マントをなびかせ
「みんな知ってるんですか?」
俺の質問に署長は顔をしかめる。
「うん、署内では有名でね。鳥井くんが仮眠室で寝てると、そりゃもう、うるさいのなんのって。おかげで仮眠室は完全防音にしたよ」
「そうでしたか。ご迷惑おかけしてます……」
「いやいや、私たちはまだいい。君は一緒に暮らしているんだろ?」
「はい」
「そうか、君も大変だね……」
署長はしみじみ言うと、後ろに手を組み清々しい青空を見上げた。
「ほら見なさい、実にいい天気だ。人生は雨降りばかりじゃないぞ。君もへこたれずに頑張れよ」
「署長……」
俺は溢れる涙をマントで拭う。署長も鼻をすすり、俺の震える肩を優しく摩った。
「おめえらなにやってんだ? はええとこ落っこちて、無敵だって証明してやれよジャック」
ジジイはマントをなびかせ、気持ち良さそうに鼻毛をむした。
俺たちは警察署の屋上に来ている。ジジイの提案で、五階建ての屋上からダイブして無敵だと証明するためだ。
俺は、「なにも飛び降りなくていいだろ、なにかで頭をぶっ叩けばすむことだ」と言ったのだが、ジジイは速攻で却下した。
「そんなんじゃ華がねえ。マントなびかせズバッと飛んでみろ。かっちょええぞ」と鼻を膨らませてほざいた。確かに、マントをなびかせダイブしたらかっちょええだろう。その気になってジジイの提案に賛成した。
風が吹く屋上で、のん気なジジイは鼻毛をむしり倒し、署長は半信半疑の表情で成り行きを見守っている。
屋上は高さ二メートルほどの、金網のフェンスに囲まれている。落ちる場所を確認するため、金網越しに下を覗いた。パトカーが数台止まっている駐車場に、人が近づかないように飛田が待機しているはずだ。
キラリン、と飛田の出っ歯が光って見える。両手で大きく丸を作りオッケーサインを送り、キラキラリンと出っ歯も輝き、虫歯のないことをアピールしている。
「よし、いっちょやるか。と、その前に長内さんに確認」
俺は携帯電話を取り出した。由美子の様子を知らせるために、署長室に待機している長内に電話をかけた。
「もしもし、長内さん。どうですか、由美子は寝てます?」
『だいひょうぶた。ぐっちゅりねへる。ウゴ~ッ――ほりゃね。ぶっ! ねっ』
鼻を摘んでしゃべるので聞き取りにくいが、長内は由美子が発する音をバックに的確な実況中継をしてくれた。
「了解」
電話を切り、金網のフェンスを見上げる。
「じゃあ、行きますよ」
「本当に大丈夫なのか?」
署長は不安げに俺を見る。持ち主と一緒で、頭のズラも不安げにパカパカしている。いつぶっ飛んでしまうかと、俺の方が不安になってしまう。
「心配ご無用です」
親指を立ててヒーローポーズを小粋に決めると、一気にフェンスをよじ登る。フェンスのてっぺんに着いたら、颯爽とした立ち姿でヒーローポーズを決めるのだ。
てっぺんに両手をかけ、懸垂の要領で体を持ち上げた。
「おりゃ」
細いフェンスに立ち上がり、颯爽とヒーローポーズを……。
高い。立ち上がったので、余計に高いではないか。落ちて本当に大丈夫なのだろうか。あのジジイを本当に信じても大丈夫なのか……不安だ。腰が引ける。
「はよう落ちろ、ジャック」
下を見ると、ジジイがヘラヘラ笑ってやがる。
署長は不安げな表情で、ズラがパカパカしている。ますます不安になった。
やっぱりやめよう……。足下のフェンスを掴もうと中腰になった時、
「早く行きやがれ」
ジジイがおもいっきりフェンスの金網を揺らした。
「まっ待て、心の準備……。こら! ジジイやめろ! 揺らすな……あわわっ」
体が前後にぐらぐら揺れる。バランスがとれない。急いでフェンスを掴まなければこりゃたまらん。グッと腰を落としてしゃがんだ瞬間、ジジイが更に力を込めて揺らした。
「おりゃ! 行きやがれ」
「あっ……」
和式ウンチングスタイルのまま、前にくるりんと半回転。哀れ、逆さウンチングスタイルで落ちて行く。
「ひっ」
「行ってらっしゃ~い」
金網の向こうで、ジジイが笑顔で手を振っている。驚いた顔で固まった署長のズラが、ぶっ飛んでる。
だが、それぞれのマヌケズラが見えたのは一瞬だった。一気にまっ逆さまに落ちて行く。
「あぁ~っ! おが~ぢゃ~ん……」
なんて哀れな格好なんだぁ~…………。
ドォ~ン!
脳天から落ちたが、衝撃はない。痛くも痒くもない。
だが、あのジジイは許さん。




