第四話 家族ができました
訪れたのは予想通りジェフリーだった。新たな脅威ではないと知り、ほっと胸をなで下ろす。
「三人の賊は部下たちに任せてきたよ。ラドクリフ博士もありがとうございました。今回のことでは大変お世話になり――」
「敬語は要らんよ。今や君の方が目上じゃないか。何でも気軽に指図してくれ」
「指図だなんてそんな……」
二人の会話を聞いて、アガサは、ジェフリーがラドクリフ先生に指示を出せる立場なのだと知り驚いた。だが少し考えれば当たり前のことだ、すでに国を代表するほどの大魔法使いなのだから。
「ここで立ち話もなんだから中に入ろう……アガサ、いいよね?」
「は、はい!」
ラドクリフ先生に言われ慌てて返事をする。さっきの会話のせいか、アガサの返事にラドクリフ先生はホッとした表情を浮かべた。
三人が席についてから、しばらくの間皆無言だった。アガサもジェフリーも目を合わせようとしないし、間に座るラドクリフ先生もどうしたらいいか分からない様子。しかし、このままいたずらに時間が過ぎるのを待つわけにはいかない。ラドクリフ先生は、もったいぶったように咳払いをしてから口を開いた。
「二人から話を聞いて、感情の行き違いがあることは分かった。だが、今考えなくてはいけないのはタマラのことだ。彼女を狙う者が姿を現した以上、すぐに動かなくてはいけない。それについては、二人とも異論はないね?」
双方黙って頷く。アガサは、ジェフリーにお茶を出すのを忘れるほど緊張していたし、ジェフリーも彼女を前にして表情は固かった。そんな中、先に口を開いたのはジェフリーの方だった。
「ソルベリージュでは彼女の安全は確保できない。どこからでも敵は入り放題だし、九歳の子どもに外に出るなというのも不可能だろう。その点、マリゼなら設備も人材もしっかりしている。かなりの範囲で自由は利くし、護衛を増やしても問題ない。アガサには受け入れ難いだろうが……」
「いいえ、十分理解してる。私がもっと早く行動していれば、こんなことには……」
「そんなことを言ってるんじゃない、自分を責めるのはやめるんだ!」
ジェフリーにたしなめられたがアガサの心は塞いだままだった。
「マリゼに行くってことは、お友達と別れなきゃいけないのよね? あの子はきっと悲しむわ。それに、私も付いていかないといけないんでしょう?」
「もちろん。母親は必要じゃないか。君と一緒じゃなきゃ、タマラだって納得しないよ!」
「違うの、薬局を閉めなきゃいけないってこと。そしたらここの人たちは、前みたいに山を越えて隣町まで行かないといけない」
アガサの主張を聞いて、ジェフリーは当惑した表情を浮かべた。テーブルの上に置いた手をもぞもぞと動かしながら言いにくそうに話す。
「それは……マリゼから代わりの人材を呼び寄せるよ。君が責任を感じることはない」
「そうじゃない……そうじゃないの……」
アガサはがっくりとうなだれて両手で顔を覆った。それまで黙って聞いていたラドクリフ先生が意を決したように口を開く。
「アガサ、あの店が君にとってどんな存在なのか知ってるよ。乳飲み子を抱えながら、ゼロから立ち上げて……辛いよな……頑張ってたもんな……でも、タマラには君が必要なんだ。周りは知らない人ばかり、母親しか頼れないんただから」
「ええ、それも分かってます。だから辛いんです、身が引き裂かれるようで……」
再び沈黙。事情を理解したジェフリーも気まずそうな表情を浮かべた。
「すまない……アガサが犠牲に――」
「違う。あなたに謝ってほしいのはそんなことじゃない!」
思わず逆上して大声を出してしまった。はっと我に返り、恥ずかしさのあまりぷいと横を向く。ジェフリーは訳が分からず目を白黒させたが、ラドクリフ先生の方は何かを察したように、二人の間に割って入った。
「十年も会ってなかったのなら、積もる話もあるだろう。でもそれは一先ず置いておこう。そろそろタマラを呼んで話をしないか?」
