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ほくろに敬意を表して

作者: 九々
掲載日:2025/12/12

コメント等いただけましたら、大変励みになります。



 1


 ホクロの冤罪で人生終わりそうだ。


 弁明を聞いてほしい。俺、高橋玄は昔からホクロが出来やすく、このひょろ長い体には沢山のホクロがある。

 齢二十の繊細な俺にとって、それも深刻な悩みではある。けれどもっと大きな問題が、今起こっていた。


 ここ一週間ほど、左肘に異様に自我の強いホクロが出来た。


 そいつは、生きているかのように皮膚を引っ張ってモゾモゾ動いたり、ご飯を前にして自分にも食わせろと肘を振り回したりする。


 最も困るのは、このホクロが大の女好きということだ。大学構内で女性を見かけるたびに、皮膚と肘を持ち上げて近づこうとする。

 特に、小柄で髪の短い女性には飛び付くような勢いで腕ごと引っ張る。ものすごく痛い。ホクロのくせに好みまであるのか。


 俺は毎回、転びそうになりながらホクロに引きずられる。そんな奇妙な格好の男に、いきなり肘を近づけられ、女性たちは不審な目を向ける。

 このままでは留置所まっしぐらだ。繰り返すがこれは俺の意思ではない。ホクロの冤罪である。


 新聞デビューは御免なので早急にどうにかしたいが、おそらく、多分、普通の皮膚科では手に負えないだろう。

 悩んだ末、近所のお寺へ相談することにした。

 家の裏手に、そこそこ大きなお寺がある。墓地もあるので、アパートの家賃は相場より安い。

 いいじゃないか、仏様の大所帯だ。きっと邪気、もといホクロの自我も綺麗さっぱり払ってくれるさ。


 週末、いつも坊さんが門前を掃除している時間にお寺へ向かった。今日もここの名物坊主が、形だけ箒を持って道行く女性に声をかけている。

 相変わらずだな、生臭坊主。


 そそくさと逃げようとする女性とすれ違ったとき、俺の左肘まで女性に飛びついた。可哀想に、今日は彼女の厄日だろう。

 ビクビク震える肘を押さえて、慣れてしまった謝罪を繰り返す。今度こそ、女性は速足で立ち去った。


 その様子を見ていた坊さんが、バカなことを言い出した。


「ヘッタクソだなぁ、玄くん。そんな適当なナンパで誰が引っかかるかよ。しかも、後からぺこぺこ謝られりゃ、むしろ腹立つってもんだ。出会いの基本は自信だよ」


「……違いますよ。アンタじゃないんだから、そんなことしません」


 この人なんで坊さんやってんだ。毎度の感想を口の中にしまい、俺は本題を切り出した。


「ホクロをお祓いして欲しいんです」

「……何言ってんの?」

 

 ・


 雨が降っている。街中を暗く染めながら、空気を縫い付けるように水滴が地面を打つ。

 ふわふわと浮くこの体も、雨に押されてあまり高くへは飛ばず、家々の屋根を撫でるばかりだ。

 それに安心する。飛ぶな、まだあの人のそばにいたい。


 それでも少しずつ身体が解け、意識はボヤけていく。このままバラバラになってしまえば、二度と元には戻らないだろう。そんな予感に震えて周りを見る。

 何か、自分が拡散していかないよう、まとめておける器が必要だ。

 丁度目下のアパートに一人の青年がいた。ベランダの欄干に寄りかかり、缶ビールをあおりながら雨の街を眺めている。


 あそこだ。

 空気に混じって、彼の元に降り注ぐ。急に強くなった雨風を不思議に思ったのか青年が顔を上げた。その顔は――


 


