あの世と異世界
けんたろうはぼんやりと目を開けた。
腹部には鈍い感覚が残り、まだ現実感が掴めない。
「……生きてるのか?」
自分の胸を触り、呼吸を確認する。
どうやら死んではいないらしい。周囲を見渡すと、まるで絵画のような風景が広がっていた。木々の間から柔らかな光が差し込み、透明度の高い川が静かに流れている。空気も澄んでいて、胸いっぱいに吸い込むと心が洗われるようだ。
「ここは……死後の世界ってやつか?」
けんたろうはそう結論づけ、歩き始めた。
しかし、進んでも進んでも誰の姿も見当たらない。
「なんだよ、ここ。誰もいないし、何もねぇ。死んでまでこんな孤独とか……」
溜息をつきながら、手近な木に寄りかかる。
考えても仕方ないと、とりあえず足を進めることにした。
幻想的だった景色はいつの間にか鬱蒼とした森に変わっていた。腰ほどの高さまで草が生い茂り、木々は苔むしている。
歩くたびに足元で虫が跳ねる音がする。
「進む方向ミスったかもな」
そう呟いた瞬間、背後の草むらが動いた。
「ガサガサッ!」
思わず振り返ると、小さな兎が跳び出していく――いや、ただの兎ではなかった。額には一本の角が生えている。
「え?なにあれ。兎に角?いやいや、聞いたことねぇぞ。新種か?」
思わず笑ってしまう。
取り敢えず「ホーンラビット」と適当に名前をつけることにした。
しかし、次第に胸に広がる疑問。
「ここ、本当に死後の世界か?」
ふと空を見上げると、巨大な鳥が飛んでいるのが見えた。しかし目を凝らしてよく見ると――それは鳥ではなく、翼を持つ龍だった。
「ドラゴン……?」
ラノベ好きのけんたろうは思い出した。異世界転生モノの数々を。
「まさか、これって……異世界?」
期待と不安を胸に、けんたろうは身を低くして進み続けた。
しばらくすると、森の中で何かを採っている少女の姿を見つけた。
「第一村人発見!」
内心興奮しながらも、彼女に向かって声をかけようと足を速めたその時――
少女の背後から巨大な猪が迫ってくるのが見えた。
「ヤバい!」
けんたろうは咄嗟に走り出し、叫んだ。
「避けてー!!」
その瞬間、少女は振り向き、手を前に突き出した。彼女の掌から炎が放たれる。
「ピューン!」
炎の奔流は一直線に猪へと向かい――
「ドカーン!」
猪を吹き飛ばした。
けんたろうは目を丸くして呟く。
「え、手から花火……?」
魔法というよりは花火に見えた。
少女は炎を放った反動で尻もちをついたが、すぐに立ち上がり、けんたろうに歩み寄る。
「大丈夫ですか?」
警戒心を漂わせながらも、心配そうな表情で問いかける。
けんたろうは慌てて答えた。
「あ、ああ、大丈夫。すいません、驚かせちゃって」
少女は一息つくと、じっとけんたろうを見つめた。
「……どちら様ですか?」
その問いにけんたろうは答えに詰まった。
「どちら様と言われても……いや、その……俺は、ただのけんたろうっていう普通の人間で……」
異世界での第一歩にして、すでに混乱が渦巻いていた。