綺麗なタンコブ
俺は隣に座るジジイに、そっと耳打ちした。
「そう言えばよ、婦警さんがジジイにパンティーあげるって言ってたぞ」
卑しいジジイは興奮して、「だ、誰だ?」うわずりながらも小さく囁くように聞き返す。俺はジジイの耳元で、焦らすように囁いた。
「一階の受付にいる……婦警さん……だよ」
横島署の一階にある受付に、年増だが目がクリッとした可愛らしい婦警さんがいる。ジジイが受付の前を通るたびに、その婦警さんをチラチラ横目で見ているのに俺は気づいていたのだ。
「なに! 美香ちゃんのか!」
ハツラツと叫んだジジイは、お絹を抱きかかえたまま勢いよく立ち上がった。
いつの間にか名前まで聞き出しているとは恐れ入った。ジジイの行動力があれば、日本の外交はもっと上手くいくかもしれない。
「こうしちゃおれん」
ジジイは目をランランと輝かし、お絹を小脇に抱えて脱兎の如く駈け出すと、ドアにぶち当たる勢いで部屋から出て行った。
これで邪魔者はいなくなった。俺は大鉢に向かい満面の笑みをたたえると、襟足を掻きながら立ち上がった。
「どうもすみません。気を使わせてしまったようで。人払いはすみましたので、有り難くちょうだいします」
越後屋から袖の下を貰う悪代官の様な顔つきで両手を差し出し、ちょうだいなポーズを優雅に決める。だが、引き出しに突っ込んだ大鉢の右手はピクリとも動かない。動いたのは左の眉だけだ。ヒクヒクッと眉を吊り上げ怪訝な顔をしている。
「鳥井くんが寝てると言う事は、今君は無敵なのか?」
「そのようですね。今なら大事件が起きればすぐに出動しちゃいますよ。報奨金がまた増えちゃうな、ぐふふふ。今日はとりあえず前回分だけ頂きますよ。ささっ、焦らさないでスパッと出しちゃいましょう。その引き出しに入れてる報奨金をスパッと」
デスクの前に立ち、大鉢の目の前にグイッと両手を差し出す。大鉢の眉がまたピクピクッと一センチほど吊り上がった。
「報奨金? 君は何を言っている。そんなものある訳ない」
「へっ? でも、引き出しから何かを出そうとしてるじゃないですか」
デスクに両手をついて引き出しを覗きこもうとすると、大鉢は慌てて引き出しを閉めてしまった。
「これは君には関係ない。余計な事は気にしてないで、ソファーに座っていたまえ」
「そんな……。ちょこっとだけでもないですか? 金一封とか、お小遣い程度でもいいんで――」
「ない」
間髪入れずにキッパリ言われ、犬を追い払うように片手でシッシッとあしらわれた。
「ないのか……」
期待が高かった分、当てが外れた時の衝撃は大きい。打ちひしがれた俺はフラフラとソファーまで戻り、深くため息を「はぁ~……」と吐きながら崩れ落ちるように腰かけた。
「なんだかよくわかりませんが、元気を出してください」
ピッチョンが気の毒そうな顔をして背中を摩ってくれる。
俺が力のない笑いを「はははっ……」とピッチョンに返した時、凄い剣幕でジジイが戻って来た。
「ジャック! てめえ嘘つきやがったな。てめえのせえで、美香ちゃんにおもいっきりゲンコツではっ倒されたんだぞ」
ジジイは薄くなった白髪頭を指差し、「見てみやがれ!」と俺の目の前に頭頂部を突き出した。なるほど、ゴルフボールを半分に切ったような、形のいい綺麗なタンコブをこしらえている。姿形があまりにも絵に描いたような、実に忠実で正統派なタンコブなので思わず笑ってしまった。
「へへへっ、立派なタンコブだな。ふふふっ」
「あっ、てめえ笑いやがったな。それも人のタンコブ見て、立派だとぬかしやがったな。もう許しちゃおかねえ。これでも食らいやがれ」
ジジイは右手のコブシを固め大きく振りかぶると、俺の頭頂部に振り下ろした。
ゴン! といい音が響いたと同時に、「うぎゃー」とジジイの叫び声も響いた。ジジイは左手で右手を擦り、「イテテ、イテテ」と喚きながら、ウサギのようにピョンピョンと飛び跳ねる。俺は蚊に刺されたほども感じないのに哀れなジジイだ。
「大神様、無茶ですよ。今のジャックさんは無敵なんですから」
ピッチョンが呆れて言うと、ジジイは涙目を俺に向ける。
「覚えてやがれ。いつか仕返ししてやるからな……。イテテ、イテテ……ふぅ~ふぅ~」
ジジイは背中を丸め、右手に息を吹きかけた。少しだけだが哀れに見える。




