第8話 魔法の金貨
フェリックス様はあきれたような調子で店の主人に言う。ことさらに声を張り上げている訳ではないのに、よく通るいい声だった。
「面倒だが頼む。何も別々の袋に入れてくれと言っているわけではないし。二升が不足なら、袋ごと買う。袋だと、何升分になるんだい?」
カラスムギの代金を、枡ではなく重さで測って代金を支払うこともできる。でも彼は、まるで枡で測るしかないような言い方を。
フェリックス様も計量のからくりに気づいている。そして私の意図にも気づいた。
ついに店主の方が折れた。
「ああ、うるさい旦那方だな、ほら、二升分だよ」
「ありがとう。はじめっからそうしてくれればよかったのに」
フェリックス様が代金を支払って、私はカラスムギの袋を受け取った。
「用がねえならもうあっちへ行きな」
穀物屋の主人は次の客を相手にした。
私は勝った、と思った。少なくとも、一矢報いた。
今後も両方の枡を使って、二升ずつ取引をする者があれば、穀物屋の思い通りにはならない。
市場を出ながら、フェリックス様は私の耳元で言った。
「ずいぶんと訳ありな買い物でした。あなたも、無茶をしますね」
「何のことですか」
私はとぼけた。彼は大げさにため息をついた。
「女性に欲しい物を聞いてはいけないという……、僕にもよい教訓でした」
事情を知らないシャーズが、馬たちの鼻を撫でながら、不思議そうな顔をして私たちを見ている。
その後少し先を行き、私たちは料理屋で馬を休ませることになった。今度もシャーズが馬の面倒をみてくれるという。
フェリックス様は先に一人で料理屋へ入る。私とシャーズは馬屋に馬たちを連れて行く。
私はシャーズに尋ねる。
「馬たちの名前は何というの?」
「アレスとマルセル」
シャーズは短く答えた。フェリックス様の馬がアレスで、シャーズの馬がマルセルだった。
私はシャーズが声を出すのを初めて聞いた。喉の奥からうなるような不思議な声だった。
いつもシャーズはフェリックス様とは目線だけで話をしているし、フェリックス様も従者に対して、ほとんど何も話さない。話さなくても分かる間柄なのか、それとも単に無口なだけなのか。
「私の馬の名前はファラダよ」
私が言うとシャーズは無言でうなずいた。
「これを、馬たちにやってください」
私は先ほど市場で買ってもらったカラスムギの袋をシャーズに渡した。シャーズは袋を開けて中身を確かめた。そしておもむろに袋の中からカラスムギを一つかみ取り出すと、そのまま口に入れた。
私はぎょっとして彼を見つめる。
この人の行動は、ちょっとおかしい。お城にいた時、シャーズは桶の水を飲んでいる。今度は馬用にと渡したカラスムギを食べた。見た目は物静かな従者なのに、時として妙に動物的な行動に出る。
でも馬たちはシャーズが好きなようだ。私の馬もすぐに彼に懐いた。ファラダは早速、彼の背中に顔をすり付けて甘えている。アレスとマルセルは、首を大きく振り回してシャーズに要求をする。シャーズは心得て桶に水を取りに行った。
◇◇◇
私が遅れて料理屋に入った時、フェリックス様は他の客たちに交じって世間話に興じていた。その近くでは楽器を手に歌手が歌っている。歌が終わるとフェリックス様は懐から銅貨を取り出して歌手に渡した。
入って来た私に気づいてフェリックス様は席を立つ。別の空いているテーブルに移り、私も彼の左隣に並んで座る。席を移る前のテーブルから男女二人組がついてきて、フェリックス様の右隣に座る。
フェリックス様の隣に座った女が、身振りでフェリックス様に手の平を見せるように言う。女は、自分は占い師だと名乗ったが、見るからにうさんくさい。
フェリックス様が手を差し出すと、その女は手の平を見ながらもっともらしく言った。
「よい相が出ているよ。あなた、間もなく、恋人ができるよ」
「へえ、すごいな」
フェリックス様は適当に調子を合わせて占い師に答えた。
占い師が言う恋人というのが、もしジャンヌ様のことだとしたら、大したものだ。私はいちいち心の中で、突っ込みを入れずにはいられない。
続けて占い師は言った。
「そして、その恋人と結婚できる」
「願ってもない幸運だな。子供は何人?」
「四人だね」
「それは頼もしい」
「将来、お金持ちになれるよ。お城の殿様みたいな」
「それはいいことを聞いた」
フェリックス様は笑った。
お城の殿様? わざわざ言わなくても、この人はもう、ルメール伯という称号を持った貴族で、一城の主なのだ。服装をみれば、彼が既にそれなりの身分で裕福でもあることが、分かるだろうに。
「今日は特に運のいい日だよ。一日、何でもうまくいきそうだ」
