お花畑
しつこく揺らすジジイの攻撃にも耐え、なんとか第一波は去って行った。一時だが、穏やかな春のうららかな時期が訪れたのだ。俺はその時を噛み締めるように、深くため息をついた。
「ふぅ~……」
そしてこのチャンスを逃すまいと、
「トイレトイレトイレ! トイレ連れてけー! 早く早く早く! ト! イ! レー!」
力の限りわめき散らす。俺の剣幕に驚いたジジイは、両方の鼻穴からバビッ! と鼻水を噴射した。実に気持ち良さそうで羨ましいが、それ以上に小憎らしい。
ギャーギャー騒いでいると、やっとプーやんが腰を上げた。
「便所? そんなもん行かなくても、そのまましちまえよ。ギャハハ」
俺、ミラクルジャックこと前田真治、この世に生を受けて二十七年。人を殺す、と本気で思ったことがあるだろうか? いや、恐らくないだろう。だが、プーやんの一言が、俺の殺意に火を点けてしまった。極限状態にある男は恐ろしいのだ。
燃え盛る瞳の炎は、星飛雄馬どころの騒ぎではない。星くんが三人も四人も瞳の奥にいて、熱いったらありゃしない。
メラメラと燃え盛る瞳を向けると、プーやんは驚愕の表情で二歩三歩と後退る。
「うっ……」
及び腰のプーやんに、今度は星くんの父ちゃんを一人追加する。ここにちゃぶ台があれば、十台は軽くひっくり返していただろう。明子姉さんは電信柱の陰で見ておれ、と言わんばかりに瞳の炎に力を入れた。
「わ、分かったよ。便所に連れていけばいいんだろ」
激しい死闘であったが、遂にプーやんは降参した。星くん家族が全員揃えば、怖いものなどないのだ。
プーやんはあたふたと、体にグルグル巻かれたガムテープを剥がし始めた。ジジイはポカンと口を開け、鼻から鼻水がダラダラと流れ落ちている。可愛そうに、拭けないので鼻水が垂れっぱなしだ。お気の毒様。俺はそんなみっともない事などしないのだ。スパパパッときれいに処理させてもらうのだ。
「ほら、立てよ。俺がついて行くから」
ガムテープを剥がし終わったプーやんにうながされ、俺は腹を押さえ静かに立ち上がった。と、その時、
「ぐむっ……」
ぎゅるぎゅる、ぎゅるる~。来た! 遂に第二波が、怒涛の攻めを始めたのだ。
「いかん!」
腹など押さえている場合ではない。グッと尻の肉に力を入れ、ガバッと両手で肛門にフタをした。だが、これだけでは甘い。チンチンを挟む要領で内股になり、歩幅を小さくしてチョコチョコと駆け出した。
「トイレ……トイレ……トイレ……もも漏れ……る……」
口ずさまなくてもいいのだが、こういう時はどうしても口ずさんでしまう。そう、それが漏れそうだと言う証なのだ。
「トットットイレ……」
鼻息荒くフガフガと便所に駆け込み、ビシッとプーやんに背中を見せた。
「ほりゃ、チャックを下してくれ」
プーやんは首を捻りながら、背中のチャックを下す。
「なんでお前らは、こんなもん着てんだ?」
「うるさい! つべこべ言わずにさっさと下せ。時機に、超強力な第三波が来てしまう。これが来たらもう俺の力では……ひゃほ! 来た……」
「ほら下したぞ」
プーやんの声が、天使の歌声に聞こえる。
遠山桜のように、ガバッともろ肌脱ぐ、とはいかない。ピッチピチのウエットが、体にジャストフィットしているからさあ大変。体の肉をそぎ落とすように、摘んでは引っ張り、摘んでは引っ張りと、悪戦苦闘を繰り返す。それでも超強力第三波は容赦などしない。遂に肛門がヒクヒクと痙攣しだした。急がねばならん。泣きべそ掻きつつ袖から両腕を出し、ずり下しながら個室に駆け込んだ。しかし、まだまだそうすんなりとはいかなかった。ずり下したウエットが膝に引っかかり、トトトトッと二、三歩たたらを踏み前に倒れそうになる。が、俺だってそうは問屋が卸さない。上体を捻り、ヒラリと身をひるがえす。そのまま後ろに倒れるが、ドスンと洋式便器に見事着地。尻もスポッと便座にフィット。これぞ正しく奇跡だ。座るや否やの激しい噴射。
目の前に、きれいなお花畑が広がった。のどかだね~おじいさん、と農家の老夫婦の声が聞こえてくるようだ。安らぎのひと時、至福のひと時であった。




