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もうなんだか疲れた

「それで、弱点の月とウサギを見たナマナマララゲは、どのようになるのですか? 苦しがったり暴れたり、なにか変化が現れますよね」

 興味津々の大鉢は、でかい頭をググッとピッチョンに近づけた。ピッチョンはスススッと少し後退する。

「ええ、変化します。僕も実際に見たことはないですが、嫌な顔をします。大神様も言ったように、ナマナマララゲは単純ですからすぐに顔に出てしまうのですよ」

「その他にどうなりますか。やはり苦しがって暴れますか?」

 大鉢はでかい頭を、更にグググッと近づける。ピッチョンはのけ反りながら首を振った。

「いいえ、嫌な顔をするだけですよ。見るのも嫌なんでしょうね。僕も血が苦手で、指をちょっと切っただけでも見たくありません。そんな感じなんでしょうね」

 ピッチョンは渋い顔を装い、「ねえ」とみんなに同意を求める。

 大鉢が「それだけ?」と呆れて言うと、ピッチョンは自信満々で答えた。

「そうですよ。誰だって嫌いなものを見た時には嫌な顔はするけど、苦しがって暴れはしませんよね。ナマナマララゲだって同じですよ」

 ピッチョンは当然じゃないですかと言わんばかりに、当たり前だろ的な顔をする。

 彼の人となりを見ていると、これまで生きてきた生活環境が安易に想像できた。裕福な家庭ですくすくと育ち、学校では友達に恵まれ成績は上の中、小柄でストレートの黒髪が良く似合う同級生の彼女と手をつないだのは、付き合って半年過も過ぎてから。そんな青春時代を過ごし、社会に出てからは死神の上司にはかわいがられ、同僚にはいい奴だと評判で、後輩からも頼りにされた。女性からは、真面目で融通が利かないけど、結婚するならピッチョンさんみたいな人が一番よね、と陰では言われている。そんな、いい人街道まっしぐらな人生を送ってきたのだろう。

 だが、青春時代はがむしゃらに勉強し、遊びも女もガマンガマンと自分に言い聞かせ、競争社会に生き残れるのは学歴あるのみ、と人生を貫いてきた偏屈頭でっかちがため息をつく。

「はぁ~……もうなんだか疲れた……」

 哀しげに呟いた大鉢は、肩を落として窓際に歩いて行く。窓を開けると、遠い目をして外の景色を眺めた。

「私はもう、初詣に行くことはないな……」

 呟く大鉢の肩は微かに震えている。寂しげな後ろ姿に、誰も言葉をかける者はいなかった。

 静まり返る部屋に、署長の足音がコツコツと響く。署長はゆっくり大鉢に近づくと、肩に優しく手を置いた。

「大鉢さん、そんなに悲観することない。ナマナマララゲは月夜に出歩かないのがわかった。それに、嫌いなものを見て嫌な顔をするなら、とり憑かれた人間を早期に発見できるじゃないか。ウサギを見て嫌な顔をしたら、ナマナマララゲだとね。そうだろ」

 署長の言葉に、大鉢はハッとした顔で振り返る。署長は微笑むと、小さく頷いた。ついでに、これもまたお決まりごとのように、ズラがちょこっと前にずれた。

 大鉢はそんなことはお構いなしに、でかい頭をグイッと署長に近づける。

「わかりました署長。先ずはうちの横島署だけでもウサギを取り揃えましょう。パトロールの際、不審者の職質をかける時にはウサギを見せるよう徹底させます。しかし……」

 張り切っていた大鉢が、急に顔を曇らせた。

「しかし……問題がありますね。ウサギを持たす事に、どのような理由付けがありますか? それ以前にナマナマララゲの事を、本庁にどのように説明すればいいのでしょうか?」

 眉をひそめる大鉢に、署長も渋い顔で答える。

「そうだ。一番の問題はそこなのだよ」

「これは日本だけの問題ではないです。ナマナマララゲが世界各国に散らばれば、国際的な大事件になります。全世界に地獄から来たナマナマララゲを、どのように説明したらいいのでしょう。ナマナマララゲの事を説明するにはこのお二人、大神さんと死神のピッチョンさんの事も説明しなければなりません。ピッチョンさんが死神というのはまだいいのですが、この方が大神さんだと……」

 大鉢は苦虫を噛み潰したような顔でジジイを見つめる。ジジイがポカンと間抜けな顔で見つめ返すと、大鉢は力なく首を振った。

「この真実を知ってしまえば、世界の倫理観は失われてしまう……。私だって未だに信じられない。目の前のこの老人が、世界を創った偉大なる神などと……」

 苦悩に満ちた大鉢のどんよりとした視線も、ジジイにはまったく伝わっていないようだ。ジジイは、偉大なる神のフレーズが大変お気に入りらしく、鼻どころか毛穴までも開きっぱなしといった感じで、得意満面の笑みを浮かべ鼻高々な顔をしている。その毛穴全開ジジイを見て大鉢は、こめかみを指で揉みながら続けた。

「誰も信じてはくれないでしょう……。もし、信じたとしたらその方が大変な事になるでしょうね。あらゆる宗教は崩壊してしまうのではないですか。私はそれが心配だ……」

 署長は腕組みすると、おっさん特有の低い唸り声を上げる。

「う~む……」

 首を捻ってしばらく考えていたが、何かを決心したように大きく頷いた。ので、やっぱりちょっとずれてしまう。署長はそんな状態などまったく気にしていないようだ。ますます厳しい顔つきになると、全員の顔を見回した。

「真実は、ここにいる我々だけの秘密にしていこう。崇高で慈悲深いイメージの神様がこんな人……コホン……失礼。こんなに庶民的な人が神様だと知られたら大変な事になる。この案件は秘密裏に我々だけで進めていこう。ナマナララララが重大事件を引き起こすのは恐ろしい。だが、それよりも恐ろしいのは、神様の正体を知った全世界の人間だ。動揺は計り知れないだろう。各国で宗教戦争や内戦が起こり得る可能性もある。臭い物に蓋をするという例えもあるように、これは断固として真実を打ち明けてはならない」

 やはりジジイはクソにまで成り下がってしまったようだ。蓋をされたジジイの顔は、七、八粒の正露丸を無理やり口に放り込まれたような、実に苦い感じになっている。

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