涙目
三人のオヤジがどうでもいい話をそれぞれ披露し終わると、亀吉が本題を話し始めた。
「警察署を占拠すると言う前代未聞のテロ事件なので、私が自ら陣頭指揮をとります。襖の向こうにいるのも、本庁の上層部の人間です。大神様とジャックさんの素性は詳しく話していません。それで、飛田部長から電話で聞いたと思いますが、大鉢との初期の連絡では、鳥井くんと引き換えにジャックさんを要求していました。しかし署長は、警察官と民間人の交換など有り得ないと突っぱねたようです。ですが、今は状況が変わりました。ジャックさんが来なければ、人質全員を横島署ごと爆破すると言ってます」
俺の顔からサーッと血の気が引くのがわかる。一気に喉が渇き、両手両足が震えだした。由美子一人ならなんとかなると思っていたが、俺の命に百人の命がかかっていると思うだけで震えが止まらない。胃からは熱いものが込み上げてくる。慌てて口を両手で塞いだ。
「うっ……」
もの凄い重圧で、今食べたそばを戻しそうになった。なんでこんな大事件なのに、本庁の上層部の人間たちとのん気にそばを食ってるんだ。
「うぷっうぷっ……」
気持ちの悪さにえずいていると、ジジイが心配そうに、
「大丈夫か。吐くなら吐いちまえよ。楽になるからな……」
優しい言葉をかけながら背中を摩ってくれる。
「おや? どうしましたジャックさん。そばの食べ過ぎかな」
亀吉が無責任なことを言う。俺は顔を上げると涙目で睨みつけた。一言文句を言おうとしたが、えずいて声が出ない。
「ふざけんな亀公!」
ジジイが俺の代わりに怒鳴りつけた。
「ジャックは事の重大さを感じてこなになっちまったんだ! それを食べ過ぎだと。てめえ! いったいどうゆう了見なんだ! ふざけんなバカヤローッ!」
デコに血管を膨らませた、こんなにもの凄い剣幕で怒りまくるジジイを初めて見た。俺は両手で口を押さえながら、どうかジジイの血管が破裂しませんようにと切に願った。
亀吉はジジイの剣幕に驚いていたが、すぐに余裕の微笑みを浮かべた。
「そんなに怒らないで下さい。こちらにはあなたがいるじゃないですか。人間に危険が迫れば助けてくれるお方が。ですので大神様、それでお願いします」
「おめえ、ツルリンから、おいらのことをちゃんと聞いたのか?」
「ええ、一通りは聞きました。少し頼りない神様だと言ってました。ですが、私にはちゃんとわかっています。それは鶴夫が会ったその時の状況であって、人間の命が奪われる本当の危機に面したら、本来の神様の威力を発揮するはずだと。そうでなければ、大神様が人間の前に姿を現さないはずです。鶴夫は血相変えて交渉に行きましたが、奴もバカですな。もう少し待っていればいいものを。大神様、人間のいざこざで煩わしいでしょうが、早期解決でお願いします。はははっ」
亀吉の話を聞いて、ジジイの目がスッと細くなった。冷たく相手を蔑んだ目をしている。お絹も目を細めている。もしかしたら寝ているだけかもしれないが。




