神業
涙ぐむジジイは、リビングの隅で正座をしている。由美子に説教されて、うつむいてしょぼくれているのだ。
着替えと化粧を終えた由美子は、腰に手をあて仁王立ちの姿勢でジジイの前に立った。
「さあ、いつまでもメソメソしてないで、署に行きましょう」
ピッチョンがそっとジジイの背中に手を回した。
「大神様、どうぞ」
「あんがとう……」
ジジイはピッチョンに支えられて、ゆっくりとヨレヨレと立ち上がった。
玄関に向かい哀しい後ろ姿を見せると、由美子が呼び止めた。
「待って。これを着ないとヒーローじゃないでしょ。はい」
由美子は微笑みながら新品のウエットスーツをジジイに差し出した。
「由美ちゃん……」
ジジイは潤んだ瞳で受け取る。
俺も由美子から受け取ったウエットスーツを目の前にかかげた。
「由美子が昨日買ってくれたみたいだ。ボロボロだったからな。マントもサングラスもあるぜ」
ジジイは垂れた鼻水をズバズバババッと大袈裟にすすり上げると、嬉しそうに顔を皺くちゃにさせてうなずいた。
「おう、知ってるよ。由美ちゃんが笑顔で渡してくれたのが嬉しくてよ……ズバババッ」
これでもかと、またしても豪快に鼻水をすすり上げ、
「着替えてくら!」
張り切って宣言すると、唯一畳敷きである自分の部屋の四畳半に、元気にすっ飛んで行った。と、思ったら、神業のような速さで飛び出してきた。しかもちゃんとウエットスーツを着ている。神がやったのだから、本当の神業であった。
しかし、神業を見事にこなしたジジイ神なのに、神に相応しくない荒れたご様子である。真っ赤な顔で怒りまくった。
「ジャック! へんなもん書くんじゃねえ。何だこのマーク。ケツの穴そのものじゃねえか! おいらは○にホと書いたんだぞ」
胸に白字で書いてある、○に米のマークを指差した。
「あ~悪い悪い。ジジイがしょぼくれてる間にきれいに書き直してやろうとしたら、間違えて点々を多く書いちまったんだ。でもよ、米のほうがいいだろ。米と書いてアメリカとも読むしな」
「バッカヤロ~! 米なら上のチョンチョン二つを、もうちょっと離して書きやがれ。×になってんじゃねえか。誰が見たって、肛門のすぼみにしか見えねえだろうが。胸に堂々と肛門を晒しているヒーローが、どこにいんだ!」
胸どころか、首の上に年がら年中堂々と晒しているくせしやがって、よく言うわい。
「まあ、そう気にすんな。誰もそんな風に思いやしねえよ。ジジイの考え過ぎだ。機嫌直してマントもつけろ。ほらよ」
俺が折りたたんであるマントを差し出すと、ジジイは「ちくしょ~」と小憎らしい顔で受け取る。ブツブツ言いながらバサッと広げたとたん、
「あーっ! こっちも書き直してあるじゃねえか!」
ジジイは目を剥いて叫んだ。
それもそのはずだ。先ほどの○に米印、と言うよりケツの穴印が、マントの中央にでかでかと書いてある。書いてある、と人事ではなく俺が書き直した。
「悪いな。そっちも手が滑っちまった」
ジジイは憤慨極まりないと言う顔で睨みつける。
「けっ、まあいい。ジャック、てめえも早く着替えろや」
「そうだな。着替えてくる」
俺は寝室で着替えを終えると、速攻で部屋から飛び出した。
「ジジイ! お前だな、ウエットとマントを書き直したのは! 俺はかっこよく○にJと書いたのに、なんで○の中が豆の字になってんだ! なんで豆なんだよ!」
大声で怒鳴り散らすが、ジジイは小憎らしく口をひん曲げた。
「ヒッヒッヒッ、てめえが早く寝ちまったから書き直してやったのよ。豆とはてめえのツラのことよ。前にも言ったよな。てめえのツラは豆に筋つけたような、泣けちまうほど単純なツラだってよ。だからてめえの名前は、ミラクルジャックなんだよ」
「なんだと!」
「ジャックと豆の木って童話があんだろ。てめえの豆顔を見てピンときたのよ。豆に相応しい名前はジャックだってな。それによ、バカみてえにグングン伸びる木は、正しくミラクルじゃねえか。てめえもおだてりゃ、バカみたくグングン木に登るからな。だからミラクルジャックなんだよ。どうだ、恐れ入っただろ。かっかっかっ~」
ジジイは胸の肛門のマークを全開にするだけでは飽きたらず、高らかにのどちんこを覗かせるほどふんぞり返って大笑いした。




