずが無いのに・・・・

 そんな風に思っていた自分に嫌悪した。


 お手伝いさんが言ってたが、お友達が来るのが久しぶりだと。

 俺も人のことは言えないが、中学に入ってからこいつと遊ぶ奴はいなかったのだろうか。

 久しぶりに誰かを家に呼ぶ。

 久しぶりに話す会話。

 久しぶりに話す友達。


 わざわざお手伝いさんがいるってことは、両親ともに仕事で遅いのだろう。

 おそらく、このお手伝いさんが竹田の生活の世話をしてきたのだろう。

 両親も、兄弟もいない一人の時間。

 竹田も長い時間を一人で過ごしてきたのだろうか。


 物持ちなのは一人っ子だから。

 物知りなのは本を読んでいるから。

 知らせたがりやなのは話し相手がいないから。

 兄弟揃っていても一人で過ごしてきた俺。

 なんだ、一緒じゃないか

 幸せだなんて誰が決める?

 一人っ子でも、兄弟がいても、金持ちでも、金持ちでなくても、母親がいても、いなくても、そんなのなんの関係も無い。


「おれの話はいいからさ。えっと・・・・穂高のこと聞かせてよ。」

「晃でいいよ。」

「じゃあ、おれはタケで。」

「タケな。ていうかさ、なんでタケは俺がKEIGOが好きだって知ってんの?」

「晃の絵を見たらわかるよ。」

「絵で?」

「うん。」

「写生大会?授業の時のか?でもタケ学校にあんま来てないし・・・」

「空の絵だよ。」


 絶句してしまった。


「小学生の時描かなかった?空の絵。確か・・・小4か5の時。同じコンクールでおれも賞取って、会場で見たんだよ。晃の絵。確か、当時の新聞切り抜きして取ってある。」

「それで名前覚えてて。でも次の年のコンクールには出てなかったから、中学入ったらまた会えるかと思ってて。」

「そしたらさ、なんと同じクラスじゃん。話しかけようか迷ってるうちに、おれ目つけられちゃって。学校行くのもダルくなって。家で一人でパソコンしてる方が楽じゃん。」

「でも、図書館で晃見かけた時にさ、雅画伯の画集借りてて、あー、やっぱりこいつ空の絵を描いた奴だーって思った。雅画伯は風景画の中でも空専門だし、その雅画伯唯一の弟子がKEIGO。ほら、つながるだろ~。」