タマラ。そうだ。この受け入れ難い話をどうやって説明すべきか、それが問題だ。アガサはタマラの部屋に向かい、彼女を呼びに行った。タマラは慣れないことの連続で疲れたのか、ベッドに横たわりウトウトしていた。そこを無理やり起こし、居間に連れていく。眠そうな顔のタマラは、ジェフリーとラドクリフ先生の姿を見て首を傾げた。
「ラドクリフ先生とさっきのおじさん……どうしているの?」
驚きと不審を隠そうとしないタマラを何とか安心させるように、アガサは隣に寄り添うようにしゃがんだ。
「あのね、タマラ、落ち着いて聞いてほしいの。さっきのことなんだけど、実はあなたを狙ったものなの。あなたの魔法が目的で」
どこから切り出せばいいのか分からないが、九歳の子にも分かるように言葉を選びつつ、ゆっくりと説明を始めた。案の定、タマラはきょとんとしたままだ。
「私の魔法? どういうこと?」
「四大魔法を使える人は、この世界には殆どいないのよ。あなたは無邪気に喜んでるけど、本当はとんでもないことでもあるの。恐ろしい魔法まで使えてしまうから……だから、あなたを攫おうとすると悪い大人が出てくるのよ、さっきみたいに」
アガサは、タマラの両肩に手を置いて、一言一言噛みしめるように言った。怖がらせたくないが、嘘はつけない。
一旦言葉を切り、タマラの表情を伺うが、彼女はぽかんとしたままだ。あまりのことに脳の処理が追いつかないらしい。ジェフリーとラドクリフ先生も固唾を飲んで見守るのみ。静寂がやけに染みる。
タマラは、おろおろとしながらも小さな声で尋ねた。
「……え……じゃ、どうすればいいの?」
「残念だけど、もうここにはいられない。これからも、あなたを狙う悪い大人はどんどん出てくる。だから、安全な場所に引っ越すの。首都のマリゼに行くのよ」
タマラの顔色がサッと変わる。九歳の少女には、四大魔法よりも友達と別れることの方が大ごとらしい。
「やだよ、そんなの! 友達と会えなくなるんでしょ!? みんなと離れ離れになるなんて絶対いや!」
予想通りの答えが返ってきて、アガサは唇を噛んでうつむいた。こっちだって、できることならそんな残酷なことしたくない。言葉に窮した彼女に代わり、ラドクリフ先生が続きを引き取った。
「タマラの気持ちはママも十分分かっている。ママだってソルベリージュを離れたくないんだ。でも、タマラにもしものことがあったらみんな悲しむよ? それだけは絶対にあってはならない」
「どうして、どうしてここにいられないの? さっきみたいに悪い大人をやっつければいいじゃん!」
「ここでは、タマラを完全に守ることができないんだ。さっきみたいに、一瞬目を離した隙に狙われるし、君を守れるだけの強い魔法使いも足りない。私とママだけでは無理なんだ」
タマラは顔をぐしゃぐしゃにして泣き出した。彼女にとってはここが故郷だ。突然故郷を離れると言われたらこうなるのは当然だろう。
「ソルベリージュがいい! 学校の友達も、お隣のマークとジェイコブも、学校で飼ってるウサギも、マリゼにはないもん!」
タマラの悲痛な叫びに、アガサとラドクリフ先生は何も返せなかった。その時、それまで黙っていたジェフリーが口を開いた。
「……代わりにパパがいるとしたら? 家族三人で暮らすのは嫌かい?」
アガサはびっくりしてジェフリーを見た。なぜ今その話を? ジェフリーが父親という話はおいおいするつもりでいたが、彼に先回りされたことが信じられなかった。
「パパ? どうしてパパの話?」
「今まで、パパはどうしてるって聞いてた?」
「パパはいないって……どこにいるかも分からないって言われた……」
「もしそのパパが今、目の前にいるとしたら?」
ジェフリーの声がかすかに震える。必死に心の動揺を抑えているのが、側からも見て取れる。一方のタマラは、はっと息を呑み、目を丸々と見開いた。
「もしかして……おじさんなの? おじさんが私のパパ?」