 「――俺だ」


 せんべい布団の上で目が覚める。カーテンの向こうではすでに燦々と陽が差し、憎らしいほどの快晴だ。


 昨日、あの生臭坊主に事の次第を相談したところ腹を抱えて笑い飛ばしてきやがった。

 その上ホクロをつねったり叩いたり、肘の前で干し芋を見せびらかして左腕ごとブン回させたりと、人の肘で散々遊んでくれた。


 ひとしきりホクロをおちょくった後、坊さんは干し芋を齧りながら言った。


「犬みてーな奴だな」


 座卓の上に置かれた干し芋にホクロが飛びついて、肘をガツガツ打ちつけている。痛い。

 坊さんがそんなことを言うから、餌にかぶりつく犬に見えてきた。いや馬鹿か。


「じゃあ、女の人に近寄るのは何でですか? アンタの同類でしょ。そちらで引き取ってもらえませんか」


「寺でホクロ引き取れたら、美容外科医の商売あがったりだろ」


 女の子に近寄るのは玄くんが飢えてるからじゃねーの? とほざくので、冗談混じりに左手で拳を作って振りかざす。坊さんが笑いながら手のひらを出してきた。


「やめろ、やめろ。ほらお手」


 ――ドサッ! その手に俺の肘が勢いよく打ち込まれた。

 油断していた俺は思いっきりホクロに引っ張られ、倒れ込んだ。


「「……」」


 坊さんと顔を見合わせる。


「お手」


 もう一度坊さんが手を示す。吸い込まれるように俺の肘がそこに収まる。


「……当たりじゃね」


 ……結論としては、犬の幽霊がホクロになって取り憑いてるんじゃないか、という話になった。頭も痛くなってきた。


「うちはペット葬儀もしてるから、その時に懐かれたんだろ」


 そんな適当な言葉で坊さんは俺を突き放した。結局、俺はこの駄犬をもうしばらく肘で飼い慣らさないといけないらしい。




 2


 気休め程度に、肘に絆創膏を貼って大学へ行く。


 ホクロは少し色が薄くなった気もするが、相変わらず自我が強い。けれど一番の問題に対しては、解決策ができた。

 女性や食事に飛びつこうとするたび、腕を押さえて「おすわり」と言ってやれば、多少大人しくなる。少々恥ずかしいが、警察のお世話になるよりマシだ。


 ……かつて右腕に宿していた闇の魔力から卒業できたと思えば、次は左腕を抑える日々だ。

 しかも今度は犬ときた。俺にはこれがお似合いってか。いざ身に起こった怪奇現象のしょぼさにため息が出る。


 卒業しない方が良かったのだろうか。

 いつまでも妄想に耽ってはいられない、ときっぱり夢想を辞めた途端、俺は何者でもないつまらない凡人に固定された。

 自分の頭の中だけでも「世界を導く偉大な魔術師」で居続けていたら、今頃それなりの個性ってものを、身につけられていたかも知れない。


 ――そう、あんな風に。


 個性の塊のような人が視界に飛び込んできた。

 校門へ向かう前方に、鮮やかなピンクのボブヘアに極彩色の服とリュックを背負った女性が歩いている。


 思わずガン見したその時、左腕が今までになく思いっきり前へと引っ張られた。


 物凄い力にほとんど転びながら、「待て」「おすわりっ」「待てったら!」と叫ぶが全く聞かない。腕を引きちぎるくらいの力で、その女性の元まで引きずられていく。


 女性もこちらの声に気づいて振り返る。それと同時に、彼女の顔面に向かって肘が飛んだ。


 パシッ! と、とっさに俺の肘を受け止めた彼女の、金色のカラコン越しに目が合う。

 俺は腕の痛みと、混乱と、危うく傷害罪になるところだった恐怖とで、涙でぐちゃぐちゃだった。しかもホクロに引きずられ、自分の足で歩けていなかったため、ほとんど地面に倒れかけていた。


 息を荒げ、肘だけは高く上げて女性の手のひらに擦り付けている、ひどい格好だ。

 ――終わった、警察になんて言おう。


「きっっっしょ」


 容赦ない物言いで女性が手を振り払った。


「ははっ……ですよね。っ、すみません……」


 嗚咽混じりに謝ってその場を離れようと立ち上がる。なおも左肘が彼女の顔に擦り寄ろうとして、汚いものを見る目で見られた。……一周回って冷静になってきたかも知れない。

 俺はもう一度ホクロに「おすわり」と命令するが、やっぱり言うことを聞かない。


「あの……この腕、自分でも動かせないんで、あなたから離れてもらっていいですか?」


「は……? いや、言われなくても離れるし」


 女性はこちらを睨んだまま一歩、後ろに下がる。俺の肘が前に突き出る。二歩、三歩と女性が後ろに下がる。俺の肘が彼女を追う。けれど俺は意地でもそこから動かないよう地面に踏ん張る。