占い師の女が言うと、もう一人の男がすかさず言った。
「一つ、運試しをしないかね。財産が増えるかもしれねえよ」
こいつらは二人組の悪党だ。一人が占いをしてその気にさせる。もう一人が運試しと称していかさまの賭け事で金品を巻き上げる。明らかに詐欺の手口と思われた。
男はテーブルの上で銀色のコップを二つ、口を下向きにして置いた。フェリックス様は興味津々といった様子でそれを見る。
男は一枚金貨を取り出すとそれをテーブルの上に置き、片方のコップをかぶせた。そして目の前でコップを何度か前後左右に交差させて入れ換え、フェリックス様に聞く。
「金貨はどっちのコップに?」
フェリックス様は迷わず片方のコップを指さす。
「大正解!」
詐欺師の男はコップを持ち上げて下にある金貨を見せる。金貨をあてたことを大げさにほめたたえる。
「今度はあなたの番ですぞ。金貨をお出しください。もしあなたが勝てば金貨を倍にして差し上げましょう」
「面白そうだ」
フェリックス様は言って、自分の金貨を一枚取り出した。男はフェリックス様の手から金貨を受け取るとにやりと笑った。フェリックス様も微笑を浮かべていた。
男は金貨をテーブルの上に置く。さっきと同じように金貨の上にコップをかぶせる。もう一つのコップの下には何もいれない。二つのコップを前後左右に交差させ、位置を入れ換える。
おそらくだけど、金貨の上にコップをかぶせた時、男は手の内に金貨を掏り取った。両方のコップの下には何も入っていない。どちらのコップを選んでも金貨は入っておらず、必ず外れを引くことになる。
「さあ、どっち?」
男は聞いた。フェリックス様はわざとらしく腕を組んで考えるふりをし、答えた。
「こっちには入っていない、というのは分かった」
そしてなんと、自分で片方のコップを持ち上げて開けてしまった。案の定、その下には何もなかった。
それを見て男の表情がこわばった。もう一つのコップの下にも金貨はないのだ。
もし、もう一つのコップを開けると、両方のコップのどちらにも金貨がないことがばれてしまう。ズルがばれる。
しかし、開けないならば、そのコップの下には隠した金貨があるはずということになる。フェリックス様の勝ちだ。
フェリックス様は私の手を軽く握らせる。そして握った手を二人組に見せつけると言った。
「正解は彼女の手の中だ。金貨はその下にもない」
私も、二人組の男女も、あっけにとられた。その間にフェリックス様はもう一つのコップを開けてしまう。案の定、コップの下は何もない。彼は勿体ぶると言った。
「さっき渡したのは魔法の金貨でね、呼ぶとこうして戻って来るし、元の場所に戻れと命じることもできる」
言いながら、どこか楽しそうだ。
「魔法の金貨は、心がけのよくない者が持つと災いをもたらすから、人にあげるには気をつけないといけないのだが……見たところ、あんた方なら問題ないだろう。いいものを見せてもらったお礼に金貨は差し上げよう」
そしてテーブルの上のコップを二つ、口を下にして置き直す。
「今、金貨には戻れと命じた。ほら、もうここにはない」
フェリックス様は私の手を開かせた。もちろん私の手の中には何もない。どちらかのコップの下に金貨が戻っている……はずもない。
悪党二人組はみるみる青ざめた。
可哀そうに。こういういかさま師たちは、迷信深いのだ。自分たちが手に入れたものが、災いをもたらす金貨と信じてしまったのだろう。
「私には連れがいるから。さあ、もう行ってくれ」
フェリックス様は片手を振って二人組を追い払う。もう一方の手は私の手を握ったまま。
悪党二人組はテーブルの上のコップを伏せたまま引きずるようにして袋にしまう。それからだまって立ち上がり、そそくさと料理屋から出て行った。
きっと彼らはこれに懲りて、しばらくこの料理屋には寄り付かない。それに、カモにするはずが逆に意趣返しをされたという話が知れ渡れば、もうこの街のどこでも仕事はできない。街を出て行かざるを得ないだろう。
私はさりげなくフェリックス様から手を引き抜いた。
「どうなさるおつもりかと、冷や冷やしました。あまり大胆なことをなさらないでください」
「さあ、何のことだろう」
フェリックス様は私の目を見て笑った。私は彼にしてやられた、と思った。
彼も私も、お互い、詐欺師に勝ったつもりでいるけれど。カラスムギの件では、彼は意図的に私の策に乗った。でも金貨の件では、私は知らぬ間に彼の共犯者になった。
私は知らず、ため息をつく。
「土地に不慣れな方をお一人にしてはいけないという……、私にもよい教訓になりました」
私が言うと、フェリックス様はますます笑った。