 一人で喋って、一人で納得。雅史お坊ちゃまはジュースを一気に飲み干しました。

 一方、俺はというと、突然の展開についていかれず思考回路しばらく中断。


 そんなこんなで、竹田家第一回訪問を終了した。



 十二月に入った日曜日。

 一足早いクリスマス会というのをやることになって。

 泉くんを中心にクラスの男女でパーティー。

 はじめは断るつもりだった。

 でも。

 俺は一つの決心をして、クリスマス会に行った。


「じゃー、皆狭いけど適当にくつろいで。」

「クリスマス会はじめまーすっ。」

「全員ジュース持った?」

「ではでは、乾杯―。」

「乾杯ー。」

「メリークリスマスー。」


 重なるグラスの音。

 部屋中に響き渡るクラッカーの合図。

 CDプレイヤーから流れるクリスマスソング。

 お調子者で笑いをとるのがうまい奴のモノマネ披露会。

 フライドチキンにケーキ。

 女子の焼いてきたクッキー。

 男子の持ってきた酒類。

 部屋には溢れんばかりの笑い声。

 盛り上がっている中、俺は一人で泉くんの隣へ行った。


「楽しんでる?晃君。」

「泉くんさ、ちょっといいかな。」

「んー?」


 二人で話せる窓際へと移動した。


「頼みがあるんだけど。」

「へー、珍しい。いいよー、晃君の頼みなら、なーんでも。あ、告白はなしね。オレ女の子がいいから。」


 いつも通りの泉くん。

 幼稚園からずっと一緒のクラスの泉くん。

 明るくて、スポーツも出来て、面白くて、女子に人気があって。

 同性からも人気を得ている。

 そんな泉くんが、どうして俺なんかに目をかけてくれているのか、ずっと不思議だった。

 泉くんの存在には何度も助けられた。


 鳴り止まないクリスマスソング。

 メロディーに合わせて歌っている奴。

 赤い帽子に白い髭でコスプレを楽しむ奴。

 盛り上がるお喋りに、かき消されそうな声で言った。


「竹田を何とかできないか。」


 泉くんはこっちを見ずに一度だけ目を閉じた。

 その横顔が、少しだけ悲しそうに見えたのは気のせいだろうか。


「いいよ。」


 時間が止まったかと思った。


「ただし、一つだけ条件がある。」


 ごくっと唾を飲む音が聞こえた。

 どうやら俺は緊張していたらしい。

 タケのこと、泉くんならなんとかしてくれるのではないか。

 あれから一ヶ月、隣の席とはいえ、タケと話すようになった俺には何も起こらない。

 普通、いじめているターゲットと話したり、助けようとした奴なんかは一緒にやられる。

 でも、俺には泉くんがいるから手を出せないのだろう。

 そう考えた時、泉くんなら、タケを、あいつらのいじめを止めさせることができるのではないかと思った。


「条件?」

「そう。」


 なんとなく、予想はしていたこと。

 条件。

 泉くんの言う条件とは、俺もこのグループから抜けさせられる・・・だろう。

 いくら裏番長的存在の泉くんでも、いじめを止めることはできても、辞めさせることはできないだろう。

 いつの時代にも、どこにも、いじめはある。

 どんなクラスにも、女子にも、男子にも。

 だから、ターゲットを変えることくらいしかできないだろう。

 タケから俺へ。

 そうしたらもう、泉くんとは居られない。

 ここにはもう、居られない。

 それでもいいと思った。

 タケと出会って、初めて友達と呼べる、共感できる奴に会った。

 人とかかわるのを避けて、面倒くさそうに他人と接するこんな俺の、これまでの中学生活を支えてくれた泉くんには感謝。

 俺は抜けるよ・・・・・


「咲良のこと好きなんだ。」

「へっ?」


 気の抜けた声を出してしまった。

 条件・・・

 条件?


「そんな変な顔するなよ。これでも悪りーと思ってんだからよ。」


 どんな顔してたのだろうか、俺。

 自分でも予想外の展開に驚いていた。


「誰にも言ってなかったんだけどさ、そーゆーことなんだ。」


 そーゆーこと。

 そーゆーこと?

 つ、つまり、

 つまり、泉くんのいう条件って・・・・

 条件って・・・・


「え?そんなんでいいの?」

「そ、そんなんて、晃君?意味わかってる?」

「全然OKだよ。」

「えっ、マジで?えっ?っていうか、ちゃんとわかってる?」

「わかってるよー。」

「マジで?えっ、だって晃君、咲良のこと好きなんじゃ・・・・?」

「いや。」


 きっぱり即答した俺に、泉くんは本気で焦っていた。

 そんな普段見られない、意外な泉くんを見られるのも貴重だ。


「えっ・・・と・・・・、晃君咲良としか話してねーし、つき合ってるっていう噂もあったし・・・・」

「いや、好きでもなんでもないけど。」

「そ、そうなの?」

「おう。」

「なーんだ、マジ焦ったー。」

「そうかー、そうならそうと・・・・ってか、晃君が俺に隠し事するなんてことないか。そうだよな。付き合ってるならそう言うよな。頼みごとも珍しいけど、隠し事もしないもんなっ。」


