死への恐怖
「まあいいか……死ぬ日がわかっているんだ。死因を教えてもらってもどうにもならない。辛くなるだけだしな……」
「ジャックさん……すみません」
正座をしているピッチョンは小さな声で言うと、太股の上に置いてある両手を強く握り締めた。
「死神の僕ですが、とり憑いた人間に死期を教えたのはジャックさんが初めてです。本来、死神が三十日前にとり憑くのは、死への恐怖を薄れさせる役目があるからです。ジャックさんの場合は死期を教えた上に、死への恐怖を煽ってしまいました。すみません。本当に申し訳ありません……」
太股に置いた握りこぶしの上に、ポタポタと涙の粒がいくつも落ちた。
「ピッチョンさん、そう何度も謝らないでください。あなたの責任じゃない。寿命なら仕方がないよ」
俺が言い終わると同時に、
ペッパ~警部、邪魔をし~ないでぇ~え~――
またまたお気軽な携帯の着信音が響き渡った。
飛田は携帯の画面を見て、「やっぱり副署長だ」早口で告げると、ハンズフリー通話に切り替えテーブルに置く。すぐに眠たげな声が流れた。
『俺だ。ジャックはどうした? まだ来ねえぞ。俺は待つのが嫌いなんだよ』
ゆっくりボソボソとしゃべるので、本当に退屈で眠たそうな声に聞こえる。だがそうではない。こいつは俺たちを見下して、楽しんでいるのだ。
『なあ、暇だから何人か殺していいか?』
「やめろ! すぐに行くから待て」
『おうジャックさんか、急がなくてもいいぞ。ゆっくりしてても。少しでも時間稼ぎして、生きてる喜びでも謳歌してろ。まっ、そうなると死人が増えるけどな。クックック』
「急いで行くから待っててくれ」
「てめぇーっ! このやろーっ! そんなことしやがったら、ただじゃおかねえぞ! おいらたちが行くまで首を洗って待っていやがれ!」
ジジイが携帯に口を近づけて怒鳴り散らす。
『老いぼれも来るのか?』
「あったりめーだっ! ばっきゃろーっ!」
『どうせ生い先が短いんだ、これ以上短くしなくてもいいぜ。まっ好きにしろ。十分以内に署の玄関に来い。一分遅れるごとに一人ずつ殺すからな。通話を切ってから十分以内だ。わかったな――』
一方的に通話が切れてしまった。
「んにゃろーっ!」ジジイが雄叫びと共に立ち上がった。
真っ赤な顔をしたジジイは、猿のような身のこなしでテーブルに置いてある二つ折りの携帯を掴むと、力任せにバキッと真っ二つに引き千切った。
「こいつだきゃ絶対に許さねえ! こんちくしょーっ!」
二つに千切った携帯をおもいっきり壁に投げつける。座敷の漆喰の壁が、ボコボコと二つも穴があくほどのモーレツな勢いだ。
飛田は「あわわっ」と泡を食って携帯を拾い上げ、元に戻そうと千切れた携帯を一つに戻そうとしているが、懸命な努力も悲しいかなあとの祭りだ。冷めてしまった夫婦よりも、壊れた携帯の修復は無理なのだ。
千切れた携帯を掴んで肩を落としてしょぼくれている飛田とは対照的に、ジジイは興奮して鼻息が荒い。飛田が大事そうに抱えている携帯を有無も言わさず引ったくる。掴んだ携帯を黄門様の印籠のように突き出すと、高らかに宣言した。
「こいつをもう一度、地獄の底に叩き落としてやる!」
またまた力任せに漆喰の壁に叩きつけた。
ジジイは壁にあいた四つの穴を見つめながら、コブシを握り締めてワナワナ震えている。お絹がジジイの頭を必要以上にバコバコ蹴っているが、その痛みで震えているのではない。と思う。




