第十九話 約束する
アガサの魔法仕込みホットドリンクが効いたのか、ジェフリーはぐっすり休んで、翌朝起きた時は、だいぶ顔色が戻っていた。しかし、もう元気になったよと平然と仕事に行こうとするので、アガサは慌てて押し戻した。
「何言ってるのよ。しばらく休めとお医者様に言われたんでしょう? 一晩休んだだけでは完全に回復してないわよ。もう少し休んでなさい」
「長年の癖で何もしてないと不安なんだ。頼む、行かせてくれよ」
「これからは家族との時間を作ると言ってたじゃない。あれは嘘だったの? あなたも変わらなきゃいけないのよ」
アガサにぴしゃりと指摘されて、ジェフリーは、ぐぬぬと言葉に詰まった。今まで続けていた習慣を直すのが大変なのは分かる。しかし、こんなやり方をずっと続けていれば、いつか行き詰まるはずだ。生活様式が大きく変わったのを契機に、生き方も考え直す必要が出てくる。
「…………分かったよ。今日は休んでおく。でも、明日からは家で仕事をするのはダメ?」
ジェフリーが上目遣いにアガサを見る。まるで、学校を休む代わりに遊ばせてと頼み込む子供ではないか。アガサはほとほと呆れ果て、怒る気力も失った。
「この分だと、今日も人目を盗んで仕事しそうな勢いね。分かった。私がここで監視します、あなたがちゃんと休めるように」
そう言って、ジェフリーの椅子をくるりとベッドの方に向け、どかっと座りこんだ。ジェフリーはなぜか、笑いを噛み殺すような顔をしている。そこは、苦虫を噛み潰す顔じゃないの? と不思議に思うが、彼はむしろ喜んでいるように見える。
「アガサがそこまで言うんじゃ、僕もおとなしくするよ。その代わり、退屈するから話し相手になってくれない?」
「仕方ないわね。少しだけよ」
少しだけと言いつつ、アガサは、ジェフリーと色んな話をした。昔の思い出話や、ソルベリージュ時代のこと。ジェフリーからも話を聞いた。この十年間、他に好きな人は現れなかったのか。何気ないつもりで尋ねたのだが、彼は少し悲しげに微笑んだ。
「そんな人いなかったよ。仕事が忙しくてそれどころじゃなかった」
「でもあなたはモテるでしょう? その……見た目も悪くないし」
「アガサは知ってるだろう? 僕が魔法しか取り柄がない人間だって。女性を喜ばせるような手練手管は持ち合わせていない。言い寄られてもがっかりさせるだけだよ」
多分に彼女を気遣っての言葉だろうと解釈する。でも、アガサは、彼が魔法の才能はあっても生活能力が皆無だということはよく知っていた。同時に、自分以外に付き合った人がいないと言われて心のどこかで安心してもいた。
「アガサこそどうなの? 言い寄ってくる人はいなかったの?」
「子持ちのシンママがモテるわけないでしょう? 働くので精一杯よ」
アハハと笑いながら言うと、ジェフリーは神妙な面持ちでうつむいた。
「どうしたの?」
「いや、苦労したんだなと。もっと早く見つけていればよかった。もっとも、あちこち探し回った挙句、君の故郷まで行ったところで打ち切ったんだ。ここまで会えないんなら余程嫌われたんだろう、例え会えたとしてもその先を聞くのが怖くなって」
「え? 故郷に行ったの?」
「ああ。お祖母さんにも会ったけど、全然知らないの一点張りだった。もう顔も見たくないとか散々言ってたよ。もちろん、妊娠出産のことも教えられなかった」
アガサも一緒にうなだれる。やはり、祖母は自分を許すことがなかったのだ。故郷へは一度も帰ってないが、向こうもアガサのことはもう死んだも同然だと思っているのだろう。もう過ぎたことだと考えようとしたが、胸の奥がずきんと痛む。それでも気を取り直し、ジェフリーに向き直った。
「タマラのことを聞いた時はどう思った?」
「心臓が止まるくらいにびっくりしたよ。もちろん嬉しかったけど……すごく怖くもあった。十年前に無理やり封印した気持ちが解かれてしまうようで」
やはり、彼も同じ気持ちだったのか。ソルベリージュで十年ぶりに再会したのが、ずいぶん前のように思える。
少し沈黙の間が空く。思えば、彼とじっくり話し合うのはこれが初めてのような気がする。マリゼに来てから、彼は仕事に没頭してたし、タマラが一時不登校にもなったし、新生活に慣れるので精一杯だった。それに加えて、二人の距離が近づくことに対して恐れめいた気持ちもある。十年前の件を不問にしたまま彼を許せるのか? という疑問は、常に頭の片隅にこびり付いている。
最終的に沈黙を破ったのはジェフリーの方だった。アガサから視線を外しながらも、しっかりした口調で話し出す。
「ねえ……十年前、アガサが僕の元を離れたきっかけの事件に対して、もっと詳しく教えてくれないか? 思い出すのも嫌だろうけど、調べたいことがあるんだ。もちろん、君のことは信じてる。でも、だからこそ、目を逸らしてはいけないと思う」
アガサもそれは薄々気付いていた。どれだけジェフリーが優しくて、距離を縮めようとしてくれても、「あの事件」に触れないことには本当の意味で信じることができないのだ。自分が弱いばかりに逃げていたと認めざるを得ない。
「じゃ、あなたの身体が回復してから――逃げてなんかいない! ちゃんと話し合うから大丈夫よ! でも、この状態じゃ……分かるでしょ?」
「絶対……絶対だよ?」
「分かった。心の準備ができたら――」
アガサは一度言葉を切り、ジェフリーの緑の目をまっすぐ見つめた。
「約束する」
その一言に、どれだけの覚悟が込められているか、ジェフリーには分かったはずだ。
もし、彼の言う通りなら、アガサを嵌めた人物が他にいるはずだ。想像するだけでも恐ろしい。
ジェフリーは、アガサの返事を聞いたら安心したように身を横たえ、目をつぶった。どうやら話し疲れたらしい。ほら、やっぱりまだ本調子ではないではないかと思いながら、アガサは部屋を後にした。