 結果、深くお辞儀をするように腰を折り曲げ、左肘だけをぐいぐいと彼女に近づけようとするおかしな体勢になった。


 女性はさらに後ろに下がる――と思いきや、一気に右手側に回り込んだ。左肘がそれを追ったせいで俺の体がねじれ、バランスを崩して盛大に転ぶ。

 仰向けに倒れた俺の周りを彼女が行ったり来たりしているらしく、肘だけが上下左右に激しく動く。


「あっは。何それ、パントマイム?」


 楽しそうな声が上から降ってくるので、腕を押さえて上半身だけ起き上がった。


「えっと……封印されし、闇の力」


 笑いながら彼女が足で背中を小突いてくる。その足にまた肘が擦りつこうとするので、「おすわり」と言い聞かせるが今日は本当に聞き入れない。

 しかし、それを見ていた彼女がこちらを覗き込み「ステイ」と強い口調で言うと、あっさりとホクロは大人しくなった。


「封印されてんの、犬じゃない?」


「……やっぱりそう思う?」

 

 ・


 面白そうだから話聞いてやるよ、と言って彼女は俺をコンビニまで引きずってきた。

「二宮タツ子」と名乗る女性に、名前は古風なんですね、とは言わないでおいた。


 イートインに並んで座り、コンビニ菓子を食べながら事情をかい摘んで話す。

 その間もホクロが彼女に寄っていき、その度にペシッと叩かれる。もはや俺よりこいつの扱いが上手い。


「……犬の幽霊ねぇ」


 食べ終わった包装紙を小さく折りたたみながら、彼女は考え込む。意外にもその爪は短く切り揃えられている。


「うん……信じらんないだろうけど」


 まぁ、苦しいよな。俺なら信じない。あんな乱暴な絡み方をして、その言い訳がこんな与太話だなんて、ふざけるなって怒られても仕方ない。


 恐る恐る隣を見ると、彼女はおもむろに拳をつくり――親指を下に突きつけた。所謂サムズダウンだ。


 やっぱり怒らせたかと思っていると、「ダウン!」と鋭い声が聞こえて同時に俺の体が椅子ごとひっくり返った。

 店員が慌てて駆けてくる。起きあがろうとしても、左腕が地面にぺったり張り付いて離れない。頭の上で彼女が手を叩いて笑う。


「やっぱり。そいつ、うちのバアさんの犬だ」


 爆笑しながら今度は親指を上に向けた。サムズアップだ。「グッボーイ」の掛け声に左腕がぴょんっと跳ねて、近くへ来た店員にぶつかりそうになる。

 その店員に一言謝ってお帰りいただき、俺は椅子に座り直した。


「えっと……お祖母さん、どんな躾してたの」


 サムズダウンで「伏せ」だそうだ。なんてコマンドジェスチャーだ。


 ・


 ――彼女の祖母は一匹の老犬と一緒に暮らしていた。それはもう、可愛がっていたらしい。

 けれどある日、祖母が体調を崩し入院した。老犬は別居している家族へ預けられたが、高齢と慣れない環境にあっという間に死んでしまった。


 一方の祖母も年齢には勝てず、単調な入院生活でどんどん衰えていった。もうあまり長くないだろうと医師は言う。


 そんな祖母に対して、飼い犬が死んだことを家族は伝えられずにいた。犬が生きていたとしても、きっと会えることはないのだ。

 だったら余計な悲しみは与えず、残りの時間を穏やかに過ごしてほしい。それが家族の意見だった。




「それが何で、俺のホクロになるんだよ」


「そんなんこっちが聞きたいわ。あんた、アタシのバアさんと知り合いだったの?」


 太く短く整えられた黄緑色の眉毛を上げ、彼女が尋ねる。

 違う、なんせ俺は知り合いが少ない。この辺ではあのやたら顔の広い坊さんくらいだ。

 てかそもそもなんだ、ホクロって。考えてもわかる訳ないと諦めて、俺は窓の外を見た。空は鬱陶しいほどの晴天だ。




 雨が降り出した。

 霞む意識の中、窓の向こうに鼻を向ける。どんよりと沈んだ空からとうとう一滴こぼれ、そこから一斉に降り注いだ。地面を濡らす匂いがそこら中を満たす。

 これだけ降れば、すぐに大きく育つだろう。それを咥えて彼女に持っていけば、あの日、苦しそうに呼吸をしていた彼女もきっと元気になる。

 そうしたら、また一緒にあそこへ行こう。一緒に――

 



