第十五話 過去編⑤近づく距離
気づけば、ジェフリーの部屋にいる時間が自分の部屋にいる時間より長くなっていた。バイトが終わったらまっすぐ彼の部屋に向かい、夜遅くまでお喋りをしたり、ご飯を食べたり……あっという間に時間が過ぎる。
ジェフリーは、アガサが忙しなくバイトをしているのを見兼ねて、学費を都合してやろうと申し出てくれたが、いくら何でもと固辞した。彼としては、単純にアガサと過ごす時間を増やしたいだけだったらしいが、そんな申し出とても受けられない。
「僕の部屋ももう掃除しなくていいよ。これからは自分でやるから」
「そんなの絶対信用できないって! その代わり、お金はちゃんと取りますからね!」
彼のことは好ましく思っているが、このままではなし崩し的な関係に至ってしまう気がして、ギリギリのところで自分でブレーキをかけた。相手の方は、その辺何とも思ってないところが憎たらしい。
(私は貧乏学生で、ジェフリーはエリート官僚。どちらが強い立場かは明らかなのに。その辺ジェフリーは無頓着なんだよなあ)
実際はアガサの方が年上なのに、ジェフリーは彼女よりも、社会的地位が高く、家柄もよく、未来が安定しているのが密かにコンプレックスだった。もちろん、それで二人の仲がどうなるわけでもないが。もし、彼から金銭的援助を受けたら、二人の関係に傷を付けるような気がした。
そんなわけで、彼がいない時間は、時々留守番をすることもあった。古い見張り台を改装した自分の部屋より、この高級アパートの方が遥かに居心地がいい。隙間風も入らないし、屋外の暑さ寒さとも無縁だ。広いバルコニーから街全体が見渡せるのも高ポイントだ。
直接の金銭援助は断ったが、ここにいるだけで光熱費と食費が浮いてかなり助かってるのも事実である。だから、後ろめたさが全くないと言ったら嘘になるが、ジェフリーは鈍感なので、そのことについて気づく気配がなかった。
彼のいない間に、散らかっているところを一通り片付けてから休憩する。家のものは自由に使っていいよとあらかじめ言われているのをいいことに、キッチンでお茶を入れるためのお湯を沸かす。ジェフリーがいれば、火の魔法で一瞬に沸かせるのだが、あいにく今は一人なので、ヤカンから蒸気が盛んに出るのをひたすら待つ。そこへ、ドアノッカーがけたたましく鳴る音が聞こえた。
「あれ、誰だろう? またコンシェルジュさんかな?」
ジェフリーの部屋を来訪する人物は滅多にいないが、以前一度だけ、コンシェルジュが訪ねてきたことがある。アガサは反射的に玄関へと向かった。
「はい――えっ? アンディ!?」
何も考えずにドアを開けると、アンディ・ダウリングが立っていた。先日のパーティーで会った、ジェフリーの従兄弟だ。普段は大人びた様子の彼が、アガサを見て、明らかに驚いた表情を浮かべた。
「は……えっと……アガサ? だよね? どうしてここに?」
「えっと……代わりに留守番というか……」
「ジェフリーは?」
「今いない……仕事で」
顔を真っ赤にして口をパクパクさせるが、うまく言葉が出てこない。しかも、この時のアガサは、掃除用の作業着を家に忘れてしまい、ジェフリーのお下がりのシャツを羽織っていた。こんなところを見られたら、あらぬ誤解を受けてしまいそうである。
案の定、アンディは、目のやり場に困ったように、あちこちに視線を彷徨わせていた。誤解を解かなければならないが、うまく言葉が出てこない。
「あのね、アンディ。勘違いしないでほしいんだけど――」
「大丈夫だよ。内緒にしとくから」
「だから違うってば!」
「ジェフリーに勉強を教えてほしくて来たんだけど、いないようならまた来るね。じゃあ」
アガサが言い訳をする前に、空気を察したのか、アンディはさっさといなくなった。後に一人残されたアガサは、地団駄を踏んだがもう遅い。しばらくして帰宅したジェフリーに、事の次第を説明した。
「私が何か言う前にアンディは帰っちゃったから、後日あなたからきちんと釈明してよ!」
「釈明って何を?」
「怪しい関係じゃないってことに決まってるじゃない!」
「ああ、そういう……でも、そう思わせたままでいいんじゃない?」
「ちょっと、それどういう意味よ!」
ムキになって問い詰めるアガサに、ジェフリーは真面目な口調でこう言った。
「あのさ、アガサは今でも魔法薬師になりたいと思ってる?」
突然話題を変えられて呆気に取られる。アガサは目を丸くしてジェフリーを見つめた。
「どうしてその話になるの?」
「だって、魔法薬師になったら故郷に帰るんだろう? マリゼからいなくなるんだよね? それは嫌だなって……」
ジェフリーは小声でそう言うと、視線を床に落とした。彼がそんなことを考えていたとは予想しておらず、アガサも言葉を失う。しかも、指摘されるまで全くと言っていいほど考えたことがなかった。言われてみれば、彼の言う通り。このままの関係がいつまでも続くわけがない。
「でも、おばあちゃんに約束してしまったし、村の人からも祝儀を貰った手前、反故にするわけには……」
「祝儀って言うけど、一生を縛られるほどの額なの?」
さらに突っ込まれて答えに窮する。額自体は、一ヶ月のバイト代程度だ。額じゃない、気持ちの問題だと反論しようとしたが、果たしてそうだろうか? 「喜んで送り出してくれるみんなのためにも、恩返ししなきゃだよ」という祖母の言葉に縛られていた面はないだろうか? 「これだけやったんだから、倍返しにしてくれよな!」と言われたことを深刻に捉え過ぎてはいないだろうか。改めて考えるといまいち自信が持てずにいた。
困り果てるアガサを見かねて、ジェフリーは弁解めいた言葉を重ねた。
「ごめん、村の人を悪く言うつもりは……ただ、僕はアガサと離れるのが辛いんだ。今だけじゃなくて、できれば……」
これ以上、彼の言葉を聞くのは怖い。アガサは適当な理由をつけて、自分の家に帰ると言い出した。今まで彼の好意に甘えて、ここに入り浸っていることをようやく反省したのだ。しばらく彼に会わないでおこう。いつかほとぼりが覚めるだろう。その時はそう思っていた。




