地球の危機
「ふざけんじゃねえぞジジイ! 呪文の解き方を忘れただ。どんだけ無責任なジジイなんだよ!」
もう貧乏ビールを十本も空けてしまった。洒落で作った呪文で無敵にされ、挙句の果てに呪文の解き方を忘れたときたもんだ。なんださっきの偉そうな態度は。
「まぁそう怒るなにいちゃん。そう言うことはよくあるもんだぜ」
「そんなちょくちょくあってたまるか!」
俺は怒りに任せ、貧乏ビールを一気にあおった。
「ブハーッ、ちくしょう!」
「まったく、すんだことをグチグチうるせえ男だね。こんな男に地球の未来を託すことになっちまって、地球の人間もついてねえな。おーやだやだ」
「なにをジジイ! もとはといえばてめえの責任じゃねえか!」
「まぁまぁ、そう怒るなよ。なっ、楽しく飲もうぜ。ほりゃ、おいらがビール注いでやるから機嫌直せよ。さぁ、どうぞお兄様」
「ちっ」
俺は大げさに舌打ちし、ジジイを睨みつけてやった。
「それで、地球の危機っていうのはなんなんだ? またくだらないことだったら、本当にビール代請求するからな」
「小せえ男……」
「なにか言ったかジジイ」
「いえいえ何でもありません。コホン、実はな……」
ジジイは神妙な顔つきになった。あごをゴシゴシ擦り、天井を見上げる。
「実はな。地獄を支配していた奴がおっちんじまってよ。そしたらな、地獄の奴らが騒ぎだしちまった。手をつけられなくなっちまったのよ」
「ちょっと待て。地獄って存在するのか?」
「ああ、あるよ。あっちに」
ジジイは天井を指差した。
「お月さんの裏側に地獄がある。その地獄を支配していたババアが、いなくなっちまったのよ」
「はっ?」
俺は口をあんぐり開けた。この世界はジジイとババアが支配しているのか?
どうもこのジジイの話を聞いていると、何本ビールを飲んでも酔えない。それでも気持ちを落ち着かせるために、新たなビールを一気に飲んだ。
「ゲフッ……。まぁいい。もうあんたから何を聞いても驚かない。そのババアがいなくなって、地獄の奴らが地球に攻めて来るんだな。でもよ、ババアに支配されてた奴らだろ。大した奴らじゃねえだろ。なんつってもババアだかんな、支配してたのが」
ジジイは口をひん曲げ、意味深にニヤリと笑う。
「にいちゃん、あのババアを侮っちゃいけねえよ。あいつほど恐ろしいババアはいねえ」
侮れないババア、恐ろしいババア、地獄を支配していたババア、どんなババアなんだ?
明け方に、神様と名乗るケツの穴ジジイが突然来て、八階から突き落とされる。それだけでも、世にも奇妙な物語の主役に十分抜擢されるというのに、地獄を支配していたババアがいなくなった? 地獄の奴らが地球に攻めてくる? もう何がなんだか分からない。
もう俺の想像の範囲を、とっくにオーバーしてしまった。
「わかった。ババアの話はもういい。これ以上みょうちくりんな話を聞くと、頭がパニックを起こして爆発しそうだ。で、その地獄の奴らはどうやって地球に攻めて来る?」
ウゴ~ッ、ウゴ~ッ、ゴゴゴッ、グゴッ~、ガ~!
うるせえいびきだ……。しばらく静かだと思っていたら、また盛大におっぱじめやがった。
ぶっ!
…………
いびきと屁をBGMに、小汚いジジイと地球の危機の話をしている。
なんで? 俺はとっても悲しくなってしまったよ。
哀愁と悲哀を背負う俺の質問を、ジジイはまったく聞いてない。ジジイは俺にケツを向け、寝室のドアの隙間から中を覗いている。ジジイは口に手をあてて、嬉しそうな目をして振り向いた。
「ぷぷぷっ、いい女だけにおもしれえな。ぐふふ」
「ジジイ、いい加減にしとけよ……」
真剣に聞いてやろうと思っているのに、この態度。怒り心頭の俺は、ジジイにぶん投げようとビール缶を掴んだ。
ブシューッ!
まだ開けてない缶から、ビールが噴水のように天井まで噴出した。缶を握り潰したのが原因だろうが、これにはやった俺が驚いた。
「うわっ!」
「おーおー、すげーすげー。ある程度のバカ力がつくみてえだな。もったいねえ」
ジジイは缶から噴き出たビールにむしゃぶりついく。その素早さ、正しくサルの如し。
俺は手元の缶をじゅるじゅる吸っている、ジジイのフワフワ白髪に問いかけた。
「無敵になると、力もつくのか?」
「知らん」
「知らん、て自分で考えた能力だろうが」
「まぁ衝撃に強い体になるんだから、力もつくんじゃねえのか。いちいちこまけえことまで、おいらは知らねえよ。じゅるじゅる」
「なんと無責任な……」
一生懸命ビールを吸ってるジジイ。そのビール缶を持ってる俺。なんとマヌケな情景だろうか。
「おい」
ジジイは口元を手で拭き拭き顔を上げる。
「なんでえ」
「さっきの質問に答えろ」
「なんだっけ?」
「地獄の奴らがどうやって地球に攻めてくるかだ。ちゃんと答えなかったら、その残り少ないフワフワ白髪を、このクソ力で全部むしり取るからな。心して答えろよ」
ばつが悪そうに顔をしかめたジジイは、指先でおでこをぽりぽり掻くと、しずしずソファーに正座した。