愛欲の彼方に
一時間はジジイも飽きもせずに洗濯物を眺めていたが、二時間過ぎた頃に音を上げた。泣きべそかいて祈願するので、渋々カギを開けて中に入れてやった。反省ザルのエロジジイは、お詫びの印とそばをご馳走すると申し出たので、俺は天丼とカモ南蛮そばで手を打った。
「にいちゃん、遠慮せずにじゃんじゃん食えよ。おいらのおごりだかんな。ズルズルッ」
ジジイは偉そうに言ってのけると、もりそばを旨そうにすする。
「けっ、そばおごったくらいで偉そうに」
「なに言ってやがる。天丼もつけてやったじゃねえか。そのエビのしっぽ、ちょっとくれや」
ジジイが天丼に箸を伸ばす。俺は天丼に覆いかぶさりがっちりガード。
「やなこった。しっぽどころか、米一粒だってやるもんか」
「けちくせえ奴だな。よこせ」
ジジイと切ない攻防を繰り広げていると、
ピンピロピン
テレビから臨時ニュースを知らせる音がする。俺とジジイは同時に注目した。
ジジイの趣味で観ていた昼メロの『愛欲の彼方に』では、目元が涼しげな若妻佐伯智子と、ニヒルな二枚目田所純也の二人が、旦那の上司と部下の妻にもかかわらず、台所でイヤよダメよとちちくりあっている。
その濃厚なキスシーンをかます二人の頭上に、臨時ニュースのテロップが流れた。
――小銭銀行横島支店に二人組の強盗が押入り、現在、支店長を人質にとり立て篭もっているもよう――
ジジイは食いつくように、真剣な顔で画面を見ている。
「大変なことになっちまったな……」
「そうか? こんなの良くあることだろ」
「なに言ってやがる。智子が純也の野郎とくっついちまったんだぞ。どうすんだよ政樹の奴はよ。旦那だったらしっかり智子を捕まえてろっちゅう話だ。まったく、智子も智子だ。あんなニヤケた野郎に心も体も許すとはよ。ちくしょう。腹立つぜ」
「そっちかい……」
ジジイが腹立ち紛れに、豪快にそばをズバズバッとすすったとき、俺の携帯がブルブルと震えた。
「はいはい。由美子か、どうした?」
『真治、ちょっと署に来てくれない。あんたに頼みたいことがあるのよ』
「署? 署って警察署のことか?」
『そう、横島警察署。無敵になった真治にお願いがあるのよ。ヒーローの真治にしか頼めないお願いがね。署の玄関で、あたしの名前言えば分かるようにしておくから、早く来てね。じゃあね。ガチャン――』
一方的に通話が切れた。
「なんだって由美ちゃん?」
由美子の名前を聞いて、ジジイが目を輝かして聞いてくる。俺は携帯を見つめ首を捻った。
「さぁ? なんだろうな。無敵に、ヒーローになった俺にしか頼めないお願いがあるんだってよ」
「ヒーローになったにいちゃんにか……? おっ! 由美子ちゃん刑事だよな」
ジジイはますます目を輝かす。
「こりゃヒーローの初仕事じゃねえかよ。こうしちゃいられねえ、由美ちゃんの頼みだ。はええとこ行こうぜ」
ジジイはそばつゆを急いですすると、元気ハツラツに立ち上がった。
「早く行こうって……行って俺はなにやんだ?」
俺が納得いかずに首を捻ると、ジジイは元気ハツラツに加え、ファイト一発のツラで言い放つ。
「ヒーローのやることは決まってんじゃねえか。悪党をやっつけんのよ。さあ、行くぞにいちゃん! 今日はにいちゃんの、デビューの日だ!」
「デビュー?」
「そうでぇ、ヒーローのデビュー日だ!」
おぉ~っ! ヒーローデビューだ! そうだ! 俺はやらねばならぬのだ!
悪を蹴散らし、美女を助け、群衆の拍手喝采、そして新聞紙面にでかでかと取り上げられ、一面トップ。その後はテレビ出演が決まり、バラエティー番組に引っ張りだこ。ついには自伝を出版しそれが映画化となる。そうなりゃ主演はご本人様に決まってる。その演技力が買われ、ドラマに映画に多数出演することになっちまうな。ぐふふっ、そして出演女優とロマンスが生まれちまうぞ、おい! そうなりゃもう大変だ。そのころにはヒーローグッズも飛ぶように売れているから、ガッポガッポと金が入ってるな。国民栄誉賞なんぞもがっちりいただき、天皇陛下とツーショットでにこやかに写真だって撮っちまう。いやいや、日本だけじゃねえぞ。海外にも進出して、金髪美女と……ぐふふふふっ…………。
「おい、きたねえからよだれ拭け」
ジジイがティッシュで、俺のよだれを拭き拭きする。
「ジジイ! もたもたすんな! とっとと行くぞ。急げジジイ! うおりゃ~っ!」
元気ハツラツ、ファイト一発、おまけのボイン金髪じゃ!
鼻息荒く玄関に突き進むと、後ろからジジイも鼻息フガフガついて来る。
「にいちゃん、由美ちゃんのとこ行く前に、用意しなくちゃいけねえもんがあるな」
「なんでぇジジイ。俺は寄り道なんぞしてる暇なんてねえ。目指すは金髪あるのみじゃ!」
「おいおい、そんな興奮すんな。ヒーローには必要なもんがあるだろ。忘れんじゃねえよ」
ジジイがティッシュで、俺の鼻血を拭き拭き忠告する。
「ヘーローにひふようなほの? はんだ?」
俺はティッシュを鼻に詰め込みながら首を捻った。ジジイは不適な顔でニヤリと笑う。
「ふふふっ、衣装よ。ヒーローには衣装が必要じゃなねえのかよ。かっちょいいマントがよ」
あまりに的確なジジイの言い草に驚き、詰めてるティッシュがスポンと飛び出た。おまけにタラリと鼻血も垂れる。
「そうだ! ジジイよくぞ言った! そうだ、コスチュームだ! ピッチピチのやつとバッサバサのマントが必要だ。でもどうするジジイ? そんなもん急には揃わねえぞ?」
ジジイも興奮しているのか、鼻の穴がピクピクとマヌケに蠢いている。
「心配ねえよ。おいらに任せておきやがれ。まずはそっちから行くぞ。急げにいちゃん!」
「よしゃジジイ!」
明日への夢と希望に向かい、俺とジジイは怒涛の如く駆け出した。
うおりゃ~っ!




