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遅れて来た婚約者  作者: 井中エルカ


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第2話 昔の約束

 短剣の両刃のうち、片面の刃は曇りなく輝いていたが、もう一方は赤黒く錆び付いていたのだ。

 ヴァロン侯の表情が強ばる。

 フェリックス様は静かに言った。

「ご存じの通り、この短剣は『誓い』を守る、魔法の短剣です。半分錆び付いているということは、『誓い』が守られるかどうか、危ぶまれる状況だということです。どうぞ、短剣をお戻しください」

「……」

 旦那様は黙ったままだ。錆び付いた方の刃を上にして、短剣を台の上に置く。

「父は……多くを語りませんでした。後のことは私に任せると言ったきりで……私は考える間もなく、取るものも取りあえず、急ぎこうして参上したのですが……」

 フェリックス様の物言いはとても穏やかだ。ヴァロン侯の横柄な態度に対しても、とても礼儀正しい。

 でも、「考える間もなく急ぎ参上した」と言うのは、本当にそうだろうか。考える間もなくという割には、彼の登場はあまりにも衝撃的だった。

 それにヴァロン侯ご夫妻も、あの場ですぐにフェリックス様を否定したり追い返したりしなかった。こうして直々に話を聞いているのには、彼らにとっても何か後ろめたいことがあるのだと、そう思ってしまう。

「それで? 君はどう思うのだね?」

 旦那様が年長者らしく、若者の考えを尋ねた。フェリックス様は姿勢を正して答えた。

「今日という日まで決めかねていましたが、ジャンヌ様のお姿を一目見て、私は心を決めました。私はジャンヌ様を妻にと望みます。私を受け入れてくださいますか」

 フェリックス様はまっすぐに旦那様を見つめる。その視線に旦那様が一瞬ひるむ。

 しかし旦那様はすぐに支配者然として言った。

「君の言い分はわかった。だが娘が考えを整理するには時間が必要だ」

「もちろんです。お待ち申し上げます」

 フェリックス様は台の上の短剣を手に取る。刃を鞘に納め、自分の懐に戻した。

 旦那様は若者の様子を注視している。そして彼が姿勢を正すと言った。

「続きはまた明日だ。長旅で疲れたろう、今晩はこの城で休むといい」

「ありがとう存じます」

 それを合図に二人は立ち上がる。

 今日のところはこれで話が終わり。旦那様の侍従が、フェリックス様とその従者を客間へ案内するという。

 

 フェリックス様は去り際、お嬢様の前に素早く膝をついた。お嬢様のお手を取って言う。

「おやすみなさい、ジャンヌ。また明日、お目にかかります」

 そして愛おしそうにお嬢様の手を自分の頬に寄せる。

 お嬢様が手を振り払おうとするのと、フェリックス様がお嬢様の手を放すのがほぼ同時。お嬢様の膝にいた猫は飛び降りてまたどこかへ走り去る。

 フェリックス様は立ち上がってすぐに歩き出し、お嬢様は怒りに満ちた眼差しでその後ろ姿を睨みつけた。


 

 客人たちが去り、身内だけになるとお嬢様が言った。

 話は私にも聞こえている。でも私のことは、全く眼中にないか、よほど信用されているか、どちらか。多分、前者。私は壁の穴に住むネズミのようなもの。

「あの人、何?! お父様達の知り合い?」

「……昔の友人の息子だ。……今になって、あんな物が出て来るとは。想定外だった」

 ヴァロン侯は口が重かった。旦那様は腕を組み、一瞬ジャンヌ様を見たかと思うと目をそらしてしまった。

 代わって答えたのは奥様だった。言いながらどこか勝ち誇ったような様子。

「小さい頃、ロランとテオドール、私の三人は大の仲良しだったの」

 ロランというのは旦那様の名前。奥様以外にその名前を呼ぶ人はいない。

 

 仲良しの男二人は同時に一人の女性を好きになった。女性がどちらの男を選んでも、男たちは友情を違えないと約束した。その(あかし)として、もしお互いに子供ができて男女であれば、二人を結婚させると、魔法の短剣に誓ったのだ。

 男二人というのが旦那様とテオドール様で、二人が恋した女性が奥様だという。結局旦那様が奥様と、テオドール様はまた別の女性と結婚した。

 果たして親友二人はそれぞれ女児と男児に恵まれたので、約束通りならば、お嬢様とフェリックス様を結婚させなければならない。


 今さらそんな話を聞かされてお嬢様は驚き、ますます腹を立てる。

「今まで、何で黙ってたのよ……」

「あの約束はなかったことにしたんだ! ……魔法の短剣も、『誓い』を取り消した。そうしたはずだった。しかし……」

 旦那様は誰もいない方向に向かって怒鳴りつける。

「私は確かに取り消したが、テオドールはそうしなかったのだ。取り消すフリをして私たちをだましたのだ。卑怯者め!」

 室内が一瞬だけ静まり返る。が、すぐにお嬢様が質問を続ける。お父上の癇癪には慣れっこなのだ。

「結局のところ、魔法は今でも有効なのね?」

「そうだ。テオドールの約束を、あの男が引き継いでいる。『誓い』を立てた両者が取り消さない限り、撤回されない」

「もし、『誓い』を守らなった場合は?」

「あの短剣が裏切り者の胸を刺す。それが短剣の魔法だ」

「裏切り者って、誰が……?」

 旦那様は答えない。代わりに奥様が目で示す。じっと旦那様を見つめる。

 もしお嬢様がリュシアン王子と結婚して『誓い』を破れば、裏切者になるのは旦那様なのだ。

 

