デザートはヨーグルト
六階の署長室に着くと、焼豚が急いでドアを開けて中に入った。
「タケシくん、連れて来たぜ」
「おう、やっと殺されに来たか」
署長室から大鉢改の声が聞こえる。いや違う。声は大鉢だが口調は便所タワシだ。その返事を聞いて、ドクンと心臓が跳ね上がった。
心臓の鼓動が激しくなり背中から冷や汗も流れる。足が震えて、この場から先に進むことが出来ない。
「早く入れよ」
ウスノロが言うなり、ドン! と後ろからおもいっきり突き飛ばされた。
バカ力のお陰で二メートルも宙を飛び、着地したのはいいが思うように足が動かない。「あわわわわっ」と情けない声を上げ、前傾姿勢で両腕をグルグル回して突き進む。ジタバタと足をもつらせながら署長室を横断し、勢い余ってドアの反対側の壁にゴン! といい音を響かせて顔面から激突してしまった。
サングラスはすっ飛び、「んがっ」と目ん玉から火花が飛び出るほどの激痛に、両手で顔を押さえて後ろにひっくり返る。
「ジャック でえじょうぶか」
慌ててすっ飛ん来たジジイが、カエルのようにひっくり返っている俺を抱き起した。
「いててっ……」ジジイの腕にもたれながら手のひらを見ると、べっとりと血がついている。
「あっ、鼻しがてた」
「そりゃそうだろうな。あんだけもの凄い勢いで顔面から突っ込んじまっちゃ当然だ。鼻血も出るし、前歯も折れるだろうよ」
「えっ、前歯が折れへんのか?」
「ああ、上の前歯が根元からきれえさっぱり一本なくなってるぜ。コントみてなツラしてやがる」
恐る恐る舌で前歯を確認すると、見事に一本分の穴があいている。
「歯がない……」
「バカだねおめえも。がんばって壁に手をつくとかしろや。海に飛び込むペンギンみてえな格好で壁にぶち当たりやがって。おめえは運動神経を、どこかへ置き去りにしちまったんじゃねえのか。ほら、顔を上げろ」
ジジイは呆れた顔をしながら、自らの米印マントで俺の口元を拭き拭きする。
「真治……」
名前を呼ばれて急いで頭だけを起こすと、クラクラした頭で室内を見回す。視界がぼんやりとしていたが、目を凝らすと由美子が心配そうな顔でソファーに座っていた。
「由美子ふじか! ふぇがないか!」
歯抜けのわりには大きな声を出したので、隙間から空気は漏れるし鼻の両穴からバビッと血まで噴き出した。
「真治大丈夫!」
由美子が叫びながら血相変えて立ち上がると、
「ねえちゃん立つんじゃねえよ。こいつの足ぶち抜くぞ」
焼豚が俺に拳銃を向ける。由美子はギロリと目を剥いて焼豚を睨みつけたが、しぶしぶとソファーに腰を下ろした。
「あたしは大丈夫よ。ケガもしてない。真治、来てくれて、本当にありがとう……」
気丈な由美子も大粒の涙を流し、両手で顔を覆い肩を震わせた。
登場の仕方が少しばかり頼れる感じではなかったので、ここは由美子を安心させるためにクールに決めなくてはならない。ひっくりカエルポーズで、頭にウサギを乗せたトンマなジジイに、いつまでも体を支えられているわけにはいかない。
俺の肩に回したジジイの脂っ気のない、細かく言えばカサカサしたミイラの出来そこないような腕を振り解き、「僕の朝食は、紅茶の香りを楽しむことから始まるんだ。紅茶を何口か飲んだあとはトーストをかじり、そしてスクランブルエッグとサラダに手を伸ばす。デザートはヨーグルトがいいね。それがなければレモンを丸かじりだよ。ハハハッ」と、そんな目覚めの良い爽やかな青年のようにスクッと立ち上がった。
そして、余裕の微笑みを浮かべ親指を立てると、由美子に向かってグッドに決めたコブシを突き出した。ここでの決めゼリフはしっかり言わなくてはならない。間違っても歯の隙間から、空気が漏れるなどの醜態を晒してはいけない。発音を意識しながらキッパリ言い放った。
「由美子、もう心配することないぞ。あとは俺に任せておけ」
誰もがハッと息を呑むであろう、清々しい笑顔を爽やかに決めた。
だが、ちゃんと言い切れてホッとした緊張感の緩みからか、クラっと立ち眩みがして体が横に流れた。こりゃいかんと思い、倒れないように足を踏ん張るが、膝に力が入らず思うようにいかない。炎天下の校庭で三十分も校長の話を聞かされ、遂には貧血で崩れ落ちてしまうよ状態なので非常に危険だが、如何せん膝がいうことを聞かない。時の~流れに~身お任せ~、と懐メロ風に倒れてしまうのだと諦めかけたその時、サルより身のこなしが軽い、人間よりサルに限りなく近い人が、すかさず俺を抱き止めてくれた。
ありがとう、サルのような保健委員の人。全校生の面前でコソコソと退場するのは恥ずかしいが、早いとこ保健室に連れて行ってくれ。そして、氷枕で頭を冷やしてくれよ。頼む……