 3


「二宮さんって、」


「タツ子でいいよ。アタシこの名前気に入ってんの」


 構内でド派手なサイバーファッションを見かけ、声をかけた。本当に目立つな。


「あんたは名前と苗字、どっちが好き?」


「いや、俺はどっちでも……てか二、タツ子さんってそう言うの興味あるんスか」


 タツ子は手芸サークルの勧誘ビラを手に持っていた。ハーバリウムの体験教室と書かれた乙女チックな紙面が、蛍光色のタツ子の服と浮いて見える。


「まあね。アタシ留学から帰って来たばっかで、こっちの大学に友達いないから。なんか始めようと思って」


 擦り寄ってくる俺の肘をペシッと嗜めながら、タツ子が言う。祖母の容体の急変に合わせて戻って来たらしい。どうりで今までは大学で見なかったはずだ。


「ピッタリくるアクセって中々ないからさ、自分で作れたら楽じゃん。バアさんも自分の服は自分で作ってたし、アタシも手芸やってみようかなって」


 これ、うちのババア。

 そう言って見せられたスマホにはゴールデンらしき大型犬と、小柄な老婦人が写っていた。……サングラスに短い金髪、スタッズまみれの革ジャケットを着たパンクな老婦人だ。

 これ手作りなのか。俺の中の手芸の概念が書きえられる。


「玄は何かやってんの? 良いとこあれば紹介してよ」


「……何もやってない」


 肘がタツ子のスマホをゴスゴス小突く。それを彼女がスマホで叩き落とす。痛い。


「やれば良いじゃん、今しかできないんだし」


「今は……何もできないよ、コイツのせいで」


「……あ?」


 何しでかすかわからないんだし、俺がボヤくと隣から低い声が聞こえた。


「……会わせたげようか、バアさんに」


 目を向けると、タツ子が厳しい顔でリュックの肩紐を握りしめ、唐突な提案をしてきた。


「そいつ、ずっとそのままって訳にもいかないだろ。会ってこいよ、バアさんに」


「いや……会ってなんて言えと……」


 バカ正直に「お宅の犬が僕の肘に乗り移ってます」とでも言えというのか。


「バカ正直に言えば良いだろ、テメェの犬が迷惑かけてるからどうにかしろって。さっさとそいつどうにかして、玄のやりたいことやれよ」


「ええ?」


 言えというらしい。


「いや、どうにかとか無理でしょ。別に、やりたいこともないし」


 タツ子は何も言わず俺の顔をじっと見る。俺は気まずくなって目を逸らした。


「……ふーん。じゃあ、そいつのせいじゃねーだろ」


 ――氷水をぶっかけられたような気がした。


 固まる俺に、タツ子はもう話は終わりとばかりに手を振って歩き出す。


「じゃあな、バアさんに会わせてほしい時は連絡しろよ」


 俺はしばらくその場を動けなかった。


 家に帰ってレポートを広げていても、タツ子に言われた言葉が頭から離れず、少しも集中出来ない。

 ”そいつのせいじゃねーだろ”――何者にもなれず、言い訳ばかりの自分を見透かされて責め立てられた気がした。


 タツ子の鮮やかな服装を思い出すたびに気持ちは沈み、とうとう机に突っ伏した。すると肘がモゾモゾ動き、俺の顔に擦り付いてきた。

 まるで犬が顔を舐めるように、こちらを慰めるように。それが妙に気持ちよくて、されるがままにしていた。




 雨の匂いがする。河川敷を並んで歩く彼女が、サングラスを上げて空を見上げた。もうすぐ降り始めるだろう。

 折り返し地点のベンチまで行き一休みする。その足元には青い小さな花が沢山咲いており、じゃれついて遊べば花弁がこぼれて手足を飾った。


「ふふ、似合うじゃない」


 彼女が頭を撫でながら笑う。湿った風がお揃いの金の毛を揺らした。今にも降り出しそうな空の下で、彼女の声を聞いていた。


「来年も一緒にこの花を見に来よう」



 

 いつの間に眠っていたのか、夜明け前の部屋で目を覚ます。左肘の絆創膏を剥がしてホクロを見ると、また少し色が薄くなっていた。


「お前、本当にタツ子さん家の犬なのか」


 俺は未だにこのホクロが犬だなんて半信半疑だった。あり得ないだろ、普通。

 けれど、と机で寝たため痛む体でストレッチしながら考える。


 もし、このホクロが犬でも何でもないただのホクロで、ここ数週間の悩みが俺の妄想だとしたら、俺は一人で暴走し勝手に傷つき、そして自分の肘に慰められていることになる。それはあまりに虚しすぎる。


