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第八話 大都会マリゼ

 引越しの準備は、まるで夜逃げのような早さで進められた。タマラの安全のためにも、一日でも早いほうがいいとジェフリーが判断したからだ。元々荷物は少なめだから荷造りはすぐ終わったが、苦労したのは薬局の引き継ぎについてだった。


 後任の魔法薬師について。突然田舎町への赴任を命じられて素直に従う人がいるのだろうかとアガサは訝しんだが、約束の期日に若い魔法薬師がやって来た。ジェフリーの采配が完璧だったとしか言いようない。引き継ぎの資料が未完成だったアガサの方が驚いたくらいである。


 まだ若い魔法薬師がやる気に満ちあふれているのを見て、アガサは恐る恐る尋ねた。


「突然、こんな田舎に行けと言われて嫌じゃありませんでした?」

「いいえ。都会の暮らしに疲れていたところに、ラドクリフ博士もいらっしゃると聞いて真っ先に志願しました。ダウリングさんの頼みとあれば、手を挙げる人はたくさんいますよ」


 十年前は、優秀でもどこか頼りなかったのに。にわかに信じがたい話だ。しかし、危機一髪のところを助けてくれた彼はとても眩しかった。


(あれから彼も変わった……? 十年も経てば、誰も皆変わるものではあるけれど)


 結局、ソルベリージュを離れる当日になっても、ジェフリーときちんと話し合う機会は未だない。タマラに真実を告げた夜は早く寝てしまったし、その翌朝に彼はマリゼに立ってしまったからだ。こんな中途半端な気持ちのまま出発していいのだろうか。最後まで踏ん切りがつかないでいる。


 アガサ母娘が、ソルベリージュを離れる日も、多忙のジェフリーが迎えに来ることは叶わなかった。代わりに、眼鏡をかけた目つきの悪い男性がやって来た。まだ若いが、彼の秘書官らしい。


「秘書官のカイル・ウォーベックと言います。ダウリング氏ですが、先日も強引に予定をこじ開けてこちらに来たくらいなので、さすがに今日は時間を作れません。ですが、住居の準備は済ませてあるので、マリゼに到着次第そちらにご滞在ください」


 事務的な口調で、きびきびと話すカイルからは、仕事以上のものを感じられなかった。タマラが友達との別れを惜しんでも「もう時間なので」と急かすばかり。そんな合間を縫って、アガサは、ラドクリフ先生に挨拶をしに行った。


「先生には何から何までお世話になりました。何もご恩返しができないままで申し訳ありません。本当にここを離れるのが辛いです。こんな形でお別れするなんて……」

「タマラのためを思えばこれでよかったんだよ。私も、マリゼに行くことがあれば訪ねるからそう悲しまないで」


 ラドクリフ先生の言う通りだ。だから、自分の店を他人に明け渡すことなんて些事に過ぎない。ジェフリーから受けた仕打ちを一旦脇に置いて彼の庇護を求めないといけない。アガサは自分にそう言い聞かせて、魔法を動力とする車に乗り込んだ。この辺ではまだ珍しく、初めて見る車に子供たちは目を輝かせていた。


 ソルベリージュの人たちに見送られ、アガサたちはマリゼに旅立った。マリゼからはカイルだけでなく、二人を護衛する魔法使いたちが何人も来ていたが、町の人たちはどう思っただろうか。こうしている間にも、タマラを狙う者がいることを考えれば仕方ないのだが。


「マリゼに着けば、至るところに結界を張っているので、自由に動くことができます。ですが、移動の間は油断しないでください」


 カイルの言う通りなのだろう。ソルベリージュからマリゼまでは車で一日かかるが、周りの護衛は一切気を抜かず、アガサとタマラが宿に一泊した時も交代で寝ずの番をするほどだった。幸い、何事もなくマリゼに到着したときは、アガサも安堵のため息を漏らした。


 マリゼは、昔と変わらず喧騒と活気にあふれた都だった。歴史的建造物の隙間を埋めるように高層の建物が無数に建ち、過去の伝統と最新の文明がぶつかり合う場所だ。さらにその間を縫うように無数の人が脇目も振らず通り過ぎ、上空を仰ぐと、魔法を動力とする小型の飛行船が建物を行き来するように走行していた。時間の流れすらソルベリージュより早く思える。タマラは目を白黒させながら、車からの風景を眺めていた。


(相変わらずすごい人……私も初めてマリゼに来た頃は、田舎とはあまりに別世界でめまいがしそうだった。きっと、タマラも同じ気持ちなんだろう……すぐに慣れてくれるといいけど)


 車は、ジェフリーが用意した家にまっすぐ進んだ。リノテ川を渡り、以前彼のアパートがあった高級住宅街の近くを通り過ぎる。あれから彼はあのアパートに住み続けたのだろうか。今回、タマラを守る環境を整備する意味から、新しい家を用意したと聞くか、その前は彼はどこに住んでいたのたろうか。疑問は尽きない。


