喉を鳴らす笑い声
「飛田ちゃんもそう思うだろ。ジャック、おめえは危なかったんだぜ。今朝、由美ちゃんと二人でのこのこ署に行ってたら、大鉢に会った途端、ズドンってな具合に撃ち殺されてたぜきっと。由美ちゃんが一緒なら、ジャックは無敵じゃねえてバレバレだからな」
ううっ、確かにそうだ。昨日、パトカーを迎えに寄越すと言ったのは、親切心からではなかった。最初からズドンと殺すつもりだったのだ。うん? そうなるとあの時の大鉢は……。またしても胃から酸っぱいものが込み上げてきた。
「うぷっ……昨日は危なかった。署長室で俺を待っていた大鉢は、すでにナマナマララゲにとり憑かれていたんだ。もしあの時、由美子が寝ていなかったと思うとゾッとする……」
「そうだな。道理であの野郎おいらを見もしねえで、そっぽばっかり向いてたはずだ。お絹が頭の上に乗っていたからだな。とり憑かれてるとわかってりゃ仕留めることが出来たのに、失敗したぜちきしょう」
ジジイが腹立ちまぎれに、お茶をグビビビッと威勢良く流し込んだ時、
ペッパ~警部、邪魔をし~ないでぇ~え~、ペッパ~警部、私たちこれから、いいところぉ~
一度聞いたことのある、のん気な携帯の着歌が流れた。
飛田はリズムに合わせて、軽快な身のこなしで内ポケットから携帯を取り出すが、画面を見ると一瞬にして顔と体が強張った。
「ふ、副署長の携帯からです」
電話の相手が大鉢だと知り、俺たちの目は携帯に釘付けになる。
飛田は携帯をハンズフリー通話に切り替えテーブルの中央に置くと、カサカサに乾いた出っ歯を近づけた。
「もしもし、飛田です」
やや緊張した声で伝えると、俺たちはテーブルに肘を突き身を乗り出して聞き耳を立てる。お絹の耳はいつも以上に立っている。
すぐに携帯電話からくぐもった声で返事があった。
『飛田部長、ご苦労様。副署長の大鉢です』
それを聞いたジジイは顔を真っ赤にすると、いきなり携帯に向かって怒鳴り散らした。
「コノヤロテメーッ! なにがご苦労様だ! なにが副署長だ! テメーなんかにご苦労様なんて言われたくねえし、テメーは副署長でもなんでもねえ! 地獄から来たナマナマララゲだって正体はわかってんだ! はええとこ由美ちゃんを解放しねえと承知しねえぞ! テメーなんかは切り刻んで、酢醤油で食っちまうから覚悟してろ!」
「大神様、落ち着いてください」
ピッチョンがジジイを羽交い締めにして、ズリズリと携帯から遠ざける。
携帯から、『ククククッ』と喉を鳴らす笑い声が聞こえた。
『うるさいじい様だ。勝手に変な名前を付けやがって。正体がばれてるなら話が早い。そこに喧しい大神がいるなら、ジャックってガキもいるんだろ? どうなんだ、無敵のジャックさんよ。いるなら返事をしろや』
大鉢は人を見下す感じではあったが、乱暴な言葉遣いではなかった。それに悪意も感じられる。これは大鉢ではない。ナマナマララゲに間違いない。
俺は返事をしようと、恐る恐る携帯に顔を近づけた。だが、亀吉に片手で遮られた。返事をするな、と首を振って合図を送っている。
俺の代わりに亀吉が、浪花節のようなガラガラ声で返事をした。
「私は警視総監の大森だが、ジャックさんはまだこちらに来ていない。到着するの三、四十分はかかるだろう」
『遅いな。俺が連絡してからけっこう時間が経ってるぞ。まあいい、ジャックが着いたら連絡しろ。じゃあな』
「ちょっと待て。人質は全員無事なんだろうな。それに、署長の大森がそちらに行ったが、どうした?」
『今のところは全員無事だ。署長もついでだから人質にしてやったよ。クククッ』
飛んで火に入る夏の虫、と言えばいいのか、ミイラ取りがミイラになった、と比喩すればいいのか、どちらにしてもマヌケなハゲである。
「やい! ナマコ野郎。人質に指一本触れてみやがれ、ただじゃおかねえからな! 由美ちゃんにもしものことがあったら、地獄どころかこの世から抹殺したやるから覚えてやがれ!」
羽交い締めにされたジジイが、つばきをまき散らしながら怒鳴りまくる。頭の上でお絹が、バンバンと足を踏み鳴らす。荒れ狂ったジジイを小馬鹿にしたように、『クククッ』と笑い声が聞こえた。
『おーこわ。心配するなじい様。昨日あんたから、あの女のことは聞いたよ。殺しちまったら、ジャックは無敵のままなんだろ。そうなったら二度とジャックを殺す機会がなくなるからな。だから言ってんだよ。早くジャックを連れて来いってな。そしたら全員無事に解放してやる。だがな、あまり遅いと女以外はぶち殺すから覚悟しておけ。俺たちは目の上のタンコブを、早いとこ始末したいんだよ。おっ、ちょっと待てよ。女が話をしたいってよ。ほら』
しばらくの沈黙のあと、『ご心配かけて申し訳ありません』と由美子の涙声が聞こえた。
『私はどうなってもいい、他の人質の方が心配です。真治に伝えてください……ごめんって……』
『はい、おしまい』
プチッと通話が切れた。