 信じよう、こいつがタツ子のお祖母さんの犬だと。


 ホクロをさすりながら尋ねる。


「お前、お祖母さんに会いたいか?」


 ホクロが少し跳ねた。しょうがない。慰めてもらった礼だ、もう少し付き合ってやろう。


 早朝の河川敷に当たりをつけて歩けば、すぐに見覚えのあるベンチを発見した。そこへ座りスマホをつつく。

 やはり大体の病院では、生花のお見舞いは禁止されているようだ。足元に咲き始めた青い花を眺め、どうしたものか悩む。


 大きく伸びをしてからもう一度スマホを開き、検索フォームにまた別の入力をした。――体細胞の寿命は約一カ月ほどらしい。




 4


 手芸サークルの部室の前で、緊張しながら扉をノックする。通された室内は所狭しと道具が並べられ、魔女のアトリエのようだった。


「あ、玄」


 中にいたタツ子が俺を見つけ声をかける。


「タツ子の知り合い?」


 一緒にいた部員たちもこちらを見た。……フリル満載のゴスロリやら、身体中にジャラジャラつけたピアスやら。

 ……類友って同質じゃなくても良いんだ。


「あの、ここ、体験教室があるって」


「ハーバリウムのですね。やってますよ」


 奥から出てきたシンプルな服装の男性に案内される。無意識にホッと息をつくと、気持ちを察したらしい彼が苦笑した。


「材料はここから自由に使ってください」


 そう言って男性がテーブルを示す。そこに並べられた様々な瓶やドライフラワーを見渡して、彼に尋ねた。


「……ツユクサって、ありますか」


 男性が奥を探すと幸いいくつか在庫があった。「色々揃えておかないとうるさくて……」どこか哀愁を漂わせて彼は呟いた。


 タツ子も作ると言うので、窓際の席に二人向かい合って座る。


 小瓶に数本のドライフラワーを入れて形を整えていると、「他の材料も入れて派手にしよう」と向かいから声が聞こえてきた。それを言葉に迷いながら断る。


「これは夢なんだけど、」


「うん?」


「夢でね、河川敷を散歩してたんだ。そこにこの花が咲いてて、」


「うん」


「その花を、お祖母さんと一緒に見てたんだ」


「……」


「……タツ子さん、お祖母さんに会わせて下さい。俺、こいつをお祖母さんに会わせたい」


 肘を触りながらタツ子に頼む。彼女は少し俯いて、黙っていた。


「……アタシさぁ、最近まで留学してたけど、その前からあんまりバアさんとは会えてなかったんだよね。

 勉強とか、友達とか……犬の世話も全然してない。散歩コースも知らない」


「え? ……はい」


「でも、バアさんが入院して長くないって聞いて、今帰らないと後悔するって思ったの。留学は後からでも出来るけど、バアさんとは今しか会えないから」


「うん」


「でもさ、いつまで続くかわかんねーじゃん」


「……うん?」


「5年とか、10年とか、ずっと変わらないかもしれないじゃん」


「……」


「そしたらアタシ、バアさんに最低なこと思っちゃいそうだなって」


 タツ子の淡々とした声が耳を打つ。


「後悔したくなくて選んだけど、やっぱり後悔しちゃいそうで怖いんだよね。……アタシからも頼むよ。そいつ、バアさんに会わせてやって」


「――うん」


 あっけらかんとした彼女に勘違いしそうになるが、きっと簡単な決断ではなかったはずだ。

 それでもタツ子は、誰かを理由にはしなかった。


