困惑警官
タクシーが横島署に着いた時には日もどっぷりと落ち、お月さまが丸い顔をのぞかせていた。
ジジイは先にタクシーを降りると、サングラスを外して苦々しく空を見上げた。
「ピッチョンが言ってたよな。ナマナマララゲは月を嫌がるから、月夜の晩には建物から外に出ねえって。こんなにまん丸なお月さんだから、今夜はなにもしないんじゃねえか」
俺は横島署と書いてある領収書を受け取りタクシーを降りると、ジジイと同じように空を見上げた。
「外に出ないだけで、建物の中ではなにをしてるかわからないな」
「ちげえねえ。はええとこ由美ちゃんが安全なのか確認しようぜ。お絹、しっかり掴まってろよ。ジャック行くぞ」
「よっしゃ」
俺とジジイはマントをひるがえし、横島署の玄関に向かった。
玄関を通り抜けようとした時、
「ご苦労さまです」
こん棒をもって立っている警察官に、敬礼で迎えられた。よく見ると、昨日も玄関にいた困惑警官ではないか。しかし、困惑警官なのだが困惑顔などしていない。今日は納得顔をしているので、納得警官になっている。納得警官になった訳は容易に思いついた。大鉢が俺とジジイは学者と助手だと、署の警官に通達したのだろう。
ジジイは納得警官に敬礼されて気分を良くしたのか、鼻の穴をおっぴろげて立ち止ると偉そうに胸を反らせた。
「おう、にいちゃんもご苦労さん。おめえは、由美ちゃんがどこにいるか知ってっか?」
「由美ちゃん? あっ、鳥井由美子刑事ですね。鳥井刑事は二時間ほど前に、ご自宅に帰られました」
「うちにけえた? そいつは確かなのかにいちゃん」
「はい。わたしがパトカーで家までお送りしました。お二人と同じ格好をした真面目そうな方にも伝えました」
「ピッチョンも知ってんなら、奴は由美ちゃんちに行ったろうな。良かったぜ。でもよ、パトカーで帰宅とはすげえな。ずいぶんと待遇がいいじゃねえか。刑事になると、パトカーで送り迎えをしてくれんだな。由美ちゃんもてえしたもんだ。にいちゃんも刑事になれるように精進しろよ」
頭の上にウサギを乗せたみょうちくりんなジジイは、偉そうな態度でポンと納得警官の肩を叩いた。納得警官は肩を摩りながら困ったように苦笑をする。気持ちよく納得警官と改名したばかりなのに、早くも困惑警官に戻ってしまった。ジジイの薄らバカ加減が原因だと思ったが、そうではない様子だ。
困惑警官は苦笑しながら、「いや……それには……」なにかを伝えようとしているようだが、歯切れが悪い。
「なんだにいちゃん。言いてえことがあんなら、男らしくスパッと言えや」
言いたいことどころか、言わなくてもいいことまでスパッと言ってしまうジジイには、言い淀んでいる態度が人一倍気になるようだ。
困惑警官はこめかみを指でぽりぽり掻きながら、申し訳なさそうに口を開いた。
「いや実は……鳥井刑事が仮眠室で少し横になると言われたので、わたしたちは非番の日に出勤したのだから自宅に帰ってお休みになった方がいいですよと……提案というよりお願いをしたのです。鳥井刑事もそれならそうさせてもらいます、と言って下さったので、わたしがパトカーで送った次第です……。仮眠室を防音にしましたが、それでもやはり音が漏れてしまうので……はははっ……」
またもや困ったように苦笑いをする困惑警官を見て、ああ、この人は困惑警官より今は苦笑い警官なのだな、としみじみ思わずにはいられなかった。
俺とジジイは苦笑い警官の左右の肩を同時に叩き、
「お勤めご苦労さまでした」
声を揃えて労をねぎらった。
由美子が横島署にいないのなら、ここにいてもしょうがない。家に帰ろうと、二人で苦笑い警官に背を向けた。
しばらく歩いていると、背後からピッチョンの声が聞こえた。
「待ってくださーい!」
ジジイと同時に振り返ると、署の建物から小走りにピッチョンが駆けて来た。まだ左頬が腫れている……。




