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第十八話 迷子の子供のように

 出張授業が終わってから、タマラは再び学校に行くようになった。彼女からは何も言ってこないが、前のように表情が曇ったり、行き渋ったりしなくなったので、今のところ順調と見てよさそうだ。


 その一方、ジェフリーはより一層忙しくなった。普段の仕事に加えて大人向けの講演会を何度も開き、いつも大盛況。光と闇の魔法の使い手は彼だけだから、他の人に仕事を振るわけにはいかない。アガサはハラハラしながら彼の激務ぶりを見ていたが、どうすることもできなかった。


「これも、今まで一人でやるしかなかった仕事を他の人に回すためなんだ。光と闇の魔法を使えなくても興味を持って研究する人が現れれば、新たな知見が得られるかもしれない。それこそ、僕みたいな人間がタマラ以外にも現れるかもしれない」

「それはいいけど、最近働きすぎでは? 倒れたら大変よ?」

「僕一人ならここまでやるつもりはなかった。でもタマラには僕と同じ苦労はさせたくないんだ。期待とプレッシャーを一身に背負って、身を粉にして働かなくていいようにしたい。タマラが大人になるまではまだ時間があるから、今から始めれば間に合うかも」


 彼の考えを聞いたアガサは、何も返せなかった。彼がそこまで考えていたなんて。光と闇の魔法の使い手とは、かくも責任が重い存在なのだ


 今はまだ無邪気な子供のタマラでも、いつか大人になる。先のことまで見据え、今のうちから行動を始めたジェフリーに頭が上がらなかった。


「晩ご飯を一緒に食べようと言っていたのに叶えられなくてごめん。タマラが不満言ってない?」

「大丈夫。私からよく説明しとくから。でも、くれぐれも無理しないでね」


 ジェフリーを完全に信用したわけではない。しかし、目の前の彼を見て、彼を問い詰めるなんてとてもできなかった。アガサとタマラのためにめいいっぱい努力しているのだから。むしろ、何もできない自分がもどかしく感じる。


 一方、秘書のカイル・ウォーベックは、このところずっと機嫌が悪かった。本来の仕事だけでも忙しいのに、ジェフリーがさらに抱え込むから、案件を仕分けるのが一苦労なのだろう。常にある眉間のシワが深くなるのを見て、アガサはため息をつくしかなかった。


 そんな生活が一ヶ月ほど続いたある日、とうとう危惧していた事態が起きた。カイルに肩を担がれる形で帰宅したジェフリーを見て、アガサは仰天した。

 

「一体どうしたの!?」

「仕事中に立ちくらみを訴えて立てなくなったんです。医師の見立てでは、大きな病気はないが働きすぎではないかと。数日間の休みを言い渡されたんですが、本人が聞かなくて……」


 いつもより早い時間に帰って来れたと思ったらこれだ。アガサは慌てて寝室に彼を運び、寝巻きに着替えさせる。


「カイルのやつ言うことが大袈裟なんだ。少し立ちくらみがしただけなのに」

「何言ってるのよ! みんなあなたを心配してるのよ! 少しは自分を労ってちょうだい!」


 アガサはぴしゃりとジェフリーに言い放った。しゅんとする彼を見て、少し言いすぎたかなと反省する。昔から彼はこうだ。いくら、年月が経って自信と風格を身につけても、こう言うところは直らない。


(だからこそ目が離せないんだけど……十年前も同じだったな。彼は本質的には何も変わってない……)


 階段を降りながらそんなことを考える。では、ますますアガサを裏切ったことが解せない。そもそも、彼は本当に裏切ったのか? 実のところ、あれは何かの勘違いだったのでは? もしそうだとしたら、この十年は何だったんだろう。そこまで考えたところで我に返り、嫌な考えを振り払った。


 一階のリビングに戻ると、タマラとマーフィー夫人が不安げな視線を向けた。


「パパは大丈夫そう? 何かの病気じゃないの?」

「もうお医者さんに診てもらったから大丈夫よ。マーフィー夫人も遅くまでありがとう。今日はもう休んでくたさい」


 心配そうにタマラに付き添っていたマーフィー夫人を下がらせ、アガサはソファに腰を下ろした。背もたれに体重をかけ、天井を仰ぎながら漠然と考える。


(私も何かの役に立ちたい。ずっと働き詰めだったのに今はただ家にいるだけ。タマラのために動いたのも彼。彼の負担ばかり大きくなってしまう)


