第二話 十年ぶりの再会
ラドクリフ先生は、生徒たちに口止めをしてくれたらしいが、それを子供が守れるとはアガサも期待していなかった。案の定、薬局に客として来る同級生の親たちは、口々にタマラの話をして行った。
「うちの子から聞いたわよ? タマラちゃんすごく優秀なんだって? まだ小さいのに、どんな魔法でも使えるなんてすごいわね!」
「うーん……でも子供だからまだ分からないわよ……」
アガサは苦笑いを浮かべながら、カモミールとラベンダーに魔力を込めてブレンドした睡眠ハーブを手渡す。そして客が帰ってから、カウンターに肘を付いて大きなため息を吐いた。
相手に悪気がないのは分かっている。この国では平民でも魔力を持っている者は少なくない。だから、ラドクリフ先生のように、魔法を教える平民向けの学校が存在するのだ。
それでも、貴族の方が強い魔力を持つことが多いのは事実だ。ソルベリージュの人たちは、四大魔法全てを操れる希少さまでは理解しておらず、ただ無邪気に驚いている。事の重大さを認識しているのは、アガサとラドクリフ先生くらいのものだった。
今まで、アガサが薬局で仕事をしている間は、タマラを隣のおばさんちに預けていた。そこには同年代の子供たちもいるので時間を潰すには丁度よかったのだが、今は自分の店に置くようにした。
「えーやだよ! みんなと一緒の方が楽しいもん! 薬局は一人ぼっちでつまんない」
「いい子だからママの言うことを聞いてちょうだい。宿題が終わったら、休憩室で自由にしてていいから」
とは言え、いつまでこんな生活を続けられるのか。一時的で済む話ではなく、これからずっとタマラを目の届く場所に置かなくてはならないのだ。友達と遊びたいと言い出したらどうすればいいのか? アガサはこれからのことを考えるだけで不安に押しつぶされそうになった。
(いつかタマラと離れ離れになる日が来るかもしれない。そんなこと、あの子を身ごもってから薄々気づいていたじゃない。妊娠さえしなければ? あの人の魔法を継がずに済んでいれば? そうやって逃げるのはもうやめなさい、アガサ。覚悟を決めるのよ)
そんなある日、タマラが薬局の表のドアから帰宅した。いつもは、営業中邪魔にならないようにと裏口から入るのに。アガサは、何かのっぴきならない事が起きたのかと肝を冷やした。
「どうしたの、タマラ? 何かあったの?」
「ううん、そうじゃないんだけど……」
気まずそうに口ごもるタマラの後ろから、ラドクリフ先生が顔を出したのを見て、アガサはさらに驚いた。
「ラドクリフ先生まで! 一体どうしたんですか!?」
「安心して、何も起きてはないよ。ただ、見知らぬ人間が数人、学校の周りでタマラのことを聞き回っていたようなんだ。何せ小さい町だ。住民の顔は知れている。よそ者が来るなんて珍しい。大人が目を離さない方がいいと思って……」
「そうですか……ありがとうございます……」
タマラを裏に下がらせた後で、ラドクリフ先生は、アガサに近づいて声をひそめた。
「学校でタマラの魔法を見られてしまった以上、いつまでも隠し通せるものではない。すっかり町中の噂になっている。今日のことも、話を聞きつけたよそ者があの子の能力を確かめに来たんだろう。今はまだ様子見だが、何かあってからじゃ遅い。対策を打たないと」
ラドクリフ先生の心配はアガサも痛いほど分かったが、それでも何も言えずうつむいたままだった。その様子を見たラドクリフ先生は、彼女の心を見透かすかのように自分から提案をしてくれた。
「君から行動を起こすのが難しいなら、私が魔法省と彼に知らせてもいいか? 時は一刻を争う、うかうかしてる暇はない」
「ええ……お願いします……私ったら本当に何もできなくて……すいません」
本来ならアガサがしなくてはいけないことを他人任せにしてしまうのが情けない。それは分かっているのに、どうしても体が動かない。ラドクリフ先生は、何も詮索することなく黙って引き受けてくれた。
ラドクリフ先生が店を出た後、一人になったアガサは、ポロポロと涙を流した。十年。十年もの間止まっていた時間が、ようやく動き出したのだ。だが同時にそれは、あの人に再会しなければならないということでもあった。それを受け入れるには、まだ彼女の心の傷は塞がってなかった。
*
ラドクリフ先生が去ったあと、アガサは自宅と薬局の周りに結界を張った。彼女の持てる能力を全て注いだが、薬局の方は客が出入りするので強力なものは張れない。さらに、人の悪意を察知する能力を持った高度なものは、よほどの専門家でなければ作れなかった。アガサ自身、首都マリゼの名門大学を出ていたが、魔法薬が専門なので結界については明るくない。