 完成したハーバリウムを窓に透かせてみる。青い青い空の下、オイルの中のツユクサだけが雨に揺れているようだった。


「あ、そうだ。犬の名前って何?」

「ほくろ」


 ……マジで?




 一緒に来てと頼んだがタツ子は拒んだため、仕方なく俺一人でお祖母さんの病室に入った。


「どちら様? 部屋を間違えてるよ」


 鋭い、けれどかなり掠れた声が飛んできてベッドに目を向ける。そこには写真よりもずっと小さな老婆が横たわっていた。


「……初めまして。タツ子さんの学友で、ほ、ほくろくんのお世話を手伝っています、高橋と言います」


「タツ子の? あの子が頼んだの?」


「……えっと、はい。タツ子さんはあまり、ほ、くろくんのことを知らないからって……」


 怪しまれるかと思えば、お祖母さんは妙に生暖かい含みを返してきた。


「へぇ、ご学友。あらまぁ、あらまぁ」


「あー、その、本日は急にお邪魔してすみません。ほくろくんが散歩中にこれを見つけて」


 さっさと本題に移ろうと先日作ったハーバリウムの瓶を取り出す。

 その中のツユクサを見つけ、お祖母さんの目がかすかに揺れた。


「すごく、嬉しそうにはしゃぐからお祖母さんに見せたいのかなって。……生花は持ち込めなかったので、ドライフラワーですけど」


 俺がそう話す間も彼女は瓶を見つめていた。


「あの子と、よく見ていた花……」


「はい、ほくろくんに教えてもらいました」


 ゆっくりと伸ばしてくる手に、小瓶を渡す。


「……うちの人たちが、あまりあの子の話をしないから、私、何かあったんじゃって」


 ……俺は、何も言えずに続きを待った。


「好きに生きて来て、思い残すことなんて何もないけど、あの子を置いていくことだけが申し訳なくて……」


「私、こんなになっちゃって、最後まで面倒見れないなんて、飼い主失格だね……あの子、私と居て幸せだったか、


「ずっと、あなたを探してましたよ」


 遮るように言葉が出た。


「ずっと、あなたに会いたがっていました。……すみません、俺、最初わからなくて……」


 尻すぼみになって黙ってしまった俺に、お祖母さんがそっと手を伸ばす。それに応えるように俺の――肘がそこに収まった。


「あ」


「……なんだい、これ」


 なんとも言えない空気が病室を通り過ぎる。


「えーと、あの、えーと、……俺の腕をー、ほくろくんだと思って……?」


「ヘタクソな慰めだね。大体なんで肘なんだ、こういう時は手を握るもんだろ」


「え! いや、それはっ」


 苦し紛れに返すと、お祖母さんはまたあの含み笑いでからかってきた。


「まあ、そうね。手は恋人のためにとっておくもんだ」


 ポンポンとお祖母さんが俺の肘を叩き、その手にホクロが嬉しそうにモゾモゾ動く。俺はしばらく、ほくろの好きにさせておいた。


「あなた、肘にホクロがあるんだね」


「はい……大分、薄れてますけど……」






 病室の外は雲一つない快晴。一度ジャンプしたら、そのままどこまでも飛んでいってしまいそうだ。


「いい天気だ」


 お祖母さんが窓の方を向いて言う。


「こんなに晴れてると、あっという間に空の上にいってしまいそうね」


 掠れた声が雨音のように耳を打つ。


「死ぬなら雨の日がいい。雲に閉じ込められて、もう少しだけ、あの子の側にいたい」






 ――数日後、世界はしめやかな雨に包まれた。

 



