ゲロ
頭の痛さで目が覚めると、白髪頭が目の前に転がっていた。地肌が透ける白髪頭には無数のミミズ腫れが浮き出ている。引っ掻き傷のあとのようだが、なぜこのようなみすぼらしい白髪頭が目の前に?
よく見れば、ジジイのフワフワ白髪ではないか。仰向けで口をパッカリおっぴろげ、ついでにヨダレまで垂らしている。ジジイの胸の上では、お絹が丸まって寝ている。ジジイの傷だらけの頭は、お絹の容赦ないラビットキックで出来たものだと思いだした。
眠たい目を擦りながら体を起こすと、ズキンと頭に鈍痛が走った。この痛みは紛れもなく二日酔い。とっちらかったテーブルの上を見れば、相当量の酒を飲んだと一目了然だ。
握りつぶされた貧乏ビールの缶が大量に転がり、質より量でお馴染の焼酎大二郎のでっかいボトルが、空になって転がっている。それに、カルピスのビンが一本。
テーブルの周りにはヨダレジジイと、ピッチョンが直立不動の姿勢で寝ている。俺たちは、泥酔雑魚寝三羽ガラスになっていたのだ。
「やっと起きたのね。寝ぼけたカメみたいな顔して、飲み過ぎよ」
由美子がキッチンから顔を出した。昨日のボロボロな服とは打って変わり、服はビッと化粧もバチッと仕事仕様に決められている。
「おはよう……今何時だ?」
「何時じゃないわよ。朝方までドンチャン騒ぎして、いい加減にしなさいよ」
由美子のキンキン声が脳天まで響く。
確かに、数時間前までドンチャン騒ぎをしていた。酒盛りを始めて大鉢の悪口で盛り上がっていたが、その内にヒーローとはなんぞやになり更に盛り上がった。いつも低姿勢のピッチョンは酒に酔うと目が座り、カルピスの原液と焼酎が半分半分という、凄まじいカルピス割を俺とジジイに強引に勧めた。たぶん、あれが原因で悪酔いしたのだ。
ズキズキ痛むこめかみを指で揉んでいると、
プゥィ~ン ポォゥォ~ン
例のまぬけなチャイムが鳴った。
「あら? こんなに朝早く誰? また大神様の知り合いかしら。真治、あんた知ってる?」
由美子に聞かれて首を振ったが、はたとある事を思い出した。眠たい目を擦り時計を見ると、七時五十分。このチャイムの主は大鉢が寄こした警官だ。パトカーで迎えに来たのに違いない。
「たぶん、俺と由美子を迎えに来た警官だ」
「なにそれ? 私は知らないわよ」
「言ってないからな。俺たちが帰っても、飽きもせずにずーっと寝てたから言う機会がなかったんだよ。実はな――」
俺は昨日の事を、由美子にかいつまんで説明した。
「へーっ、そうなの。副署長もいいとこあるじゃない。でも、物分かりが良すぎて気持ち悪いわね。なんかうさん臭い」
由美子は眉間に皺をよせて、疑わしそうな顔をする。前から素直じゃない性格だが、刑事になって拍車がかかったようだ。
プゥィ~ン ポォゥォ~ン 催促のまぬけチャイムが鳴った。
「あっ、いけない。迎えに来てるなら早く行きましょ。あたしの支度は終わってるんだから、真治も早く準備してよ」
由美子は俺にビシッと告げると、「はいは~い」と調子良く節をつけて玄関に走って行った。ガチャガチャとドアチェーンをかける音がしたあと、ドアを開ける音がする。さすがは警官、用心深い。相手と二、三会話を交わしてから由美子が戻って来た。
「やっぱりパトカーで迎えに来てくれたみたい。ちょっとパトカーで待ってくださいと言ったから、さっさと支度して」
「うん、わかった。どっこらせ」
中年のおっさんのように一声上げて立ち上がる。と、胃から熱いものが込み上げてきた。
「うぷっ」
これは胃の中にある、消化不全の物体に違いない。俗に言うゲロに相違ないのだ。胃がキュッと縮むと、押し出されたようにゲロの奴が喉元までせり上がって来る。
「うぷぷっ……」
急いで口元を両手で押さえると、便所に向かい駈け出した。途中でパカンと何かにけっつまずき、「ぐえっ」と鳥を絞殺したような貧相な悲鳴を聞こえた。恐らく、転がって寝ているジジイを蹴っ飛ばしたのだろう。だが、そんなのに構っている暇はない。フラフラのヘロヘロになりながら便所にたどり着くと、便器に向かって例の奴を勢いよくほとばしった。
「ゲゲゲッーのゲ~……」
あまりにも力んでしまったので、目玉が飛び出てオヤジになりそうな勢いだ。