(あの人なら何でもできるからきっと可能だろう……ううん、今はそんなことを考えている場合じゃない、私にできることをやらないと)
国からの連絡が来るまでタマラを外に出さないことも考えたが、いつになるのか分からないのと、タマラが根を上げると予想されたので、前と変わらず学校に行かせることにした。学校にいればラドクリフ先生が何とかしてくれるだろう。問題は登下校の時だ。仕事に穴を開けるのを良しとしないアガサは、悪しきものから身を守るお守りを作り、娘に持たせた。
自分が送り迎えをすればいいのにとは思ったが、ごく稀に、重症の患者から相談を受けることがある。その可能性を捨てきれなかった。
不幸なことに、ラドクリフ先生の予想は当たっていたようだ。村に現れた怪しい影はどんどん存在感を増し、遠巻きに眺めるだけに留まらず、タマラへの接触を試みるようになった。結界が働いた痕跡を見つけて、アガサは一人震え上がった。
(どうしよう。本気でタマラを攫おうとすれば、私の作った結界なんて簡単に破れる。どうしたらいい? もう私では……)
さらに数日後、決定的な事件が起きた。抗炎症作用のある魔法薬を調剤していた時、突然大きな地響きが起こり、同時に、雷が落ちたような衝撃音が響いたのだ。
「今の音は何? どうしたの!?」
アガサは、持っていた乳棒を取り落とし外へ飛んで行った。まさかタマラが? 何かが焦げるような臭いと共に目に飛び込んだのは、薬局のシンボルになっている、大きな楡の木が真っ二つにされた光景だった。
縦に真っ二つされた楡の木の片割れが、店の真上に直撃しそうなことに気づき、彼女は急いで風魔法を使って別方向に飛ばした。強大な風に煽られ、楡の木はもうもうとした土煙と共に、どさりという音を立てて何もない地面に倒れた。
周りに人がいなくてよかった。唖然としたまま、変わり果てた光景を眺めていたのも束の間、我に返りタマラのことを思い出した。
「タマラー! どこにいるのー?」
アガサは半狂乱になって叫びながら、学校の方角へと走った。今はちょうど下校時間だ。さっきのはタマラを狙ったものに違いない。こんな強大な魔法を使える相手に、アガサのお守りが効くはずもない。一刻も早く娘のところへ行かないと。
一目散に駆け出してから数分で、整備された林の小道をのんきに歩くタマラの姿を認めた時は、安心のあまり気が遠くなりかけた。急いで駆け寄ろうとしたその時――
「きゃーーーっ!!」
アガサの行く手を阻むかのように、火の矢が通り過ぎた。いや、これは、高速で空間を疾走する魔法で操られた炎だ。
それは低木の植え込みに当たり、あっという間に一面に炎が燃え広がった。これに当たったら、きっと命はなかっただろう。かなり高度な魔力の持ち主がすぐそばにいることを悟り、アガサは全身が凍りついた。
その一瞬のためらいの隙を狙ったかのように、見知らぬ男たちが立ちはだかった。黒ずくめのローブを着た三人の魔法使い。フードで顔を隠していたが、背格好から男性と見える。腕力も魔力も自分より格上の相手であることを、アガサは認めざるを得なかった。
「母親は殺せと言われている。さっさと片付けろ」
後方にいた男がそう言うと、前方の魔法使いが黙ったまま手を挙げてからゆっくりと下ろし、アガサに狙いを定めた。最早なす術もない。
終わりだ、と悟った瞬間、彼女を守るように全身を光の膜が覆い、地震のような地響きが轟いた。
「わっ! 一体何が……」
目がくらんで何も見えない。頭を覆いながら両足で踏ん張って衝撃に耐える。再び目を開けた頃には全て終わっていた。アガサの目に飛び込んできたのは、光の膜に包まれるタマラと、ぴくりとも動かず地面に倒れる三人の男たちの姿だった。
あっという間すぎて何が起きたのか分からない。しかも、いつの間にかアガサは、背後から何者かによって抱きすくめられていた。
(な、何なの!? 一体誰?)
少なくとも、先ほどの男たちとは違うのは分かった。まるで、大事な宝物を守るかのように優しく包み込む両腕。守られているような感覚を覚えるとともに、なぜか、胸の鼓動が高まった。
「よかった間に合って。間一髪だった」
聞き覚えのある低い声に心臓が止まりそうになる。アガサは弾かれたように後ろを振り返り、背後に立つ男の顔をまじまじと見つめた。
「ジェフリー……」
当時、耳の下まであったプラチナブロンドの髪は背中まで伸び、後ろで緩く結ばれ、長いまつ毛の奥にあるエメラルドの目はまっすぐこっちを見ている。端正で柔和な面持ちはそのままだが、十年の歳月が顔に刻まれていた。
それでも見間違えようがない。かつて、運命の人と信じて身も心も捧げたにもかかわらず、アガサの心に癒えない傷を残したジェフリー・ダウリング、その人だった。




