第十二話 子供部屋のツリーハウス
ジェフリーの血を引き継いだ四大魔法の使い手としてのタマラの存在は、国にとって重大な意味がある。それもあって、大々的に彼女のお披露目を行おうという声もあったが、ジェフリーが全て潰した。タマラの安全のためにも、普通の子供と同じように粛々と受け入れるべきというのが彼の主張だ。魔法省の高位役人として、また父親としての彼の訴えに、表立って反対する者はいなかった。
こうして、タマラを取り巻く環境が次々と整備され、彼女は新しい学校に通うことになった。上流階級の子弟が集まる「エルドリッジ学園」は、ジェフリーの母校でもある。護衛体制を整えられる学校がここだけという点からも、選択肢は他になかった。
「大丈夫かな……今までソルベリージュの小さな学校に通っていたのに、突然違う環境に放り込まれて……」
「ああ見えて子供は環境適応が早いものだよ。交友関係はともかく、授業内容は大差ないと思う。子供の頃からラドクリフ博士に教わっていたなんて、すごく贅沢なことなんだよ」
「そうなのね、知らなかった……」
ここのところ、タマラの話題ならジェフリーと普通に会話できるようになった。それ以外では今でも身構えてしまうが。タマラの前では家族でいようと言い出したのはアガサの方ではあるが、このままなし崩しに彼と打ち解けてしまっていいのだろうかとふと気になることがある。
タマラは、水色と白のセーラー服に身を包み、エルドリッジ学園に通い始めた。今までは、私服にアガサのお下がりの肩掛けバッグ姿で徒歩で通学していたのが、学校指定の制服姿で車で送迎されることになった。あまりの環境の変化に、タマラはついていけないようだ。
「周りはお金持ちの子ばかりで、みんなかしこまってるの。こんなところでうまくやっていけるのかな……」
不安が漏れるのももっともである。アガサは何と声をかければよいか分からず、ただタマラの話を聞いてあげることしかできなかった。
一週間、二週間とタマラは学校に通った。その間も表情は優れなかったが、そのうち慣れたら元の彼女に戻るだろうとたかを括っていた。ところが、三週目に入るところで、登校を渋るようになった。
「ママ……休んでもいい? 今日は行きたくない……」
「どうして? 何があったの? いじめにでも遭ってるの?」
「ううんそうじゃない……」
「じゃどういうことなの? 学校が合わないの?」
タマラが言いにくそうに口ごもるものだから、心配のあまり質問攻めにしてしまう。タマラがますます顔を曇らせたのを見てしまったと思ったが、どうしても自分を抑えられなかった。
「ごめん……行かなきゃダメだと言ってるわけではないの。ただ、タマラが嫌な思いをしてるんじゃないかと心配で……」
その時、二人のやり取りを離れた場所から眺めていたジェフリーがこちらに近づき声をかけた。
「いいよ、休んで。ゆっくりしてな。その代わり、パパに話を聞かせてくれないかい?」
「えっ、いいけど……これからお仕事じゃ……」
タマラが気遣わしげに父を見上げる。すると、ジェフリーは、迎えに来た秘書のカイルを家の中に呼び寄せ何やら耳打ちした。
カイルが「えっ! 今日ですか!?」と驚いた声を上げる。
「ダウリング氏、今日は魔法省の重要会議が――」
「カイルなら大丈夫だろう。君に任せるよ」
「私にですか!?」
カイルの目つきの悪い顔が、珍しく動揺に歪んだ。普段は感情を見せない彼が、ここまで慌てるとは。
その後も、何やら話しこんでいたが、カイルは根負けしたように肩をガックリ落としながら家を出ていった。ジェフリーがニコニコしながら二人の元に戻る。
「今日は仕事を休みにした。ずっと家にいられるぞ」
「ええ? いいの? 本当は行くはずだったんでしょう?」
今度は、アガサが素っ頓狂な声を上げる番だった。家族といっても、新しい生活を始めてまだ三人で食卓を囲んだことはほとんどない。ジェフリーはいつも遅くに帰ってきて、朝早く家を出ていく。
休日も休みが取れたのは、先日ダウリング家の実家に挨拶に行った時ぐらいだ。だから、ジェフリーがタマラのために休みを取るなんて予想できなかった。
「ずっと気になってたんだ。このままじゃタマラの父親になれないって。いつか時間を作ってじっくり話しあう機会が欲しいと思ってた」
「だからっていきなり仕事を休まなくても……簡単に休めない立場なのはタマラも理解してるよ」
「今までずっと働き通しだったんだ。少しくらい休んでも許してもらえるよ」
本当にそうなのだろうか。カイルの慌てぶりを見ると、そんな生易しいものではなさそうだが。とにかく、ジェフリーは、タマラを連れて子供部屋に行ってしまった。あの遊具やおもちゃが置いてある広い部屋である。そこに行って一体何をするのだろうとアガサは首をひねった。
リビングで一人ぽつんといても何もすることがない。マリゼに来てまだ間もないこともあるが、今まで働き詰めだったため、急にやることがなくなり手持ち無沙汰になってしまった。家事までマーフィー夫人がしてくれるのだ。一人でマリゼの町に繰り出すこともあるが、たいした買い物はせずに帰る方が多かった。
(ジェフリーとタマラはどんな話をしてるんだろう……私が間に入っちゃダメかな……)
そんなことを考えてると、マーフィー夫人が部屋に入ってきた。たまに一緒にお茶を飲む時があるが、この時はアガサに用事があって来たようだ。
「ジェフリー坊ちゃんはどうされたんですか? どこか悪いところでも?」
