子持ちシシャモ
意識が朦朧としているので、中学三年の時に体験した全校集会のあの日の記憶がよみがえり、そう心の中で呟いた。だが、耳元で囁くジジイの要らぬ忠告を聞いて現実に引き戻される。
「口を開けて笑うのはよしたほうがいいぞ。マヌケな顔が、ますますマヌケに見えるぜ」
そっとしておいて欲しいことをズケズケ言うジジイに支えられたので、歯抜けでマヌケな俺でも床に倒れることはなかった。
「ジャックさん、こんな事になってしまって……すまない……」
今まで気がつかなかったが、大森鶴夫署長が由美子の横に座っていた。毛抜けの大森が歯抜けの俺に頭を下げている。ズラが横ちょにずれるのを見て、何日も経っていないのに懐かしさが込み上げてきた。
「謝ることはないでしよ。心配すないて、俺に任すてください」
少し空気が漏れたが、鮮やかに余裕のスマイルを決めると、すかさずジジイが俺の口元を手で隠した。大きなお世話なのか、痒いとこまで手がとどくなのか、人それぞれ受け止め方は様々であろう。だがしかし、当事者の俺にとってみれば、ウザイの一言でしかなかった。
「派手な登場と、お涙頂戴のご対面をしたからもう気がすんだだろ。今度は俺の相手をしてくれよ。なあ、ジャックさん」
署長のデスクに座る大鉢の姿をした便所タワシが、左手で頬杖をついてニヤリと笑っている。
頭の鉢の大きさはいつもの大鉢だが、メガネの奥で鈍く光る眼が違う。人を見下すような知的な冷たさはあったが、悪意は感じられなかった。今の眼は知的なところなど微塵もない。獣のようにギラついて悪意に満ちている。そして、右手に握った拳銃を俺に向けていた。
ジジイはヘロヘロの俺を床に座らせると、グイッと胸を反らして一歩前に出た。
「おう、便所のタワシ。大鉢は頭がでけえから、ナマコの出来そこないのおめえにはさぞかし居心地がいいんじゃねえか。ナマコのポーズでもして、もう少しくつろいでいろや。おいらはまだ、由美ちゃんと涙の対面がすんでねえんだよ」
ジジイがキッと便所タワシを睨みつける。お絹も前歯二本を剥き出して睨みつけ、必要以上にジジイの頭をバコバコと踏みつけた。便所タワシが嫌な顔をして目を逸らすと、焼豚とウスノロも同じように目を逸らす。
その隙に、ジジイは由美子の前に駆け寄った。
「由美ちゃん、でえじょうぶか。こええ思いさせちまったな。もうでえじょうぶだからな。おいらが来たからには、由美ちゃんにかすり傷だって負わせねえぞ。むふ~っ」
鼻息荒く宣言したジジイは右の二の腕を突き出すと、貧相な力こぶを作り頼れる男を猛烈にアピールする。子持ちシシャモの腹に毛が生えた程の力こぶだが、本人は至ってご満悦のご様子だ。
「ツルリンも、もう余計なしんぺえしなくていいぞ。おいらたちが来たからには大船に乗ったつもりでいろ。だからよ、おめえはズラの位置だけしんぺえしてればいいかんな」
泥船のジジイ船長が満面の笑みを浮かべて、横ちょにずれたツルリン署長のズラをチョイと直した。
「大神様、ご心配おかけしました」
署長が頭を下げるので、お決まりのようにチョイと横ちょにずれる。ジジイが手際よくズラを直すと、署長は嬉しそうに微笑みまた頭を下げる。でもってまたジジイがチョイと直すと、署長は嬉しそうにまた――。無駄な掛け合いがエンドレスに続きそうだ。
ズラをずらしたり直したりを繰り返していた署長は、ドア付近を見つめて動きを止めた。
「飛田くんか? 歯の出具合からすると飛田くんのようだが、いつもと雰囲気が違うような……?」
署長が首を捻る。隣の由美子も怪訝な顔をしている。飛田が奇抜なサングラスをかけているので驚いているのか? と思ったがそうではなかった。
ドアの前に立つ飛田は、トンボサングラスをかけてない。ずる賢そうな目付きでニヤニヤ笑っている。
「なんでお前が来るんだ?」
便所タワシが不服そうな声で言うと、飛田は唇に人差し指を当ててダラダラと歩き出した。そして、床に座る俺の前で立ち止った。
「ちょっと右手出してくれます」
雰囲気の違う飛田に圧倒されて、素直に右手を差し出す。飛田は俺の腕を素早く掴むと、袖に忍ばせてある小型マイクを引き千切り、耳のイヤホンも抜き取った。それを床に捨て、バキバキと音が鳴るほど踵で踏みにじった。
「こんなもんあっても、警察なんて役に立たないよ」
あっと言う間の出来事に呆然としていると、
「出っ歯! てめえなにしやがる!」
ジジイが真っ赤な顔で怒鳴りつけた。