 一瞬の静けさ。事態を理解してお嬢様が青ざめる。

「では、私にあの男と結婚しろと?」

「だめだ!  結婚はするな」

「だめ?」

「奴の母親は卑しい女中だった」

「でもその息子は伯の称号を持っているから、貴族でしょう?」

「我々の称号は侯だ。奴は格下だ」

「でもお父様……」

「とにかく、だめなものは、だめだ」

 ヴァロン侯は頭ごなしに、だめ、を繰り返す。

「だいだい、テオドールが悪い、奴は王都でも屈指の名門貴族の出自でありながら、よりによって()()()を選ぶとは……」

 ()()()。ということは、旦那様の知っている人だ。

 

 旦那様は怒りをあらわにしながら、なおも言い続ける。

 奴は身分違いの結婚のせいで一族から破門された。家の名誉を汚した。ルメール領などという片田舎に追いやられて、自身の身も滅ぼした。今度は我々の家門にも呪いをかけようとしているのか……。

 いつの間にかお嬢様の結婚の話から、昔の親友の批判へ、話がすり替わった。

「……」

 延々と続く悪口に、お嬢様はうんざりしたように口を閉ざす。そこへ、奥様が口を出す。

「思うのだけど……」

 奥様は極めて落ち着き払った様子。両手をじっと見つめたかと思うと、片方の手でもう片方の手首をさするような仕草をする。

「彼にもう一度、『誓い』を取り消すと、そうしてもらえばいいのではなくて?」

「出来ないことを簡単に言うな」

「そうかしら?」

 奥様はわざとらしく首をかしげる。(かん)に障る態度だ。

「ジャンヌと結婚したいだなんて、今日突然思いついたことでしょう? ならば心変りも早いはず」

 そう言って奥様は馬鹿にしたように旦那様の方を見る。

 旦那様はいつもの威圧的な口調に戻った。

「そうだな、あの男が結婚を断れば何も問題はない」

「どうやって?」

「彼の側に不義がないか……、なくてもあるようにすればいい。まずは身辺を調べさせよう」

「そのための時間稼ぎが必要ね。その間、彼には気晴らしの相手を送りましょう」

 旦那様と奥様はお互いを見ずに、それぞれ納得したように頷いた。

 旦那様はすぐに家令のモリスを呼び寄せ、小声で指示を与える。二人で話をしながら足早にどこかへと去る。



「ジャンヌ」

 奥様がお嬢様に言い聞かせる。

「何も心配はいりませんよ。こちらのことはまかせて。ちょっと南の方にでも出かけて、ほとぼりが冷めた頃に戻っていらっしゃい」

 南に半日ほど行くと商業都市のリールがある。そこにも立派な領主館があるので、しばらくの間そこに逃げることを、奥様は勧める。

 お嬢様とフェリックス様を引き離しておきたいとお考えなのだろう。

 お嬢様はいったん不満を表明したが、しぶしぶ奥様の提案を了承した。

「リールへは、リュシアン王子も一緒に?」

「ええ、そうね。そうしたらいいわ」

「リュシアンに、魔法の短剣のことは?」

「教えなくていいわ」

「……」

 お嬢様は再び何かを言いたそうにお母様を見る。が、奥様はそれに気づかないふりをして話を続ける。

「そうだわ、リールへはアンナとセシルも連れて行きなさい。きっと頼りになるから」

 確かに、アンナは老女中でどんな時にも頼りになる。

 セシルは若い女中で、持ち前の性格が明るく、お嬢様の気をよく紛らわせる。

 でも、よりによってセシル? 彼女はリュシアン王子に色目を使っているとの評判。それを奥様も知っているはずなのに。

「レア、お前は私たちと一緒に来ないの?」

 お嬢様が私の方を見る。私が何か言う代わりに奥様が答えた。

「レアには別の用事を。大丈夫、うまくいきますよ。夜が明けてすぐに出かけるのです。部屋に戻ってアンナと準備を」

「分かりました、お母様。そうします」

 お嬢様は腰をかがめて挨拶をし、母娘は別れた。


 

 お嬢様が部屋を出て行った後は、私と奥様の二人きりが残された。

 奥様は言った。

「あの若者には当面の間、客人としてこの城に滞在してもらうわよ」

 奥様は時間稼ぎが必要だと言っていた。その間、フェリックス様を監視の目の届くところに置いておこう、という魂胆らしい。

「さて、お前の役目だけど……」

 奥様は冷たい目つきで私の頭からつま先までをじろじろと見る。


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