 アガサは、自分の不甲斐なさが情けなかった。女手一つでタマラを育てた矜持があったのに、マリゼに来てから自分の技能を何一つ生かせてない。そう思っていたところ、ふと、あることが閃いた。


 すくっと立ち上がり、足早にキッチンへ向かう。キッチンはマーフィー夫人が片付けた後だったが、家にある材料を探して、使えそうなものを調理台の上に載せた。


 りんごジュース、りんご、オレンジ、シナモン、クローブ、スターアニス、生姜。


 裕福な家のキッチンだけあって、スパイス類が揃ってるのが幸いした。りんごジュースは、タマラのために取っておいたやつだ。アガサは、オレンジの皮とりんごを切って、すべての材料を片手鍋に入れて沸騰させた。


 ぐつぐつ煮える音を聞きながら、フルーツとスパイス香る湯気に顔を突っ込む。こうしていると、ソルベリージュにいた頃、魔法薬を作っていた日々を思い出す。あの頃は生きるのに精一杯だったが、今になって思い返すと、充実した日々だったように思う。


(若かったせいもあって、使命感なんてなかったけど、みんなに感謝されたのは悪い気分じゃなかった。いいことばかりじゃなかったけど、あそこで私は成長したのかもしれない)


 このホットドリンクだけでも体を温める作用はあるが、魔法薬師のアガサは、滋養の魔法を込めることにした。その時の決まり文句がある。


「空に舞い、風に集い、星に願う。とこしえの安寧とたゆたう命を繋ぎ止めよ」


 出張授業でジェフリーが言ったように、魔法を使う時は詠唱を用いない。だが、アガサは、魔法薬を作る時に魔力を注ぎながら、この言葉を唱えるのが習慣になっていた。言葉自体に意味はないが、何だか効果が増強するような気がするのだ。


 数分煮立てて火を止め、大きめのマグカップに注ぐ。慎重に運んでジェフリーの部屋に行った。


「身体にいい飲み物を持ってきたの……って何してるの?」


 アガサがドアを開けると、ジェフリーはベッドから出て机に向かって仕事をしるところだった。彼女の顔を見ると、バツが悪そうな表情を浮かべ、ベッドに戻ろうとする。


 まるで、ずる休みした子供のようではないか。国を代表する大魔法使いが、である。アガサは、笑いを噛み殺すのに必死だった。


「こんなことしてたら、いつまでも良くならないわよ! 早く復帰したいんなら、今は大人しくしてなさい!」


 アガサの剣幕に、ジェフリーは、頭から布団をかぶって隠れた。まったく、いい年して何やってるんだか。こういうところ、十年前と変わりない。


「はい、これ。冷めないうちに飲んでね。魔法入りリンゴのホットドリンクよ」


 ジェフリーは布団からこちらを垣間見て、マグカップを確認すると、もぞもぞと出てきた。アガサからマグカップを手渡されて、不思議そうな顔でカップと彼女を交互に見る。


「……変なものは入ってないわよ。体を温めるスパイスと、滋養の魔法を込めたの。これでも評判の魔法薬師だったのよ?」


 手を腰に当て、芝居がかった口調で言って見せると、ジェフリーは、カップから上がるスパイスの香りを楽しんでから口を付けた。


「……おいしい。あったかい。ほっとする」

「今日はこれを飲んで休むのよ? 眠くなる魔法もかけてるからね?」

「アガサがいなくなってから、寂しさを紛らわすために仕事を入れてきた。その癖が付いてるんだ」


 ふてくされた子供のような口調で彼がぼそっと呟く。普段の凛々しい姿とは正反対だが、これが彼の本当の姿だとアガサは知っていた。


「まるで私のせいと言ってるみたいじゃない?」

「そうじゃないよ!………………でも、そう思った時もあった」


 時計のカチカチ響く音が耳に障る。普段のアガサなら、ここで反論してもよかったが、弱り切ったジェフリーの前でははばかられた。普段の彼なら、きっと打ち明けなかっただろう。でも、今の彼は、母親の帰りを待つ子供のように頼りなさげで不安そうだった。そんな姿を見たら、放っとけるはずがない。アガサは大きなため息を吐いた。


「とにかく、これを飲んだら寝なさい。嘘ついてないか、また見にくるからね」


 アガサは、ジェフリーが飲み干すのを見届けてから、マグカップを回収して部屋を出た。もし、十年前、彼の元から逃げ出さず普通の夫婦になっていたら、今頃どうなっていただろうとぼんやり考えながらキッチンへと戻った。

 

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