 そう言うと、泉くんはニコニコしながら俺の背中をバンバン叩いてきた。

 なんだかいつも強く見える泉くんが、今は子供っぽくて可愛らしい、なんて言ったら怒られそうだけど。

 とにかく、突っ張った顔ではなく、微笑ましい、明るい笑顔の似合う泉くんだった。

 そんな泉くんが人気者で、ちょっと不良っぽいけど、喧嘩も強いけど、皆から好かれるのもよくわかる。

 そしてそんな友達がここにいてくれたことを誇りに思う。


「じゃあ、今度は竹田も誘ってやれ。」

「えっ?」

「入れんだろ?俺らのグループに。」

「え、でも・・・・」

「なんとかなるんじゃねー。」


 そう言った泉くんの顔からは、さっきまでのあどけなさは消え、何かを企んでいるかのような悪戯な笑みを浮かべていた。


「俺、泉くんが好きだよ。」

「なぬっ!」


 自分で言って、自分で笑えた言葉。

 泉くんは俺に冗談は似合わないと、焦って付け加えていたが。

 ど肝を抜かれたかのような、顔をしていた。


「泉くーん、一緒にゲームやろーよー。」

「おーうっ。」


 女子に呼ばれ、泉君はテーブル席へと戻っていった。

 まだ鳴り止まないクリスマスソング。

 隣に咲良がやってきた。


「何二人で話してたの?」

「べつに。」


 咲良は隣に腰を下ろした。

 私服の茶色いワンピースからは、色白の肌が見えている。

 背が高く、細身の体型の咲良とは、座ると目の高さが一緒になる。

 泉くんが好きな子は咲良だった。

 泉くんは俺の好きな子が咲良だと思っていた。

 確かに咲良はかわいい、というか美人だろう。

 性格も悪くは無い。

 他の女子とより咲良と話す方が楽だったし、一緒に居て別に嫌だったことはない。

 確かに、噂が立ったこともあった。

 でも・・・・


「なぁ~に?嬉しそうな顔してる。」

「晃君のそんな顔、初めて見たわ。良い事でもあったの?」


 相変わらず、俺が何も言わなくても咲良は話しかけてくる。

 俺が何を言おうが、言うまいが、泉くんがいてこその俺。

 そんな俺は楽だったよ。


「あたしさ、泉君と晃君好きだよ。二人が一緒に居るところ、良いなっていつも見てた。」

「おまえは転校生か?」


 少し間が空いた。

 咲良は、自分の質問と全く意に反したことが返ってきたことに笑って言った。


「違うよー。」


 意味のある言葉。

 意図のある絵。

 人と人との関係にも、意味はあって意図がある。


 後日、俺は一度だけタケを誘って皆と遊びに行った。

 なんとなく違和感の、でも穏やかに流れていく時間は、人と人との関係を修復に導くには十分だった。


 それから俺達は二人で遊ぶようになった。

 タケの家へ行くのが大半を占め、時々買い物にも付き合った。

 はじめに話してくれたタケの、家のこと、将来のこと、自分のこと。

 ふと、思う。

 タケが聞いてこない、俺のこと、母親のこと、家のこと。

 少しずつ・・・・

 少しずつ話そう、自分のこと。

 はじめて友達と呼べる奴に出会った、タケになら。

 俺のこと、絵のこと、母親のこと、兄貴達のこと。

 きっとタケになら、話せるだろう。

 話してみよう。

 ただ、それだけのこと。



 年明けて、出席日数が危ないと、タケが毎日学校に来るようになった。

 もっとも、もう学校に来られない理由も無い。

 泉くんのお陰で、タケはだいぶ明るさも取り戻した。

 知ってることを、自分目線でなく、教える立場になって考えるようになった。

 元々頭の良いタケ。

 休んでいても、定期試験だけは受けに来ていた。

 その試験で毎回十位以内に入っている程。

 そんなタケが、試験前になると皆にノートを貸したり、泉くんに勉強を教えたりするようになった。

 いつの間にか、タケの周りにも、人が集まるようになっていた。



「タケやーん、英和辞書貸して。」

「またか?」

「だって家に無いから毎日持ち帰ってるんだもん。」

「今日うちのクラス英語ないぞ。」

「知ってるよー。でもタケやんなら学校にも家にもあるでしょー。二個―。」

「おまえ、それが人に借りる態度か?」

「きゃー、ごめんなさーいっ。ははは。」


 最近、タケのところに出入りしている女がいる。

 第二小の出身だろう。

 大抵、辞書だのノートだの、借り物の用事で来る女。


「しょーがねーな。ほらっ。」

「ありがとー。」

「授業中寝てヨダレつけんなよ。」

「だーいじょーぶっ。ありがとねっ。」


 そう言うと、パタパタと足音を立てて帰って行く女。

 いつもへらへら笑っていて、頭悪そうな感じの女。

 でも、その女の後ろ姿を、いつも見えなくなるまで見ているタケ。

 好きなのか?なんて思ったことも。



 あのクリスマス会の後、泉くんは咲良に告白をしたらしい。

 咲良の返事は・・・・

 オッケーをもらったと嬉しそうに泉くんが話してくれた。

 泉くんが笑ってくれるなら、泉くんの役に立てたなら、今まで泉くんに助けられてきた俺は救われる。

 そう思った。


 恋に恋する年頃でもある。

 噂話は楽しいひと時。

 誰かが誰かを好きだなんて。

 俺にはそんな気持ち、あるのだろうか。

 俺にはそんな想い、あるのだろうか。


「晃―、KEIGOの三月号届いたぜー。」

「おう、じゃー、放課後タケんちなー。」


 まだ要らない。

 タケの家から帰る途中、大きな夕焼けを見た。

 水色とオレンジの入り混じった空。

 空を見ると思い出す。

 あの日のこと、あの絵のこと。

 母親のこと、父親のこと、ばあちゃんのこと、兄貴達のこと。

 空はどこまでも続いていて。

 追いかけても追いつけない苦しい道。

 でも、そんな空へと続く道は、もうとっくに見つけているのかもしれない。

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