なだめて、すかして、あやまって
ジジイの足はやけに速い。
短い足をチョコチョコ動かし、商店街の人ごみを縫って歩いている。前から人が来ても、器用に隙間をすり抜けて行く。俺とピッチョンは小走りに駆けているのに、十メートル前方のジジイに一向に追いつかないのだ。しゃらくさいことに、呼び止めても振り向きもしない。
「あれは相当すねてますね。ハァハァ、人前でなければ、大神様の前にワープできるのに、ハァハァ」
息を切らすピッチョンは、七三のキッチリ横分けもだいぶ乱れてしまった。上着の内ポケットから真っ白いハンカチを出すと、デコの汗を几帳面に拭った。
「ハァハァ、早く大神様を止めないと、もっとギャラリーが増えてしまいますよ。ハァハァ」
「うん、増えたな。ハァハァ」
俺は息を切らしながら後ろを振り向き、あまりの騒ぎにげんなりした。
マントをひるがえして走るジジイと、その後から同じくマントの俺とセールスマンのピッチョンが追っている。いやでもガキンチョの目に留まるのだろう。あとからあとから子供たちがワーワーと走ってついて来る。その騒ぎを聞きつけた主婦が、マントに書いてある米と豆の字を見てスーパーの安売り宣伝と勘違いしたのだろう。こちらもあとからあとからキャーキャーとついて来る。
「ハァハァ、えらい騒ぎになってる。ハァハァ、こうなったらダッシュしてジジイをとっ捕まえよう」
「そうですね。ハァハァ、行きましょう」
二人揃って駆け出そうとした時、ジジイがいきなり店の中に飛び込んだ。
追いついて店の看板を見ると、「ペットショップ・珍竹林」と書いてある。
「ジジイがペットショップ?」
俺とピッチョンが看板を見上げて首を傾げていると、
「どうやらこのお店らしいわ」「特売なのよね」
「豆とお米が無料ですって」「お店の商品全品タダだって」
「アメリカ旅行を無料でご招待だってよ」「ビールに枝豆がついて飲み放題だ」
「米か豆のどっちでも一粒、一円で換金してくれるぞ!」
言いたい放題騒ぎ立てられ、ワラワラと人が集まって来る。あれよあれよという間に、狭い店先に老若男女が五十人以上群がり、押すな押すなのどえらい騒ぎになってしまった。
暴徒と化した群集を、俺とピッチョンは両手を広げて押しとどめた。
「皆さん落ち着いてください! その情報はデマです! 特売でも無料でもありません!」
二人で声を枯らして叫んでいると、俺のマントをグイグイ引っ張る奴がいる。
「おにいちゃん、十キロのお米持ってきたよ。早く換金しておくれよ。良かったよ~、隣がスーパーで」
ばあさんが無洗米十キロを担いでニンマリしている。無洗米は便利だよね、米を研ぐ手間がはぶけるから。などと感心している場合ではなかった。
なっなんと、ばあさんの後ろにも、秋田コマチやら新潟コシヒカリを担いだ人たちが何十人も列をなしていた。中には、まったく一目惚れなどされたことがないと一目でわかるおっさんが、宮城のヒトメボレを担いで並んでいる。
おっさん、そんな顔に合わないブランド米じゃなく、同じ宮城米ならせめてササニシキにしてほしかったよ。と、心の中で切に願った。
その後は正に死闘の連続であった。欲に目がくらんだ人間は恐ろしい。
「話が違う!」「責任者出て来い!」「米代返せ!」
中には、「何で俺はもてないんだ!」と、先ほどのヒトメボレのおっさんが、ここぞとばかりに日ごろの鬱憤を爆発させた。
なだめて、すかして、あやまって。悪戦苦闘を繰り広げ、なんとか治めることができた。不満タラタラと人々は引いてゆく。あとに残ったのは虚しい現実だけだった。
ピッチョンは髪をグチャグチャにし、ネクタイは結び目が解け、スーツの袖は引き千切られ、両足の革靴がすっ飛んだので靴下のまま呆然としている。
俺も同じようなものだ。髪はグチャグチャ、マントは引き剥がされてしまった。ただ救いなのは、スーツよりウエットスーツの方が頑丈なことだった。破れた箇所はない。
数メートル先に放り投げられたマントを拾い上げると、目の前にエプロンをつけた小柄な男が立っていた。




