苦虫棟梁
狭いそば屋に十人以上もおっさんばかり集まっていると、むさ苦しいし暑苦しいし臭そうでいけない。実際に、汚いし暑いし臭くもある。
そんなおっさんたちが無言でズルズルそばをすする中、飛田がこれまでの経緯を語った。
事件が起きたのは午前十一時。突然、横島署で館内放送が流れた。
「副署長の大鉢です。皆さん、良く聞いてください。署内の各階に爆弾を仕掛けました。繰り返します。署内の各階に爆弾を仕掛けました。手始めに一つ爆破させます」
その直後、一階の男子トイレから、ドーン! と凄まじい爆発音がした。辺り一面にモウモウと煙が立ち込めると、十数人いた一般市民はパニックになり、悲鳴を上げて逃げ惑う。その人たちを避難誘導する警察官の叫び声に混じり、またしても大鉢の声で館内放送が淡々と流れた。
「横島署は我々が占拠します。横島署職員と市民のみなさん、各階にいるわたしの部下の指示に従って下さい。それに従わず、抵抗もしくは反抗的な行動に出た場合には、容赦なく仕掛けた爆弾を爆破させます」
その放送が合図となった。一階に紛れていた大鉢の仲間の警官数人が、一斉に天井に向けて拳銃を発砲した。銃声で足がすくみ動けない老人や女性を捕まえると、頭に拳銃を突きつけた。その場にいた警察官は抵抗することも出来ない。大鉢の仲間と思われる二十人程の警察官に、横島署にいた人達は一階に集められ拘束されてしまった。十一人の民間人と警察職員八十七人、合計九十八人は今も人質に捕られている。
飛田のそこまでの話を、ジジイはズバズバとそばをすすりながら黙って聞いていた。だが、食べ終わると箸を置き、「荒っぽいことしやがるぜ」吐き捨てるように言うと、そばつゆが残るお猪口を目の前に掲げた。
「長内ちゃん、そば湯」
「へいへい」
そば屋の店主が板についた長内は、フットワークも軽やかにそば湯をみんなのお猪口に注いで回る。ジジイはグビグビと美味そうに飲み干すと、気持ちよさそうに長いゲップをかました。
「ゲフ~ッ。おっと、すまねえすまねえ。話の腰折っちまったな。で、そんときの爆発と発砲で怪我人はでなかったのか?」
飛田はお猪口につけていた口を離すと、口をへの字にして頷いた。
「幸い怪我人はでませんでした。しかし、警察署を占領され、民間人までも人質に捕らわれてしまうとは、まったくもって前代未聞の由々しき事態です」
飛田の口がますますへの字になる。苦虫棟梁も渋い顔つきになっている。警察のメンツ丸潰れ、といった感じだろう。
への字口の飛田を見て、はたと気がついた。
「飛田さんと長内さんはここにいるけど、巻き込まれなかったの?」
「はい。私と長内くん、それに大森署長は、早めのランチを食べにこの長寿庵にいました。そばを食べようとしたちょうどその時、例の爆発音を聞きました」
「そう言えば、署長の姿を見かけませんね」
「署長は十分程前、民間人だけでも解放するよう大鉢と交渉するため、単身で横島署に行ってしまいました。危険だからやめて下さいと止めたのですが、同じ警察官だから話せばわかると言われて……」
「ほ~っ、署長自ら敵陣に乗り込むとはてえしたもんだ。大森ちゃんも行動力があるじゃねえか。あれだ、ズラが年がら年中、頭の上でフガフガ動き回ってるんだからよ、持ち主だって軽快な動きをしなきゃな。ズラに対して面目ねえってなもんだ。イヒッヒッヒッ」
ジジイは肩をすぼめてイヒイヒ笑っていたが、何かを思い出したのか急に真顔になると鋭い眼光で飛田を睨んだ。
「そんなズラ署長のことなどどうでもいい。おいらは由美ちゃんがしんぺえだ。なんでも由美ちゃんを解放する代わりに、ジャックの命を要求しているそうじゃねえか。そこんとこ詳しく教えてくれや」
ジジイが厳しい口調で言うと、飛田もなにかを言おうと出っ歯を突き出したが、隣の苦虫棟梁が片手で制した。
「飛田部長、ちょっと待て。私が話そう。悪いが君、ジャックさんと言ったね、そこの襖を閉めてくれないか」
ガラガラ声の苦虫棟梁に言われ、俺はうしろの襖を閉めた。俺とジジイを座敷に閉じ込めて、説教でもしようというのか。などと警戒しながら様子をうかがっていると、苦虫棟梁はジジイを見つめて相好を崩した。
「ご挨拶が遅れました。私は警視総監の大森亀吉と申します」
苦虫棟梁は両手をテーブルにつけて、胡麻塩頭のつむじが見えるほど深々と頭を下げた。厳つい顔と肩書とは違い、随分と腰が低い人のようだ。それにしても、こんな下町の長屋に住んでる大工の棟梁みたないオヤジが、エリート中のエリートがなる警視総監とは。人は見かけによらない、の教訓を実践して生きているようなオヤジである。