「いえね、タマラが学校に行き渋って話を聞いてやってるようなのよ。私は二人の邪魔しちゃいけないと思ってここにいるんだけど……」
「それなら、アガサ様も行ってあげた方がいいのでは? 何も遠慮することありませんよ」
「ええ? でも……」
「せっかくの家族三人で過ごすいい機会じゃないですか」
確かに彼女の言う通りである。アガサは二階のタマラの部屋へ行ってみることにした。
そっとドアを開けて中を覗く。すると、見覚えあるタマラの部屋の真ん中にツリーハウスがあったものだからすっかり仰天してしまった。
「なにこれ!? 一体何事?」
驚きのあまり声がひっくり返ってしまう。大きな遊具があった場所には大きな木が生えていた。しかも、幹の上部に小屋が建てられ、吊り梯子で上に行けるようになっている。その小屋の中には、ジェフリーとタマラがいた。
「あっ、ママが来た! これ見てすごいでしょ! パパがあっという間に作ったんだよ!」
さっき学校に行きたくないと言ってた姿とは対照的に、タマラは生き生きした笑顔をアガサに向けた。ツリーハウスの中にクッションをたくさん敷いて、すっかりくつろいでいる。確か、昔家にあった絵本にこれとそっくりなツリーハウスの絵が描いてあって、タマラのお気に入りだった。その話を元に、ジェフリーが再現したのだろう。異なる属性の魔法を同時に操れる彼にしかできない芸当だ。
「いつか本物に住んでみたいな!」と言っていたのが、こんな形で再現されるなんて。大人のアガサでも感動するのだから、タマラの興奮がそれ以上なのは明らかだ。
「だ……大丈夫なの? 家の中にツリーハウスなんて?」
「平気よ。天井が高いからぶつかってないでしょ?」
「そういう意味じゃなくて!!」
アガサは言葉を失ってその場に立ち尽くした。何と声をかけていいのか、このまま邪魔せずに二人を見守る方がいい気がして何もできない。それに、この光景は、ジェフリーと付き合った一番幸せな日々を思い出させる。手品のような彼の魔法を、若いアガサはキラキラした目で眺めていた。
そのうち、ジェフリーが気がつき、こちらに手を振ったところで我に返る。
「アガサ来てたのか。こっちにおいでよ」
「私は無理よ。高いところ苦手だもの!」
「それならお腹が空いたからサンドイッチ作ってきて!」
タマラの一言に拍子抜けする。学校に行きたくなくて朝食も食べなかったのに、この変わり身の早さは現金と言うしかない。
言われた通り、アガサはキッチンに下りてきて、マーフィー夫人に伝えた。
「それなら手頃な大きさのバスケットがありますからそれに詰めましょう。ピクニックみたいでいいでしょ?」
「私も手伝うわ。あなたに甘えてばかりじゃ家事の手が鈍るもの」
元々家事が得意な方ではないが、仕事をする必要がなくなってから突然暇になり、キッチンに立ちたいと思っていたところだった。マーフィー夫人が野菜サンドを作る傍らで、アガサはジャガイモを茹で、熱いうちに潰してコンビーフと混ぜる。それをバターを塗った食パンで挟み、コンビーフポテトサンドを作った。
雰囲気作りのために水筒にお茶を入れ、バスケットと一緒にに二階へ運ぶ。
ママも来てとしつこく言われ、仕方なく吊り梯子を恐る恐る上り、ツリーハウスの中に入った。狭い部屋の中は、三人も入れば一杯だ。木の香りに包まれ、家の中なのに自然の清々しさを覚える。
「どうやってツリーハウスを作ったの?」
「土魔法に植樹させる術があるだろう? それを水と光の魔法で増幅させると、短時間で大木を作れる。そこからツリーハウスに加工したんだ」
「なるほど……あなたにしかできない術ってわけね……」
「そんなことない。光以外は異なる属性の魔法使いが協力すればできるよ。タマラだってそのうちできるようになるよ」
「本当? 本当にこんなすごい魔法ができる?」
「もちろん。パパの娘なんだから」
タマラがキラキラした目で父を見ると、ジェフリーもにこやかに微笑み返す。それは、急ピッチで空白の十年間の埋め合わせをしているようにも見えた。
「せっかくだからアガサも食べていきなよ」
「でも、これは二人分よ?」
「僕の分を分けるよ」
と言って、ジェフリーがサンドイッチをアガサに手渡す。確かに、自然の中で食事をしているようで、清々しい気分になる。
「やっぱり、家族で食事するのはいいな……これから早く帰るようにしよう。まだ二回目だもの」
「あれ? 一回目は何だったっけ?」
「ほら、ソルベリージュでラドクリフ博士と一緒に……」
「ああ、そう言えば……でも、あれはすぐに食べられるものをかき集めただけよ? 食事と呼ぶには……」
「中身じゃない。みんなで食べたってことが重要なんだ」
アガサは不思議な気持ちでジェフリーを見た。彼女にとっては、先日のは非常食を四人で食べただけの認識だったが、ジェフリーはあれに「家族の温かみ」を感じたのだ。そう思えるなんて、彼はこの十年間どんな食事をしてきたのだろう。一人で食事をして、一人で仕事をして、一人で眠りについた夜が、どれだけあったのだろう。
もしかしたら。彼も孤独だったのかもしれない。
その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥が疼いた。まだ許したわけじゃない。まだ、全てを信じたわけじゃない。
でも――この人を、もう少し知りたい。
「おいしい……あなたに分けてもらうサンドイッチはおいしいね」
ふんわりした笑顔を作ってジェフリーに微笑みかける。今はこれが精一杯だが、これが家族というものなんだろうかと頭の片隅で漠然と考えた。