 一緒に付いてきた秘書官のカイルならば簡単に教えてくれるだろうが、ピリピリした雰囲気の彼からは聞きづらい。護衛は何人もいるが、誰も頼れる人がいない。


 ソルベリージュでは、隣のおばさんも、ラドクリフ先生も、薬局の常連客も、みんな気軽に話せる相手だった。ここでは、全員がジェフリーの「配下」だ。アガサはただの「ジェフリーの元恋人でタマラの母親」。それ以上でも以下でもない。アガサは、膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめた。


 そんなことを考えているうちに、官公庁街からほど近い場所にある新居に到着した。


 高い塀に囲まれた大きな屋敷。一見すると古い建築に見えるが、最新の技術で作られた住み心地のいい住居なのが見て取れる。赤煉瓦で囲まれた外壁に、年代物の家具で統一された内装。金に糸目をつけず、レトロ趣味と住みやすさを両立した家というのが第一印象だった。


 もちろん、こんな立派な家に住むのは初めてだ。短期間でどうやって見つけたのか、アガサは全く想像できなかった。


「これは……新築なの?」

「いくらダウリング氏でも、数日で家を新築することはできません。築浅の中古物件を手に入れ、急ピッチで手を加えたんです」


 カイルが部屋を案内しながら、きびきびした口調で説明する。ジェフリーは、アガサとタマラが困らないように入念に準備をしてくれたらしい。少なくとも、このことについては感謝してもいい気がする。


「ジェフリーはいつ帰ってくるの?」

「いつになるかわかりませんが、夜遅くなるでしょう。お嬢さんは先に寝かせた方がいいかと。ここ数日、あなた方が来る準備に追われて仕事が溜まっているんです」


 カイルの言い方が何となく恩着せがましい気がして、アガサは萎縮しそうになった。だが、十年前とは違う。自分は右も左も分からない小娘ではないし、今はタマラという守るべき存在もいる。年下の青年に強く出られたところで下を向いている暇はない。何も感じていない振りをしてそのまま続けた。


「これだけ大きい家だとかなりの使用人が必要になるわよね?」

「魔法を動力にしてできうる限り家事を自動化しました。なので、使用人が一人いれば大丈夫です。ダウリング家で働いていたマーフィー夫人です」


 カイルに紹介されて、気の良さそうな初老の婦人が現れた。優しそうな物腰に、アガサはマリゼに来て初めて安堵した。


「初めまして。どうかよろしくお願いします。事情はジェフリーから聞いてるかしら?」

「ええ、私はそろそろ引退しようと思ってたんですが、ジェフリー坊ちゃんが仕事の大部分を魔法で自動化してくれたおかげで、もう少し働いてみようかと思ったんですよ」

「自動化って……それもジェフリーがやったの?」

「ええ、お一人で」


 何と。ジェフリーが家事魔法をそこまで極めていたことは想定外だった。十年前にアガサが発明した家事魔法を改良したというのか。アガサ自身は、仕事が忙しいあまり家の中が散らかり放題だったというのに。


「それと……特に子供部屋に力を入れていたので見てやってください」


 カイルが小声でそっと言うので、タマラと一緒に二階に上がる。日当たりがよく天井の高い広々した部屋が子供部屋に当てられていたが、真ん中に大きめの滑り台の遊具が置かれていたものだから度肝を抜かれた。


「どういうこと!? まるで、部屋の中に公園を作ったみたいじゃないの!」


 真ん中にある滑り台は、タマラの身長の倍以上ある。しかも、ただの滑り台ではない。螺旋状になっており、まるで遊園地のアトラクションだ。


「九歳の子にはどうかと思ったんですが、不評なら後から入れ替えればいいじゃないかの一点張りで……」


 カイルの声には、明らかに疲労が滲んでいる。ジェフリーを説得するのに、どれだけ苦労したのだろう。


「タマラ、どう思う?」

「う、うん……雨の日にはいいかも……」


 仏頂面だったカイルが少し人間味のある反応を見せるくらい、目の前の光景は異質なものだった。他にも、天蓋付きのベッド、大きなドールハウス、たくさんのぬいぐるみ……とにかく女の子が好きそうなものをかき集めた感が否めない。タマラもどんな反応をしたらいいか戸惑っているようだ。


「確かに子供部屋ではあるけど……でもタマラは九歳よ? もう少し大人っぽい方が……頭が痛くなりそう……いいわ、タマラの意見を聞いた上で彼とも相談する」

「お願いいたします」


 こうしてカイルが去り、アガサはぐったりとソファに身を横たえた。タマラも長旅と急激な環境変化で疲労困憊している。ジェフリーの帰りを待たずに、夕食を済ませたらすぐにタマラを寝かせた。初めての場所で寝るのは、本来なら緊張するはずだが、タマラはすぐに入眠した。だが、自分はこれからジェフリーを待たなくてはならない。


 アガサはマーフィー夫人を下がらせ、一人で待つことにした。ジェフリーが帰ってきたのは日付が変わる直前だった。


「ジェフリー、お帰りなさい」


 話すことがたくさんある。この期に及んで、何一つ核心的な話をしていないのだ。なぜ、十年前ジェフリーはアガサを闇魔法で脅したのか。それなのに、今になってアガサたちを手厚く迎えるのは、タマラの魔力が欲しいからなのか。体は疲れているが、これからもうひと勝負しなければならない。アガサは、対決に臨むような気持ちでジェフリーに向き合った。



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