えげつない寝姿
署長の落ち込みようは凄い。廃人のように虚ろな目をし、どんよりと重いオーラが体全体を包んでいる。
「誰にも言わねえからしんぺえすんな。ここにいる奴はカツラちゃんがカツラだなんて、誰にもしゃべりゃしねえよ」
ズラをかぶったジジイに言われ、俺たちは無言でうなずいた。署長はガックリ肩を落とし、うな垂れたままボソリと呟く。
「すみません……」
この人は本当に、誰も知らないと思っていたのだろうか? それはある意味凄いことで、幸せなことでもある。その幸せをジジイに打ち壊され、うな垂れるツルハゲ頭を見ていると、いとおしくもあり哀れにも思えてきた。
「ジジイ、早くそのズラ返してやれよ。頭皮が寒そうだぞ。かわいそうに、カツラちゃん風邪引いちまうよ」
署長はゆっくり顔を上げた。潤んだ目で俺を見ると、声には出さず、ありがとう……と唇を振るわせた。
ジジイは渋々ズラを取り外し、頭の光が大森署長に差し出す。署長はわが子のようにいとおしく抱きしめると、慣れた手つきですっぽりかぶった。だが、やっぱりちょっとずれている。
「ちぇっ、せっかく似合ってたのによ。それでだカツラちゃん。誰にも言わねえ代わりに、おいらの言うことは聞いてもらうぜ。いいよな」
「はい……」
すっかりジジイに従順になった署長は、哀れになるほど素直に返事をする。やはり少しいとおしく思えてきた。
「よし。それじゃな、今からジャックが無敵だっちゅう証拠を見せてやるよ。由美ちゃん、ちょっとそこで寝てくれや」
ジジイはソファーを指差した。
「うん、分かった」
由美子はすっかりしょげてしまった署長を横目で見ると、小バカにしたように口をひん曲げて笑う。こんな憎らしい部下を持って、なんてカツラちゃんは哀れなんだろう。ますますいとおしくなった。
「でも残念だわ。真治が無敵になったところを、わたしは見られないなんて。真治、しっかり無敵だって証明してよ。じゃあね、おやすみなさい」
由美子はソファーに横たわり、速攻で目を閉じた。どうやら寝る気満々のようだ。
ジジイがソファーに寄り添い、嬉しそうに由美子の寝顔を眺めていると、早くもスースーと寝息を立て始めた。どんな時でもどんな所でも、なにがあっても寝つきが早い。特技だといえよう。だがまだ完全には寝ていない。鼻の穴がピクピク動いてる。付き合いの長い俺にはわかるのだ。完全な睡眠に入ると鼻をピクピクしなくなる。そしてあれが始まるのだ。
署長と飛田と長内が部屋の隅で固まり、顔を突き合わせてなにかヒソヒソ話をしている。話がまとまったのか、長内がすごすご手を上げた。
「あの~……私たちは外に出ててもいいですか?」
遠慮気味に言うと、チラッと由美子を見る。こんな小憎らしい女でも、一応は若い女なのだ。寝ている姿を見ては悪いと、おっさんたちも気を使っているのだろう。よだれを垂らす勢いで由美子の寝姿を見ているジジイとは、大きく人としての開きがある。
「気にしなくてもいいですよ」
「いや、そうじゃないんです……。とりあえず外に出ます。さあ、署長出ましょう」
「お、おお……」
署長たちはわれ先にドアに向かった、その時、
ウゴ~ッ、ウゴ~ッ、ゴゴゴッ、グゴッ~、ガ~!
始まった。大口を開けて、豪快にいびきをおっぱじめた。
あっ、いかん。これは迂闊であった。こんなあられもない寝姿を上司に見られてしまった。いや違う。あられもないなどと、そんな可愛いもんじゃない。えげつない寝姿。そうこれだ、まさにそのとおり。いくら由美子でも、こんなえげつない寝姿を見られたらかわいそうだ。これは俺が気を使うべきであったのだ。このことはカツラちゃんのカツラのように、みんなには内緒にしてもらわなくてはならない。
だが、心配することもなかったようだ。
「始まっちゃいましたな」
「でもまだこれからだ。次が来る。早く出よう」
長内と飛田の会話が聞こえた、その時、
ギリッ、ギリッ、ギギギギッ、ギギギギッ
「つ、次が本番だ。い急げ!」
署長の慌てふためく声を掻き消すように、
ぶっ!
「おしょかっちゃようでしゅ……」
長内の鼻を摘む声が、寂しげに部屋に響いた。