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春の風

 開け放たれた窓から、そよそよと春風が舞い込んでくる。

 時折カーテンをブワッと踊らせ吹く風が、マントもバサッと踊らせる。俺とジジイは急いでマントを押さえた。

 普通の状態なら、春風が気持ちがいいと感じるだろう。だが、張り詰めた空気が漂う署長室ではそうもいかない。俺とジジイは鼻の頭に玉粒の汗をかき、額からも汗が流れ落ちている。

 力強く腕組をしている由美子が、署長の豪華なデスクに半ケツを乗せ、目を鬼のように吊り上げ睨みつけている。視線の先はもちろん俺とジジイだ。俺とジジイは、授業中に悪ふざけをして怒られ、教室の隅に立たされた四年二組の小学生のように、直立不動のままうな垂れている。いやそれだけではない。風でマントがなびかないように、両手で懸命に押さえているのだ。少しでも由美子を刺激しないように。

 四年二組のジジイとぬけ作の俺は、自分のマントを押さえ困った顔で見つめ合うと、「へへへっ……」と寂しく笑った。

 デコからほほに伝わる汗が、大粒になってアゴに流れ落ちる。手の甲で汗を拭うと、由美子は大げさにため息をついた。 

「はぁ~っ。あんたたちね、暑いならそんなの脱いだらどうなのよ。ウエットスーツを着込んで、そんなバカみたいなマントしてたら暑いに決まってるでしょ。どこの世界に、そんないかれた格好しているどアホがいんのよ」

 俺は奥歯をグッと噛み締めた。かっちょいいヒーローの姿に憧れる男の気持ちを、しょせん女には理解できないのだ。だが、由美子の恐ろしい目を見ると、反論する勇気が湧かない。実に悔しいことだが、グギギッと奥歯を噛み締めるしか術がないのだ。

 とその時、ジジイがいじいじとマントの裾を摘み、おずおずと由美子の前に差し出した。

「由美ちゃん……こりゃ脱げねえんだ。ヒーローにはピチピチの衣装とマントがなきゃダメなんだよ……。これは脱げねえ。いくら由美ちゃんの頼みでも、これだけは譲れねえんだ……すまねえ、由美ちゃ……ん」

 ジジイが薄っすらと涙を浮かべ、ビビリながらも必死に懇願する姿を見て、俺の心に熱いものが込み上げた。そして、ついもらい泣きをしてしまった。

「ホール、よくぞ言ってくれた。おまえこそ、真のヒーロー魂をもった男だぜ。さっきはすまなかったな。余計なことに腹を立てちまった。よくみりゃ○に正のマーク、けっこういかしてるぜ」

 後ろから声をかけると、ジジイは鼻をたらして振り向いた。

「ジャック、おめえって奴は……」

「ホール……」

 鼻をたらし見つめ合うジジイと俺は、キッパリうなずくとガッチリ握手を交わす。その顔は大粒の涙をこぼしているが、なんとも清々しい笑顔だった。

「まったく、くだらないことで鼻なんかたらして泣いてんじゃないわよ。分かったからこっちに来なさい」

 由美子はアゴをしゃくると、半ケツで座っていたデスクから腰を上げた。

 ソファーでズラを直していたズラタヌキの隣に、由美子は勢いよく座った。その勢いで背もたれにも豪快によりかかると、バフッとした風圧でまたしてもズラが浮かび上がる。着地はしたものの、悲しいかな見事な着地とは言えなかった。本人は気づいていないようだが、少しずれて着地している。普通のズラタヌキよりも、横ちょかぶりズラタヌキになってしまった。その横ちょズラタヌキが、澄ました顔で野太い声を振るわせた。

「それで鳥井刑事、この人たちのことを説明してもらえるかな」

 由美子の方を向いたせいで、またまたちょいずれしやがった。ちょいワルオヤジならいいのだが、ちょいずれオヤジだからたちが悪い。

 由美子は横ちょになったズラを見てしまったのか、ピクピクと鼻を膨らませている。

「ふ、ふっふふっ……しっ失礼しました。ふふ……えっと、クックックククッ」

 ついに下を向いてしまい、肩を震わせて懸命に笑いをこらえている。前に座る出っ歯と若年寄も、由美子と同様に下を向いて苦しそうだ。

 俺もあさっての方を向いて笑いをこらえているのに、ジジイは至って冷静に言ってのけた。

「よう、おいらたちのせつめえの前に、おめえたちは誰なんだ? すかしてカツラかぶってるおめえに、出っ歯ととちゃん坊やのおめえ、由美ちゃんとどういう関係だか教えてくれや」

 ジジイが上手いことを言う。確かに横ちょよりも、すかしてかぶっているように見えなくもない。ジジイの鋭い指摘を聞いて、横ちょ改めすかしズラタヌキが、慌ててズラをきっちり直す。と同時に、由美子も慌てて顔を上げた。が、その顔はまだ笑っている。隣を見ないようにジジイだけを見て、鼻をピクピクしている。

「ふふっ……失礼なこと言ったらダメよ。ふふっ、このヅ……いやいや、この方はうちの署の大森署長。そしてこちらが、刑事課の飛田部長と長内課長」

 飛田部長と長内課長は真顔を取り戻し、紹介されたので軽く頭を下げた。よせばいいのに、大森署長もきっちり頭を下げる。律儀なのはいいが、たいがいにして欲しい。見ているこっちの身にもなって欲しい。せっかく収まりよく直したのに、また少しずれやがった。

 それでもジジイは冷静さを失わない。

「へ~っ、分かりやすくていいやな。カツラが大森さんに、歯が飛びで田さん、オヤジみたいな長内さんね。名は体を現すってえのは、ほんとなんだな。こりゃ大したもんだ。特に大森さん、あんたのカツラは大盛り過ぎてっから、あっち行ったりこっち行ったりで忙しくていけねえや。なぁ、ジャック」

 ジジイが的確に、なんの遠慮も気負いもなくズバリと言い放つ。言い放たれた本人はたまったもんじゃないだろうに。それに、振られた俺も困ってしまう。これでも常識ある男だ。苦虫を噛み潰したような三人の顔を見ると、相槌などかわいそうでできやしない。

「まぁ、人それぞれ個性があっていいんじゃないのか」

「おめえも上手いこと言うじゃねえか。頭の上でフガフガしているカツラも、個性ときたもんだ。大森さんも、おもしれえ個性で良かったな。かっかっかっ」

 ジジイの高らかな笑い声が春の爽やかな風に乗り、窓から清々しく元気に出かけて行く。釣られてズラも、楽しそうに頭で揺れていた。

 ここで一句。

 春の風 ジジイ浮かれて ズラ和む

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