ジェフリーは黙って頷く。タマラは、口をあんぐり開けたまま、ゆっくりとアガサに顔を向けた。もう隠し通せない。アガサは、覚悟を決めて娘の目をまっすぐ見据えた。
「その通りよ。ここにいるジェフリーがあなたのパパ。普段はマリゼで偉い魔法使いとして働いているの。四大魔法を使えるのは、この国ではあなたとパパだけよ」
「パパ……パパ……そうなんだ……パパ……」
タマラはゆっくりと呑み込むようにその言葉を繰り返した。幼いながらも彼女なりに受け入れようとしている姿がいじらしくも痛ましい。
「びっくりするのは当然だよね。今まで黙っててごめんね。ママが悪いの」
「いや、悪いのは僕だ。今まで姿を見せなくて本当にすまない」
「どうして……」
現実を受けとめきれないタマラに、アガサは何とか説明を試みた。
「わけがあって、ママとパパはずっと離れて暮らしていたの。でも、タマラが危ないと聞いてパパは慌てて飛んできたの」
「ママの言う通りだ。これからはマリゼで三人で暮らそう。タマラはどう?」
「パパとママと三人で………………分かった……マリゼに行く」
これがタマラにとっての精一杯の回答だった。とりあえず一安心だ。これ以上はタマラには限界だ。夜も更けてきたので、ここで一旦区切ることにした。
「お腹空いたでしょう? なんか作るわね? 大したものはできませんが、ラドクリフ先生も召し上がってください」
「僕は……ここにいない方がいいだろうね?」
ためらいがちに言うジェフリーに、ラドクリフ先生がぴしゃりと返した。
「何を言う? 君が席を外した隙にタマラの身に何かあったらどうする? ここにいる間はぴったり離れるな」
それだとジェフリーにも食事を振る舞わないといけない。アガサは戸惑いを覚えたが、何も言わずに四人分の食事を用意した。
狭い居間に大人が三人いるだけでもぎゅうぎゅう詰めだ。普段はタマラと二人きりで食べる食事だが、今夜は、小さいテーブルの上にありあわせのパンとチーズと干し葡萄を置いて四人で囲んだ。質素な食事で言葉も少なかったが、みんなで食べるのも悪くないような気がした。
食事が終わり、ラドクリフ先生はアガサの家を辞した。ジェフリーと二人きりにしないでほしいと心の中で願ったが、これ以上引き止めるわけにもいかない。むしろ、今まで彼がいてくれてよかった。そうでなければ、話の収集がつかなくなっていたに違いない。
「狭い家なので客間がないの。そこの長ソファでいいかしら?」
「ああ、十分だ。急なのに悪いね、ありがとう」
ジェフリーに礼を言われ、バツが悪くなり顔を背けてしまう。そして、タマラと一緒に寝室に向かった。
「ねえ、ママ、さっきのパパのことだけど――」
「今夜のところはもう寝なさい。また明日話をするから」
これ以上終わらない話をするつもりはない。タマラが寝るまでそばにいるつもりだったが、ジェフリーに毛布を渡すのを忘れていたことに気がついた。すぐに戻ってくるからと言い残して、毛布を持って居間に戻る。
「はい、これ」
「あ、ありがとう……君と話したいことがあるんだが――」
「今夜はタマラのそばにいてやりたいの。それにもう遅いから」
「うん……そうだね……お休み」
ジェフリーの肩ががっくりと落ちたのを見て、さすがのアガサも心が痛んだ。しかし、タマラのこともあるし、何より冷静に彼と話ができるとは思えない。声を上げてタマラに気づかれたらと思うと、避けたい気分が勝ってしまった。
翌日、タマラの護衛のためにマリゼからたくさんの魔法使いがやってきた。そして、引っ越しの準備を慌てて行い、新しい魔法薬師が来て仕事の引き継ぎを済ませるうちに、時間はあっという間に過ぎ去った。
ジェフリーがソルベリージュにいたのはたった一日だけだった。それ以上は仕事に穴を開けられず、アガサの家に一泊したあと、マリゼからの人員と入れ違いになるようにそそくさといなくなった。結局、マリゼに出発するまで、ジェフリーと話す機会は訪れなかった。