 5


 ビルの屋上を貸し切って、機材やら食材やらを持ち寄る。手芸サークルの彼に呼ばれたBBQ大会は、「手当たり次第呼んだ」と豪語するだけあってかなりの人数だ。


「お集まりいただきありがとうございます。この機会に、普段話すことのない人とも――」


 主催が軽く挨拶をして乾杯の音頭を取ると、みんな好き好きに話し始めた。俺もぎこちなく近くの人に話しかけ、世間話を絞り出す。


「お、レアキャラいる。珍しいね、玄くんがこういうイベント来んの」


「いや、アンタは何でいるんスか。これ学生の飲み会すよ」


 生臭坊主がノンアル片手に現れた。手当たり次第すぎるだろ。


「まあ、別に嫌いじゃないし、俺だって誘われたら来ますよ。俺なんかが来て喜ぶ人もいないと思いますけど」


「いや喜ぶでしょ。こういうのは人来てくれるだけで嬉しいもんだよ」


 クイっと顎で主催を指して坊さんが言う。


「暇してんなら今後も来てやんなよ。あいつ、イベント好きでよくやってるから」


 海行く時は俺も呼べよ、と凄まれた。本当、遠慮なく学生に混ざるな。……でもそうか、俺でもいいのか。


「確かに、しばらく海日和続きそうスもんね」


「今年は雨降らないよなー」


 二人揃って空を見上げる。今日も清々しい晴天だ。



 

 慣れない人付き合いに少し疲れて、会場の隅に避難した。

 缶ビールを開けてフェンスに肘をつく。そこにホクロはもうない。ようやく雨が降った先日、あの皮膚細胞は完全に俺の肘から消えた。

 同じ頃、遠くの火葬場からは煙が上がっていたらしい。


「あのババア、遺産だっつってアタシ宛に大量の金属パーツ残して行きやがった」


 いつの間にかタツ子が隣に来て、「使いきれねーよ」とボヤきながら梅酒を呷っている。


「それもお祖母さんの遺品?」


「そ。良いでしょ」


 彼女の服についた大量のスタッズが、陽光に輝いた。今までとは雰囲気の違うその服もタツ子にはよく似合っていて、つい目で追ってしまう。


 あまり見過ぎても良くないと思い、バレないよう河川敷の方向に視線を向けた。あの花は、今が盛りと咲き誇っているはずだ。


 今頃、また一緒に散歩しているのだろうか……ギラギラの革ジャンを着たお祖母さんが、ホクロにリードを着けて散歩しているところまで考えてやめた。よそう、頭痛がして来そうだ。


 万物は全て、小さな量子が無数に寄り集まって形作っているらしい。

 生きて、死んで、形が消えて、そして拡散された量子は、また気が遠くなるほどの数を揃えて別の物体になる。物理的な話では、それが輪廻転生と言えるのだろうか。

 ――もし、死んだものの量子が拡散されずその場に留まったら。海馬やら扁桃体やら、自分を認識する脳細胞がどこか一所に集まれば、それは再び『それそのもの』になれるのではないか。


 なんて、精一杯夢想してみる。

 だとするとあのホクロは、死んでもなお愛する人のために意地で細胞の拡散を押え、見ず知らずの男の中で自我を保ち、そして見事飼い主との再会を果たしたのか。大したホクロだ。


 俺はどうだろう。死んで灰になっても自分を保ち、入り込んだ体を振り回してまで会いたいと思える人がいるだろうか。

 この先出会えるのか――それとも、もう出会っているのか。


 ちら、と隣の彼女を見る。


「あ?」


 ちょうど、三本目の梅酒を開けたタツ子と目が合った。


「……タツ子さん、乾杯しよう」


「は? まあ、いいけど。……何に?」


 誤魔化すようにタツ子に缶ビールを向けると、怪訝な顔で尋ねられた。


「じゃあ……ほくろに敬意を表して」


 ――乾杯!



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