裸でウインク
「お~っ、綺麗な星空だ。お月様もあんなにまん丸じゃねえか。なぁにいちゃん」
「あぁ……」
確かに星が瞬く綺麗な夜空だ。だが、何が悲しくてこんな薄汚いジジイと二人で、仲良く夜空を見上げなきゃならねえんだ。
「それで、なにがあるんだ。天からお迎えに来るのか? だったら早いとこ行ってくれ。天国でも地獄でも、俺はどっちでもかまわねえぞ。出来れば地獄の方がいいけどね」
「ふん、そんなんじゃねえよ。ここは何階だったけかな?」
「八階だ」
「そうかい。にんちゃん、ちょっと下を覗いてみな」
「なんで?」
俺が怪訝な顔を向けると、ジジイは自分の顔をツルリと撫でた。
「いいから見てみなよ。女が裸でウインクしてるかも知れねえだろ」
「バカバカしい」
と言いながらも少し期待をしてしまい、思わず頬が緩んでしまった。ジジイもニンマリ笑っている。
「しょうがねえな。そんなに言うなら少しだけな。言っとくけど、変な期待なんかしてねえからな」
「ああ、分かってるよ。にいちゃんはそんな助平じゃねえ。好奇心が強いだけだ。ちゃんと分かってるから見てみなよ。グフフフッ」
「分かってるならいいけどな。ムフフフッ」
「うんうん、グフフフッ」
ジジイと笑い合ったあと、俺はそっと手すりに手をかけた。鼻の下を伸ばしながらゆっくり下を覗き込む。
「どうだい、いいもん見えたか?」
「いや、見えないな……」
「もっと良く見てみろよ。いいのが見えるからよ」
その言葉に釣られ、手すりから胸が出るまで下を覗き込んだ。
「なんもないな? コンクリの駐車場が見えるだけ――うわっ!」
いきなり両足をすくわれた。手すりを軸に、体が前のめりに一回転してしまう。
「わっわっわっ」
腹に手すりが引っかかり、体がシーソーのようにギッタンバッコンとふらつく。宙ぶらりんのまま足元を見ると、ジジイが嬉しそうに俺の足を持っている。
「なっ、何をするジジイ! やめろ!」
「心配すんな。あらよっと」
ジジイがのん気な掛け声と共に、よせばいいのに俺の足を跳ね上げた。
「わっ!」
体が真っ直ぐに突っ張ったまま、外側にクルリンと一回転。と同時に両手を離してしまった。
「あっ! 落ぢる」
「そりゃ落ちるわな。そいつが引力だわ」
「ひぇーっ……すぬ~」
一瞬、仰向けのまま宙に浮いている。と思ったが、そんなのは気のせいだった。ストンと引力に引っ張られる。
「はひぃ~」
「お~っ、きれいに落ちていきやがる」
なんてこった! この世で見る最期の顔が、あんなサル顔なんて……。
ベランダの手すりから覗き込むジジイの顔が、グングン小さくなってゆく。そのサル顔とは逆に、グングン地面が確実に接近している。
仰向けで両手をジタバタ伸ばしても、掴めるものは何もない。マヌケな格好で落ちてゆく。
「わぁぁ~おがあぢゃ~ん……」
ドォーン!
死んだ……。間違いなく、死んだ。八階から落ちたのだ。それも全身をビタンとコンクリートの地面に直撃したのだ。死なないわけがない。
これが死ぬということなのか……。静かだ。そして、真っ暗だ。うん? 真っ暗なのは目をつぶっているからか。だがダメだ。目を開ける勇気はない。
ぉ~ぃ……
誰かの声が、微かに聞こえる。お迎えに来たのだろう。可愛い天使のお迎えか……。
「お~い、そんなとこで寝てっと風邪引くぞ~」
だみ声の天使が俺を呼んでいる。
「ほら、早く起きろにいちゃん」
にいちゃん? ずいぶん気安い天使だな。いつまでこんな状態ではいられない。恐る恐る目を開けた。
遠くの方で誰かが顔を出していた。見覚えのあるベランダの手すりから、顔だけ覗かせている。
サル? 天使はサルなんだ。なんか嫌だな…………?
「サル!」
俺は勢いよく上半身を起こした。見上げると、サルジジイが薄ら笑いを浮かべてる。
「気がついたか、早く上に上がって来い」
ジジイは手招きすると、ベランダから顔を引っ込めた。
「俺は、生きてるのか……?」
両手が動くのを確認し、足をぶっ叩いてちゃんとついているのか確かめた。そして、頭を両手でまさぐると、血がついていないか恐る恐る確認した。
「ない! やったーっ! 俺は生きてるぞ~!」
両手を突き上げ、歓喜の雄たけびを上げた。
「うお~っ!」
ガラッ
「うるさい! 何時だと思ってんだ!」
一階に住むオヤジに怒鳴られた。